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第23話 2日と3時間

 翌朝、三島から報告が来た。


 「機関、左舷補助推進器に振動」と三島は言った。機関室の入口から顔だけ出して言った。全身が油と煤で薄黒かった。「大きくはない。ただ、テルファン出港後から続いている」


 「いつから気づいていましたか?」と堂島は言った。


 「出港翌日」と三島は言った。


 「なぜ昨日言いませんでした?」


 「解体命令が来たからだ」と三島は言った。「解体するなら直す必要がない」


 堂島は三島を見た。「解体していません」と言った。「今この機関は動いています。振動があるなら見ます」


 三島は少し間を置いた。「入れ」と言った。


 機関室に入った。左舷補助推進器の軸受部に手を当てた。振動があった。不規則だった。テルファンの戦闘時の衝撃が軸受の固定ボルトに伝わったと見た。緩みは微細だった。肉眼では確認できなかった。


 「増し締めで直ります」と堂島は言った。「工具を出してください」


 三島は工具を出した。増し締めをした。振動が消えた。


 三島が軸受に手を当てた。「消えた」と言った。


 「はい」


 三島は手を当てたまま少し間を置いた。「機関、まだ生きてる」と言った。「以上」


 それだけ言って機関室の奥に戻っていった。



 午前中、汐が溶接の練習をしていた。


 後甲板の隅だった。廃材の鋼板を2枚並べて溶接していた。テルファンで工廠の職工に指摘された継ぎ目の処理を繰り返していた。


 堂島が通りかかった。汐は溶接を止めなかった。


 仕上がりを見た。テルファンで直した継ぎ目と比べた。均質だった。ばらつきがなかった。


 「いつからやっているのですか?」と堂島は言った。


 「昨日の夜から」と汐は言った。「命令が来て、みんなが散った後。何かしていないと落ち着かなかったので」


 「続けてください」と堂島は言った。


 汐は溶接を続けた。堂島はその場を離れた。



 昼、ゼロが艦橋に資料を持ってきた。


 川端と柴田と堂島がいた。ゼロは航海図の横に紙を広げた。


 「テルファンの工廠経由で情報が入りました」とゼロは言った。「橘咲さんからです。昨日付けです」


 紙には数字が並んでいた。艦影の目撃報告だった。


 「中央内海の北部に第一級魔導戦艦の艦影が2つ確認されています」とゼロは言った。「天嶺と水巡。村雨中将の旗艦と、中央艦隊の副旗艦です。現在位置は我々から北北東に420海里」


 川端が地図を見た。「動いている方向は?」


 「南東です」とゼロは言った。「現在の速力と針路が続けば、我々の針路と交差する地点は——」ゼロが計算した。「38時間後。ラテリア連邦領海の手前110海里の地点です」


 「領海に入るのが2日と3時間後です」と柴田が言った。「領海到達の前に追いつかれます」


 川端は地図を見た。何も言わなかった。


 「速力を上げれば?」と堂島は言った。


 「最大速力は20ノットです」と柴田は言った。「現在18ノットで推移しています。2ノット増やしても、38時間が33時間になる。領海まで33時間はかかります」


 「差は縮まらない」と堂島は言った。


 「縮まりません」と柴田は言った。


 川端が地図から顔を上げた。「天嶺の最大速力は?」と言った。


 「22ノットです」とゼロは言った。「我々より速い」


 川端は地図を見た。「別の針路は?」と柴田に言った。


 柴田が地図を指した。「東に大きく迂回すれば交差地点を避けられます。ただし到達時間が4日伸びます。補給が問題になります」


 「補給の残量は?」


 「2日分です」と柴田は言った。「迂回すれば補給切れになります」


 川端は地図を見続けた。


 「天嶺が追っています」と堂島は言った。「避けられない?」


 「針路を変えれば変えるほど、天嶺に補足されます」とゼロは言った。「こちらの動きが読まれています。橘咲さんの情報では、天嶺は我々の現在位置を把握していると見ていいです」


 川端がゼロを見た。「どこから漏れた?」


 「テルファン出港時の目撃か、報告書の内容が伝わったかです」とゼロは言った。「どちらでも今は関係ない」


 川端は地図に視線を戻した。「このまま南に向かう」と言った。「針路は変えない」


 「天嶺に追いつかれます」と柴田が言った。感情のない声だった。


 「そうなる」と川端は言った。「ただし、追いつかれた場合の対応は別の問題だ。今はラテリア連邦に向かう。以上だ」


 誰も何も言わなかった。


 川端が堂島を見た。「堂島。追われながら修理は可能か?」


 堂島は川端を見た。「条件次第です」と言った。「被弾の箇所と順番によります。今の艦の状態であれば、3箇所同時浸水まで対応できます」


 「4箇所は?」


 「人手が足りなくなります」と堂島は言った。「汐の班を2つに分けるか、他の乗組員を応急工作に回す必要があります」


 川端は堂島を見ていた。「準備しておくように」と言った。


 「わかりました」と堂島は言った。



 午後、応急工作班の詰所で大沼と堂島が資材の確認をした。


 パッチ材の数を数えた。防水布の状態を確認した。排水ポンプの動作を確認した。


 「天嶺が来るそうだ」と大沼は言った。作業の手を止めずに言った。


 「ゼロから聞きましたか?」


 「三島から聞いた」と大沼は言った。「機関室は情報が早い」


 「38時間後に追いつかれる可能性があります」と堂島は言った。


 大沼はパッチ材を積み直した。「天嶺は第一級魔導戦艦だ」と言った。「エーテル砲のMk.IIIを何門積んでいる?」


 「主砲8門、副砲12門です」


 「蒼嵐はMk.IIが2門だ」と大沼は言った。「まともにやれば3分で沈む」


 「3分では沈みません」と堂島は言った。


 大沼が手を止めた。堂島を見た。


 「Mk.IIIの有効射程は8,000メートルです」と堂島は言った。「蒼嵐のMk.IIの有効射程は5,000メートル。射程差があります。8,000メートルから撃てば、天嶺側は有効射程内ですから命中率は3割から4割になります。こちらのMk.IIは最大射程が8,000メートルですが、最大射程端では命中率が1割程度まで落ちます。実質、一方的に撃たれながら逃げることになる。それを14分ごとに繰り返す。追いかけながら撃つのと、逃げながら修理するのでは——」


