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第13話 風の道標

 澄み切った風が桜の花びらを連れて、二人の影を追い抜いていった。この鮮やかな色彩の連なりも、龍王(りゅうおう)の瞳には届かないというのだろうか。


 翠雨(すいう)は、先ほど突きつけられた要望に対し、拒絶の言葉を返した。

「お前に色を教える? 嫌だっちゃ……裏で人を操って楽しむような奴に、教えることなんて何もない」

「そう言われると思ったよ、予想通りだ」


 龍王は手綱を握る手に少しだけ力を込めた。彼に促された馬は、ゆっくりと蹄の音を響かせ、静かな小道へと進路を取る。


 人通りの途絶えた緩やかな坂道だ。馬の背が揺れるたび、周囲の木々がゆっくりと後方へ流れていく。やがて、大きな塀に囲まれた武家屋敷が姿を現した。


「あれが……お前の、」

「そう、私が住んでいる屋敷だ」


 その拍子に、翠雨はふらりとバランスを崩した。落馬しかけた身体を、龍王はすぐさま後ろから支え直す。

「……ありがとう、お前はリュウよりモテると思うよ。勝ってる部分だって、きっとあるはずだ」

 返事はなかった。

 翠雨はその胸に背中を預けたまま話を続ける。

「……言っておくけど、お前と友達になるつもりはないからな。名前も出身地も、何一つ明かすつもりはないから」

 どこまでも広がる青空を見上げながら、翠雨はふと奇妙な違和感を覚えた。


「名前……あれ? おれの名前って……そう、伊賀の剣武(けんむ)だ! いや、何か大事なことを忘れているような、おれは……」

左遷ヶ島(させがしま)の、王階翠雨(きみしなすいう)


 迷いのない声が、翠雨の鼓膜を揺らした。大地に咲くタンポポの綿毛がふわりと舞う。


「出身地は、語尾に『ちゃ』がつく独特の方言から推測した。名前は、(ぬえ)(もり)で君が落としたノートに記してあったものだ。この世界の重要指名手配【王階溶怪(きみしなようかい)】と同じ姓だから、すぐに焼き払ったけれど」

 

 その綿毛は、捨てられていたビラの上に落ちた。根を張ることは出来ない運命だ。

 鵺の森で見かけた、ボロボロの手配書が脳裏に浮かぶ。


【 重要指名手配・王階溶怪(きみしなようかい) 】


 瞬く間に、兄・遊楽と共に【忍法法人(にんぽうぽうじん)溶怪会(ようかいかい)】の創始者について調べていた時の記憶が駆け巡った。

 左遷ヶ島にあるボロボロの実家【王階家】……現実世界で交わされたこの会話だけが、遠く小さく頭の中に響いた。まるで遥か昔のことのように……


【今から約六百年前、左遷ヶ島に生まれる。創始者の名は――】


『お兄ちゃん……これ、嘘だよね』


【 王階 溶怪 】


 記憶の奔流は止まらない。鵺の森から逃げ出した先、ようやく辿り着いた河原地区(かわらちく)の格安ホテルで、リュウとこの世界の正体について語り合った内容が、恐ろしいほどの精度で再生されていく。


『もしリュウの言う通り、ここが黎明翠(れいめいすい)の創り出した物語の世界だとしたら……黎明翠が実際に出会った人物をモデルにしたキャラクターが、たくさん登場してるってことだよな。支援者だった戦利龍王(せんりりゅうおう)将軍が出てきたり、主人公が自分自身だったり。この世界にいる間に、歴史の謎が少しだけ解けるかもしれないよな』


 リュウの返事が耳の奥に響く。


『きっと、自分の人生を振り返りながら執筆した作品だろうな……だが、何かトラブルがあって戦利龍王(せんりりゅうおう)黎明翠(れいめいすい)は、この物語から消されてしまった。まるで、誰かの悪意が加えられたように』


 連なるように、自分自身の声も蘇る。


『それにしても変な世界だよな。おれの知り合いにそっくりな人たちにも会ったんだよ。その人たちは、今も現実世界にいるはずなのに、不思議だろ?』


 ラーメン屋の店主に似た(じょう)。父親に瓜二つな刀武(とうむ)

 難解な数式を解く天才に成り代わったかのように、散らばっていた物事が、スラスラと整理されていく。


『実は「生まれ変わり」は実在して、似た姿形のまま、全く違う環境で何度も生まれて、その度必死に生きて……そうやって繰り返し学び合っているのかな』


 あの時、ホテルの部屋を舞っていた大きな埃が目の前に浮かび上がっていく。灰色の埃は、床に落ちて見えなくなってしまった。それだけで、薄汚れた安宿の景観が別物のように感じられたのであった。


『工芸品だって、埃を被ったり劣化したりすれば、当時のまま残ることは難しいよな……この世界の文明が狂って見える理由も、そういうことなのかな』


 バラバラだった思考が、一直線の光となって繋がっていく。


『リュウ……京都の海底には戦利龍王の財宝が眠っていて、そこには黎明翠が書いた物語が「形のないお化け」みたいに一緒に沈んでいる。そんな気がするんだ。最後に見えた金の龍神像も、なんだか泣いているように見えた。この物語は、ずっと完結を待ち続けているのかもしれない』




 【龍ノ國(りゅうのくに)】の都を走る路面電車の音で、翠雨の意識は引き戻された。馬の蹄の音に、近代的な機械音が混ざり合う歪な世界だ。何度瞬きをしても、元の世界に戻ることは出来なかった。


「おれは……誰だ?」


 冷や汗が額から頬へと伝う。翠雨は気を紛らわすように、馬の毛並みをなでた。

「それに……記憶力が良すぎないか? まるで別人の脳みそになったみたいだ。この世界に来てから、明らかに賢くなってる。どうして今まで気づかなかったんだろう」

 翠雨の呼吸が目に見えて浅くなっていく。


「頭の良さまで、剣武になってしまったのか? 違う、【剣武(けんむ)】は六百年前に京都で活躍した天睛役者(てんせいやくしゃ)黎明翠(れいめいすい)】の幼少期の芸名だ! おれは黎明翠が自分自身を主人公にして描いた物語の世界に迷い込んだだけ……そこで【主人公】の配役を当てられているだけなんだ……リュウとそう語り合っただろ」


 自分を説得するために、再び口を開く。


「黎明翠は、左遷ヶ島に島流しにされてるんだよな、だからおれは黎明翠の生まれ変わりだってずっと言われてきた……でも、おれは黎明翠じゃない。おれは……っ?!」

「【翠雨】……二人でいる時は、必ずそう呼ぶよ」


 放置されていたビラが、タンポポの綿毛と共に流されていった。全て、風のせいだ。

 


 


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