第〇〇〇九話 アネクドート・マーガレッタ=アンティオーチ◆不老不死の美女
深夜、練習場にある人影はひとつしかない。近衛隊隊長マーガレッタだ。
両手に訓練用の棒を二本持ち、薄手のトレーニングウエアしか身につけないマーガレッタは、だれもいない練習場で宙に声をかけた。
「ヒカゲ、ハナカゲ、もう一度お願いします」
途端に彼女をめがけ、礫が周囲から止めどなく投げつけられてくる。さながら目標を傷つけようと目した、本気の投石だ。それを女は見事なまでの体術でかわし、あるいは自分の腕の長さほどしかない、訓練棒二本で的確に弾いていく。
四肢がバランスよく、しかも華麗に舞う様は、さながら優美な舞踊を早回しで見せられた感があると賛美されていた。
薄絹を纏った程度での大立ち回りは、胸元で踊る豊満な双丘やむき出しの太腿、露わになる臀部に兵士の視線が集まってしまう。それに気を取られ、日中こんな格好ではできない訓練というものの、革鎧程度の軽装でも、防具をまとえば緊張感が薄れると思われた。
実践は命のやりとりであり、自分は王家の最後の護りである。必ずしも、十分に装備して臨める場合ばかりでない、という経験を得たマーガレッタは、焦燥に駆られて深夜の訓練を行なっているのだ。
攻撃は止んだが、しばらくマーガレッタは構えを解かなかった。王国軍関係者であればだれもが既知とする、一分の隙も敵に見せない、マーガレッタ二刀使いの構えだ。
「さすが、お見事です」
女であることもひと目では分かりにくい。黒装束で顔も目以外は隠した二人が壁から抜け出たように現れると、マーガレッタも構えを解いた。
「『冥鬼双角斬撃突』を構えられては ── 一分の隙もありません」
揃って、王国ではもっとも見てくれが悪いとされる黒目黒髪の二人。彼女らは、王家の諜報兼隠密警護部隊のため、特別に養成された者たちであり、限られた者の間で影鍬と呼ばれている。ヒカゲはまだ十三、ハナカゲでも十五だが、はや練者に分類される実働部隊だ。
影鍬の現役寿命がそれほど長くないため、ハナカゲなどはすでに影の中でも、允許の称号を保持する強者である。二人とも日中はミリアンルーン殿下の警護専任であり、他の影鍬よりもあがりが早いので、夜の訓練に付き合ってもらっていた。
「マーガレッタさま、軍の食事係に着任した魔王城の元奴隷が、美味しい夜食を作ってくれるというもっぱらの評判です」
「わかった。ハナカゲたちが食べたいなら、今度訓練につきあわせるときは頼んでおこう」
「え、いえそんな。拙者たちは ──」
「はい。マーガレッタ隊長に、ご相伴させていただきます」
年下のヒカゲが、遠慮なくうれしそうな声を出した。それはおそらくトカゲの卵を持ち出したユスカリオのことであろう。凱旋の道中で心安くなっておいたので、嫌とは言わないはずだ。マーガレッタのややはしたない鍛錬姿を見ても動じない、いわば達観したところがある男のようだった。
(数百年人間をやってきた自分と似た、匂いが感じられる ── と言ったら怒るだろうか?)
