第12話 あなたは蜃気楼
翠雨は怒りを顕にした表情で、龍王の元へ駆け寄った。震える手で彼の胸ぐらを掴み、力任せに揺さぶる。
「そこまでしてリュウを追い込んで、何がしたいんだよ! リュウは凄く優しいよ……いつも自分を犠牲にして誰かを助けようとする。リュウは……!」
「……私も【龍】だ」
龍王の瞳が一瞬だけ揺らいだ。
兄の【リュウ】と、弟の【龍厳】……二人の名前には同じ【龍】の字が含まれていた。しかし親友を自称する憂永遠ですら、彼を呼ぶ時は【ゲン】という略称を用いる。
龍王は静かに話を続けた。
「どうしてみんな、あいつだけを『リュウ』と呼ぶんだろうな。あいつさえ居なければ、もっと生きやすかったのに」
「そんなの、ただの嫉妬だっちゃ! お前は兄貴に執着しすぎなんだよ。あいつは意外と大した事ない……そこまで拘るなんて、お前は、もはやリュウの大ファンだな!」
翠雨がそう叫んだ、次の瞬間だった。
「……っ?!」
龍王の右手が、電光石火の速さで翠雨の首筋を打ったのだ。意識を失い、崩れ落ちる翠雨を、お姫様のように抱きかかえる。
突然の事態に会場は騒然となった。龍王は動じることなく、隣に佇む刀武へ声をかける。
「刀武さん……彼のことは、私に任せてほしい。皆さんも、今日はゆっくり休んでください」
返事を待たず、龍王は桜が舞い散る中を歩き出した。用意されていた軍馬に、ぐったりとした翠雨を乗せ、自らもその後ろから支えるように跨る。馬の蹄が大地を叩く音が響き、二人は都へと進み出した。
道行く人々は、若き将軍・戦利龍王が、謎の少年を抱いて馬を走らせる異様な光景に、驚きを隠せない様子だ。
馬に揺られる翠雨は、現実の喧騒とは対照的に、穏やかな眠りに落ちていた。
誰かの記憶を託されたような、どこか切ない夏の夢に浸っていたのだ。
そこには【四月九日】の夜、地下帝国で見た夢と、全く同じ情景が広がっていた。
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耳を打つのは、何千人もの足音。心を動かしたのは、笛と太鼓の音。
今よりもずっと昔のことだろう。
視界には、祭りの熱気に包まれた京の都が広がっている。
(また、この夢か……)
翠雨の身体は、見ず知らずの青年になっていた。
星空の下、この街を小柄な少年と隣り合って歩んでいる。
右隣の少年が、ゆっくりとこちらを見上げた。
(やっぱりそうだ……【金の鱗】を握りしめたまま見た、あの夢と同じだ)
少年が翠雨と瓜二つの容姿をしていたからだ。
花柄の着物をまとい、長く伸ばした髪を一つに結んでいる。
今の翠雨とソックリな服装をした彼は、こちらに向かって、優しく声を掛けてきた。
『あなたの眼になるよ』
儚さを感じる、美しい声だった。
『あなたに、恩返しがしたいんだ』
微かな痛みと、寄り添うような優しさを感じた。
黎明翠の石像から聞こえてきた、あの言葉と同じだ。
青年と金の鱗……そして少年と黎明翠。翠雨の中で、バラバラだった点と線が、一本の確かな運命として繋がっていく。
(【青年】の正体は、【戦利龍王】将軍だ。そして、おれにソックリなこの【少年】は……間違いなく、若き日の【黎明翠】なんだ)
ただの夢ではないと本能で悟った。
きっと……今まさに、戦利龍王の記憶を追体験しているのだ。
神輿が人混みを掻き分けて進んでくる。その頂点には、今にも天へと昇りそうな龍の像が鎮座していた。
(……海底で見た、龍神像にソックリだ)
昨日口にした、自らの発言が頭の中を駆け抜けていった。
(ロボ塚……こいつは浜辺で拾った【金の鱗】を飲み込んでから、まるで生き物みたいに動けるようになった。海底に沈んでいた龍神像の鱗とソックリだった。もしかしたら、京都の海底から、左遷ヶ島まで流れ着いたんじゃないかな? あの像にはきっと、理屈じゃ説明できない不思議な力が宿ってる)
しかし、この夢には色が無かった。金の龍神像である確証は持てない。すると不安をかき消すような言葉が流れ込んできた。
『……ほら、金の神輿だよ。あなたが大好きな色だ』
若き日の黎明翠は、この色について語りだした。
『金色は……あなたを思い出す色。今日のことは絶対に忘れないよ、リュウ』
蜃気楼のように現れた「いつかの夏」が、遠く、淡く遠ざかっていく。
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しばらくすると、翠雨は馬上で身じろぎを始めた。
「おい……離せっ!」
「やっと目を覚ましたか」
龍王は翠雨へと目線を落とし、静かに語りかける。
「暴れると馬から落ちてしまう。困るのは君の方だよ」
抗う翠雨を腕力で制しながら、彼は冷ややかに前を見据えた。翠雨は慌てた様子で話を繋いだ。
「なんだ……っ、この力。お前、護衛も魔術もいらないだろ。格闘技経験でもあるのか?」
「兄には一度も勝てなかった。それなら続ける意味がないと思って空手を辞めた過去がある」
「もう、お前面倒くさい……嫌いだっちゃ」
「嫌い」と吐き捨てられた龍王は、意外にも愉快そうに喉を鳴らした。子供らしい笑みを浮かべている。
翠雨は反抗的な手つきで、龍王の胸元を飾る装飾品に触れた。
「金色と銀色のジャラジャラばっかりつけて……ヤンキーみたいだな」
「色盲なんだ。そのコンプレックスを隠すために、派手な色をまとっている。兄も同じだよ」
予想外の告白に、翠雨は言葉を失った。夢の中で見た「金色の神輿」が、龍王の好きな色であったことを思い出す。この世界で【龍王】を演じさせられているリュウの弟、【龍厳】は淡々と話を続けた。
「だからこそ、暗闇では人一倍目が利く。戦うために生まれてきたような能力だよな……平和な世の中では不要になる人種だ」
彼は感情の読めない瞬きをした。
「君が望むものは、全て叶えてあげるよ」
風に流されてきた桜の花びらが、その頬を涙のように伝っていった。
「だから私に、色を教えてくれないか?」




