第〇〇〇八話 命名と驚愕の宣告
日が翳ってきたころ、いったん小屋を離れていたユスカリオがやってきた。一人で珍獣の部屋に入ってくると、格子戸の前に小さな札を取り付ける。
入室したとき、外まで衛士が来たけはいはあるが、とくに中を窺ったり、不審げに注意を払ったりしている様子はない。形式的な付き添いということだろう。ユスカリオが中に入ると何かを言い残し、元来た方向へ歩いて行った。
「お名前が決まりましたよ。殿下から、名札をお預かりしてきました」
昼にここへ一緒に来たときからすると、かなり立派な作業服に身を包んだユスカリオは、ほぼ敬語で珍獣に声をかけている。王女のペットのほうが、奴隷相当の下僕より位は上ということなのだろうか。ユスカリオだけなら、なるだけコミュニケーションをとっておきたいと、声に気づいて目覚めた ── ふりをした。
凝った細工が施された陶器のお椀類と、 ── 新しい首輪だろう ── 金色に光る輪っかを持ったまま、部屋に入ってくるユスカリオ。檻の入り口を開け、伸びてきた左腕に親愛の情を表して絡みつくと、トカゲながら『ゴロゴロ、ニャォーン』の雰囲気を出してみた。
金の首輪には、見た覚えのない字で何かが書かれている。おそらくは自分の名前であろう。
文字を学んだ機会のない珍獣には、解読不能なはずなのだが、見つめているうちに『ラーゴ』という文字であると頭にひらめいたのだ。いや、読みたいと思った珍獣の意思に応えて、文字が自分の読める形 ── 既知の文字の形へと、変化したかのように感じられる。
明らかに、見知った文字で『ラーゴ』と書かれていた。
「らぁご?」
「えっ?」
(─ やばい、しゃべってしまった)
「しゃべれるのですね、というか読めるのですか ──」
「らぁご」
これで通そう。つまり、鳴き声がたまたま名前と同じように聞こえた。そういうことでいいだろう。ペットの泣き声でたしか『ニャーゴ』というのはあったはずだ。 ── ただどこで聞いたのかは定かではないのだが。
「あぁ ── ラーゴっていう鳴き声なのですか。なるほど、ナーゴとかミャーゴっていう鳴き声が ── いや、それは違うな。まあ、たまたまとはいえ驚きましたよ」
(─ しゃべれたら、ただじゃすまないな。よくて、見世物小屋行きかも知れない。そうは言っても、実際にはしゃべれる気がするが)
その後、ユスカリオは落ち着いてこう漏らした。
「あなたがしゃべれても、そりゃ当たり前なのですけどね」
(─ え、そうなの? いや、そんなまずいでしょう。もちろん化けものとか言われたくないし、見世物小屋も勘弁してほしい。できれば王女様のペットで一生を安楽に終えたいからね)
しかし、ユスカリオはなにかを知っているのだろう。その先が聞きたいが、どうしたらいいのかわからない。
「らぁごぅ?」
ラーゴと名付けられた珍獣は、首をかしげて、なあに? というふうにできる限りかわいく、鳴き声攻勢に転じてみた。ユスカリオは周囲をいささか気にかけながら、さらに声のトーンは落として、独白のように言葉をつなげる。
「わたくしめの言うことを、わかっていらっしゃるのかどうか、これでは確かめようもないですが ── 。あなたのお母様からわたくしめは、その身をよろしくと頼まれていたのですよ」
(─ なんと! 自分の出生の秘密に関わる話じゃん)
ラーゴ自身、情報はほしい。とりあえず顔を、ユスカリオの左腕にスリスリしてみた。
「あの日、魔王様が『食べてしまえ』とおっしゃったとき、本当にわたくしめはどうしたらよいのかと思ったのですが。 ── 偶然にもあんなことが勃発し、魔王城は崩壊。わたくしは、奴隷としてこちらの方々に保護されて、幸いにあなたを連れ出せたのです。王国のミリアンルーン殿下は、国内でも一、二と言われる冷血獣の収集癖がある。そう聞いていましたので、ここへ戻る道すがら、あなたを見てとっさに、マーガレッタさまが目を留めていただけるよう画策しました。目論見通り、ミリアンルーン殿下の庇護下に入れることができましたが‥‥」
