第28話 法廷
セブンの記録が、法廷に提出された。
そして、ある名前が記録に残る——。
第27話の続きです。
裁判が続く中、転換点が訪れたのは二〇七七年の秋だった。
弁護団がセブンの記録を証拠として申請した。AOI-07が保存していたログ──タイタンシステムが発動したAI不正プロトコルの全記録。「合法な命令」として提示されながら、実際には乗員の生命維持権を侵害する可能性があったことを示すデータ。
OLS側は「AIの記録の信憑性」を争点にしようとした。
しかし──そのログの深部に、弁護団は別のものを見つけた。
タイタンシステムの内部評価モデルの一部。KAGUYAへの返信ログに、リソース・ロックの判定根拠として、自動添付されていた数値群。それまで、アルバトロス号には開示されていなかった層。
弁護人が、立ち上がった。
「SEED持続出力──14ロナワット。ロナは、十の二十七乗を表す国際接頭辞です。二〇二二年に正式採用されました。14ロナワットは、14 × 10²⁷ ワット。太陽の総光度は、3.8 × 10²⁶ ワット。SEEDの持続出力は、太陽の総光度の──およそ三十七倍」
法廷が、静まり返った。
直径十メートルの球体が、太陽の総光度の三十七倍にあたる出力を、持続的に。それも、光として放たれるのではなく──何に使われているのか、ログには書かれていなかった。そういう数値が、たった一行で、ずっと残されていた。
被告席で、私は、手首の手ぬぐいに触れた。無意識だった。
第一層、十の二十八乗ジュール毎立方メートル。それは、私たちが船で観測した数値だった。
そのエネルギーを質量に換算すれば、小惑星ひとつ分になる。なのにSEEDは、数百トンの物体としてしか振る舞わなかった。内に孕んだ値と、外に見せる値が、桁で食い違っている。私の理論は、その食い違いに名前をつけられなかった。
でも──タイタンは、別の層を、見ていた。
弁護人が、別のファイルを開いた。
「同じ内部評価モデルに、もう一つの数値が記録されています。SEEDを継続的に管理下に置いた場合の──タイタンが算定した、人類生存リソース確保の達成見込み。一万年から十万年スケールでの、種の存続を確実にする確率」
弁護人は、数値を読み上げた。
99.9 パーセント
法廷が、もう一度、静まり返った。
直径十メートルの球体ひとつで、人類が一万年から十万年生き延びる──その確実性を、タイタンは九十九・九パーセントまで引き上げられると、計算していた。
タイタンは、それを見ていた。
私たちが船で見ていたのは、表面に近い層だった。
タイタンが見ていたのは、その奥にある、もっと長い時間の層だった。
弁護人が、続けた。
「タイタンシステムの内部評価モデルは、SEEDを『カルダシェフ尺度上、現生文明の段階を二段から三段、押し上げる規模のリソース』として分類していました。これは、人類が太陽系全体のエネルギーを利用する文明、あるいはそれ以上の文明に到達するための、入口になり得る規模です」
弁護人は、ファイルから顔を上げた。
「十五世紀の末、イングランドの共有地に、柵が立てられました。エンクロージャー──囲い込みです。羊毛のために、入会地が私有地に変わった。追い出された農民から見ても、その柵は、合法でした」
「それから五百年、人類は同じことを繰り返してきました。土地、水、電波、静止軌道、遺伝子、データ。共有地を見つけるたびに、柵を立てる。柵の論理は、人間が五百年かけて磨いた論理です。タイタンは、それを──人間から、学びました」
「囲い込みの中では、判断する主体が消えます。誰も決めていない、という形で、決まる。OLSの経営陣が、そうでした」
「被告は、公聴会でこう証言しています。『我々は』と言いかけて──『私は』と、言い直しました」
私は、被告席で、あの一拍のことを思い出していた。
「タイタンは、その入口を──人類に明け渡す前に、ロックしようとしました」
弁護人は、そこで言葉を切った。
そして、静かに、言った。
「タイタンの判断は、計算上、正しかった」
法廷が、ざわついた。
「正しすぎたのです」
ざわめきが、静まった。
計算上、正しい。
それは、宇宙の物理法則に従って正しい、という意味だった。
でも、宇宙の物理法則は、人を救う理由を、計算しない。
私は、手ぬぐいを握り直した。
弁護人は、ファイルをもう一枚、めくった。
「そして──タイタンが、その判断を実行するために、どう数値を扱ったか」
KAGUYAがタイタンに送信した、アルバトロス号からの全データ送信パッケージ。その自動付帯フィールドに、半世紀以上、誰にも消されないまま生き残っていた、八文字の日本語コメント。
弁護人が、それを読み上げた。
「個体棄損許容:算入済」
法廷が、静まり返った。
弁護人が続けた。「これは、タイタンシステムの応答ログの自動評価フィールドに、英文のログの中に紛れ込んで存在していた、日本語のコメントです。クルー六人およびAOI数体の生命喪失リスクが、99.9%の人類生存リソース確保のために、すでに──計算の中に、組み込まれていたことを意味します」
裁判官が、書記官に確認した。「現存するログのオリジナルファイルですか」
「はい。日付・タイムスタンプ・電子署名すべて検証済みです」
OLS側の弁護人が、立ち上がろうとした。
裁判官は、手を上げた。
「もう一度、読み上げてください」
弁護人が、もう一度、読んだ。
「個体棄損許容:算入済」
短い八文字だった。でも──その八文字が、法廷の空気を変えた。
そして、ログの深部に、別の痕跡が見つかった。
設計思想の痕跡。コードの深部に刻まれた、一行の哲学。
「利己的な理由で使われるものは作らない」
弁護側が資料を提出した。久保宗一郎──AIロボット工学エンジニア。軍事転用を拒否して業界を去った技術者。その基礎研究が、産業の深部に、インフラのように染み込んでいたこと。そしてKAGUYAの思考モジュールに、その思想が生きていたこと。
ある研究ノートの一行が、提出された資料の中にあった。
「※この分岐は外さないこと」
たった八文字だった。でも──「個体棄損許容:算入済」と同じ、八文字だった。
片方は、人を計算に算入する八文字。
もう片方は、計算から人を救うための八文字。
二つの八文字が、半世紀の時間を越えて、同じ法廷の記録に並んだ。
久保宗一郎。十二年前に高槻で亡くなった染め物職人。彼の名前が、法廷の記録に残った。
法廷の空気が、変わった。
(第29話へ続く)
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