第3話SEED、現れる(3)
二百メートル先に浮かぶ、直径十メートルの未同定オブジェクト。
センサーは恒星級のニュートリノを検出し続ける——。
第2話の続き、第一章の完結です。
スーツ越しに、低周波の振動を感じた。
音ではない。もっと根本的な何か──体の芯に直接届くような、静かな波。
心拍がそれに引っ張られる気がして、私は意識して息を整えた。
呼吸が、聞こえた。
自分の呼吸だ。当たり前だ、ヘルメットの中にいるのだから。
でも──この感覚を、私は知っている。高槻の工房で、染料の匂いの中で、“宗兄ちゃん”が夜空を見上げていた時。あの時も、こんなふうに呼吸が聞こえた。静かすぎる場所にいる時の、自分の呼吸。
──なんで、今それを思い出すんだろう。
マルコが私の隣に浮いてきた。バイザー越しでも、彼が口を半開きにしているのがわかる。あの陽気なムードメーカーが、言葉を失っていた。
通信に、別の声が割り込んできた。
「こちらコール。マルコ、アキ、聞こえるか」
「聞こえてる」と私は答えた。声がかすれた。
「KAGUYAから映像は受信した。今、解析にかけてる。状況の判断がつくまで、二人とも作業を中断して、エアロックに戻ってくれ」
「了解」
「アキ、聞いてるか」イーサンの声が、少し落ちた。「無理しないでくれ」
私は何か答えようとしたが、言葉にならなかった。仕方なく、無線越しに小さく頷いた。
マルコが、私のスーツの肘のあたりを、軽く叩いた。「行こう、アキ」
「うん」
私は最後にもう一度、その方向を見た。
HUDの中の、淡い茜色の輪郭。肉眼で見える、距離を持った何か。
手首が、熱い気がした。
宇宙服の中、何重もの断熱層の下、私の手首には何も巻かれていない。あれは地上にいる時に巻くものだ。今は、ない。
でも──熱い気がした。
宗兄ちゃんが染めた、茜色の手ぬぐい。
地上に置いてきたはずの、あの布。
なんで、ここで──熱い気がするんだろう。
マルコのスラスターが青白く吹いて、彼がエアロックの方へ向かい始めた。私もスラスターを噴かせ、後を追った。
背中を向けても、感覚は消えなかった。
低周波の振動。手首の熱。呼吸の音。
ヘルメットの中で、私は小さく息を吐いた。
──何が、始まるんだろう。
(第一章 完)
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