ユスカリオの言葉がとまる。だがここまで、かなりの情報のつまった独り言ではなかったか。
母親なる存在に頼まれたとはいえ、あんなに恐ろしい、魔王に料理を命じられていたのだ。
にもかかわらず魔族の城から持ち出してもらえた。しかも自分を、マーガレッタを通じて王女殿下へ推薦されるよう一計を案じ、これを見事成就させてくれたという。
それならユスカリオは、ラーゴと名付けられたばかりの珍獣にとって、二重の意味で恩人である。王女殿下への献上だけでなく、すぐに玉子料理にせずに躊躇していてくれたことも ── 。
(─ 魔王だったんだ、あの怒ってたやつ‥‥)
『あんなこと』と言ったのは、マーガレッタたちによる魔王城襲撃か、殲滅という事件だろう。
「らぁごぉ?」
促すように、うなり声を出して鳴いてみる。だんだんこんな愛玩動物のしぐさというものが、板についた気さえしてきた。
「海の底深く沈んでしまったとはいえ、あのまま、あそこにおいてきたほうがよかったのかもと後悔しましたよ。まさかあんな、『踏み絵』があるとは ──」
(─ いやいや、やめてください。生まれたとたん、討伐されて滅びた魔族と海の藻屑なんて勘弁だよ)
実は ── 、ラーゴは『踏み絵』というワードも知っていた。異教徒を審問する手段である『踏み絵』。そんな手法がこの世界でも同様に使われるものか不明ながら、なぜか知っている知識だ。しかしそういった、違和感ある知識をユスカリオは共有する。ラーゴはそんな違和感に、今は気づかない。
「大丈夫でしたか? 魔族にとって、その身を焼き尽くすという、ガニマの泉の聖水を飲んで」
突然ユスカリオから、聞き逃せない、驚きのカミングアウトがあった。
(─ え、自分って実は魔族なの?)
ラーゴは自分の目の前が真っ暗になる ── 。
「ららら‥‥」
ラーゴは、変な声を出してしまった。
人生、山あり谷ありというのは世の常だ。それでも食材から一転セレブなペット生活を手に入れたと思えば、周りにもっとも懸念されている魔族宣告ときた。もしも、その事実が漏れたら間違いなく、獄門・張り付け・火炙りは逃れられない。
ならばあれは強い酒ではなく、つまりは魔族チェック用の、いわゆる忌避薬というやつだったのではないか。しかし、自分にはおいしく感じられた。考えてみれば、アルコールすなわち消毒剤だから、ある意味、生物にとっての毒でもあるわけだ。
どうもラーゴは聖人にも鑑定できなかった、理由ありの魔族とでもいうのだろうか? 仔細は不明とはいえ、致命的なダメージに至らず、キツイ酒程度の効果しかなかったのかも知れない。わが身ながら、なかなか図太い身体と感心するばかりだ。
「この首輪の力、あるいはお母様の血が守ってくれたのでしょう」
(─ 首輪の力? お母様の血?)
ということなら、母親は魔族ではないのか。魔族となにかの、混血種なのかも知れない。しかもこの首輪は絶対、魔族の力でまかれたものであるのだが。
「サタ ── ルシーのつけた魔封じの首輪は大丈夫ですか。今からこの首輪と変えます」
これをつけた、あの強力な魔族は、サタ=ルシーとかいうらしい。ユスカリオの、空いている右手が首輪に伸びてくる。ただこの首輪にはつけられた瞬間から、そんな簡単に取れそうにないフィット感があったはずだ。いやまるで金属製にも思えた。
にもかかわらず今、首輪の端をユスカリオの指がつまんだのが分かり、そのままスポッと抜けそうだ。首輪の位置が変わり、指で引っ張り上げられているのを感じるラーゴ。完全に首輪が体表面から浮き上がったと同時に、体に力があふれてきた。
(─ 胴体が、あれ? 熱い ── だけじゃない、ウロコが光り始めてる?)
