第4話 繋がる糸
「婚約者が別人に入れ替わっている気がする」
開業して四件目の依頼は、今までで一番突飛だった。
依頼人は男爵令嬢クラーラ。十九歳。栗色の髪を丁寧に編み込んだ、線の細い娘だった。声は小さいが、目の奥に芯がある。
「気がする、というのは?」
「半年前から……アルヴィンさまの様子が変なんです。言葉遣いも、食事の好みも、ちょっとずつ違う。周りは気のせいだって言います。でも、三年間一緒にいた私には分かるんです。あの人は、あの人じゃない」
普通なら笑い飛ばされる話だ。気のせいだろう、恋が冷めたせいだろう。
でも私は笑わなかった。人の違和感は、たいてい正しい。
「詳しく聞かせてください。具体的に何が変わりましたか」
クラーラは両手を膝の上で握った。
「まず、利き手です。アルヴィンさまは右利きでした。でも半年前から、お茶の杯を左手で持つようになりました。スプーンも左です」
「他には?」
「花の名前を間違えます。以前は私より詳しかったのに。あと……」
声が小さくなる。
「笑い方が違うんです。前は目を細めて静かに笑う方でした。今は口を開けて笑います。……些細なことだと思われるかもしれません」
「些細じゃありません。それは非常に重要な観察です」
クラーラが顔を上げた。目が少し潤んでいる。
「……信じてくれるんですか」
「信じるかどうかではなく、確かめます。それが私の仕事です」
翌日から調査を始めた。
クラーラに頼んで、婚約者アルヴィンの日常を観察する機会を作ってもらう。茶会に同席し、食事の場を遠くから見る。
利き手。確かに左だ。食事の癖。パンをちぎる時の指の使い方が荒い。クラーラによれば、本来のアルヴィンは一口大に丁寧にちぎる人だった。
筆跡。クラーラが持っていた半年前の手紙と、最近届いた手紙を比べた。字の傾きが違う。以前は右上がり、今は水平。利き手の変化と整合する。
決定的だったのは、知人への聞き取りだった。アルヴィンの幼馴染の商人が言った。
「そういえば、半年くらい前に一度帰郷したんだよ。実家の用事だって。二週間くらい留守にして、戻ってきてからちょっと雰囲気が変わった気はするなあ」
二週間の空白。その間に、入れ替わった。
身元を偽る犯罪では、入れ替えのタイミングに必ず「空白期間」がある。旅行、帰郷、病気療養。本人が不在にする合理的な理由を作り、その間に替え玉を送り込む。
クラーラの違和感は、正しかった。
代官事務所。三度目。代官はもうため息すらつかなくなった。
「……聞こうか」
「ラングフェルト男爵家の婚約者アルヴィン・カーレンが、半年前に別人に入れ替わっている疑いがあります」
替え玉の男が連れてこられた。杯を左手で取り、半年前の手紙と筆跡が一致せず、幼馴染の店の名前を答えられなかった。
代官の追及で、真相が出てきた。本物のアルヴィンは借金のかたに売られ、この替え玉がラングフェルト男爵家の財産目当てで送り込まれていた。
そして、替え玉を手配した仲介者の名前。先日拘束された、あの偽造借金証書の債権者と同じ組織の人間だった。
クラーラは代官事務所の廊下で、壁に背をつけて泣いていた。
「……フィーネさま」
「はい」
「偽物だったと分かっても……あの人が優しかった日の記憶は、嘘だったんでしょうか。半年間、偽物だと知らずに過ごした日々は、全部嘘だったんでしょうか」
答えに詰まった。法律では答えられない問いだった。
夜。ヴォルフの宿の食堂で、二人きりの夕食。これがいつの間にか日課になっていた。ヴォルフが作る料理は素朴だが温かい。今夜は豆と干し肉の煮込み。窓の外で猫が鳴いている。
クラーラの涙が、まだ頭から離れない。
偽物だった日々は嘘だったのか。その問いが引っかかっている。私だって、偽物だ。前世の記憶を持つ、この世界の人間ではない「何か」。偽物の令嬢。クラーラの婚約者と何が違う?
「黙ってるな」
ヴォルフの声で顔を上げた。
「……今日の依頼のことを考えていました」
「辛い依頼だったか」
「辛いというか……答えが出ない問いをもらってしまって」
スプーンを置いた。
「偽物が過ごした日々に、本物の価値はあるのかって」
ヴォルフはしばらく黙っていた。煮込みをひと匙すくい、口に入れ、飲み込んだ。
「お前の過去がなんであれ」
静かな声だった。
「今のお前は、誰かを助けている。それだけでいい」
それだけでいい。過去がなんであれ。偽物であれ。今、目の前にいるこの自分が、誰かの力になれているなら。
「……大家さんは、いい人ですね」
ヴォルフはそっぽを向いた。スプーンを持つ手が一瞬止まり、何事もなかったかのように食事を再開した。
胸の奥が温かい。スープのせいだと思うことにした。
食器を片づけながら、今日の事件を反芻する。替え玉を手配した仲介者。偽造借金証書の債権者。同じ組織。
壁に貼った依頼メモを見上げる。遺産横取り。偽の借金。替え玉婚約。三件とも、手口は違う。でも。
「……繋がってる?」
呟きは、誰にも聞こえなかった。
ヴォルフが食器を洗う水音だけが、静かな夜に響いていた。




