第71話 最重要資産、あるいは初恋銘柄
夜。
株式会社炎の勇者パートナーズの近くに借りた部屋で、真利は一人、机の前に座っていた。
高級とは言えない。
けれど、必要な家具は揃っている。
机。
椅子。
ベッド。
小さな冷蔵庫。
そして机の上には、今日の撮影で使用した資料と、撮影中に記録した数字が並んでいた。
真利はその一枚を手に取り、静かに息を吐く。
「……さて」
今日の撮影について、もう一度考えてみましょう。
それが、今夜の彼女の目的だった。
昼間。
真利は初めて、炎の勇者チャンネルの正式なメンバーとして、ハルトと同じ画面の中に立った。
これまでもハルトを間近で見たことはある。
敵として。
投資対象として。
世界経済を動かす危険な存在として。
あるいは、自分の人生を賭ける価値がある存在として。
だが。
「……あれほど近くで、一日中観察したのは初めてでしたわね」
真利は椅子の背もたれに体を預ける。
今日の撮影を思い返す。
最初は、いつものハルトだった。
カメラが回った瞬間に楽しそうな顔をして、視聴者へ向かって笑いかける。
商品を紹介している最中も、値段や販売数などにはほとんど興味を示さない。
自分のグッズが完成したことを純粋に喜び。
剣を取り出せば、まるで子供のように目を輝かせる。
そして。
あの剣だ。
収納魔法から取り出された瞬間、部屋の空気そのものが変わった。
神聖な気配。
常識では説明できない力。
あれが本物の魔法なのだと、真利は改めて思い知らされた。
「……やはり、規格外ですわ」
真利は机の上に置かれたタブレットへ手を伸ばす。
画面を操作すると、そこにはハルトに関する大量の情報が表示された。
動画の再生数。
登録者数。
関連商品の予想売上。
過去の市場への影響。
ハルトの発言によって動いた企業。
そして、ハルト自身が持つ魔法という唯一無二の技術。
数字を一つずつ確認する。
それだけで、自然と商人としての思考へ戻っていく。
「まず、魔法」
これは評価するまでもない。
市場に存在しない技術。
既存技術では代替不可能。
しかも、本人はその価値を理解していない。
これだけでも、通常の企業価値とは比較できないほどの価値がある。
「次に知名度」
ここも異常だ。
炎の勇者チャンネルは、すでに世界規模の知名度を持っている。
ただの動画投稿者ではない。
ハルトが何かを発表するだけで、人々が動く。
企業が動く。
市場が動く。
場合によっては国家すら無視できない。
そして。
「将来価値……」
真利の目が細くなる。
ここが最も重要だった。
ハルトはまだ高校生。
つまり、今後何十年も活動できる。
しかも本人には、活動をやめる理由がない。
今日もそうだった。
グッズの売上でもなければ、会社の利益でもない。
ただ、
『これ、面白そうだな』
という理由だけで動いていた。
その結果として、世界が勝手に動く。
「……恐ろしいですわね」
思わず、真利は苦笑する。
普通ならば。
これほどの価値を持つ人間は、慎重に管理する。
契約で縛る。
行動を制限する。
損失が発生しないよう、周囲が徹底的に管理する。
けれど。
ハルトには、それが通用しない。
いや。
そもそも必要がないのかもしれない。
彼には、結衣や聖奈たちがいる。
そして今は、自分もその中へ加わった。
「……なるほど」
真利はそこで、ふと気付いた。
以前とは、考え方が変わっている。
以前の自分なら。
どうすればハルトを自分の側へ引き込めるか。
どうすれば自分の管理下に置けるか。
どうすれば、その価値を最大限に利用できるか。
そればかりを考えていた。
けれど、今は違う。
ハルトが自由に動く。
その結果として何かが起きる。
ならば。
自分がその余波を受け止めればいい。
ハルトが安心して自由に動ける環境を作り、その結果として発生する利益や損失を自分が整理する。
それなら、ハルトにとっても悪くない。
「……むしろ、その方が合理的ですわね」
真利は小さく頷いた。
ハルトを手に入れる必要はない。
ハルトの味方でいればいい。
その方が、はるかに大きな価値を生む。
そう考えたところで。
なぜか。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「……?」
真利は自分の胸元へ手を当てる。
理由が分からない。
ただ。
昼間のハルトの笑顔が、ふと脳裏へ浮かんだ。
『真利、次の撮影も一緒にやろうぜ!』
あの言葉。
何の疑いもなく。
何の打算もなく。
ただ仲間として、自分を受け入れた笑顔。
「…………」
真利はしばらく黙っていた。
そして。
机の上に並んだ数字を見つめながら、ほんの少しだけ口元を緩める。
「……これも、評価対象に含めるべきでしょうか」
合理主義者として。
世界中の価値を数字へ置き換えてきた彼女でさえ。
まだ、この感情だけは数字にできなかった。
真利は、机の上のタブレットを一度閉じた。
ハルト本人の評価。
それは、ある程度まで終わった。
魔法。
知名度。
将来性。
どれを取っても異常な価値を持っている。
けれど。
「……本人だけを評価しても、不十分ですわね」
真利は再びタブレットを開いた。
そこへ表示されるのは、ハルト本人の情報ではない。
炎の勇者チャンネルのメンバー一覧。
その中でも、ハルトの周囲にいる五人。
如月結衣。
西園寺聖奈。
剣崎凛。
黒沼摩夜。
猫宮陽葵。
「せっかくですもの」
真利は椅子へ深く腰掛ける。
「この機会に、皆さんの価値も考えてみましょう」
今までなら。
彼女たちは、ハルトを手に入れるための障害として見ていた。
あるいは競争相手。
自分の計画を邪魔する存在。
