第〇〇一八話 アネクドート・魔術師ゲーベ
ゲーベの職業は、魔術師である。人の身で、魔法に憑かれた人間であった。『あった』といっても、人間をやめたという意味ではない。その神髄にふれることなく、そろそろ人としての寿命を迎える年齢が近づいている、後悔のいったんから出た言葉にすぎないのだ。
「 ── まだまだだな」
「はっ?」
どうやら自嘲交じりの独白を、廊下当番の若い衛士に聞きとがめられる。職種柄、無視するところだが、なぜか今日は応えてみたくなった。
「いやなに、魔法というのは奥が深いものだと思ってな」
「ゲーベさまが、でございますか!」
若い衛士は、驚きの声を上げた。たしかに魔術師ゲーベは、この王城内で最高の魔術師に数えられる地位にいる。だがそれはゲーベが生活に即した魔法道具の、取り扱いに幅広い知識を備える程度のことにすぎない。
一度は魔法の神髄に触れたいと、魔法使いの門を叩いたゲーベだったが、魔法使いは人間より、はるかに長い時間を生きる存在だ。
このときゲーベは基本的な教育すら受けないで育ち、魔法使いに弟子入りしたただの村娘。たかだか魔法道具程度であっても、その知識を身に着けられるまでには、気の遠くなるような年月を必要とする。
とはいえ、それに最後まで堪えられたのは、ゲーベの師匠の一門においても、決して多数派でなかった。なにしろ、ゲーベたちは弟子入りした当時、書物の文字すら満足に読めなかったからだ。
村に生まれた農民に、学問の必要はない。簡単な足し算・引き算と、『トイレ』や『出口』など、最低必要な文字が読めればいいのである。
ましてや、ゲーベがその道に志したのは、十歳の年齢を数えたばかりのころであった。
「私など、この年齢になって、ようやく魔法に触れたという程度にすぎん身だ」
やや呆然と言葉もない衛士を後に、その場から離れて行くゲーベ。他の灯火には問題ないか、左右を確認しながら歩くと、一定間隔に廊下に配置された衛士が頭を下げてくる。
衛士組織とは上下関係にないため、その礼儀はゲーベに対する尊敬の証しに違いない。しかし自らを卑下している真っ最中のゲーベにとって、きまりの悪いことこの上なかった。
一口に魔法といっても、それに携わるものには、魔法使いや魔術師、聖霊、ドワーフ、半聖霊など多彩。さらにその内容も多岐に細分化される。魔法に関わる態度も、研究者や実践者と様々で、あるいはそんな力を無駄に濫用する、はぐれ者がいるのも知っていた。
正確に言うと、魔術師が使うのは魔術であって、教会の忌み嫌う魔法でないとされるが、それは詭弁だ。実際には奇跡と呼ばれる神の魔術も、中身は魔力の行使と同じであることは、この道に足を踏み入れたものならだれもが理解している。
研究対象や、得意とする分野もさまざまだ。
生活魔法道具の取り扱いを極めた自分のようなものや、魔法道具の開発・設計・改良にあたる者。魔法を行使するために必要な基礎理論の研究・実験・追及に走る者。土木や冶金、薬作りといった錬金術により諸問題を解決する魔法で、人間社会に貢献する者もいる。
魔力の蓄積・利用技術や世の理から外れた錬金術の探求、開発など不思議モノづくりを得意とする者は、錬金術師と呼ばれた。これらは別物として、既存の魔法道具に対するアイデアを、練る者ばかりが増えたと聞かされている。没頭するのは、一昔前ならドワーフが専門とした、道具の改良、使いやすさを追及するような仕事にすぎない。
(一生を投じて、究理闡明の道を行くなどという魔法使いは、減るばかりなのだな)
先ほど素人の殿下にまで漏らしたが、呪文暗号を書く術に習熟した魔法述師なる職などは深刻である。希少価値以上に系統立てた学問化がなされて来なかったゆえ難易度が高く、減少の一途を辿っているようだ。
師匠によれば、そもそも魔法使い自身が、他人に伝授する技術を進歩させてこなかったという歴史に起因する。親子や親類縁者など魔法使い同士なら、人間と違ってはるかに長い時間を生きるため、見よう見まねで技術を盗んでも十分ものになった。
だが魔法述師の書いた呪文暗号は、だれも読めないよう後に工作してしまうものだ。そうなると公開された陳腐で短い呪文暗号程度しかないなど、勉強材料が乏しい。それ以上の盗み取れない部分は口頭伝承に頼るしかないが、悲しいかな彼らは魔法述師の人手不足から、常に多忙を極めている。
結果、伝達する内容をまとめたり書き残したりするのが、なかなか困難なのだ。そのため、魔法述師として師匠を超える者が排出されることは少ない。後継者も減少の一途を辿っており、負のスパイラルに陥いるなど、将来が懸念されている。
ゲーベが師事した魔法使いは魔法道具への造詣が深かったが、自分自身は単なる道具の使い手となる才しか現せなかった。もちろん、師の修めた道具の設計や改良といった高みまでには、至れなかった半端者と自覚している。所詮その程度の者が、どうこう言える資格はない。
