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第35話 艦底

 野口が大沼を見つけたのは第3区画の通路だった。


 壁にもたれて立っていた。左腕を右手で押さえていた。血が出ていた。指の間から滲んでいた。


 「動けますか?」と野口は言った。


 「動いてる」と大沼は言った。「見てわかるだろう」


 「左腕を見せてください」


 「後でいい」


 「今です」と野口は言った。場の空気を読まない声だった。「後でと言って後で来た人間を私は知りません」


 大沼は舌打ちして腕を差し出した。野口が袖をめくった。上腕に裂傷があった。深くはなかった。ただし長かった。壁の角で抉れた傷だった。


 「縫います」と野口は言った。


 「縫うな。塞げ」


 「縫わないと塞がりません」


 「時間がない」と大沼は言った。「塞いで動けるようにしろ。縫うのは後だ」


 野口は少し間を置いた。「わかりました」と言った。処置を始めた。圧迫して、縛った。縫わなかった。「5分後にまた出血します。その時は必ず来てください」


 「来る」と大沼は言った。「来るから今は行かせろ」


 野口は道を空けた。大沼が通路を歩いた。左腕を脇に抱えるようにして歩いた。歩き方は変わっていなかった。



 グランヴェルが戦術を変えたのは午後2時過ぎだった。


 それまでの斉射は分散していた。蒼嵐の前後左右に散らばるように当たっていた。今度は違った。


 「右舷第3区画、3発連続」と柴田は言った。声がわずかに変わった。「同じ場所に来ています」


 衝撃が3回続いた。1発目。2発目。3発目。床が3回揺れた。


 「集中させてきました」と堂島は言った。


 「同じ箇所を狙っています」と柴田は言った。「修理が終わる前にもう一度撃つつもりです」


 「そのようですね」


 堂島は通信機に向かった。「汐さん、右舷第3区画」


 「向かっています」と汐の声がした。走っている音がした。「古川と森田が先に入っています」


 「状態を報告してください」


 「今から見ます」


 10秒待った。


 「堂島さん」と汐の声がした。「前回の修理箇所が全部外れました。新しい浸水が3箇所あります。人が足りません」


 「大沼さん」と堂島は言った。


 「聞こえてる」と大沼の声がした。「向かう」


 「左腕は?」


 「動く」と大沼は言った。「動く間は問題ない」


 グランヴェルが次の斉射を撃った。


 今度は左舷だった。第4区画と第5区画。2箇所同時だった。修理を終わらせる前に別の場所を撃ってきた。


 「柴田さん、針路を変えます。南東、速力を上げます」


 「南東、14ノット入れます」


 「ゼロさん、ラテリアとプロスペラに動いてもらえますか。グランヴェルの随伴艦を引いてください」


 「伝えます」とゼロは言った。通信機に向かった。「ただ、随伴艦はグランヴェルの両脇から離れていません。グラントが動かさないでいます」


 「なぜですか?」と堂島は言った。


 「グランヴェルを守っています」とゼロは言った。「蒼嵐が主砲を使える距離まで来た時に、随伴艦が壁になる。グランヴェルに集中させない配置です」


 堂島は海図を見た。グランヴェルの位置と随伴艦の配置が柴田の手で書き込まれていた。ゼロの言う通りだった。


 「汐さん」


 「第3区画、3箇所のうち2箇所を押さえました」と汐の声がした。「もう1箇所を大沼さんが押さえています。あと4分かかります」


 「第4区画と第5区画の状態は?」


 「古川を第4区画に送りました。第5区画はまだ誰も入っていません」


 「わかりました」と堂島は言った。「第5区画に私が行きます」


 「堂島さんが?」とゼロは言った。


 「人が足りません」と堂島は言った。艦橋を出た。



 第5区画の左舷外板から水が来ていた。


 細かった。指一本分の隙間だった。ただし継ぎ目に沿って長く走っていた。汐が前の被弾で補強した箇所の隣だった。補強した箇所は持っていた。その隣が開いていた。


 堂島は工具箱を開けた。金属板を出した。継ぎ目の長さを目で測った。40センチ。金属板を当てた。ボルトを4本打った。水が止まった。完全ではなかった。滲みが残った。もう2本ボルトを打った。滲みが減った。


 手が冷えていた。海水で冷えていた。感覚が薄くなっていた。ボルトを落とした。拾った。打った。


 甲板の振動が来た。被弾だった。どこかわからなかった。艦橋から報告が来なかった。堂島は手を動かし続けた。


 「堂島さん」と通信機から柴田の声がした。「右舷第2区画に命中弾。浸水を確認しています」


 「汐さん」と堂島は言った。


 「第3区画がまだ終わっていません」と汐の声がした。「大沼さんと2人でやっています。第2区画には今すぐ行けません」


 堂島は手元を見た。第5区画の修理が7割終わっていた。


 「森田さんを第2区画に送ってください」と堂島は言った。「押さえるだけでいい。本修理は後です」


 「送ります」


 グランヴェルがまた右舷を撃った。第3区画だった。今度は2発だった。


 汐の声がした。「第3区画、また外れました」


 大沼の声がした。「やり直す」


 それだけだった。


 堂島は第5区画の修理を終わらせた。隣の補強箇所を手で叩いた。固かった。汐が当てた金属板が動かなかった。その隣を叩いた。今堂島が直した箇所だった。固かった。問題なかった。


