ナッツクラッカー
「王子殿下。それは根拠のない憶測です。私がそのような謀略に加担したという証拠がありますか?」
「な、何だと!?」
彼は冷ややかにそう言い放つ。
ラウルは確かにレイジー・フロム侯爵令嬢に密かな恋情を抱いていた。
シャルルがルルー嬢に夢中になり、レイジーを貶めようとしているという情報を得ると、『これはチャンスだ』と考えた。
故に、父に告げた。
そして、父も王位継承者の序列を引き上げる妙案を計画した。
兄の婚約者候補だったにもかかわらず、足蹴にしたエルル王女を蹴落とすことが出来る。
あの小娘が兄との縁談を破棄した以降、我が公爵家は落ち目となった。
第二王子の序列は低いが、降嫁したしたにもかかわらず第三位の継承権を持つ17歳の王女風情、どうとでもなる。
王子に断罪され、娼館送りになったレイジーを優しく迎え入れ妻にし、フロム侯爵家を乗っ取る算段なのだ。
自分はエリオットが暴力を振るわれる様を見て何も言えなかった被害者だ。
もしバレても、自分はシャルル王子が王太子の地位に固執することに気づかなかった。
彼に嵌められた哀れな被害者を演じれば良い。そうすれば罪には問われないはずだ。
フロム侯爵令嬢が社交界で持て囃される美貌を持って生まれたのが悪いのだ。
エリオットを庇う騎士団長の姿が目に入る。
あの男は己の盾になるのが当然なのだ。我が公爵家だって国王陛下の信任厚く、王家に尽くしてきた。
――それに自分は、あの美しい女性を手に入れるために多少のリスクは厭わなかった。
自分が愛し、欲しいと思った女性が汚れても構わない。
自分には他に縁談もある、汚れた女性をもらってあげるのだから感謝されるはずだ。
そんな浅ましい考えが、ラウルの心を支配していた。
「お前たちのその汚らしい腹芸はもう飽き飽きだ!」
ラウルは高らかに宣言する。
「父上!この者たちは国を揺るがす大罪人にございます!速やかに裁きを!」
だが――
「待ちなさい」
凛とした女性の声が響いた。
振り向くとそこにはエルル殿下が立っていた。
彼女は夫でありバーンベルク当主の弟ヒルベルテの腕にしっかりと捕まりながら、鋭い眼光をラウルに向けていた。
「聖女デイジー様」
エルル王女の声が静かに響いた。
「貴女のお力添えがあれば、わたくしの『心眼』を通して、この者の内面にあるものを暴くことができましょう」
「分かりました」
クルミの殻を割って実を堪能していましたが、当然応じます。
本当なら私の加護だけでも十分証明は可能ですけれど。
――エルル王女殿下、とても怒っています。
エルル王女殿下の『心眼』は人の心の奥深くに潜む本音を読み取ります。
その情報をそのまま伝える手段がないため、これまで多くの人が彼女の能力を侮ってきました。しかし今は違う。
――鏡の聖女デイジーがいますので。
エルル王女は静かに私を見据えます。
エルル殿下はゆっくりと息を吸い込むと、夫の腕をしっかり掴む。彼女のオリーブグリーンの瞳が金色に輝き始めます。
…これは、余程の精神が強靭で肝が太くないと、見るにはキツイ情報ですね。
前任者から引き継いで間もない宰相は知らなかった。
人の心を読む苦痛故、エルル王女がごく少数にしか『心眼』を伝えていないことを。
婚約者であったヒルベルテも彼女の能力を隠し、陰で支えていたことを。
何故公爵家の長男との婚約者候補から除外され、侯爵令息が婚約者となったか。
――『心眼』を持つ幼いエルルによって、後ろ暗い生業を看破されただけだ。
彼女の右手はヒルベルテの左手と固く結ばれている。夫婦の強い絆がエルルの特殊能力『心眼』を支えているのだ。
すると――
『……フロム侯爵家は莫大な資産を持つ。レイジーが失墜すれば侯爵家は混乱する。そこに僕が入り込む……』
『レイジーは美しいが高慢だ。俺が助ければきっと心を開くだろう』
『王子の無能さを利用する。上手くいけば全てが手中に……』
『聖女デイジーとやらも厄介だ。彼女さえ排除すれば……いや、むしろ利用する手もある。レイジーと入れ替わらせれば?彼女の美貌はレイジーとそっくりではないか。胸は物足りないが』
その瞬間、映像は急に変わりラウルの周囲にいくつもの小さな画面が現れる。そこには彼の暗躍の数々が記録されていた。
胸を揶揄されたデイジーの追加情報もあるが。
・シャルル王子に偽レイジー(私)の情報を提供している様子
・エリオットに対して何も言わないよう脅していた証拠
・他の生徒たちへの買収工作と脅迫
等々
『フロム侯爵家の資産を管理すれば、我が宰相家も安泰だ』
ラウルの声が響く。
『すべては計画通り。レイジーが失墜すれば……ふっふっ……』
『娼館で汚れた女を妻に貰ってやるのだ。フロム侯爵は私の靴を舐めて喜ぶだろう』
ラウルの頭の中で蠢いていた醜い欲望の数々が、エルルの『心眼』とデイジーの鏡の加護で映像化して、次々と紡がれ始めた。
彼の顔色が見る間に変わる。脂汗が噴き出し、唇をわなわなと震わせた。
「な……何を……貴様!一体何をしている!!」
エルル王女は涼しい顔で続ける。
「わたくしの『心眼』は人の心の奥底を見透かす力ですわ。今、この場にいる全員が聞いているでしょう?あなた方の本当の思惑を」
