第17話 その名は、まだ闇
世界から音が消えたような感覚に陥っていく。翠雨は意識を戻すように瞬きをした。
「ぜ、絶対嘘だっちゃ。どこから突っ込めば良いのかすら分からんよ。物語の世界? 龍王がリュウの弟?! 弟って言っても、お前と同い年くらいに見えたし……それに、性格だって信じられないくらい悪かった。リュウはこんなに優しいのに」
「年子だからな、背格好は似ているはずだ……あいつの性格に関しては、史実上の【戦利龍王】にそっくりだよ」
リュウは重い腰を上げると、布団から這い出し、窓辺へと向かった。厚手のカーテンを引き寄せ、話を続ける。
「翠雨……転生寺リンネは何らかの基準で俺たちを選別し、この世界へ送り込んでいるはずだ。お前と黎明翠にも、通じ合う何かがあったんだろう。いつ、どんな情報が転生寺に渡っていたんだろうな……思い当たる節はないか?」
「……おれは黎明翠の生まれ変わりってみんなから噂されてきた。情報が渡るとしたら、そのくらいかな。でも、転生寺は目に見えない力を馬鹿にする人間だっちゃ……もしおれが黎明翠役に選ばれているとしたら……もっと現実的な理由だと思う」
翠雨はロボ塚くんを小脇に抱え、吸い寄せられるようにリュウのいる窓辺へ歩み寄った。
「……なんで付いてくんねん」
リュウは呆れたように笑いながらも、隣の椅子を引いてくれた。翠雨はお礼を言い、腰掛けると、引っ掛かっていた疑問を口にした。
「リュウは、おれの配役が黎明翠だと思ってるみたいだけど……おれ、街では【剣武】って呼ばれてるんだ。きっと別の誰かなんじゃ――」
「【剣武】は、【黎明翠】の幼い頃の芸名だ。間違いなく、翠雨は……」
カーテンの隙間から覗く夜の窓ガラスが、翠雨の顔をぼんやりと反射している。その姿は、どこか浮世離れした女形役者のように見えた。
永伝寺で見た、黎明翠の石像が脳裏をよぎる。それとは正反対の鋭い目つきをした龍王の顔が重なった。
「……リュウの弟を悪く言ってごめん。こんな世界に放り込まれたら、みんな自分が誰か分からなくなるよな。龍厳……あいつは、どうやってここへ来たんだろう。きっと、怖かったよな」
リュウは光を遮るように、カーテンを隙間なく閉め切った。
「龍厳は今年の春休み初日、京都の『天睛舞台』を観に行ったきり行方不明になった……この世界へ引きずり込まれたきっかけは、俺たちと同じく、溶怪会だろう」
「……なんで、溶怪会がそこで登場するんだよ」
寿命が近い天井のライトが、チカチカと点滅を繰り返している。その周りを力なく舞う一匹の蛾を見上げ、リュウは独り言のように続けた。
「その天睛舞台を修復したスポンサーが、『溶怪会』なんだ。だから俺は、奴らと黎明翠の謎を暴くために左遷ヶ島へ向かった。弟を救うヒントがあると思って」
「そっか! 溶怪会の本部は左遷ヶ島にあって、天睛芸能を創り上げた黎明翠も島流しされているから……」
「ああ。滞在中は、永伝寺に通い詰めて、黎明翠の石像を調べたり、あの『ハゲ龍』の彫刻に愚痴をこぼしたりして過ごしたよ。溶怪会の本部には近付けなかった……関係者たちに怪しまれて拘束されたら身動きが取れなくなるからな」
翠雨は身を乗り出した。
「……何か、謎を解くヒントは見つかったのか?」
リュウの瞳に強い光が宿る。
「永伝寺の広場には、鵺の小さな石像も設置されていた。黎明翠の作品によく出てくる妖怪として飾られているらしいが、その石像の眼球部分にだけ特殊なライトが仕込まれていた。雲に龍のレーザーを投影し、本物のように見せる仕掛けが組み込まれていたんだ」
「おっ、おれ……リュウと初めて会った日、金の龍が雲をかきわけて進むのを見たんだよ、まさか」
「まさに……その鵺の石像を調べているうちに、俺は地下帝国へ繋がる封印を解いてしまったらしい。驚くのはその石像の贈り主だ。名前は『生寺 正尚』……転生寺リンネの本名だった」
「は、はぁ……!? 転生寺って、おれらを潜水艇に乗せた、」
翠雨は独り言のように呟く。
「リュウが永伝寺の広場に隠されていた穴に落ちて地下帝国にたどり着いたっていうのも……あいつが関わってるってことか」
リュウは窓を数センチだけ開けると、指先に灯した魔法の光で、部屋を飛んでいた蛾を外へと導いた。彼から放たれた光の粒が夜の闇へと消えていく。
「……高貴な家に生まれた長男だけが、魔術を使えるんだよな」
翠雨の言葉を聞いたリュウは、神仏の彫刻のような横顔で夜の闇を見つめた。俯きがちに大人びた声で呟く。
「俺がこの世界で担っている役割は、一体なんだ……俺は、誰なんだろうな」




