第〇〇一〇話 『しゃべれそうだ』
ラーゴが飼われる飼育小屋には、夜になると煩くなる部屋がある。おそらく夜行性の冷血獣 ── 爬虫類だろうか。夕方にユスカリオが置いていった餌を、夜中になってから起きだして食べているけはいが感じられた。
まだここに、知性体がいるかどうかはわからない。自分だって知性体であることを隠しているのだから、他にそういうやつが居る可能性はある。コミュニケーションをとる手段さえ見つかれば、話し相手くらいならなってくれるだろう。
まあ、昼間もほとんど目覚めなかった自分は、寝飽きるくらい眠ったはずだ。今休めなくても別段、苦にはならない。ラーゴと名づけられたばかりの珍獣は、これまでのことを思い返してみた。
まず、自分は魔族の血を引いているという。これは重大問題だとはいえ、今更どうしようもない。解決できる課題ではないので、あえて積み残しておこう。
聖泉の忌避をごまかしとおしたのも、単に『図太い』だけでは説明しきれない。幾多の魔族チェックをすり抜けたのは、なにやらルシーにつけられたという首輪が、五分五分以上の感触で活躍していると思えてきた。
すでにセントなにがしの祝福だかをごまかしたそうだ。それも血統というより、この首輪のおかげとしたほうが、しっくり来るのではないかと思われる。これは首輪を外そうとしたときの現象から、十分立証されていた。
そして母親は魔族ではない、きっぱりとは言い切れないが、ユスカリオの話からそのように想像できるだろう。なにか特別な存在だと嬉しいが、魔族以外の血統のほうも、どうも自分の姿を見る限り別格といったものではない。トカゲ族かイモリ族、あるいは小ワニ族あたりが妥当なところだ。
(─ 龍という声もあったような ── 。いや、あの王女殿下なら、見るものすべてを龍にしてしまうだろう)
ここは実物をその目で確認したことがあるという噂の、マーガレッタを信じよう。もしかすると、この姿自体が魔族のほうの血筋だったとしたらどうか? 爬虫類系の気持ち悪い魔族に種付けされている、人間の女性を想像するような趣味はない。それでも母親は、できればヒト種に近い、すてきな女性を望みたかった。
どうしてそう思うのかわからない。あえて言うなら、ここで孵化して初めて見たのが人間、 ── 見た目のきれいな女性だから、刷り込みされてしまったのだと考えておく。
(─ 実際には、美味しい冷血獣の母親に、物好きな魔族が種付けして、繁殖させようというオチかも知れないけどね)
いずれにしろ、詳しいことをユスカリオから聞くためには、自分が知性あるものとバラさなければならない。とにかく、まず自分がしゃべれるのかを確認しよう。
「じぶんわ、らあごだよ」 やった、しゃべれる。といってもかわいくない。「ボク、ラーゴだよ!」
(─ よしよし。 ── なんだ、問題なくしゃべれそうじゃないか)
ラーゴは安堵する。これなら、自由にユスカリオともコミュニケーションがとれるだろう。しかし ── とラーゴはその身の上を振り返って、本当にユスカリオに話しかけても大丈夫なのかと、これまでの経緯を考えてみた。
魔族となにかの、混血種として生まれた卵の自分は、きっとこの姿が原因で『あれ』 ── おそらく魔王 ── の怒りを買ったようだ。
そのせいで、強大な魔力を持つ、別の魔のもの ── ユスカリオの言う魔法使い ── に首輪を嵌められる。ついには意識不明に陥って、食材一直線のはずだった。『あんなこと』とユスカリオは言ったが、それは魔族討伐とか、人間の奴隷奪還とかいった騒動だろう。おかげで一命を取り留めたわけだが、このあたり意識なく眠ってきた自分には、まったくわからない部分だ。
これに乗じて、自分の行く末を母親に頼まれていたユスカリオは、かろうじてあそこから連れ出してくれる。自分はまもなく、魔王討伐隊の凱旋途上で孵化し、セントニコラと呼ばれる聖人や聖戦士っぽいマーガレッタの鑑定をごまかした。かくしてうまくここの王女様であろう、ミリアンルーン殿下のペットとして飼われることに、落ち着いたというわけだ。
ただ住み処となったこの場所は聖域のようで、魔族の自分は排斥されて当然の場所らしい。
