第13話 ゼロの疑問
ポルト・フォルティスに戻ったのは夜だった。
艦底の本修理が必要だった。座礁で変形した外板を交換する。防水布を詰めた箇所を溶接し直す。大沼が資材の見積もりを出した。3日あれば終わるという。
その3日間、ゼロはほとんど船室から出なかった。
計算紙が廊下にまで溢れていた。汐が片付けようとしたら「触らないでください」と言われた、と汐が堂島に報告した。ゼロが出てきたのは食事のときだけだった。食べながらも計算紙を見ていた。
2日目の夜、ゼロが堂島を呼んだ。
船室に入ると、床が計算紙で埋まっていた。壁に紙が貼ってあった。数字と図が書いてあった。堂島には何の計算かわからなかった。
「実験に付き合ってもらえますか?」とゼロは言った。
「何の実験ですか?」
「あなたが繋いだ回路と、他の人間が繋いだ回路の違いを確認したいのです。バイパスのときから気になっていました」
ゼロが工具箱を出した。エーテル回路の部品が入っていた。「同じ仕様の回路を2本作りました。1本をあなたが繋いで、もう1本は私が繋ぐ。通電するかどうかを見ます」
堂島は回路を見た。エーテル回路の接続作業だ。バイパスを繋いだときと同じ手順だ。難しい作業ではない。
「わかりました」と堂島は言った。
堂島が回路を繋いだ。ゼロがテスターを当てた。
針が動いた。
「通電した。マナ反応も出ています」とゼロは言った。
次にゼロが同じ仕様の回路を繋いだ。同じ手順で、同じ工具を使った。堂島が見ていた。手順は正確だった。間違いはなかった。
ゼロがテスターを当てた。
針が動いた。通電している。しかしゼロは別のメーターを取り出した。小さな機器だ。目盛りが細かい。
「マナ専用の計測器です」とゼロは言った。少し声が変わっていた。堂島が繋いだ回路に当てた。針が大きく動いた。ゼロが繋いだ回路に当てた。針がほとんど動かなかった。
ゼロは2本の回路を並べて見た。
「同じ部品、同じ手順、同じ工具」とゼロは言った。「通電はどちらもしている。でもマナ反応が出るのはあなたの方だけです」
堂島は2本の回路を見た。
「なぜだと思いますか」とゼロは言った。
「わかりません」と堂島は言った。
ゼロは堂島を見た。しばらく見ていた。「本当に?」
「はい。特別なことをしている感覚はありません。いつもと同じ手順でやっています」
ゼロは計算紙に何かを書いた。「汐さんが繋いだ接続部も同じです。マナ反応が出ていた。汐さんはあなたに繋ぎ方を教わっていたと言っていました」
「それが原因ですか?」
「わかりません。ただ傾向としては、あなたから教わった人間が繋ぐと反応が出やすい」ゼロは眼鏡を押し上げた。「あなたは何者ですか?」
「堂島鋼です。この艦の技術顧問です」
「そういう意味じゃなくて」とゼロは言った。「この世界の人間ですか?」
堂島は答えなかった。
ゼロは少し間を置いた。「今は答えなくていいです」とゼロは言った。「もう1つ確認したいことがあります。少し、時間をもらえますか?」
「何を調べるんですか」
「計算します。結果が出たら話します」
堂島は船室を出た。
夜中の3時、堂島は廊下でゼロの船室の前を通った。
点検の帰りだった。扉が少し開いていた。光が漏れていた。覗くつもりはなかったが、立ち止まった。
ゼロが机に向かっていた。計算紙を見ていた。動いていなかった。計算をしているのではなく、出た答えを見ていた。
30秒ほどそのまま動かなかった。それから計算紙を裏返した。
堂島は廊下を歩いた。
翌朝、ゼロが艦橋に来た。
顔色が悪かった。眠っていなかった。計算紙を1枚持っていた。
川端がいた。堂島がいた。ハーゲンが甲板の方から来た。
ゼロは川端を見た。「全員に話していいですか?」
川端が頷いた。
「マナリーフの珊瑚礁が蓄積するマナの密度を計算しました」とゼロは言った。「ハーゲンさんの測量記録と私のデータを合わせて、エーテライトの採掘量と消費量のデータと突き合わせました」
「それで?」と川端は言った。