 艦橋に戻った。


 柴田が航海図の前にいた。ゼロが計測器を見ていた。


 「浸水率はどのくらいですか?」と堂島は言った。


 「現在38パーセント」と柴田は言った。「1時間前は21パーセントでした」


 「速度はどのくらいですか?」


 「この30分で17パーセント上がっています」


 堂島は艦橋の窓を見た。海が見えた。波が穏やかだった。艦の中がこれだけ変わっているのに外の海は変わっていなかった。


 「複合回路は?」とゼロに言った。


 「出力が上がり続けています」とゼロは言った。「珊瑚礁との距離が近いためです。ただし今は安定しています。あなたが艦底に行った時から出力が上がりました」


 「艦底で修理をしていたためですか?」


 「そうかもしれません」とゼロは言った。「あるいは艦底の外板に触れたためです。珊瑚礁からのマナが外板を通じて回路に届いているとしたら、あなたが触れることで経路が安定します」


 「今はあなたが管理してください」と堂島は言った。「私は艦底を離れられません」


 「わかりました」


 グランヴェルが第13斉射を撃った。


 左舷に集中してきた。3発が続いた。第4区画、第5区画、第6区画。堂島が今直してきた箇所の周辺だった。


 衝撃が連続した。床が3回揺れた。


 「汐さん」と堂島は言った。


 応答がなかった。


 「汐さん」


 「います」と汐の声がした。少し間があった。「第3区画の修理中に衝撃が来ました。大沼さんが飛ばされました」


 「大沼さん」と堂島は言った。


 しばらく応答がなかった。


 「大沼さん」


 「聞こえてる」と大沼の声がした。今度は少し違う声だった。低かった。「左腕が使えなくなった。さっきの縛りが外れた。汐、縛り直せ」


 「今やっています」と汐の声がした。


 「堂島」と大沼は言った。


 「聞いています」


 「第3区画は汐に任せる」と大沼は言った。「俺は艦底に行く」


 「艦底ですか?」


 「第6区画と第7区画の艦底外板が心配だ」と大沼は言った。「左舷にこれだけ集中して当たった。外板の継ぎ目が動いているかもしれない。外から見えない場所から来る。一番怖い浸水経路だ」


 堂島は少し間を置いた。「左腕が使えない状態で行きますか?」


 「使えない腕は関係ない」と大沼は言った。「手で触れるだけでいい。触れてわかることがある。お前と同じだ」


 「汐さん、縛りが終わったら大沼さんを艦底まで送ってください」


 「わかりました」と汐は言った。


 「送らなくていい」と大沼は言った。「一人で行ける」


 「送ります」と汐は言った。大沼には言わなかった。堂島に言った。


 「わかりました」と堂島は言った。



 グランヴェルの第14斉射が来た。


 今度は前部だった。前部甲板と前部主砲の周辺に3発来た。


 「山下さん」と堂島は言った。


 「砲身は無事です」と山下の声がした。「前部甲板が抉れています。甲板員に確認させます」


 「第2区画の状態を報告してください。森田さん」


 「森田です」と声が来た。若かった。「押さえています。本修理は無理です。手で押さえています」


 「そのまま押さえていてください。汐さんが来ます」


 「わかりました」


 「汐さん」


 「大沼さんを艦底に送りました」と汐の声がした。「今から第2区画に向かいます」


 「第3区画の状態は?」


 「古川が押さえています。本修理ではありません。次の命中弾が来たら外れます」


 「わかりました。第2区画を終わらせてから第3区画に戻ってください」


 「わかりました」と汐は言った。少し間を置いた。「堂島さん」


 「何ですか?」


 「大沼さんの左腕、縛り直しました。動かさない方がいい状態です。でも大沼さんは動くと言いました」


 「知っています」と堂島は言った。


 「止められませんでした」と汐は言った。


 「止める必要はありません」と堂島は言った。「大沼さんが行くと言ったら行きます。それがあの人の判断です」


 汐は何も言わなかった。


 「第2区画に行ってください」


 「わかりました」


 通信が切れた。


 ゼロが計測器から目を上げた。「複合回路の出力が変わりました」と言った。


 「上がりましたか?」


 「上がったのではありません」とゼロは言った。「広がっています。出力が一点に集中するのではなく、艦全体に分散し始めています。炉心室方向と艦底方向に同時に広がっています」


 「どういう意味ですか?」と堂島は言った。


 「わかりません」とゼロは言った。「まだ計測中です。ただ、艦底に大沼さんが降りた後から変わりました」


 堂島は足の裏を感じた。甲板の振動が伝わってきた。機関が動いていた。珊瑚礁の光が海の底から来ていた。艦底の外板の向こうに大沼がいた。左腕を使えない状態で外板に手を当てていた。