師ほどの魔法使いになれば、仮に動かすための道具の製作も可能だが、それは魔法使いの本来の姿とは違う。しかし現在は、さらに実用的なものや完成度の高い逸品に仕上げることを専門とする者も増えた。堂々と魔法道具の造形までが得意、と公言する魔法使いも珍しくなくなったらしい。造形はもっぱらドワーフが得意とする分野であったにも関わらずだ。
神代の時代より、新たな道具の理論を考える研究あたりが、本来魔法使いの仕事と言われてきた。とはいえ最近、種が尽きたわけではないにもかかわらず、多くの魔法使いも道具の改良や量産、余分な機能のカットに専念する。
そして、効率的な廉価版の製造等で、名を馳せる者が跡を絶たないようだ。ほとんどの魔法使いは、そういう方向に、鞍替えしつつあると聞かされていた。
ゲーベが扱える魔法道具は、生活用の動力系が主だ。聖泉の聖脈という、無尽蔵とも言ってよい魔力があるここなればこそ、重宝されて就職できたといえる。
たまたま前任の魔術師が高齢で引退するとき、ゲーベが師の弟子の中でもっとも経験が長かったため訪れた幸運であった。そんな棚ぼたがなければ、師の下で魔力圧縮瓶なる入れ物へ充てんする作業あたりに、一生を使いはたしていたかも知れない。
実際のところ魔法使いの管理する魔脈が、国王の掌握する聖脈になっただけだ。省みれば、やっていることに大きな違いはないが、その名誉と収入は段違いである。
なにしろ国王直々、聖脈の精留塔から脈の力が自由に取り出せる、恩寵を与えられた身なのだ。これを直接、あるいは魔力の保持が可能な魔力圧縮瓶に充填し、エネルギー源として様々な用途へ、活用させるためであった。
(まあ恩寵さえあれば、圧搾瓶への魔力充てんなど、十年も修行している魔術師ならだれでもできるのだろうが)
ちなみに魔法灯火は光石につながったループの中を、光の素が動く原理で光りはじめると言われる道具だ。
ただしゲーベもその理屈は詳しくは理解できていない。ゲーベの教わった内容によれば、ループの一部である膨れたこぶのような場所には、光の素を活性化するコーンという装置がある。ここで圧搾瓶から得た魔力により、活性した光の素を光石に流しているはずだ。発光させたことで力のなくなった光の素は、ループを使って戻ってくる。
それが先ほどなぜか、点火詠唱も行なっていないのに、今まで見られないほど強く光り始めた。もちろんほどなく消えたのだが、それほどの魔力は圧搾瓶に残ってなかったはずだ。
ましてや石が光ったとき、コーンの中でなんらかが回った感じがしていない。あれば必ず振動が起こる。言い換えれば、光の素を活性化せずに、光石があれほど煌めくとは考え難かった。
それでも実際、今までこれほど強く光ったことはない、と思われるほど輝いたのだ。
(まだまだ自分の知らない、魔法の深淵があるのだろうか)
ときに魔術師は人間であり、師であった魔法使いは人間ではない、姿が似て非なる別の種である。
聖霊も種だが厳密に言えば生体ではなく、人の身では聖人や王族しか会うことができないもののようだ。だから普通の人間なら、存在を理解しえても、実際に確認する方法は皆無に近い。
ゲーベは師が、聖霊から魔法道具の材料や、触媒と言われる希少品を入手していたため、聖霊の存在だけは認識できた。またこの職に就いた際、王に任官された後に大司祭の立ち会いの下、ガニメデの聖泉を護持する聖霊の長とも会見に及んでいる。だが人の身で、そういう機会を持てる者は少ないはずだ。
王国には、何人もの魔法使いがいるが、ゲーベの師などその他大勢にすぎない。国内に巣くうとされる著名な魔法使いは、数人挙げることが出来よう。中でもすべてを見通す透視力持ちであり、山でも崩せる落雷を起せる、賢翁ペスペクティーバがもっとも名高い。
他にも名のある魔法使いの血統であるにもかかわらず世をはばかり、盟約で魔術師として貴族に仕えている老師ガスパーン。人嫌いで面倒くさがり屋なため無名に近いとはいえ、最古最高の錬金術師と言われるギェーモンなどがいるようだ。
師の話によると、世界最高峰の腕にもかかわらず、ろくなことに働かない魔法使いが、少し前に王国圏内に住み着いたらしい。どこでも行って何でもするため、心得の悪い人間たちから騙され易い困ったやつだ、とこぼされていた。そいつは、あろうことか魔族に加担するような問題児でもあり、ヒトの世界において魔人どころか悪魔とさえ呼ばれる。
(いや、世の中にはもっととんでもない『物怨じの魔女』となった、この国の元宰相もいるのだったな)
必ずしも魔法使いという者が、人間のために尽くしてくれると約束された存在ではない。それは識者ならだれでも理解している。
常には人の形であるため、人間の味方のように思ってしまうことが多い魔法使い。だが結局は本人それぞれの損得、倫理観、日頃のつきあいなどで動くものだ。
ゲーベは、自分の残る寿命を数えてみる。そして人の身では到底たどり着けない終着駅に向かって、たえず当てもなく走り抜けてきた人生を、しみじみと振り返るのだった。




