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第17話 会わせたい人間

 翌朝、堂島は川端に話した。


 艦橋だった。川端が海図を確認している時間を選んだ。橘咲のことを話した。橘大佐の妹であること、テルファンの連絡事務所にいること、川端に会わせたい人間がいること。


 川端は海図を見たまま聞いていた。


 「橘一郎大佐が」と川端は言った。声が変わらなかった。


 「橘大佐が川端さんの左遷に関わっていることは聞いています」と堂島は言った。「直接連絡しにくいから私を通してほしいということでした」


 川端はしばらく海図を見ていた。「会わせたい人間が誰かは」


 「聞きませんでした。悪い話ではないとだけ言っていました」


 川端は海図から顔を上げた。窓の外を見た。港の工廠が見えた。「何時だ?」


 「8時から開いています。工廠の北口の隣です」


 川端は窓の外を見たまま少し間を置いた。「わかった」と言った。「堂島もついてこい」



 工廠の南口に、1人の老人が立っていた。


 70代に見えた。背が低く、日焼けした顔をしていた。瑞穂の軍服ではなかった。商人か職工のような服だった。杖を持っていた。しかし姿勢が良かった。元軍人の姿勢だ。


 橘咲が老人の隣に立っていた。


 「川端艦長」と橘咲は言った。「こちらは神崎義明・元大佐です。2年前まで瑞穂皇国海軍の中央内海方面艦隊に所属されていました」


 川端は神崎を見た。何も言わなかった。


 神崎は川端を見た。「2年ぶりだな」と言った。声が低く、静かだった。「中央内海で最後に会ったとき、お前は交戦継続を選んだ。僚艦2隻を失った。私はその場にいた」


 川端は表情を変えなかった。


 「お前の判断は正しかった」と神崎は言った。「あの状況で撤退していれば、護衛対象の輸送船が全滅していた。交戦継続以外の選択肢はなかった。私はそう上申した。村雨中将に握り潰された」


 堂島は川端を見た。川端の顔は変わらなかった。しかし右手が、わずかに動いた。握ったように見えた。


 川端は神崎を見ていた。しばらく見ていた。


 「ありがとうございます」と川端は言った。声が変わらなかった。礼儀として言ったのか、本当に思って言ったのか、堂島にはわからなかった。


 神崎は頷いた。それだけで何かを言いたそうにしていた。


 「あの日」と神崎は言った。「お前が交戦継続を選んだとき、私はお前の隣の艦にいた。お前の判断がなければ輸送船は全滅していた。それは数字の話だ。ただ」神崎は杖を持ち直した。「お前が2隻を失ったことも、数字の話だ。その数字の中に人間がいた。お前はそれをわかって選んだ。だから正しかった。わからずに選んだなら正しくなかった」


 川端は何も言わなかった。


 「お前が間違っていたと言った人間は、数字しか見ていなかった」と神崎は言った。「失った2隻の数字だけ見た。守った輸送船の数字を見なかった。私はその両方を見ていた。だから言える」


「なぜ今になって」と川端は言った。


 「退役したからだ」と神崎は言った。「現役のうちは言えなかった。今は言える」神崎は杖をついて半歩進んだ。「それだけのために来た。言いたかっただけだ。お前に何かを求めるわけじゃない。ただ、言わずに死ぬのは嫌だった」


 神崎は川端の顔を見た。「お前は今も間違っていなかったと思っているか」


 川端は少し間を置いた。「思っています」と言った。


 「そうか」と神崎は言った。「それでいい」


 杖をついて工廠の方向に歩いていった。橘咲が頭を下げた。


 川端は神崎の背中をしばらく見ていた。それから蒼嵐の方向に歩き始めた。堂島も歩いた。


 2人で歩いた。川端は何も言わなかった。


 桟橋に戻る手前で、川端が止まった。


 「堂島」と川端は言った。


 「はい」


 「修理の進捗を」


 それだけだった。また歩き始めた。



 修理の1日目は密度が高かった。


 エーテル砲の出力調整を荒木が担当した。炉心室の配管点検を大沼が担当した。堂島は両方を行き来した。


 エーテル砲は出力がB規格の88%まで回復した。テルファンの部品は質が良かった。90%まで戻るかもしれないと荒木は言った。


 炉心室の配管で、大沼が問題を見つけた。


 「ここだ」と大沼は言った。配管の接続部を指した。「腐食が進んでいる。今すぐ問題にはならないが、放っておけば半年以内に亀裂が入る」


 「交換できますか?」と堂島は聞いた。


 「テルファンなら部品がある。今日中に発注する」


 今日の点検でも、堂島には最初見えなかった箇所だった。大沼の目が止まってから、堂島も触れてわかった。


 手帳に書いた。「炉心室配管接続部・腐食・大沼が発見。私には最初見えなかった」



 午後、ゼロが部品を一部持ち帰ってきた。


 「試作に使えるものが揃いました」とゼロは言った。「アイゼン製の精密部品を除いた部分だけ、組んでみます。動作確認だけです」


 第2砲塔の回路室に入った。ゼロが部品を並べた。


 「ここに手を当てていてください」とゼロは言った。回路の接続部を指した。「組み終わったら通電します。あなたが触れているかどうかで、マナ反応の出方が変わるかどうかを確認したい」