「エーテライトは30年以内に枯渇します」とゼロは言った。「採掘速度が今のままなら。軍の上層部は極秘にしているようですが、私は情報網から推測していました。今回の計算で確信が取れた」
誰も何も言わなかった。
「この海域のマナ密度は」とゼロは続けた。「陸のエーテライト鉱脈の推定埋蔵量を超えています。珊瑚礁がマナを蓄積し続けているのです。採掘できれば、エーテルの代替になり得ます」
ハーゲンが何も言わずに海を見た。
「この海域を誰かが知ったら」とゼロは言った。声が少し変わった。「次の戦争の目的地になります。今の戦争が終わっても、次の戦争がここで始まります。この海域を制圧した国が、次の時代のエネルギー覇権を握ることになりますから」
計算紙を机に置いた。
「この計算は昨夜出しました。ただ、各国の諜報機関はすでに察知し始めているかもしれません。私の情報網を、別の情報網が追っている気配があります」
川端は計算紙を見た。それから窓の外のマナリーフ海域を見た。
川端はしばらく計算紙を見た。「どうするつもりだ?」
「決めるのは私ではありません」とゼロは言った。「ですが、この艦がここにいる限り、この海域は誰かが独占できなません。蒼嵐がいる限りは」
長い沈黙があった。
ハーゲンが立ち上がった。「修理の続きをしてくる」と言った。それだけ言って出ていった。
夕方、堂島は甲板に出た。
マナリーフの水面を見た。珊瑚礁の白い影が水面の下にある。その下に、膨大なマナが蓄積されている。それが何を意味するかを、今朝知った。
30年。一世代以内にエーテル文明が終わる。それを知っている者たちが、知らない現場に消耗戦をさせている。グラントも、レイノルズも、橘大佐も、川端も、今この海域で戦っている乗組員全員も、理由を知らないまま戦っている。
堂島には覚えがあった。知らされないまま動かされることの感触を、別の場所で知っていた。名前は出さなかった。しかしその感触は手のひらに残っていた。
ゼロが隣に来た。
「昨夜の質問の続きです」とゼロは言った。
「……この世界の人間かどうか、ということですか?」
ゼロは水面を見た。「あなたのマナ感知能力は、この世界で生まれた人間には見られない能力です。別の世界から来た人間が持つ場合があると、古い文献にある。自由都市連合の図書館で読みました」
堂島は水面を見た。
「誰にも言いません」とゼロは言った。「どこから来たかはあなたの話です。ただ、その能力がこの艦を沈まなくしている可能性があります。それが知りたかったのです」
「それを知って、どうするんですか?」
「研究します」とゼロは言った。迷いのない声だった。「好奇心です。それだけです」
堂島は何も言わなかった。
水面を見た。珊瑚礁の白い影が静かに揺れていた。
夜、鋼花がいた。
甲板の端だった。水面を見ていた。白い服が風に揺れていた。
「ゼロという人が」と鋼花は言った。堂島が近づいたとき、振り返らずに言った。「この海の底を知った」
「はい」
鋼花はしばらく水面を見ていた。「……知られるのは」と言った。「時間の問題だった」
「鋼花さんは知っていましたか。この海域が何を意味するか」
鋼花は答えなかった。
答えない、ということが答えだと堂島は思った。
「この艦がここにいる限り」と堂島は言った。「誰かが独占することはできない。ゼロがそう言っていた」
鋼花は振り返った。堂島を見た。白い服の輪郭が定まっていた。
「……そうだ」と鋼花は言った。「だから、沈まない」
それだけ言って、消えた。
堂島は水面を見た。マナリーフの夜の海は静かだった。何も変わっていなかった。しかし今朝と同じ海ではなかった。
翌朝、ポルト・フォルティスの港湾局から川端宛に通信が来た。
川端が読んだ。堂島に見せた。
ラテリア連邦政府からの文書だった。短かった。マナリーフ海域の防衛に貢献した軽魔導巡艦「蒼嵐」に対し、ラテリア連邦は名誉旗艦の称号を授与する。修理費用の一部を連邦が負担する。
「修理費用が出る」と川端は言った。静かな声だった。
「大規模修理ができます」と堂島は言った。
川端は窓の外を見た。蒼嵐の艦体が見えた。43年分の傷が積み上がった艦体だった。




