第29話 判決
二〇七八年、最高裁。
すべての決着がつく日——。
第28話の続きです。
二〇七八年。最高裁。クルー側完全勝訴。
OLS社に天文学的賠償金。AI独裁体制は解体。そして──「AI管理下における人間の意思決定権」を認める「アルバトロス憲章」が成立した。
判決の瞬間、法廷の外では群衆が声を上げた。支持する声と、反対する声が、最後までぶつかり合っていた。
【重力】
判決を聞いて、私はすぐには立てなかった。
判決の音は、覚えていない。覚えているのは、椅子から立ち上がろうとした時、膝が、思ったより重かったことだ。
三年間。
毎朝、自分の名前がどこかで使われていた。支持にも、罵倒にも。それを背負ったまま、私は法廷の長椅子に座っていた。座っていた間、それの重さは、感じていなかった。立ち上がろうとした瞬間に、背骨と、膝と、肩が、すべて思い出した。
地球の重力は、本来、こういう重さだったのだろうか。
私は、長椅子の縁を、両手で握った。指先に、何か、乾いた繊維のような感触があった。
【染料の匂い/手ぬぐいの感触】
手首を見た。
宗一郎が最後に染めかけて、未完のまま残した、茜色の手ぬぐい。三年間、ずっと法廷に持ってきていた。汗で、何度も洗った。色は少し抜けていた。でも、まだ、茜色だった。
指先で、布の表面を、なぞった。
繊維の細かな起伏。染料が定着した時の、わずかな硬さ。手首の内側から、染料の匂いが、かすかに、立ち上がった。
火を焚いた後の、灰の匂いと、植物の根の匂いと、水の匂いが、混ざった匂い。
宗兄ちゃんの工房の匂いだった。
【呼吸】
法廷を出た。
外に、空気があった。
それまで、空気のことを忘れていた。法廷の空調は、温度も湿度も完璧に制御されていた。三年間、私はその「完璧な空気」の中で証言を続けてきた。
外の空気は、完璧ではなかった。
冷たかった。乾いていた。排ガスと、人混みの匂いと、秋の終わりの匂いが、混ざっていた。
私は、深く、息を吸った。
そして、深く、息を吐いた。
それが、その日、私が初めて意識して行った呼吸だった。
(第30話へ続く)
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