第19話 天と睛(挿絵あり)
二人が馬の目の前まで辿り着いた、その時のことだ。
『ぽ〜ぅ、忍ポポポゥ!!!』
「痛っ……何事だっちゃ?!」
翠雨の額に謎の物体が激突したのだ。驚いて目を開けると、そこには奏王に預けたきり離れ離れになっていた「ロボ塚くん」の姿があった。彼は宙に浮きながら、翠雨を見下ろしている。
「ロボ塚……っ、良かったぁ、無事だったんだな!」
翠雨は愛おしそうに彼を抱きしめた。ロボ塚くんも嬉しそうに「ぽぅぽぅ」と音を漏らしている。
「龍厳! こいつはおれの友達……ロボ塚だっちゃ」
『ぽ〜ぅ、忍ポポポゥ』
龍厳は必死で言葉を選んでいる。
「この表情は私を歓迎しているのか? それとも威嚇しているのか?」
「ずっとこんな顔だっちゃ! 目が虚ろで口元が緩んでる。でも、そこが可愛いんだ」
ロボ塚くんは、翠雨が身につけていた肩掛けカバンを、代わりにしっかりと背負っていた。中を確認すると、奏王からの手紙が添えられていた。
龍厳は気を遣って視線を逸らしたが、翠雨は彼を呼び寄せる。二人でその内容を読み進めていった。
【龍王様の命を救ってくれてありがとう。自信を持って天役者として突き進んでほしい。困り事があれば、いつでも、この『忍ぽっぽ君』を通して手紙を送ってくれ】
「『鳩ぽっぽ』みたいに言わないでくれ! 忍ぽっぽ君って、ロボ塚のことか……確かに伝書鳩代わりにはなるけど」
翠雨はそう呟くと、続く文面に目を落とした。
【命を狙われるという経験は、なかなか慣れるものではない。しばらくは龍王様の側にいてやってほしい。二人は、きっと仲良くなれる】
翠雨はしんみりとした声で語りだした。
「奏王さんは、おれらの保護者みたいだな……反逆者の弟【王階溶怪】として追われてきた人生だから、人の孤独がよく分かるのかもな」
それを聞いた龍厳は、なぜか誇らしげに話を繋いだ。
「本物の『王』は、格が違うな。翠雨のご先祖は立派な人だね」
「なんでお前が嬉しそうなんだよ」
彼らは笑い合いながら馬に跨り、丘を下り始めた。再び翠雨が前に、後ろから龍厳が支える形で、ゆっくりと桜並木の中を進んでいく。
翠雨はこの道を来た時に交わした、ある会話を思い出していた。自分の失礼な声に、龍厳の言葉が連なっていく。
『金色と銀色のジャラジャラばっかりつけて……ヤンキーみたいだな』
『色盲なんだ。そのコンプレックスを隠すために、派手な色をまとっている。兄も同じだよ』
一度は断った彼からの願いが、頭の中を駆け抜けていった。
『だから私に、色を教えてくれないか?』
花びらが頬をかすめ、翠雨の意識が今に戻った。木々を見上げ、そっと語りかける。
「龍厳……桜色は、何かの始まりを祝う時に供えたくなる色……だと思う。葉っぱの色は……いや、緑色って言ったほうがいいか。緑色は……」
翠雨は、もどかしそうに自分の頭を振った。
「あぁ、駄目だっちゃ。言葉を知らないから、上手く伝えられない!」
「嬉しいよ、ありがとう」
後ろから聞こえてきた龍厳の穏やかな声に、翠雨の表情も和らいでいった。
馬は二人を乗せたまま、龍王の屋敷へと向かっていく。
「龍厳……【天芸能】は、黎明翠の父親である【刀武】が、一代で作り上げたものなんだよな。奏王さんは、その一番弟子だ。物事を自分という立場以外から、冷静に俯瞰できる者にしか作り上げられない世界……そう説明を受けた」
【刀武】……争いの匂いを纏った名に思いを馳せながら、翠雨は話を繋いだ。
「天芸能の役者は【天役者】って呼ばれてるよな。だけど、黎明翠の解説板には【天睛役者】って書かれてた。なら、【天睛芸能】って、一体何なんだろう。それが分からない以上、黎明翠が描いたこの物語は終わりようがない」
翠雨の声音が、真剣なものへと変わる。
「まず、おれは【睛】を知らないんだ。【晴れる】によく似てるけど、見たことがない文字だっちゃ」
「『瞳』を意味する言葉だよ。【 画竜点睛 】という四字熟語に使われている漢字だ」
龍厳は、教え諭すようにスラスラと語りだした。
「画竜点睛……物事を完成させるために、最後に加える最も大切な仕上げのこと。壁に描かれた竜の絵に、瞳を書き入れた途端、その竜が実体化して天へ飛び立ったという故事に由来している」
何かを祝うように、桜吹雪が降り注いだ。大地に咲く草花も天を仰いで揺れている。
「龍の瞳になって……龍を、自由にする」
それは今この世界で、黎明翠の幼少期【剣武】に成り代わっている翠雨からこぼれ落ちた、保証のない「答え」だった。
「おれが……龍の、眼になる……?」