「偽りを映して楽しいか!?侯爵風情に降嫁した王女崩れが!!」
「…今でこそ、聖女デイジーを筆頭に多くの聖女が我が国を、世界を豊かにしております。ですが。
わたくしは『心眼』を一時喪失する前は、民や王族貴族から癒しと浄化の『聖女』と呼ばれておりました。
――ほんの1年と少し前の事すらお忘れかしら?」
エルルが蔑みの視線を送った。
「侯爵崩れ?ふざけるのも大概になさいな。
先の大戦で後方部隊でさえ弩級の魔力と魔障を受けて死の危機にありました。
――バーンベルク侯爵らがその瘴気を引き受けていなければ、叔父上や兄は死んでいました。
そして、エルル王女殿下には返しきれない御恩がありましてよ。
――我が公爵家の大恩人への暴言、強く抗議いたします」
「同じく」「わたくしもです」「俺たちも!!」
ジュリアナ公爵令嬢の言葉を皮切りに、貴族平民関係なく、先の英雄への侮辱に猛抗議し始めました。
ラウルの頬が羞恥で紅潮する。
「これ以上の言い逃れはできませんね」
エルルは静かに言った。
ラウルは膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
「何故だ……なぜ……」
宰相は動揺していた。あんな能力、絵空事だと思っていた。
しかし。
エルルの指が宙を撫でる。クルミを割って食べながら補助するデイジー。
すると窓という窓に映像が浮かび上がる。それは宰相が自宅の書斎で酒を呷りながら叫ぶ姿だった。
豪奢な書斎の机には、宰相が羊皮紙に向かい作成していたと思しきもの。王位継承者の序列を書き換えたそれには王太子とエルル、第二王子の名が消され、自らの息子たちの名が書き込まれていた。
「ヒルベルテめ!出来損ないの王女と結婚しただけの卑しい男が!いつかあの座を奪ってやる!」
「黙れ!」宰相が映像を遮るように叫ぶ。
「あれは幻覚だ!聖女が見せる偽りの映像だ!!」
「では、あれは?」
赤い三日月の夜、75年に一度見られるティーリエ流星群が宰相の書斎を窓に照らされる。
王都はお祭り騒ぎで、花火が上がる。
ラウルが宰相に報告する。
「ルルー嬢は順調です。王子は完全に盲信しています」
「よろしい」宰相が金貨袋を投げる。
「これをあの娘に渡せ。侯爵令嬢を娼館送りにすればフロム家の財産も手に入る」
「父上……」ラウルが躊躇う。
「本当に成功するのでしょうか?聖女が介入したら……」
「聖女など何だ?」
宰相が机を叩く。
「鏡の聖女を英雄視するが、所詮遠くを見るだけの凡人。エルル王女の『心眼』?消失した力など恐れるに足らん。
まあ、見目は良いからあの王女も娼館送りにして楽しむのも一興か」
――映像が終わる瞬間、フロム侯爵と小侯爵エイデン、バーンベルク侯爵とエルルの夫ヒルベルテが宰相らに歩み寄る。
その顔は憤怒の形相だった。
エルル王女が『心眼』で映像化した悪行に対し、最初に沸騰したのはフロム侯爵だ。
「……貴様ら」
低く唸る声が会場に響く。血走った目が宰相を捉える。
「娘を道具と呼ぶとはな!」
バーンベルク侯爵も同調し「義妹を娼館に送るだと‥‥‥?」と殺意を隠さない。
ヒルベルテも妻への侮辱に兄を制止する気は無い。
大切な娘を、妹を。道具のように扱い穢そうとしたのだ。
本来エヴァンス・バーンベルク侯爵のブレーキ役のヒルベルテも、妻エルルへの侮辱に怒りを隠していない。
あの兄弟が暴れたら、ゼフェス教会の本部のようにあの宰相親子は塵も同然になるだろう。
それはいけない。
――我が愛娘を侮辱した罪、キッチリ償わせなければ。
一瞬の死など、生温い。
まさに4人の武闘派が飛びかかろうとしたその刹那。
「なりません」
凛とした声が響く。振り返ると王妃が悠然と歩み出ていた。オリーブグリーンの瞳が冷たい光を放つ。
突然の制止に戸惑う侯爵たち。しかし王妃は無言で宰相に歩み寄ると、その華奢な体からは想像もつかぬ速度で足を上げた。
「我が国の娘たちを愚弄する粗末なものは要らぬ」
「ぐああああっ!!」
王妃の膝越しに玉が潰れる鈍い音と共に、宰相が床に沈んだ。
股間を押さえ白目を剥く姿はあまりにも無様だ。
それでも王妃の怒りは収まらない。倒れた宰相の上に乗りかかり、踏みつけながら告げる。
「王妃として命じる。王家の血脈を汚す者は永遠に去勢されるがいい」
王妃のヒールが何度も男の弱点を抉るたびに絶叫が響く。
バーンベルク侯爵らも思わず顔を歪めた。これほどの制裁は見たことがない。
「貴方もです」
血まみれのヒールで身をひるがえし、ラウルに向き直った王妃は冷酷だった。ラウルが何か喚こうとするより早く細い指が伸びる。
「がっ‥‥‥!」
睾丸をガッツリ掴まれたラウルの股間から悲痛な破裂音が響いた。
若い公爵令息は泡を吹いて崩れ落ちる。王妃は立ち上がり淡々と宣言した。
「王国の秩序を乱した罪は重い」
侍女が王妃の手に付着した赤と黄の液体を手早く清める。
侯爵たちは王妃の非情な裁きに言葉を失った。だが同時に確信する。
王家は本気でこの腐敗を断ち切るつもりだ。フロム侯爵が深く頭を垂れた。
「王妃陛下のご裁可、畏まりました」
男子生徒たちの殆どは、自身の愚息を両手でガードしていた。
デイジーが何を食べるか最後まで悩みました。




