第5話 変わらないもの
翠雨は無意識に後ずさりをした。刀武の深みのある声に身がすくんだ。
「ここは都の公演だ。客席は身分の高い人間ばかり。籠の中に閉じ込められ、自由に憧れる……そんな主人公の葛藤を演じれば、彼らの心に刺さるはずだ」
刀武は翠雨の格好を見て、呆れたようにため息をついた。
「いつまでそんな格好をしている……もう出番だぞ」
翠雨は、昨日リュウが買ってくれた鈍い翠色のセットアップを着て、肩掛けカバンを提げたままだった。慌てて駆け寄ってきた劇団スタッフの手には、手入れの行き届いた桃色の着物が抱えられている。
「申し訳ありません! 演出変更で、このままの服装で出るのかと勘違いしておりました……」
差し出された衣装は、【忍法法人・溶怪会】の正装とそっくりな色味だった。
「やっぱりピンク色だっちゃ……絶対また女装させられるよ」
カバンの底から、ロボ塚くんがこちらを見上げている。翠雨は兄の遊楽に面影が重なる奏王へと、彼を託す事にした。
「奏王さん……俺の友達をよろしく!」
周囲の劇団員たちがざわめき出す。
「おい剣武! 奏王さんは大先輩だぞ、なんて口の利きを……」
「気さくに話しかけてもらえた方が、実のところ嬉しいんだ……皆もそうしてくれ」
奏王はそう微笑むと、優しくロボ塚くんを抱き上げた。
「一緒に見守らせてもらうよ、応援しているからな」
翠雨は急いで衝立の影へ駆け込み、桃色の着物に袖を通す。長い髪を一つに結い直した、その時だった。
「もっと綺麗に結びなさい」
背後から聞き覚えのある声が届いたのだ。
振り返ると、そこには母親と瓜二つの女性が立っていた。彼女は翠雨のはだけた襟元を丁寧に整え、手際よく髪を結い上げる。そして最後に、幼くも美しい顔立ちをした面をこちらへと差し出してきた。
「……」
「私が着ければいいの?」
翠雨がコクリと頷く。
彼女は面を固定する紐の結び方すら、繊細な人物であった。
「あなたなら大丈夫……ほら、出番よ」
楽器隊の序曲が始まると、客席から地鳴りのような歓声が上がった。劇団員やスタッフたちが翠雨を送り出すように、こちらを見つめている。
その奥では二人並んで対照的な表情を見せる奏王と刀武の姿があった。慈しむような奏王と、冷徹な刀武……翠雨は刀武の視線を跳ね返すように呟く。
「奏王さんが、お父さんなら良かったのに」
彼は覚悟を決め、舞台へと踏み出した。この世界で自分が担わされている役割……黎明翠の幼少期【剣武】を演じきるための強さが、確かに宿った瞬間だった。




