第86話:比布への招待状
羽幌での海水浴がバレ、絶体絶命のピンチに陥った楓。
ハルちゃんとさっちゃんによる「音楽室の尋問」の最中、
救いの手を差し伸べたのは、意外にも顧問の彦根先生でした。
語られるのは、先生がかつて名寄で築いた熱い絆。
そして、比布町で待つプロ奏者との出会い。
気まずい空気を一変させる「比布への招待状」を手に、
不器用な三人の新しい夏が動き出します。
「比布町……?」
思わず聞き返すと、
彦根先生は満足げに頷いた。
「明日、比布の夏まつりがあるんだが、
そのステージに特別ゲストが来る。
東京都交響楽団のホルン奏者の南條さんだ」
「えっ、南條さんって……あの、日本最高峰のプロオケで吹いてる、あの都響の南條さんですか!?」
ハルちゃんが真っ先に食いついた。
どうやら、音楽を志す者の間では知らない人がいないほどの有名人らしい。
「ウチだって知ってるよ! テレビで聴く、本物のプロじゃん!」
さっちゃんも目を輝かせている。
「そのお兄さんの雅人さんは高校の教師で
吹奏楽部の顧問をされていてな。
昔、名寄の吹奏楽団で一緒に演奏した仲なんだ」
先生は少しだけ誇らしげに、
眼鏡のブリッジを押し上げた。
「雅人さんが顧問をしていた学校へ、
俺もよく生徒を教えに行ったりしたもんだよ。
実は、雅人さんの結婚式にも招待されたくらいの間柄でね。
その繋がりで、特別に練習を見学させてもらえることになった」
名寄での濃い絆、
そして結婚式にまで呼ばれる信頼関係。
先生の口から語られる「大人の縁」の深さに、
俺たちはただ圧倒される。
「せっかくの機会だ。勉強しに行ってこないか?
……俺は明日、家族サービスをしなきゃならんから行けないんだが」
そう言って、先生は俺にだけ聞こえるような小声で付け加えた。
(ほら竜胆。お前、二人と揉めてるんだろ?
ちょうどいい口実だぞ)
先生……! 救世主に見える。
「プロの指導を間近で聴けるなんて、滅多にないよ。
……ハルちゃん、さっちゃん、どうかな?」
俺が伺いを立てると、
ハルちゃんは一瞬で「副部長モード」に切り替わった。
「行くに決まってるでしょ!
都響のプロの音なんて、逃したら一生の不覚だよ」
「りん、連れてってくれるよね?」
ハルちゃんが、逃がさないよと言わんばかりに
俺の袖を引く。
「……助かった」
俺は心の中で、彦根先生と名寄の絆に深く感謝した。
これで最悪の空気は免れそうだ。
「よし、決まりだな。明日の午前、比布駅で待ち合わせだ。
向こうでは雅人さんが案内してくれるそうだから、
失礼のないようにな」
先生は去り際、思い出したように足を止めた。
「あ、そうだ。雅人さん、竜胆に興味津々だったぞ」
「へっ? 俺にですか?」
「去年のコンクールで、
自前のマイスネアを持って歩く変人がいたって
有名だったらしいからな」
……あー、そりゃいないだろうな。
高校生の分際で、ワンピースメイプルに
ブラスフープをつけて牛革を張った太鼓を抱えて歩く奴なんて。
翌朝。
俺たちは朝一番の列車に揺られていた。
本当は、自慢の太鼓を担いでいきたかった。
けれど、スネア本体に加えて重量級のスタンドまで電車で運ぶのは、
さすがに俺の体力が持たない。
それに、案内してくれる先生の車に積み込むのも、あまりに気が引ける。
俺は断腸の思いで、愛機の持参を諦めた。
せめてもの抵抗として、リュックには使い慣れたスティックケースだけを忍ばせている。
ガタゴトと響く列車の音。
ハルちゃんとさっちゃんは、どこか遠足前の小学生のように
ソワソワと窓の外を眺めていた。
やがて列車が速度を落とし、比布駅のホームに滑り込んだ。
「着いたぁ! ぴっぷ、ピップー!」
ホームに降り立つなり、さっちゃんが大きく背伸びをした。
駅舎は新しく、木の温もりが感じられるけれど、
流れる空気はどこか懐かしくて、温かい。
「あ、りん! 見て、あれ!」
ハルちゃんが指差したのは、足元のマンホール。
そこにはアローラロコンが描かれた『ポケふた』があった。
ハルちゃんとさっちゃんは、楽しそうにスマホで撮影会を始めた。
「ねえ、葵、見て! ここ、あの鉄道ゲームの『カード駅』にもなってるんだって! 本当にカードもらえるのかな?」
さっちゃんが駅舎の掲示を見つけてはしゃぐと、
ハルちゃんも興味津々で覗き込んだ。
「本当だ。ゲームの中だけじゃなくて、リアルの駅でもイベントをやってるなんて。なんだか町全体に歓迎されてるみたいで嬉しいね」
そんな二人の姿を微笑ましく眺めていると、
駅舎のほうから一人の男性が歩いてきた。
「おーい、君たちが彦根の教え子かな?」
穏やかな笑顔を浮かべたその人は、俺の前で足を止めた。
「……あれ、今日はあのスネアは無しかな?」
南條雅人先生。
俺を「マイスネアの変人」として覚えていた先生との出会いに、
日焼けの痛みも忘れて、少しだけ背筋が伸びる思いがした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
さて、今章より物語の舞台は比布町へと移ります。
本章は比布町長とのコラボ企画として、町長様とのやり取りや現地への取材を通じて、町の温かい空気感を大切に描写しています。
実在する場所や地域の魅力を織り交ぜながら、楓たちがどのような経験を重ねていくのか。
一歩ずつ歩みを進める彼らを、どうぞ見守ってください。
【町長との出会い】
実はこのコラボ、きっかけはX(旧Twitter)でした。
「随分派手で面白いポストをする町長さんがいるなぁ」と、思わず声をかけてしまったのがすべての始まりです(笑)。
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