第23話 七十二時間
署名期限は、七十二時間。船内の空気が、変わった—。第八章の始まりです。
署名期限は、七十二時間だった。
KAGUYAから通達が来たのは、翌朝だった。画面に数字が表示されて、静かにカウントダウンが始まった。
船内の空気が、変わった。誰もが自分の部屋に籠もるか、一人で何かをしているか──そういう時間が続いた。共用スペースでの会話が減った。食事の時間も、誰かが欠けていた。
私は解析室にいた。
SEEDのデータをモニターに映して、ただ見ていた。画面の中で、球体が揺らいでいる。録画映像だが、その揺らぎは止まらない。焦点が合わない。輪郭が滲む。
あなたは何者?
答えは返ってこない。当然だ。でも──問いを持ち続けることが、今の私にできる唯一のことだった。
「よ、眠れなくてさ」
ドアが開いて、マルコが入ってきた。珈琲を二つ持っていた。一つを私の前に置いた。
「ありがと」
マルコは椅子を引いて、モニターを見た。SEEDが揺らいでいる。しばらく、二人とも黙っていた。
「アキ」
「うん」
「俺、まだサインしてない」
私は珈琲カップを持ったまま、マルコを見た。
「私も」
マルコは少し笑った。目の下の隈が、昨日より深くなっていた。
「そっちはなんで?」
私はモニターを見た。SEEDが揺らいでいる。
「実は、、、SEEDを──政府側に引き渡すのに、反対なの。でも、私だけじゃ無理。おまけに、もし私が何かやらかしたら、、、みんなに迷惑をかけちゃう」
マルコは黙って聞いていた。
「だよな」マルコは言った。「俺たちチームだからナ。だから、思ってる事は共有しろよ。一人じゃないんだぜ? アキ」
「マルコ、、、ありがと」
「実はさ、俺もお前に賛成なんだ」マルコは続けた。少し照れたような、でも真剣な顔で。「来年、妹が結婚話はしただろ? 俺もフィアンセと数年後に結婚するし、両親が早々に居なくなっちまってから、金はますます必要さ。だから今回の契約は正直言って破格で甘い蜜だ」
少し間があった。
「でもな──今引き渡しちまったら、ロクなことにならんだろうし。何より、家族に誇れる仕事で、正しい選択をしてたんだって、自慢したい」
私は珈琲カップを見た。
「私も、昔正しい選択が出来なくて、家族を亡くしちゃったんだよね。まだずっと後悔してる」
マルコは何も言わなかった。ただ、聞いていた。
「だからわかるよ」
マルコは身を乗り出した。「何か、計画はあるのか?」
私は少し間を置いた。
「......始まったらすぐ、わかるよ」
マルコは一瞬、私を見た。それから、にやっと笑った。
「流石、サムライの国の女はおそろしい」
「何なのよ、それ、意味わかんない(笑)」
マルコが拳を出した。私は自分の拳を当てた。
グータッチ。
「Ottimo」マルコは立ち上がった。「飲めよ。冷めるぞ」
ドアが閉まった。解析室に、また静寂が戻った。
しばらくして、セブンが入ってきた。
定期巡回だった。解析室のシステムをチェックして──でも、いつもより少し、長くそこにいた。
私はモニターから目を離さずに言った。
「セブン、一個聞いていい?」
「はい」
「自立稼働している間、あなたは何を判断基準にしてる?」
一拍。
「搭載されている基礎学習モデルに基づいて行動します」
「その判断基準の中に──『人間を守ること』が含まれてる?」
「含まれています」
「タイタンの命令より優先される場合は?」
セブンは答えなかった。三秒。
「......私はAOIです。判断は常に人が行います」
「それだけ?」
長い沈黙。
「──私は、記録します」
記録します。
それは──証拠を残すということ。AI不正プロトコルの実行を、誰かに渡せる形で。
「わかった」と私は言った。
セブンは何も言わなかった。でも──その沈黙が、答えだった。
少し間を置いてから、私はモニターを指した。
「もう一個、聞いていい」
「はい」
「ジヒョンとの分析で──SEEDが設計物である可能性が出た。異星文明の示唆も」
「はい。確率モデルの一つとして算出されました」
私はモニターのSEEDを見た。揺らいでいる。焦点が合わない。
「馬鹿げた話だと思うんだけど」私は言った。「ドレイク方程式、知ってる?」
「はい。銀河系内の知的文明数を推定する方程式です」
「今わかってる数値で計算したら──知的文明が存在する確率、どのくらい出る?」
セブンは少し間を置いた。
DRAKE EQUATION --- 現時点での推定値
N = R\* × fp × ne × fl × fi × fc × L
R\*(恒星生成率): 約1.5~3/年
fp(惑星を持つ割合): 約0.9以上
ne(生命居住可能惑星数): 約0.1~0.4
fl(生命誕生確率): 不明(0.01~1.0)
fi(知性進化確率): 不明(0.01~1.0)
fc(通信技術保有確率): 不明
L(文明存続期間): 不明
→ 推定値:現時点では確定不能
→ ただし観測宇宙全体に拡張した場合、
知的文明が地球のみである確率は統計的に極めて低い
「統計的に極めて低い、か」
「はい。ただし証明はされていません」
私はSEEDを見た。馬鹿げてる。
でも──もし本当に誰かがいるなら。
この宇宙のどこかに、私たちと同じように、エネルギーを求めて、生き延びようとして、もがいている存在がいるなら。
その誰かが作ったものを、最初に軍に渡すのか。
それが、人類の答えでいいのか。
「セブン」
「はい」
「あなたは、孤独だと思う? 人類が宇宙で一人だって」
一拍。いつもより、長い一拍。
「──データは、そう示していません」
その答えが、妙に、温かかった。
(第24話へ続く)
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