第1話 今日も籠の中
数両編成の小さな電車が、河原地区を通り過ぎていく。その先には、のどかな田園地帯が広がっており、桜並木の下で無邪気に遊ぶ子供達の姿が見て取れた。
翠雨はこの電車の一等席で、父親と瓜二つの天役者【刀武】と隣り合って座っている。
肩掛けカバンには、【金龍雨天神話】を読み上げて以降、沈黙を貫くロボ塚くんと、ケースに収められた桜の押し花が沈められていた。
向かいの座席には、翠雨が無事だったことを心から喜んでいる様子の劇団スタッフ達が腰掛けている。息苦しさを覚えた翠雨は、窓の外を見つめたまま呟いた。
「おれは芸能界に憧れる人の気がしれない。常に誰かに監視されて、自由を奪われて……こんな人生を送って、何が楽しいんだろう」
翠雨のあまりに虚ろな様子に、スタッフたちが顔を見合わせ、おずおずと口を開いた。
「刀武さん、今日は休ませてあげたほうが……代わりの役者はいます」
「そうです。この状態で舞台に立っても、お客様には彼の心の闇が伝わってしまいますよ」
だが、刀武は無表情のまま、翠雨の頭をそっと撫でる。その手には拒絶しがたい力強さがあった。
「劇団関係者、全員の人生が今日にかかっている……頼んだぞ、【剣武】」
リュウの声が頭の中で木霊する。
『【剣武】は、【黎明翠】の幼い頃の芸名だ。間違いなく、翠雨は……』
永伝寺で見た、黎明翠の石像が脳裏を過ぎる。その頬を流れる雨粒は、涙のように見えた。隣に立てられた解説板まで鮮明に浮かび上がっていく。
―― 黎明 翠 ――
今からおよそ六百年前に活躍した
【 天睛役者 】
京都から左遷ヶ島に流刑されたのち、永伝寺で余生を過ごす。
【 この世は金 】の名言を残し、左遷ヶ島で永眠。
____
昨日耳にしたリュウの言葉が、濁流のように流れ込んでくる。
『きっと俺たちは、黎明翠が描いた物語の世界に迷いこんでしまったんだよ。ストーリーを完結させる上で、重要な役割を担う登場人物が今まで欠けていたんだ』
あくまで彼の予想だ。
『それが、天睛役者として活躍した【黎明翠】自身と彼の支援者だった【戦利龍王】将軍……今、その役割を強制的に演じさせられているのが、【翠雨】と……俺の弟、【龍厳】なんだろうな』
自分で出した答えが、最後に駆け抜けていった。
『工芸品だって、埃を被ったり劣化したりすれば、当時のまま残る事は難しいよな……この世界の文明が狂って見える理由も、そういうことなのかな』
通路沿いのカーテンで仕切られた、密室のような一等席。
翠雨は周囲の隙を伺いながら、何度も車窓の景色を確認した。逃げ出せる場所はないか、飛び降りられる速度か……全てを見透かしたような、刀武の声が降りかかってきた。
「あの少年に会うために、訓練を抜け出したのか? いつ何処で仲睦まじくなったのやら……戦利家の隠し子? まさかな……それにしても龍王様とソックリだったな」
【リュウ】の優しい笑顔と、【龍王】の鋭い眼光が翠雨の脳裏を駆け抜ける。彼らは【兄】と【弟】で、自分と同じように、この世界へ迷い込んだ現実世界の人間だ。
刀武は事もなげに話を続けた。
「いずれ役人から事情を聴かれるはずだ。隠したいことがあるならば、のらりくらりと質問を交わせばいい……その嘘が通用するなら、お前は役者として一人前だよ」
翠雨はしばらく黙り込んだ後、リュウを守るために生まれて初めて大きな嘘を吐いた。
「彼は本来、役人に連行されるような人じゃない……全部おれのせいなんだ。おれは、芸事の訓練に耐えられなくなって、河原地区まで逃げ出した。そこで悪い大人に絡まれて困っていたところを助けてくれたんだ。おれのワガママに付き合って、一晩だけ一緒にいてくれただけなんだよ……信じてほしい」
震える声で言葉を重ねる。
「お父さんが言っていた、沈丁院さんって、どんな人なの? その人に気に入られれば、彼は都で仕事に就けるって言っていたよね……」
その瞬間、スタッフ達の表情が凍りついた。刀武は翠雨を見つめ、呆れたように吐き捨てる。
「何を言っているんだ。もう何百回とあの方に会っているだろう」
電車が田園地帯を抜け、龍ノ國の中枢へと差し掛かった。
車窓の外には、歴史を感じさせる和風の家屋や商店が整然と建ち並んでいた。和の様式に現代的な機能美を混ぜ合わせたような巨大な建造物が見え始める。
そこには黄金色の文字で、こう記されていた。
【 金綺羅駅 】




