表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/28

第11話 別れ

高卒認定試験まで、三週間。その夜、すべてが変わった——。第三・四章の完結です。


高卒認定試験まで、三週間を切っていた。


工房の作業台は、もはや問題集と参考書で埋まっていた。宗一郎は染め作業をしながら、時々こちらを見た。何も言わなかった。でも、その視線の温度は、いつもと少し違った。


数学は何とかなりそうだった。物理も、宗一郎に教わりながら、少しずつ形になってきた。問題は、古文と歴史だった。覚えることが多すぎて、頭の中で全部がごちゃごちゃになる。問題集を開くたびに、目の前が白くなるような感覚があった。


逃げ場が、なかった。


その日の夕方、高槻で出来た友人からメッセージが来た。


団地の電波は、今夜も薄かった。粗いホログラムで浮かぶ文字が、輪郭をぼかしながら宙に揺れた。「今夜、みんなでファミレス行かへん?」


私は少し考えた。三秒で、返信した。「行く」


夕飯の後、宗一郎に告げた。


「今夜、友達と出かけてくる、、、」


宗一郎は湯呑みを置いた。


「試験、三週間切ってるな、、、」


「わかってる」


「わかってて、行くんか?」


「一晩くらい、いいじゃん、、、」


宗一郎は少し間を置いた。それから、静かに言った。


「今やるべきことから逃げるな。大事な選択を間違えるな」


わかってる、と思った。でもその「わかってる」は、本当はわかっていない「わかってる」だった。


「......別に、逃げてるわけじゃない」


「そうか」


それだけだった。責めなかった。怒鳴らなかった。ただ------見ていた。その視線が、余計に、苦しかった。


立ち上がって、鞄を持った。


その時、宗一郎が言った。


「ホンマにこらえ性ないやっちゃな、、、」


足が、止まった。


「千葉の時から、進歩してへんがな」


振り返った。


宗一郎の顔は、穏やかだった。怒っていなかった。ただ------真っ直ぐに、私を見ていた。


それが。それが、駄目だった。


怒鳴ってくれたら、まだよかった。呆れた顔をしてくれたら、まだよかった。でも宗一郎は------本気で私に向き合っていた。だからこそ、その言葉が、急所に入った。


「......うるさい」


声が、震えた。


「うるさい! 関係ないじゃん!」


ドアを開けた。廊下に出た。エレベーターを待てなくて、階段を駆け下りた。


団地の外に出た瞬間、夜の空気が顔に当たった。冷たかった。


走った。どこへ、とも思わずに、走った。


宗一郎「まあ、そのうちわかるか......」


団地の四階、明かりのついた部屋の中で、宗一郎は小さく呟いた。頭をかいた。


湯呑みのお茶が、少し冷めていた。


友人たちとファミレスにいたのは、夜の十一時頃だった。


リスト型端末が震えた。里江からだった。


画面を見た瞬間、胸の中で何かが落ちた。


「亜希子、今どこ? 宗が------救急車、呼んだから。早う帰って来て」


椅子を引く音も聞かずに、立ち上がっていた。


走った。商店街を抜けて、路地を曲がって、団地の前まで。息が切れても止まらなかった。


団地の前に、救急車がいた。赤いランプが、夜の中で回っていた。


担架が運ばれてくるのが見えた。その上に------


「宗兄ちゃん」


声が、出なかった。


里江が担架と一緒に出てきた。私に気づいて、一瞬だけ立ち止まった。


「亜希子! アンタは一旦家におって荷物整理して、いつでもでれる様にしとき、後で連絡するから、私は宗一郎と救急車乗るから、頼むで」


返事が、できなかった。


里江が救急車に乗り込んだ。ドアが閉まった。


赤いランプが遠ざかっていく。


私は団地の前で、立ち尽くしていた。


夜の高槻が、静かだった。


─  ─  ─


病院の廊下は、白かった。


千葉の警察署の廊下に似ていた。でも、あの時とは違う白さだった。あの時は、ただ冷たかった。今は------何かが、抜け落ちたような白さだった。


里江が椅子に座っていた。私はその隣に座った。何も言えなかった。


急性心筋梗塞。


医師の言葉が、頭の中で繰り返された。意味はわかっていた。でも、何かが受け取りを拒否していた。


私があの時、家を飛び出していなければ。工房にいれば。いや------飛び出す前に、気づいていれば。顔色が、いつもより悪かったかもしれない。疲れていたかもしれない。でも私は、自分のことしか考えていなかった。


あの時、振り返らなかった。


「亜希子」


里江が、静かに言った。


「あんたのせいやない」




(第三・四章 完)


(第12話へ続く)





© 2025-2026 Masaki Yamashiro. All rights reserved.

本作の内容(本文・設定・キャラクター・固有名詞・固有概念)の無断複製・転載・配布・二次利用を禁じます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