 「後者の方が長持ちするということか」と大沼は言った。


 「条件次第です」


 大沼は少し間を置いた。「なぜそんな計算が出てくるんだ?」と言った。


 「修理に必要だからです」と堂島は言った。「修理の時間を確保するために、どれだけの時間があるかを計算します」


 大沼はパッチ材の確認を再開した。「……12年いたが」と言った。「そういう計算をした技術顧問は初めてだ」


 堂島は排水ポンプの動作確認を続けた。


 「聞いていいか?」と大沼は言った。


 「はい」


 「テルファンで川端と何かあったか?」


 堂島は少し間を置いた。「報告書の話です」と言った。「川端さんは書くべきことを書いた。私は書かない選択もあると言った。川端さんは書いた」


 「どちらが正しい?」


 「どちらも正しかった」と堂島は言った。「正しいことが2つあった。それだけです」


 大沼は何も言わなかった。排水ポンプの固定ボルトを確認した。「緩んでいる」と言った。


 「どこですか?」


 「右の固定部だ」と大沼は言った。「増し締めしろ」


 工具を手に取った。増し締めをした。


 2人は黙って作業を続けた。



 夕方、川端が一人で艦橋にいた。


 堂島が資材リストを持って上がった。川端は外を見ていた。


 「応急工作の準備状況を報告します」と堂島は言った。「パッチ材42枚。防水布8セット。排水ポンプ3台。全て稼働状態です」


 川端は外を見たまま言った。「わかった」


 堂島は報告書を川端の机に置いた。帰ろうとした。


 「堂島」と川端は言った。


 「はい」


 川端は外を見たまま言った。「私は報告書を書いたことを、今も間違っていたとは思っていない」


 堂島は川端の背中を見た。


 「ただ」と川端は言った。「あなたに何が起きるかを考えて書いたわけではなかった。書いた後で、そのことに気づいた」


 「川端さんの仕事は事実を書くことです」と堂島は言った。「私のことを考える必要はありません」


 「私はこの艦の艦長だ。乗組員の一人一人に何が起きるかを考えるのも仕事だ。どちらも仕事だった。私はどちらか一方しかやらなかった」


 堂島は川端を見た。川端はまだ外を見ていた。


 「天嶺が来ます」と堂島は言った。「今夜、追跡に備えた修理の優先順位を整理します。明日の朝までに大沼さんと汐に伝えます」


 川端は少し間を置いた。「わかった」と言った。


 堂島は艦橋を出た。


 廊下を歩いた。川端が言ったことを整理した。間違いを認めたわけではなかった。やらなかったことに気づいたと言った。その2つは違った。川端にとって何が違うのかは、堂島にはまだわからなかった。


 機関室の前を通った。三島の声が聞こえた。「機関、まだ生きてる」と言っていた。誰かへの報告ではなかった。機関に向かって言っていた。



 夜、堂島は応急工作班の詰所で修理の優先順位表を作った。


 紙に書いた。天嶺のMk.IIIが8,000メートルから撃った場合、有効射程内での命中率3割から4割で命中箇所の予測分布を書いた。最も確率が高いのは中央部だった。機関室とエーテル炉心室が集中する区画だった。


 次に炉心室が浸水した場合の爆発までの時間を書いた。この数字だけは動かせなかった。炉心室が浸水すれば爆発する。時間がどれだけあっても阻止できない唯一の損害だった。


 つまり炉心室を守ることが全てだった。


 最初からわかっていたことだった。


 鋼花が詰所の入口に現れた。


 「何を書いている?」と鋼花は言った。


 「修理の順番です」と堂島は言った。「天嶺が来た場合の準備です」


 鋼花は入口から中を見た。詰所には入ってこなかった。「炉心室のことを書いているの?」


 「はい」


 「私が一番怖いのはそこ」と鋼花は言った。「浸水したら終わりだと、43年間わかっていた」


 堂島は紙を見た。「守ります」と言った。


 鋼花は少し間を置いた。「あなたは毎回そう言う」と言った。


 「毎回守っています」と堂島は言った。


 鋼花は堂島を見た。「天嶺は大きな艦?」


 「蒼嵐より大きい。砲も多い」と堂島は言った。


 「それでも守れる?」


 堂島は紙を見た。数字が並んでいた。命中率。浸水速度。修理時間。パッチ材の数。人手の割り振り。計算できる範囲のことは全て計算してあった。


 「計算できる範囲では守れます」と堂島は言った。「計算の外にあることは、その時に考えます」


 鋼花は黙った。入口の外の通路を見た。「外板が少し冷たい」と言った。「北から流れが来ている」


 「天嶺の方向ですか?」


 「方向まではわからない」と鋼花は言った。「ただ、冷たい」


 堂島は立ち上がった。甲板に出て、海面を見た。北の水平線は暗かった。星があった。天嶺はまだ見えなかった。


 38時間がどれだけの長さかを考えた。テルファンからここまでの3日を思った。継ぎ目の補修。機関室の増し締め。汐の溶接練習。大沼との資材確認。それだけの時間があった。


 38時間あれば、まだいくつか直せる。


 甲板を離れた。詰所に戻った。修理の優先順位表の続きを書いた。

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