 「大沼さん」と堂島は言った。


 「聞こえてる」と声が来た。


 「艦底の状態は?」


 「今触れている」と大沼は言った。「第6区画の外板、継ぎ目が2箇所動いている。浸水はまだない。ただし次の命中弾で開く可能性がある」


 「材料はありますか?」


 「汐が来る前に取ってきた」と大沼は言った。「右手だけで打てる範囲でやる」


 「わかりました」と堂島は言った。


 「お前は艦橋にいろ」と大沼は言った。「艦底は俺がやる。分業だ」


 「わかっています」


 「わかっているなら余計なことを言うな」と大沼は言った。


 通信が切れた。


 鋼花が艦橋の入口に現れた。


 輪郭が揺れていた。白い服がほとんど灰色になっていた。髪が濡れていた。肩から水が垂れていた。袖口の黒ずみが両腕全体に広がっていた。


 「大沼さんが艦底にいる」と鋼花は言った。


 「います」と堂島は言った。


 「感じる」と鋼花は言った。「大沼さんの手が、外板に当たっている。温かい。人の手の温度」


 堂島は鋼花を見た。


 「複合回路が広がっている」と鋼花は言った。「私の中に広がっている。艦底から来ている。大沼さんがいる場所から来ている」


 「ゼロさんの計測と一致しています」と堂島は言った。


 「あの人は何も知らないはず」と鋼花は言った。「複合回路のことも、マナのことも。でも手だけで触れている。触れていることで何かが変わっている」


 堂島は何も言わなかった。


 「あなたと同じ」と鋼花は言った。「最初からそう。あなたも理屈ではなく手で触れていた」


 グランヴェルが第15斉射を撃った。


 左舷に来た。第5区画と第6区画。堂島が直した箇所と大沼がいる場所の近くだった。


 衝撃が来た。


 「大沼さん」と堂島は言った。


 「聞こえてる」と声が来た。声が変わっていなかった。「第6区画の継ぎ目、1箇所が動いた。押さえた。もう1箇所はもった」


 「怪我は?」


 「ない」と大沼は言った。「今回は飛ばされなかった。艦底は揺れが少ない。重心が低いからだ」


 「汐さん」と堂島は言った。


 「第2区画、終わりました」と汐の声がした。「今から第3区画に戻ります。古川が押さえています」


 「わかりました」


 「浸水率」と柴田が言った。報告というより独り言に近い声だった。「51パーセントです」


 艦橋が静かになった。


 「数字上は」とゼロは言った。「50パーセントを超えると判断が変わります。通常であれば」


 「通常ではありません」と堂島は言った。「浮いています。動いています。修理が続いています。数字だけで判断しません」


 「わかっています」とゼロは言った。「報告しました。それだけです」


 堂島は艦橋の窓を見た。


 鋼花がまだ入口にいた。輪郭が揺れていた。それでも立っていた。


 「痛いですか?」と堂島は言った。


 「痛い」と鋼花は言った。「でも大沼さんの手が当たっている。それが、少し違う」


 「違う?」


 「痛みの中に、別のものがある」と鋼花は言った。「あなたの手に似ている。でも違う。大沼さんの手は、怒っている」


 堂島は何も言わなかった。


 「怒りながら押さえている」と鋼花は言った。「沈ませることへの怒り。私はずっとそれを知らなかった。あなたが来るまで、誰もそういう怒り方をしなかった」


 グランヴェルが第16斉射を撃った。


 今度は右舷だった。修理が終わっていない側だった。


 「汐さん」と堂島は言った。


 「向かっています」と汐の声がした。


 「山下さん、主砲の状態は?」


 「問題ありません」と山下の声がした。「距離が遠いです。グランヴェルが下がっています」


 「下がっていますか?」と堂島は言った。柴田に向かって言った。


 「グランヴェル、距離11,400メートル。速力を落としています」と柴田は言った。「随伴艦も下がっています」


 「なぜですか?」


 柴田は答えなかった。答えを持っていなかった。


 「ゼロさん」と堂島は言った。


 「わかりません」とゼロは言った。「ただ」と言って止まった。


 「ただ?」


 「複合回路の光が」とゼロは言った。「外から見えている可能性があります。珊瑚礁のマナと反応して、艦全体が光っているかもしれません」


 堂島は窓の外を見た。自分の艦は見えなかった。


 「グラントが見ています」と堂島は言った。「また何かを見ています」


 ゼロは手帳に書いた。


 「大沼さん」と堂島は言った。


 「聞こえてる」と大沼の声がした。


 「第6区画の状態を教えてください」


 「2箇所とも押さえた」と大沼は言った。「右手だけで押さえた。次の命中弾が来るまでは持つ。次が来たらわからない」


 「わかりました」と堂島は言った。「よく押さえてくれました」


 「褒めるな」と大沼は言った。「気持ち悪い」


 「わかりました」


 「浸水率は?」と大沼は言った。


 「51パーセントです」と堂島は言った。


 沈黙があった。艦底の沈黙だった。


 「まだ浮いているか?」と大沼は言った。


 「浮いています」と堂島は言った。


 「じゃあいい」と大沼は言った。「浮いている間は続ける。それだけだ」


 通信が切れた。


 蒼嵐がまだ動いていた。

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