第〇〇九八話 リリアンルーン◆聖霊に問う
「当面、襲撃事件の詳細と、王国勇者なる者のことは内密に。不幸な事故に対処した兵士に死傷者が出たけれど、そのほかは崩れた家屋の下敷きになった家人以外、大きな被害なしと公表しなさい。家人が事件以前に惨殺されていたことですが、市民にはもちろん、ミリンにも伏せておくように」
報告を受け官吏にそう告げた王国の天下人、リリアンルーン・カピテーレ・パッセレーレ真王陛下は、ミリアンルーン殿下の実母だ。
夫であるタンノワー侯爵レオルド卿が、プライベートで呼ぶ愛称はリリン。十五年前に即位し、十二年前ミリンを産んだリリンは、今年三十六歳となる。
思えばこの十五年間、茨の道の連続であった。先王が荒廃させた王国をここまで建て直せたのは、ひとえに自分の下に集まってくれた、多くの優秀な人材の賜物といえるだろう。
(それに引き替え、先王の下には ── 止めよう、この話を思い出すのは)
先王のそばにいつも居た、魔女の顔がよぎる。魔法使いでありながら、野望を持った毒婦。その顔は、忘れようとしても忘れられない。とはいえ、もっとも封印しておきたい記憶でもあった。
だが、真王にとってショックは大きい。ミリンの命が狙われた。これまでさんざんレオルド卿から聞かされてきた、マフィアの一員と見られている。何よりの証拠は、麻薬強化人間と報告があった戦力の登用だ。他にも魔法銃と呼ばれる、彼らの常用する武器が用いられたのも証拠といえるが、裏社会では購入可能なモノらしく、決め手にはならない。さらに、ミリンの命を救った『王国勇者』とは何者なのか、という疑問もある。すでに大司祭を通じて、聖霊のオフィサーが二百六十年ぶりに据えられたこと。また無限の脈を己が身にたたえる偉大な御方と、ミリンが堅い契りを交わしたようだとも報告されていた。
(成人の義を済まさない、王位継承者が純潔を捧げる行為は、厳しく戒めて来たはずなのに。その御方と呼ばれる存在が、今回の ── 王国勇者という者なのだろうか。ミリンが落ち着いたら問いたださねば)
真王は、王の間の奥に用意された、王個人のための礼拝室に入る。神壇の前に大きな杯が鎮座し、その向こうには聖火が青くともっていた。
「脈の母神、ガニメデの意志によって選ばれし真王の名において呼びかける。聖霊チーフゴースト、姿をお見せください」
杯に満たされた聖泉が揺らめいたかと思うと、聖火は赤く色を変え、同時に静かな声が響く。
「お呼びになるのは、王盟であるか? ならば聖霊チーフゴースト、盟約により呼び出しを承る。どうか、召喚の符丁を詠唱賜りたい」
「脈の母神、ガニメデの意志によって選ばれし王の名によりて召喚する。聖霊主チーフゴースト、御前へ」
すると、真王の見知る聖霊の代表チーフゴーストが姿を現す。これは王国建国以来の、盟約による呼び出し時における決まりごとであった。どちらにも、この会見を無駄に権威づける意図があるわけではない。だが召喚と召喚の主題の詠唱には、問い方と答え方に正しい儀礼が存在する。
「聖霊主チーフゴーストへ、真王の名において問う。汝は王国勇者という者の名を、ご存知でありましたか?」
「真王にお答えいたす。聖霊の知識に、王国勇者などという者の名はない。王国誕生の逸話にある勇者は、後年都市聖堂に掲げられたる、架空の魔族退治図から発祥したもの。それまで口承伝承により謡われてきたおとぎ話が、突如具象の尊影を得たことで、信憑性を帯びたに過ぎないのだ」
それを聞いて、真王はため息をつく。この後の儀礼に定めはない。ようやく真王は胸襟を開いて、聖霊主 ── チーフゴーストに現状を打ち明けた。
「聖霊主殿。実は本日午後、王都市街に出ていた首位王位継承者ミリアンルーンが、悪漢の手によって襲撃を受けました」
「なんと、次期王盟が ──」
「このほど教会より、魔王討伐に向けられた、軍による護衛部隊五十の手勢はほぼ全滅です。そしてミリアンルーンの命があわやというとき現れた王国勇者と名乗る者。これが敵悪漢をことごとく誅伐し、ミリアンルーンの命は救われました。その勇者は、常にミリアンルーンを守護していると告げ、去ったと報告を受けております」
「そうであったか。王盟におかれては、アレサンドロに続く憂事に憐憫を覚える。しかしおそらくだが、その王国勇者とやらはあの御方の仮の姿に違いなかろう。かの方は次期王盟、ミリアンルーン殿下をミリンと呼ばれ、親しくお付き合いされていると言われた。次期王盟も厚情から御方のことを秘匿され、ずっと一緒にいたいとも ── 間違いあるまい」
「まあ、あの子! では成人の儀を前に、もう雌雄の契りを?」