マーガレッタは、この国に来て十年を越える。教会本部により、幽閉に近い形で悠久のときを持て余し、戦闘訓練ばかりに明け暮れていたマーガレッタ。ところが突然、大陸北部の歴史ある王国で国が荒れ、崩壊寸前の状態になったと聞かされる。それを宗教的にも物理的にも救うためという名目で、当時戴冠されたばかりの女王の近衛隊へと派遣されたのだ。
(あのときは、体のいい厄介払いだと思ったものだが)
王都内であっても、山賊や野盗が出没する惨状など、当時は普通の状態だった。そこへ飛び込んできたマーガレッタは、軍の強化、綱紀粛正に始まり、民兵を鍛えるだけに留まらない。官の汚職も追放し、すべての国民への伝導につとめた。
思えば、教会からともに派遣されたオンドーリア大司祭にも、かなりの協力をいただいたものだと回想する。辛く険しい道のりだったが、幽閉され、いつ役立つかわからない学習や訓練だけを続けるよりも、はるかに感じられるやり甲斐。そうした仕事にいつの間にか、マーガレッタは無我夢中で取り組んでいた。
そんなとき、国の復興にかまけて見逃してきた、領内の果てに巣くう魔王が予想外に、王都を襲う兆しが見える。さらには地上すべての聖脈すらへも、その触手を伸ばすと危惧されたのだ。
これを受け、ついに教会は史上始まって以来の、大規模な教会軍を組織する。その軍を、大陸一と噂の高い勇者に指揮を執らせ、今回の大戦闘に至った。見た目は驚くほど成功裏に勝利を収めたものの、実は一か八かの賭けと言っていい勝負だったのだ。
十二年前に誕生された次期女王ミリアンルーン殿下は、誕生のみぎりから聖泉の祝福を受けられた、まさに王国の未来である。幼いころはいささか体が弱かったが、ガニマの聖泉の加護で、現在は健康そのものとなった。
しかし今回、そんなミリアンルーン殿下の最愛の兄。王国ではモンスターも狩って不死身の英雄と言われる、アレサンドロが魔王討伐に同行。ムチャを通して魔王城の激戦地へ乱入したあげく、現在意識不明の重体だ。
近衛隊長として、アレサンドロを守りきれなかったことは、慚愧の至りでしかない。
(いったいサタンは、アレサンドロさまになにをしたのか?)
サタン ── と会ったことで、マーガレッタの脳裏に、忘れかけた過去が蘇る。
今から七百年近く前に悪い浮遊霊にとりつかれたあげく、土地の有力者に言い寄られたのだ。拒絶したことが逆恨みされ、捕らえられて拷問を受ける。傷だらけの身体で、餌として奉納され飲み込んだ龍が、実はサタンの変化した姿だった。
後にサタンを龍に化けさせたのは、横恋慕した官吏の一族と知ったが、伝説によれば龍に喰われたら最期、魂さえも消失するという。よほど憎まれたのだろうが、もはや七百年も昔のことであり、マーガレッタには遺恨の欠片もない。
ところが、腹の中から十字架で肉を裂いて抵抗。助かったという経緯が彼女の人生を大きく変える。拷問を受けて傷だらけだったマーガレッタの血に、サタンの血液が混ざった。 ── だからと言われるが、そのとき以来マーガレッタは不老不死となったのだ。
後日、それは不老不死のサタンが持っている能力の一部を、受け継いだためと教会で教えられる。だが数百年も昔の識者から伝わる逸話であり、真実はサタンに聞いてみなければわからない。
(そもそも血も感情もない魔族の頂点、大悪魔であるサタンに、血液が流れるはずがないのだから)
それから不変と化した容姿は、当時の年齢の数え方で二十四歳のまま。 ── 今となっては現況にあわせ、もっぱら十八歳と称している。不老どころか、まるで若返ったようだ。
(別に二十四と言ってもよいが、今にあっては、自分の生まれたころの三十二~三を名乗ることになる。ふだん化粧もしないので、またぞろ若く見えるのそうろうのと、そのほうが説明は面倒だからな ──)
そしてわが身だけが変わらず、七百年近くが経過した。
なぜ、『今となっては』なのかといえば、事情がある。実は人の歴史が始まってから、数百年前頃までは三百六十日だった一年が徐々に延び、今や四百八十七日までに増えているからだ。そのため、マーガレッタの持つ年齢への感覚も、常に変遷してきたといえた。
(今、ミリアンルーン殿下が十二歳といえば、ああ、女の成人かと思えるようになったな)
マーガレッタが生まれたころのときの流れなら、十六~七歳と言っただろう。しかしいったい、天界では何が起こっているのか? まあ、それは人の身の計り知れるところではないと、マーガレッタは思考を放りだした。
それより、サタンはなぜ、あんなふうだったのか。たとえば、最強の悪魔サタンを、あそこまで疲弊させる、そんな戦いでもあったのかと。
そちらのほうがマーガレッタにとっては気にかかり、結果としてアレサンドロにもたらされた、問題の解決に頭を悩ませる。だが本当に自分を突き動かすのは、あそこでなにが起こったのかを知りたい好奇心 ── そこにつきるに違いない。
であればこそ、国王陛下を護る近衛隊長としては許されるはずのない機会に、できるなら恵まれたいと願うのだった。
(もう一度、魔王城に行けば、何かがつかめるかも知れないが ──)