ところが首輪の恩恵なのか、今のところ自分には聖域の排斥も、聖水の忌避も効果がなかった。そしてこの首輪であるが、外しかけるとなにかとんでもないことを起こしそうだ。それは自分の力の解放をはかるのか、あるいは外の聖域と反応するのかは不明だが。
ユスカリオへのコンタクトは、おそらく彼と二人きりになれる機会が必須だろう。下手に自分が人間の言葉をしゃべれたり、魔族の係累だと知れたりしたらたいへんだ。ここまで築き上げたユスカリオと、自分の苦労が水の泡になることも予想できた。もしかすると先ほどのように、ユスカリオが自分へ話しかけているのが知られただけでも、処分が決定する可能性もある。
であれば ── 敵をだますにはまず味方から。ユスカリオにも、自分は魔族との混血ではあるが魔の力など持たない欠陥腫。いっそのこと魔族ですらないと信じさせるよう、可能な限り努力するほうがいいかも知れない。
このあたり非常に微妙な問題であり、今は決して急がないでことを進めようと心に決めた。母親という人の進退は心配であるが、自分のことを詳しく分からないでは手の打ちようもない。それに、いたいけないわが子が処分されるのは、腹を痛めて産み落とした母親も本意でないだろう。
(─ 広域災害が起こったとき、親が子供を探しに行って無駄死にになった ── とか、あったような)
いずれの記憶であるのかわからないが、今の状況からでも十分類推できる悲惨な未来だ。
ユスカリオの持つ知識は、今日聞いた以上の情報がないふうな話だったが、ルシーという魔法使いならいろいろ知っているように思える。ならばそんな関係者や、そうしたことに詳しい識者に巡り会う機会を待つのが、今は得策と方針を立て終えた。
そして寝付けなくなってしまった夜、次にはこの首輪の性能を、確認しておこうと考える珍獣 ── もとい魔族ラーゴ。念のため、もう一度自分で外してみようとした。短い手足ながら、身体の柔らかさでなんとかなる。だがやはり、ユスカリオが外しかけたときと、同じことが起こりそうだ。力がみなぎってくると同時に、体が熱くなり、光を帯び始める。
ただそれは、抑えられることがなんとなくわかってきた。これがユスカリオの云う、制御の力かも知れない。能力があるのは便利とはいえ、やはり魔のものと同じ力を使えるというのは、嬉しくないラーゴである。
熱いのは外との ── おそらく聖域との拒絶反応だろうか。そう考えると悲しくなるラーゴ。
光るのは首輪がなくなったため、それまで首輪に吸い取られていた自分の力があふれ出し、漏れつつある状態なのだろう。それは、すぐにも止めることができる気がする。漏れて行く力は、自分の内側にため込んで行けるからだ。まあ垂れ流しのおしっこの最中に、少し力を込めて止めるといった‥‥。そんな感じでオーケーらしい。
だが、熱くなるのは困った。発熱は外との反応かも知れないが、それよりも溢れる魔族の力を、首輪で吸い取られなくなったからだ。たとえ魔の正体が漏れ出していなくても、アレルギーが起きたように、どんどん温度は上がって行く。とくに痒いとかの別症状はないが。
試しに、どれくらいまで熱くなるのかやってみた。何度か試行錯誤を繰り返した結果、ある程度でそれが止まることがわかる。
となれば、首輪などなくても大丈夫だ。やや警戒感を緩め、しばらく首輪は外してみようと試みるラーゴ。じんわりと、自分の身体が温まっているのを感じる。いや、やはりマズい。自分の体が、ある程度の温度とはいえ保温されているという状態は、だれかに触られるとわかってしまう。つまり自分が冷血獣でないと、おおやけになるのだ。
後は魔族とバレ、魔王も滅ぼしたというマーガレッタ隊長にでも、気づかれればバッサリ成敗されること請け合いである。あの戦士とやりあったら、勝てるどころか、逃げおおせる自信の欠片もない。
(─ ユスカリオが結界って言ってたっけな)
こちとら、力のない ── 美味しい ── 冷血獣として生を受けた魔族だ。それが自己防衛のため、ハリネズミの針とかに似た防御力よろしく、備わっている能力であるなら、たいへんありがたい。
今度は自分を保護しようとイメージし、大きいほうを気張る感じで身体の一部の表面に、体内の気を集中してみる。すると、ウロコが微妙に光ってきた。それも厭わず続けていると、なんとなくウロコの外側を覆う、膜っぽいものが作られたのが感じとれる。
(─ これが、結界か?)