男女が『ずっと一緒に』と言う限り、将来を誓い合った、あるいはそう希望しているということに違いない。そんな驚きからつい、気になる本音を吐露してしまうと、聖霊主は焦って否定する。その人間にも見える反応は、真王が今まで、目にしたことのないものだった。
「いやいやいやあ! そんな、それは心配ない、ないと思う! 無いはずだ!」
「なぜ、そう言えますか? あの年頃は多感なもの。一時の激情に、身を任せることがあるのです。 ── とくに我々人間というものは」
「ウーン、しかし、あの御方に限っては‥‥」
黙ってしまう。よほどの信頼をおかれる方、あるいはかなりの高齢で、そちらの能力が疑われる。そういうことかと想像するが、真王は齢七十五になって、侍妾を孕ませた強者も知っていた。ちなみに七十五才といえば、比較的長寿と呼ばれてきた王国平均の自然寿命、五十二才を大きく上回る年齢。加えて加齢により聖泉の治療も及ばず、天命を全うする老衰死がもっとも多い、六十歳代後半をも越すご高齢だ。
しかし、聖霊主に抗弁しても、所詮は種族の差によって、性に対する考えを埋められるべくもないだろう。さらには成人の儀をおさめるより早く、ふしだらにも雌雄の契りを結んでしまうと、脈がその身に宿らない。そんな習わしは、もともと教会指導の道徳心から後世に加えられた、頑なな戒めであるということくらい心得ている。
「それほどの人格者とおっしゃるのであれば、聖霊のお言葉を疑いません。ではやはり、王国勇者と言われる方がそうなのですね。お味方として頼っても、よいのでしょうか?」
「そう、我らは信じる。現在その助手なる方をお預かりしているが、聖なる精気に包まれる助手殿は気高く美しい。短い付き合いなれど、我ら聖霊の多くが助手殿に渇仰しておる」
「ほう」
渇仰とは、宗教心を持って、相手を心から仰ぎ慕うこと。
その昔、聖脈によってヒトが反映する道を説かれた、使徒と呼ばれる神の使い。力なき人間は、それなる使徒に渇仰し、教会組織を成したのだ。ただ教えを広めたのは十三人いた弟子のうち、選ばれた十二人であった、と教えの書には記される。
聖霊主の語る助手の話は、それに酷似するように思えた。
「それが固く御方を尊敬し、忠誠を誓われるに止まらぬ。他にも多くのものが僕べでありながら、身命懸けて尽瘁するを、心より願ってやまぬと云う。しかしその地位を奢ることなく、それら僕べの身を案じるあまり、自らの血を流す業もいとわない。常に僕べを仲間として扱われる、仁徳厚き人格とお伺いした」
「それはもしや、いずれかの君主一族であられるのですか?」
そもそも、その身に脈を宿すものは聖脈に認められた存在だ。分かりきった話ながら、もしそうであればミリンと愛し合っても、自領へ還らなければならない。女の身であるミリンにとって、待っている不幸な運命が目に見えるようだ。
「いや、我らはその上位に立つ在であると見る。さらに我ら聖霊ノームは、御方に臣従する検討を始めた。今のところ例がないという以外、異議を見出しておらぬ」
国を持たない、または治めるべき領地を失った君主とも思えた。あるいはその上に立つというなら聖職者であり、だから聖霊主は雌雄の契りを強く否定したのかも知れない。
「それは是非、私にもお引き合わせいただけませんでしょうか」
「ウーン、それは御方にお聞きしてみなければ何とも言えん。今はただ、身を潜められていると見ておる」
先程ミリンにも、その存在を秘匿させていると聞いた。それがわが娘の愛情から出たものということは、裏にかなりの事情を疑ってしまう。あるいは、ミリンも添い遂げられない運命を甘受しているとも考えられた。そのため、周りの者にも打ち明けられない悲恋に、身も心も焦がしつつあるというのだろうか。
かつて愛し愛された男性との仲を引き裂かれ、一度は叶わぬ思いとなった経験もある真王リリン。王位継承者であるがゆえの不条理に、苦しんでいるかも知れない愛娘の心痛を汲んで、言葉を詰まらせる。
「 ── なぜ、でしょうか?」
「それはわからん。だが、王盟の希望は伝えておこう。おそらく近々、再び拝顔の機会を得るだろうからな。王国勇者の件、また王盟の接見希望と今後の協力支援については伝えておこうぞ」
「感謝にたえません。アレサンドロのことといい、無理ばかりを押し付け、恐縮しております」
「盟約が在る。我らも、かつてのような窘窮に陥りたくはない。その意味でも、御方とミリアンルーン次期王盟に、大きな期待をかけておる。まだあれから、二十の冬も越えていないのだ」
会見は終了し、真王が呪文を唱えると、速やかに聖霊主の姿は消えた。