「らごっ!」
「あわわわ‥‥」
ユスカリオも驚き、首輪をとることもやめてしまう。再び首輪が同じ位置に戻され、体に密着すると力は抜けて一度上がった体温も、急激に冷めて行った。ラーゴの体が熱くなったのを察知し、血の気が引いたユスカリオの精神もしばらくして落ち着いてくる。
「やはり、これをとるのは危ないですか。しかもここは、中庭の聖域ですからね。何が起こるかわかりません。ルシーのように、自分の力を制御できたり、結界が作れたりすればよいのでしょうけれど。まあ ── 今日はこの新しい首輪をつけるだけに止めましょう」
金の首輪を頭から通すのにラーゴも協力し、ユスカリオが取り付けてくれる。うまく元の首輪の、真上に金の首輪をかぶせた形ができ、目立たなくはなっていた。
「らあご!」
喜びの鳴き声のつもりだ。元からある魔族の首輪は、下手に外さないほうがいいだろう。しかし、ラーゴが気になるのは自分の父親である。この話の流れなら、ユスカリオの認識でいう魔族の血統と考えられた。
魔族の父親と、普通の母親? いや決して普通とは言い切れないとはいえ、その子がなぜ、美味しい御馳走の卵から生まれた、自分になるというのか。これではあまりに、情報が少ないとラーゴは当惑する。この出自のわからない知識は、その自分の生まれと関係があるのだろうか ── と。
(─ やっぱりリムルの言っていた通り、魔族は共食いをするんじゃないか)
「まあ、今日のところはお疲れでしょう。これを食べて、お休みください」
そう言い残すと、ユスカリオは銀のお椀に、盛ってきたスープというより流動食 ── ややシチューっぽいものを差し入れてくれた。爆弾発言で胸はつまっているが、実際には理解できないはずなのだ。ここは美味しそうだと鳴いておこう。
「ラーゴぉ!」
「しばらくはわたくしが、あなたのお世話をしていられるようです。もしお話しできるようになられましたら、いつでもお声をおかけください。他に、お伝えするお話もあると思いますので‥‥」
(─ たしかに解るかどうか、曖昧なものに話すことでもないよな。だれが聞いているのか知れないのだから)
「とはいえ、魔族については、わたくしの知識などその程度です。ルシーがいればいろいろとお伝えできるのでしょうけれど、あいつも今はどうなっているのか」 ユスカリオは、ルシーと親しかったのだろう。当然だが、ルシーという魔族も無事ではないはずだ。「まあ、あいつはあれで、実は魔法使いですからね。あなたには嫌なことをしましたが、決して悪いやつではないのです。こんなとき、あいつがいないのは ──」
「らごぉ?」
(─ 魔族ではなかったのか。 ── たしかに姿かたちは人間っぽかった。とはいえ魔王よりもすごい魔力を感じたし、呼び名は違っても魔の物っぽかったはずだ。魔物の仲間には違いあるまい。でも討伐軍にやられていなければ、もしかすると消滅してないかも知れないなぁ)
「ですが、魔族の能力など出せず、ここで殿下の愛玩獣として、お暮らしになるのがお幸せかも知れません。それがお嫌であれば、今ならわたくしが少しけがをしてでも、逃がしてあげることができるのですが‥‥」
「ら~ご」
首を振っておいた。否定の意思が伝わったらいいのだが。
(─ それはそうと、魔族や魔法使い ── つまり『魔』のものというのは力を制御、隠蔽し、しかも結界を張れるんだ。そして聖域にも侵入できるわけか。敵対するどころか会いたくもないが、それにかかわる常識や知識は自分にない。魔族が人間に仇なす存在だというのは理解できるものの、どうやら自分にもその血が流れているとは困った話である。だいたい、最後は正義の勇者とかに、退治されるのが関の山だ。今はこの、魔法使いにつけてもらった首輪が与えてくれる恩恵に頼り、征伐されたりしないようがんばろう)
「ではまた明日。ラーゴさま」
(─ ユスカリオは、自分の母親の家臣だったんだろうか? 名前が『さま』つきになってた。いや、現在の上下関係を表しているのかも知れない。まあ、この首輪をつけたままだと、とにかく元気が出なくて眠いので、シチューをいただいたら、また眠ってしまおう)
現在ユスカリオは、確実に味方と考えて問題ないだろう。そんな彼は、ラーゴがシチューに飛びついて食べるのを見ると安心したらしく、微笑みながら出て行った。