第2話SEED、現れる(2)
二〇七五年、深宇宙貨物船アルバトロス号。退屈なはずの船外定期検査の最中、警告音が鳴った——。第1話の続きです。
警告音が、ヘルメットの中に小さく鳴った。
短く、冷静に、二度。
「KAGUYAより、全船外要員へ通達」
機械の声が、いつもの定期通信とは違う音域で耳に入ってきた。
「未同定オブジェクト、距離およそ二百メートル。現在の航路上、午後二時方向に検出。光学ズームを拡大表示に切替。各員、視認確認をお願いします」
バイザー右上のHUD※ヘッドマウントディスプレイが、自動的に切り替わった。光学ズームの小さな矩形が広がって、視界の右隅に固定される。
そこに──映っていた。
直径、およそ十メートル。球体に近い、何か。
私はピストルツールを握ったまま、HUDの画像を見つめた。二百メートル先。肉眼ではまだ点にしか見えない距離だ。でも光学ズームは、そこにあるはずのないものを、はっきりと拡大して見せていた。
色は黒に近いが、完全な黒ではない。スペクトルが不連続だ、と頭の片隅が告げる。既知の物理と一致しない。輪郭が揺らいでいる。HUDの解像度が悪いのか!?と一瞬思った。違った。実物が、揺らいでいるのだ。
「......マルコ」
「ん? 何だアキ?」
「右、見て。HUD出てる?」
一拍の沈黙。
「......何、これ」
そう。何これ、だ。私が十五年かけて積み上げてきた語彙では、今のところそれ以上の言葉が出てこない。
私は顔を上げた。HUDではなく、肉眼で。
最初は、何も見えなかった。深宇宙の暗さの中に、星々の光だけがある。でも目を凝らすと──確かに、そこにあった。点ではなかった。何かが、距離を持って、そこに浮かんでいた。
肉眼で確認できたという事実が、一番怖かった。
二百メートル先のものを、宇宙服越しに、肉眼で。それはつまり、HUDが拡大しなくても見える程度の何かが、そこに存在しているということだ。物理的に。質量を持って、空間を占めて。
ヘルメット内のセンサーが、静かに鳴り始める。
ニュートリノ、検出。
数値が上がっていく。見る間に、上がっていく。
恒星級──という単語が頭をよぎった瞬間、私は思わず笑いそうになった。恒星は直径十メートルじゃない。常識的に考えて。だがセンサーは笑わない。数値は上がり続ける。
NEUTRINO FLUX / 観測値:恒星級(10³¹ J/s 相当)
THERMAL RADIATION / ほぼゼロ
MASS / 測定不能
GRAVITY / 存在・サイズと著しく不一致
私はピストルツールを握ったまま、動けなかった。量子重力理論の研究者として、私はこれを何と呼べばいい。完成された理論の地平を十五年覗き込んできた。でもこれは──これは、地平の外側ですらない。理論そのものが、目の前で崩れている。
「KAGUYA、観測データ送って」
「送信します」
一拍おいて。
「──観測機器の焦点が合いません」
そうでしょうね。私の目も合っていないから。
この世界は 10⁻³⁶秒から 10⁻³⁴秒の間、瞬きより早く、一瞬で染まった。
宇宙はとてつもなく広がって、私たちも広がろうと“もがいて”いる時、
“それ”は、私たちの前に突然、現れた。
(第3話へ続く)
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