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第22話 廃艦命令・再

 テルファンを出て3日が経った。


 針路は南。中央内海の東縁を沿うように進んでいた。交易路からは外れていた。川端が選んだ針路だった。補給艦とも出会わない。他の軍艦とも会わない。静かだった。


 その静けさが不自然だと堂島は思っていた。


 T-25はテルファンの戦闘以来、感じていなかった。アイゼンの別動艦隊も追ってこなかった。ヴァランシアの哨戒艦も見えない。何もない3日間だった。


 机の上に修理記録を広げた。テルファンで直した箇所の一覧だった。


 右舷外板の修理。左舷第2区画の継ぎ目溶接。艦底外板の点検——ハーゲンが換えた鋼板は触るたびに均質な硬さを返した。複合回路の正式搭載。エーテル砲Mk.IIの出力調整。


 問題はなかった。修理できる範囲のことはやった。


 問題は修理の外にある。



 4日目の朝、川端が全員を後甲板に集めた。


 280名が並んだ。空は晴れていた。中央内海の光は北方辺境より白かった。


 川端は全員の前に立った。何も持っていなかった。紙も持っていなかった。


 「本国から命令が届いた」と川端は言った。


 甲板が静かになった。波の音だけが残った。


 「蒼嵐の帰還と解体命令だ」


 誰も声を上げなかった。


 堂島は乗組員の顔を見た。驚きの顔ではなかった。口を引き結んだまま前を向いている顔だった。驚く前に何かを飲み込んでいた。


 「理由は2つ」と川端は続けた。「エーテル炉心の回収。および、テルファンでの戦闘に関する調査への協力」


 「調査の対象は私と、技術顧問の堂島」と川端は言った。「報告書の内容についてだ」


 視線が堂島に向いた。堂島は何も言わなかった。視線を川端に戻した。


 「解体命令を受け取った」と川端は言った。「受け取ったことを全員に伝える。以上だ」


 それだけ言って、川端は艦橋に戻った。


 甲板が動き始めた。乗組員が持ち場に散っていった。誰も川端を呼び止めなかった。誰も何も言わなかった。声一つなく散っていく背中が、甲板の白さの中に消えていった。


 大沼が堂島の隣に立った。煙草の欠片を噛んでいた。「解体か」と言った。


 「そう言っていました」


 「どうする気だ?艦長は」


 「わかりません」と堂島は言った。


 大沼は海を見た。「廃艦にするのも費用がかかるから放置されてきた艦だ」と言った。「今度は解体する理由ができたということか」


 「炉心の回収が目的です」


 「複合回路も、だろう」と大沼は言った。


 堂島は何も言わなかった。大沼は少し間を置いて、「俺は持ち場に戻る」と言った。「修理があるなら呼んでくれ」


 応急工作班の詰所に消えた。


 甲板に残った乗組員は誰もいなかった。波の音だけが続いていた。



 昼過ぎ、川端が堂島を艦橋に呼んだ。


 柴田が航海図の前にいた。川端は窓の外を見ていた。


 「針路の確認だ」と川端は言った。堂島が入っても振り向かなかった。「柴田、今の位置を」


 柴田が航海図を指した。「中央内海の東縁。ラテリア連邦領海まで2日半の距離です」


 川端は外を見たまま言った。「堂島。この艦が解体されれば、テルファンまでの修理が全部無駄になる」


 「そうなります」と堂島は言った。


 「全部無駄になる」


 「無駄にはなりません」と堂島は言った。


 川端はそこで振り向いた。堂島を見た。


 「解体されても?」


 「修理した事実は残ります」と堂島は言った。「蒼嵐が今日まで浮いています。それは修理の結果です。解体命令は修理を遡って消せません」


 川端は堂島を見ていた。少し間を置いた。


 「命令を受け取った」と川端は言った。「受け取ったということは、本国に届いたということだ。私が返答しなければ、上層部は次の手を打つ。村雨中将が動く可能性がある」


 堂島は川端を見た。


 「村雨中将が動けば、艦が来ます」と川端は言った。「中央艦隊だ。第一級魔導戦艦の天嶺が旗艦だ。蒼嵐では逃げ切れない。逃げながら修理できる時間的余裕もない」


 「猶予はどれくらいですか?」と堂島は言った。


 「命令が届いてから動き始めるまで、3日から5日と見ている」と川端は言った。「今日が1日目だ」


 柴田が航海図から顔を上げた。「ラテリア連邦領海に入れば、瑞穂の軍艦は追跡を止めます。国際法上の問題になります」


 「ラテリアが保護を名目に——」と堂島は言いかけた。


 「外交の問題だ」と川端は言った。「私には外交の権限がない。ただ、距離を取ることはできる」


 3人は航海図を見た。


 「針路を変える」と川端は言った。「ラテリア連邦に向けて最短経路を取る。柴田、計算してくれ」


 「すでに計算してあります」と柴田は言った。「2日と3時間です」


 川端は少し間を置いた。「そうか」と言った。


 柴田は航海図を見たままだった。「針路修正。8度左。根拠は最短経路です」と言った。


 蒼嵐が8度、左に向いた。



 夕方、ゼロが機関室前の廊下で堂島を待っていた。


 「解体命令の件、聞きました」とゼロは言った。


 「はい」


