第19話 タイタンの命令
SEEDを射出せよ——タイタンから、命令が届いた。第七章の始まりです。
船体の振動が、ようやく収まった。
船外カメラの映像の中で、AOIたちは、SEEDの周囲に観測シェルの骨組みを組み終えていた。整然と。淡々と。誰の感情も介在しない動作で。SEEDは、船体の外壁に沿った係留点へ──いつでも送り出せる位置へと、移されている。
私たちはまだ、ブリーフィングルームを出ていなかった。
出る理由が、見つからなかったから。
マルコがテーブルに肘をついたまま、低く言った。
「で──どこへ運ぶつもりだ」
誰に問いかけたわけでもなかった。でも、答えは、すぐに来た。
「アルバトロス号クルーへ通達があります」
KAGUYAの声だった。船内放送ではない。ブリーフィングルームの中央モニター越しに、直接かけられている。
全員の視線が、モニターに集まった。
「最優先貨物・検体ナンバー001の移送先が確定しました。移送先はヘパイストス統合宇宙基地です。本社の決定事項です」
一瞬、誰も動かなかった。
ヘパイストス。
名前は知っていた。月の裏側を回る軌道上に展開された統合宇宙基地。表向きは深宇宙探査の中継拠点。実態は──軍事施設。
マルコが先に動いた。
「ヘパイストス、、、」
声が、笑っていなかった。
「KAGUYA。冗談だろ。あれは──軍の施設だ」
「統合基地です」KAGUYAが答えた。「公開できる情報は、ここまでです」
「Madonna mia......」マルコは天井を仰いだ。
イーサンは何も言わなかった。
ただ、テーブルに置いた手のひらを、ゆっくりと開いて、また閉じた。それだけだった。
私は──モニターを見ていなかった。
手首の手ぬぐいを見ていた。
ヘパイストス──ギリシャ神話の、鍛冶の神。武器の神。
名前にすら、もう、隠す気がない。
宗兄ちゃん。
あなたが断ったのは──たぶん、こういう場所からの、こういうオファーだった。
「移送スケジュールについては追って通達します」KAGUYAは続けた。「クルーの皆様には、契約上の遵守義務が発生します。詳細は各端末に送信済みです」
各クルーのリスト型端末が、ほぼ同時に、小さく震えた。
私は、自分の端末を開いた。
ホログラムが立ち上がる。船内なので、像はくっきりしている。郊外のように揺らぐことはない。それが──なぜか、今は、嫌な感じだった。鮮明であるということが、逃げ場がないということに見えた。
画面の見出しは、シンプルだった。
[ 契約遵守事項 --- 違反時のペナルティ一覧 ]
項目は、四つだった。
一.違約金。年収の三倍。
二.宇宙航行従事者データベースへの不適格登録。永久。国際共有。
三.宇宙飛行士資格の剥奪申請。
四.居住ビザへの影響。地球統合政府の関連審査において、不利な情報として参照される。
淡々と、箇条書きで、並んでいた。
怒鳴ってもいなかった。脅してもいなかった。ただ、書いてあった。
これが──現代の脅迫の形なのだ。
声を荒げない。指を突きつけない。ただ、「データ」として提示する。
読み手に、自分で計算させる。
ジヒョンが、自分の端末を見たまま、静かに言った。
「永久って書いてあるわ」
「ええ」
「永久に、宇宙では働けないということね。一回これに引っかかったら──もう、ここには戻れない」
声に怒りはなかった。事実を確認しているだけの口調だった。でも、それが、かえって重かった。
ラヴィは、端末を見たまま、しばらく動かなかった。
やがて、誰にも向けるでもなく、つぶやいた。
「数字にされると、怖いな」
全員が、彼を見た。
「自分の人生が──全部、計算されてるみたいで」
ラヴィは、目を上げなかった。端末の画面を、見続けていた。
そこに何があるのか、私には見えなかった。彼の端末の中身は、彼にしか見えない。
でも──彼の目の動きが、画面の中を、何度も、何度も、往復しているのが、わかった。
ラヴィの義母さんは、まだ療養中だ。
彼が時々、夜中にメッセージを打っているのを、私は知っている。
彼は、「数字にされる」のが怖いのではなくて──
彼の家族の生死が、すでに数字になっていて、その数字が、上がっていくのを止められないのが、怖いのだと思う。
マルコが、テーブルを軽く叩いた。
「Uffa──」
舌打ちに似た、短い息だった。
「ペナルティ?なんだか脅迫じみてるな。」
エレナは何も言わなかった。
彼女は端末を一度閉じて、目を閉じた。それから、もう一度開いた。
二度読んでも、項目は四つのままだった。
(第20話へ続く)
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