 堂島は接続部に手を当てた。金属の温度があった。何も感じなかった。


 ゼロが回路を組んだ。慎重な手つきだった。10分かかった。


 「通電します」とゼロは言った。


 回路に光が走った。エーテルの青白い光だった。安定していた。


 ゼロが計測器を当てた。針が動いた。「マナ反応、出ています」とゼロは言った。声が少し変わった。「あなたが触れている。だから出ている」


 堂島は手を離した。


 光が揺れた。不安定になった。3秒で消えた。


 「消えました」とゼロは言った。「やはりそうだ」ゼロは眼鏡を押し上げた。「アイゼン製の部品が届いたら、本格的に組みます。この感触で設計の方向は合っていると確認できました」


 堂島は消えた回路を見た。自分の手が触れていたときだけ光っていた。それが何を意味するのか、まだ自分の中で整理がついていなかった。



 夜、川端が全員を集めた。


 艦内の食堂だった。川端、堂島、大沼、荒木、柴田、汐、三島、ゼロが集まった。橘咲も来ていた。工廠の南口で別れてから初めて見た。川端が呼んだらしかった。


 ゼロが立った。計算紙を持っていた。「改めて報告します」と言った。「マナリーフでの計算を、テルファンの工廠のデータと突き合わせて精度を上げました」


 エーテライトの採掘量と消費量の推移。マナリーフのマナ密度の計算。各国のエーテライト備蓄量の推定。それぞれを示した。


 「エーテライトは30年以内に枯渇します」とゼロは言った。「楽観的な見積もりで30年です。現在のペースで採掘が続けば20年かもしれない」


 誰も何も言わなかった。


 「マナリーフ海域のマナ密度は、現在確認されている全てのエーテライト鉱脈の推定埋蔵量を合計した値を上回っています。珊瑚礁がマナを蓄積し続けているためです。採掘技術が確立されれば、エーテルの代替になります」


 「各国はそれを知っているのか?」と川端は言った。


 「察知し始めています」とゼロは言った。「私の情報網を、別の情報網が追っています。アイゼンが最も早く動くと思います。T艦部隊がこの海域に来ているのも、無関係ではないかもしれない」


 川端は正面を見ていた。


 「この戦争が終わっても」とゼロは続けた。「次の戦争がマナリーフで始まります。そしてその次の戦争も。エーテライトが尽きるまで、あの海域を巡って戦争が続く」


 沈黙があった。


 堂島は川端を見た。川端の顔は変わらなかった。しかし視線が、わずかに落ちた。


 大沼が煙草の欠片を噛んだ。荒木が出力記録を手の中で折り畳んだ。汐が手帳を開いたが、何も書かなかった。


 橘咲は正面を見ていた。今朝の神崎との場面を思い出しているような顔だった。


 川端がゼロを見た。「わかった」と言った。「引き続き情報収集を」


 全員が散り始めた。


 橘咲が立ち上がる前に、川端が言った。「橘大佐に伝えてください。今日の話は聞きました、と」


 橘咲は少し間を置いた。「伝えます」と言った。


 全員が出た。


 堂島は食堂を出るとき、廊下に橘咲が残っているのを見た。壁を見ていた。何か考えていた。堂島には声をかけられなかった。


 堂島は最後に残った。川端も残っていた。


 「川端さん」と堂島は言った。


 「はい」


 「T艦の今日の位置は」


 「100海里だ」と川端は言った。「ゼロから報告が来ている」


 堂島は窓の外を見た。港の灯りが揺れていた。北の方向に何かがいる。昨夜より近い。


 川端は立ち上がった。「明日も修理を続けてるように」と言って食堂を出た。


 堂島も出た。


 廊下に橘咲がまだいた。壁にもたれていた。


 「今日の話」と橘咲は言った。堂島が近づいたとき、顔を上げずに言った。「兄は知っていましたか。エーテライトの話を」


 「わかりません」と堂島は言った。「橘大佐とはほとんど話していないので」


 橘咲は少し間を置いた。「知っていたとしたら」と言った。「知っていて黙っていたとしたら」それだけ言って、また壁を見た。続きを言わなかった。


 堂島は橘咲の隣を通り過ぎた。艦底の方向に向かった。


 夜の点検をしながら、北の方向に手のひらを向けた。


 感じた。昨夜より近い。手のひらに、回路の温度の記憶と、水中の動きの感触が、同時にあった。

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