第13話 宇宙へ
宗一郎はもういない。それでも、彼が染めたものは消えない——。第五章の完結です。
「宗は、あなたのことをよく話していましたよ」篠崎さんは言った。「染め物の話も、勉強を教えている話も。誇らしそうにしていました」
誇らしそうに。
その言葉が、胸に落ちた。
「あの人、こう言うてました」篠崎さんは少し笑った。「『あの子は理屈っぽいけど、科学と染料の話は素直に聞くんですわ』って」
私は思わず、息を呑んだ。
宗兄ちゃんの声で、聞こえた。
「あなたの論文を読みました。訴訟の経緯も。あの教授のやり方は以前から問題があった。あなたが悪いわけじゃない」六十代の男性が静かに言った。
女性エンジニアが続けた。「私たちの知り合いに、別の国立大学の教授がいます。量子重力理論の分野で。あなたの研究を見せたら、ぜひ来てほしいと」
私はしばらく、何も言えなかった。
「なんで」と、やっと言った。「なんで、そこまで」
篠崎さんは少し笑った。
「宗が大切にしていた子だから」
それだけだった。
その夜、里江に電話した。受話器の向こうで、里江はしばらく黙って聞いていた。それから──一言だけ言った。
「あの人、ちゃんと見ててくれたんやな」
その声が、ふっと震えていた。
警察署でも、病院でも、葬儀の場でも泣けなかった私が──その夜、里江の声を聞きながら、泣いた。
宗兄ちゃんはもういないのに、宗兄ちゃんがまだ私を助けていた。
人の本当の繋がりというのは、こういうものなのかもしれない。時間を超えて、距離を超えて、死を超えて──染み込んでいく。名前が消えても、その人が染めたものは、消えない。
編入した大学で、耕平と出会った。
図書館だった。私が参考文献を探して棚の前で固まっていたら、隣から「それ、三階にありますよ」と声をかけられた。
振り返ったら、眼鏡をかけた男が立っていた。
「なんで分かるんですか?」
「先週も同じ棚で固まってる人を見たので(笑)」
「......見られてたのか...」
「たまたまですけどね(笑)」
それが最初だった。
耕平は多くを語らない人間だった。でも、いつもそこにいた。訴訟のことを話した夜も、パワハラの話をした夜も、泣きながら電話してきた里江の話をした夜も──ただ、聞いていた。何も解決しないし、何も変わらない。でも、隣にいた。
宗一郎の話をした時だけ、耕平は少し黙った。それから「会ってみたかった人ですね」と言った。
その一言で、私はまた泣いた。
博士号を取ったのは、二〇七四年の春だった。
里江に電話したら、「やったやん!」と大声で笑った。その声が受話器越しでも大きくて、思わず耳から離した。
就職活動は、正直言って迷っていた。研究職に残る道もあった。エンジニアリング系の企業も何社か声をかけてきた。
でも私の目は、一つの求人に引き寄せられていた。
ORBITAL LINK AEROSPACE LOGISTICS──惑星間輸送・宇宙開発。
院生時代、研究の中で偶然見つけていた。KAGUYAの思考モジュールの深部に、見覚えのあるコードのクセがあった。変数の命名規則。エラーハンドリングの方針。それは、私が知っているある人の手癖だった。宗一郎とOLSは無関係のはずだった。でも──彼の仕事は、確かにそこにあった。
調べて知ったことだが、宗一郎の基礎研究は、KAGUYAだけではなかった。産業基盤の深部のあちこちに、静かに、しぶとく、採用されていた。量子重力理論を完成させたAI解析の基盤にも、彼の痕跡があった──宗一郎は知らなかっただろう。表舞台から消えた後も、彼が設計したものは産業の中にしぶとく生き続けていた。名前は残らない。誰も知らない。でも、そこにある。
宗兄ちゃんがいる場所に、行こうと思った。
面接は、三次まであった。最終面接の日、面接官が三人いた。書類の上に私の論文が置いてあった。
面接官「渡海さんは、大学時代に専門研究ではかなりの成果を出されています。なぜ弊社の惑星間輸送業界を考えられたのですか?」
亜希子「そうですね、、、ご縁を、感じたからです。かね」
面接官「縁、ですか?」
亜希子「はい」
面接官たちは顔を見合わせている。
「縁」の正体は、わかっていた。KAGUYAの中に、宗兄ちゃんがいた。
それだけで、十分だった。
二〇七五年。
私はアルバトロス号の乗組員だった。
惑星間輸送の研究職として入社して一年。宇宙には、もう何度か出ていた。でも毎回、船外に出るたびに、私は少しだけ立ち止まる。
その年の初め、父・賢治が他界した。自己免疫疾患だった。真知子と政志が千葉で看取った。
往還業務中だった。帰れなかった。
宗兄ちゃんの時は、逃げだし、
父の時は、帰れなかった。
どちらも、振り返れなかった。
ヘルメット越しに見える星を、一瞬だけ、ただ見る。
宗兄ちゃん。
見てるよ。ちゃんと見てる。
手首には、茜色の手ぬぐいがある。宇宙服の下、肌に直接触れている。高槻の工房で、自分の手で巻いたもの。あれから何年経っても、まだここにある。
その日、私はマルコとフィジカルAIロボットのAOI-07:通称セブンと一緒に、船外活動をしていた。
宇宙放射線磁気バリアシステムの定期検査。
退屈な仕事だ──と、そう思っていた。
八番パネルのボルトを外して、ふと、顔を上げるまでは。
(第五章 完)
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この先、SEEDの正体が明らかになります。