爪を出して、ウロコの上から突いてみた後、こめた気力を解いて比べると、違いがわかった。爪も覆ってしまったらしく、正確なところは微妙といえるものの、何かしらの物理的なカバーがされている。しかも爪に力を入れたくらいで破れたりはしない。
ただし、この結界は温度を伝えた。両足の裏にも張られているが、地面に着ければ冷たく、自分に触ればあたたかい。つまり熱と光は防げないということだ。
しかしどういう理屈か、この力の発動中、上から首輪をしておけば結界の外部温度は下がるようではないか。結界の上からでも、温度というエネルギーを吸い取るのだろう。さらに張らない状態で首輪を付けても、結界とは関係なく、首輪の内側に発動が可能だとわかった。
そのとき結界を作るため、発揮する力が残っているのはどういうことかと思う。だがそれは取り外せるようになった今だからかも知れない。つまり詳しいところまでは不明である。ちなみにウロコの発光は、結界を張ってから、気持ちが落ち着くと勝手に治まった。さらにこの後の訓練により、光らせないでも作成可能になって行く。
今度は首輪をつけた状態で、自分の周りと同時にもう一つ、あるいは複数、自分の体積に比べ十倍くらいまでの結界を張る術に挑戦だ。これは慣れるまで、一時間くらいの練習を要した。この調子なら、練習次第でもっと大きなものも作れるだろう。
また結界を張るとき、物理的な障害は跨いで作成が可能だが、できた状態で動くと外側の物理的障害に拮抗するということもわかった。つまり、体の十倍のものを作ると、自分の体積が十倍に拡大したのと同じで、結界の外側に檻があれば、それが障害になってしまうのだ。
自分の力程度で、これがどれほどの耐久力を持つかわからないが、石ころの飛んできた攻撃くらいは防げるかも知れない。
とはいえ、聖人などの耳に、結界の張れる魔族という事実が聞こえたなら、ここにはいられなくなるだろう。生命の危険を感じるなど、よほど特別な危機でもない限り、こんな結界の能力を持つことは、だれにも知られてはいけないと考えた。
一方、自分の足元に作った結界は、檻の載せられた机の下まで突き抜けているようだが、自分の動きになんら抵抗を受けないらしい。同様に檻の外側までおよぶ大きさで張った場合、檻から離れても、あるいは近づいても檻を障害物とは見做さないようだ。要するに結界の内に取り込まれたものは、その続きも認識しなくなるのだろう。
そしてこの結界の大きさは自由自在で、さらに訓練と実験によって大きさを、拡大縮小させられるのもわかってきた。慣れてきたので、常に意識することなく首輪の内側、自分の体に一枚の皮のように常時張る、という練習をして身に着けておく。
この恰好なら、発生してくる力を首輪に吸収されず、わが身に温存しておけるだろう。しかもなにかあれば、いつでも解除して首輪状態にもどるのも可能だ。結界の位置も中心をずらすなど、自分が含まれないパターンも練習する。試行錯誤の結果、一つ張ったまま、場所を変えて同時に複数作るパターンも可能になった。
こうした工夫の要る張り方や、一定以上の大きさの結界には、急に自分のエネルギーが食われて行く。逆に自分中心の小さなサイズなら、ほとんどエネルギー消費が感じられない。
この屋敷を包み込むほど、巨大なものができたところで、夜が白々と明けて来たようだ。さすがに込み上げてくる疲れに負け、一枚の結界を残して、眠りに就くことにするラーゴであった。