 「複合回路の設計図とテルファン以降の実測データを全て写しています」とゼロは言った。「艦が解体されても設計図は残ります。別の艦への搭載も可能です。ただし——」


 「ただし?」


 「稼働には堂島さんのマナ感知が必要です」とゼロは言った。「設計図を写しても、あなたなしでは完全稼働しない。これが現状の問題です」


 「解決策はありますか?」


 「まだありません」とゼロは言った。「マナ感知を持つ別の人間を探すか、回路側の設計を変えるか。どちらも今の私には計算が足りていません」


 廊下に機関の音が響いていた。機関室の奥から三島が何か叫んだ。回転数の報告だった。


 「1つ聞いていいですか?」とゼロは言った。


 「何ですか」


 「この艦が解体されたら、あなたはどうしますか?」


 堂島は少し考えた。「別の艦に配属されるか、陸に上がるかです」と言った。「決めていません」


 「この艦でなければいけない理由はありますか?」


 機関の音が続いていた。


 「今のところありません」と堂島は言った。「ただ、解体されたわけではない。今この艦は浮いています。今やるべきことをやるだけです」


 ゼロは堂島を見た。少し間を置いた。「そうですか」と言った。「わかりました」


 廊下を歩いていった。



 夜、甲板に出た。


 星が出ていた。南の星座は北方辺境とは配列が違った。この世界に来てから最初の夜も星を見た。見知らぬ星座だと思った。今もそう思うが、配列は覚えていた。3日と6時間で見え方が変わる。それだけのことはわかっていた。


 鋼花がいた。


 欄干の近くに立っていた。白い水兵服が暗がりの中で見えた。袖口が黒ずんでいた。テルファンの戦闘の跡だった。本修理が終わっても、鋼花の服はその記憶を持っていた。


 「聞こえていましたか?」と堂島は言った。


 鋼花は海を見ていた。「解体命令が来た」と言った。


 「はい」


 「前にも来た」と鋼花は言った。「北方辺境で来た。橘大佐が受け取り忘れた」


 「今回は違います」と堂島は言った。「川端さんは受け取りました」


 鋼花は黙った。波の音があった。


 「怖いですか?」と堂島は言った。


 鋼花は少し間を置いた。「怖いかどうかはわからない」と言った。「沈むのとは違う。沈むのは急だ。解体は時間がかかる。どちらが怖いかはわからない」


 「あなたにとって解体とは何ですか?」


 鋼花は堂島を見た。「消えること」と言った。「沈んでも消える。解体されても消える。違いがあるとすれば——」言葉が止まった。


 「違いは何ですか?」


 「解体なら、決めた場所で止まれる」と鋼花は言った。「沈むと、決められない」


 堂島は鋼花を見た。「沈ませません」と言った。


 「解体は沈没じゃない」


 「どちらも阻止します」と堂島は言った。


 鋼花は堂島を見ていた。少し間を置いた。「なぜ?」と言った。


 「まだ修理が終わっていないからです」と堂島は言った。


 鋼花は黙った。海を見た。波が舷側を叩いた。


 「右舷後部の継ぎ目」と鋼花は言った。「少し動いている」


 堂島はすぐに向きを変えた。「場所を教えてください」


 「第6区画と第7区画の境目。竜骨の上から3枚目の外板」


 堂島は甲板を歩き始めた。懐中電灯を取り出した。後部への通路を降りた。


 鋼花の声が後ろから聞こえた。「まだ浸水はしていない」


 「動いているなら見ます」と堂島は言った。「動いているうちに直せます」


 後部区画への梯子を降りた。第6区画と第7区画の境目の区画に入った。懐中電灯で外板を照らした。


 継ぎ目があった。肉眼では見えなかった。手を当てた。


 わかった。


 溶接の端が0.5ミリほど浮いていた。まだ水は来ていない。しかし波のたびに動いていた。繰り返せばいつか開く。


 工具を取りに戻った。


 廊下で大沼と会った。大沼は煙草の欠片を噛んでいた。「どこへ行く」と言った。


 「第7区画の外板です」と堂島は言った。「継ぎ目が動いています。補修します」


 大沼は少し間を置いた。「俺も行く」と言った。


 「汐さんを起こさなくていいです。小さい補修です」


 「俺が行くと言っている」と大沼は言った。


 2人で第7区画に向かった。大沼が溶接道具を持ってきた。


 作業は1時間かかった。補修が終わった頃、後部区画は静かだった。


 大沼が溶接の跡を指で確認した。「悪くない」と言った。


 「問題ありません」と堂島は言った。


 大沼は立ち上がった。工具をまとめながら言った。顔を見なかった。「解体命令の話だが」


 「はい」


 「艦長は何か言っていたか?」


 「針路を南に変えました」と堂島は言った。


 大沼は少し間を置いた。「そうか」と言った。それだけ言って、先に梯子を上がった。


 堂島は外板の補修箇所に手を当てた。動かなくなっていた。


 懐中電灯を消した。暗がりの中で、外板の冷たさだけがあった。解体命令が来た。村雨中将が動くかもしれない。2日と3時間でラテリア連邦の領海に入る。その前に何が来るかわからない。


 今はこの継ぎ目が動かなくなった。それが今夜の事実だった。


 梯子を上がった。

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