7 公爵夫人
私って馬鹿だ。
着替えを手伝うのが従者なのに、王子を残して逃げ出してしまった。
「だって突然……綺麗な腹筋を見せられてドキドキしてしまったんだもの」
王子の部屋から飛び出して、気付けば、領主館の奥まった場所にある音楽室の前に立っていた。
いつも肩に止まっているジイがいない。どこ行ったんだろう。
たまにどこかへいなくなるジイだ。その内帰って来るだろうけど。
「でも、王子様も加護持ちだった。打ち明けようとしてくれていたんだった」
私も正直に話した方がフェアでは無いだろうか。私の加護は、少しひねくれた加護だ。
きっと笑ってくれるはず。思っていたのと違って王子はおっとりとした、優しそうな人だもの、きっと理解してくれる。
「王子様の元へ戻らなくっちゃ」
来た道を戻りかけたとき、音楽室からチェンバロの音色がかすかに響いてきた。
そっと少しだけ扉を開けてみると、扉の内側に控えていた家政婦にぎろりと睨まれた。
「なにをしているの。小間使いの入るところではありませんよ。それとも大奥様に用事?」
「済みません、チェンバロの音が聞こえたものでつい、誰が弾いているのかと……」
「あなた、仕事にもど――」
「マーサ、いいのよ。入れて上げなさい」
「大奥様……。さあ、入っていいそうよ。静かにしているのですよ」
「はい」
上品なおばあさんが、チェンバロの前に座ってこちらを見ていた。
「誰かの従者……かしら」
「はい、ヘンリー王子様の従者を仰せつかった、ロット・レイクシャーです」
「レイクシャー……あなた王都の貴族出身ね」
「いえ、王都の隣のレイクシャー男爵領から来ました」
大奥様は、少し目を伏せて、寂しそうなお顔をしている。
「そう、男爵領から……昔の友達がお世話になっていた場所がそこだったの。今朝、そのお友達が、一年前に亡くなっていたという知らせを受けたばかりで……何かの縁、かしらね」
そう言って、またチェンバロを弾き始めた。
私はハッとした。
この方がエリー先生のお友達。元公爵夫人だ!
エリー先生からの手紙を渡すためにこの公爵領に来たはずが、そのまま十ヶ月近くにもなる。
手紙を渡す機会がやっと訪れた――でも……
今更、名乗り出て何になる?
領地も爵位もすでに叔父のものになり、家から逃げ出した男爵令嬢など、扱いに困ることだろう。
しかも私はこんな見た目で、男装までして潜り込んだ。
今更名乗り出ても、元公爵夫人に余計な迷惑をかけることになる。
――男となって従者として生きていくことに決めたんだから。もう人を頼るのは辞めよう。
だから私は、静かに音楽室を後にした。
王子の部屋に戻ると、王子は自分で着替えを済ませていた。
「申し訳ありませんでしたぁ!」
ぺこりとお辞儀して謝ると、王子はほっとしたようにへにょリと微笑んだ。
「いや、気にせずともよい。それより、私の方こそ謝らねばならない。其方の九官鳥が……」
見ると籠に寝かされたジイがこっちをチラリと見て、あわてて目をつぶった。
どうしたんだろう?
「あの……」
「いや、私の魔法が勝手に発動してしまったようでね、殺してしまうところだった。申し訳ない」
「あの……ヘンリー王子。私の加護は実は二つあるんです」
そう言って自分の鼻いぼとジイを指さした。
王子はきょとんとして、「鼻……が?」と、怪訝そうにして見た。
「いえ、この鼻いぼ、実はいぼではなくって、加護なんです!」
王子は可哀想な子を見る目で私を見て、そうか、といって取り合ってくれない。
「ねえ、モンモ。今だけでいいからちょっとだけ離れられない?」
《……む、むりィーッ》
そう言いながらモンモはふるふると震えている。
王子はモンモの声を聞き、震えるいぼを見て、ギョッとして目を剥いた。
「そ、其方のそれは、一体何なのだ!」
「これは、恥ずかしがり屋のモモンガの妖精で、そっちはちょっと口が悪い九官鳥の妖精です」
「加護が……誠に二つもあると申すのか」
私は身分と性別は隠して、これまでの加護を受けた経緯だけを王子に正直に話した。
「そうか、其方のイボは精霊から渡されたのか」
「はい」
「だが、我が母の国、北の部族では加護とは言わぬ。このようなものは呪いだ。それを其方は大事にしている。そういうことか」
「私にとっては呪いなんかではありません。大切な家族です」
いぼを優しく撫でながら、私は王子に答えていた。