それが今では、同じチームの仲間だ。
ならば。
商人として、一度くらい冷静に評価しておいても損はない。
「まずは……」
画面へ名前が表示される。
如月結衣。
「彼女からですわね」
真利は少しだけ考える。
今日の撮影でも、結衣は目立っていた。
ハルトが好き勝手に動く。
その横で、自然に撮影を進める。
必要な時には声をかける。
ハルトが話し過ぎればまとめる。
話題がずれれば戻す。
そして。
ハルトが魔法を使おうとすれば。
「ハルト、それ普通じゃないからね?」
と、ためらいなく突っ込む。
真利は思わず笑った。
「……あれは確かに重要ですわ」
ハルトの価値を知れば知るほど。
その隣にいる人間の重要性も見えてくる。
ハルト自身は、自分が何をしているのか深く考えない。
魔法を使う。
面白そうなことをする。
動画を撮る。
バズる。
ただ、それだけ。
けれど。
その隣で結衣は、現代社会の常識へ引き戻している。
撮影の段取り。
編集。
予定。
学校生活。
日常の細かな管理。
そして何より。
ハルトが「ハルト」でいられる環境を作っている。
「なるほど……」
真利は数字を入力する手を止めた。
これは単純な秘書ではない。
秘書なら代わりがいる。
有能な人材を雇えばいい。
編集者も同じ。
プロを集めれば、技術だけならもっと高い人間を用意できる。
だが。
「彼女は、ハルトのことを理解している」
そこが違う。
ハルトが何を考えているのか。
何を面白いと思うのか。
どこまでなら暴走しても大丈夫なのか。
そして。
どこから先は止めなければならないのか。
それを理屈ではなく、長い付き合いの中で理解している。
幼馴染。
その肩書きは、経営上の数字にはできない。
けれど。
数字にできないからといって、価値がないわけではない。
「むしろ……代替が難しい」
真利は小さく呟いた。
ハルトほど規格外の人間を扱うなら。
本人の性格を知っている人間は、それだけで希少資産になる。
しかも結衣は、ハルトからの信頼が非常に厚い。
今日もそうだった。
ハルトは結衣へ、いちいち確認を取らない。
何かを任せる。
そして疑わない。
あれほどの力を持つ人間が。
一人の少女へ、ほとんど無条件で仕事を預けている。
「……信頼そのものが資産、ですか」
真利は画面へ一つの評価を入力した。
**代替困難。**
そして、その横へ。
**ハルトとの関係性――極めて高い。**
と記録する。
「金銭では買えませんわね」
そこまで考えて。
真利は少しだけ眉を上げた。
「……なるほど」
自分が以前、何をしようとしていたのか。
今になって少し分かった気がする。
ハルトを自分の陣営へ取り込む。
それはつまり。
ハルトだけではなく。
ハルトを支える人間関係まで、丸ごと動かそうとしていたということだ。
今考えれば。
ずいぶん無茶な話だった。
「……まあ、今となってはどうでもいいことですけれど」
真利は次の名前へ視線を移す。
西園寺聖奈。
画面に、その名前が表示された瞬間。
真利の表情が少しだけ変わった。
「この方は……」
思わず、口元が引き締まる。
西園寺グループ。
日本有数の巨大財閥。
資金。
人脈。
企業。
法務。
税務。
広報。
社会的信用。
ハルトの活動を支えるために、それらを惜しみなく投入している。
「私とは、かなり近い種類の人間ですわね」
もちろん。
同じではない。
聖奈は巨大な財閥を背負う令嬢。
真利は何もないところから資産を築き上げた経営者。
強みは違う。
だが。
少なくとも。
ハルトの価値を「経済」という視点から理解できる人間であることは間違いない。
真利は今日の撮影を思い返す。
聖奈は、ハルトが何をしても驚かない。
むしろ。
「勇者様がお望みでしたら」
と、当然のように受け入れる。
その姿勢は、ただのファンとは違う。
ハルトの行動を支えるためなら、必要な金も人も用意する。
しかも。
その判断が早い。
「……厄介ですわね」
真利は苦笑した。
もし敵として戦うなら。
これほど面倒な相手はいない。
資金力だけではない。
西園寺グループという巨大な組織そのものを動かせる。
ハルトを支えるために、必要なものを先回りして用意できる。
「資本と組織力……」
真利は画面へ入力する。
**資金力――極めて高い。**
**組織力――極めて高い。**
**社会的信用――極めて高い。**
そして最後に。
少しだけ迷ってから。
**ハルトへの忠誠――測定不能。**
と入力した。
「……ここは数字にできませんわね」
真利は小さく笑った。
それは自分にも言えることだった。
以前なら。
聖奈を見れば、競争相手として評価していただろう。
自分がハルトを手に入れるために。
彼女より優れた条件を提示できるか。
彼女より大きな利益を与えられるか。
そんなことばかりを考えていた。
だが。
今は違う。
聖奈がハルトを支える。
それによってハルトが自由に動ける。
その結果として、世界経済がまた動く。
ならば。
自分もその隣で、別の形で支えればいい。
「……そう考えると」
真利はふと笑った。
「敵ではなく、競争相手でもなく」
画面に並ぶ二つの名前を見る。
如月結衣。
西園寺聖奈。
そして、その先にはまだ三人いる。
剣崎凛。
黒沼摩夜。
猫宮陽葵。
「皆さん、それぞれに役割がある」
ハルト一人では、ここまで大きくならなかった。
ハルトが自由に動けるのは。
その自由を支える人間がいるからだ。
「……これは、思った以上に面白いですわね」
真利は椅子へ座り直す。
商人として。
経営者として。
そして。
新しく仲間になった一人として。
残り三人の評価へ目を向けた。
真利は、次の名前へ指を滑らせた。
剣崎凛。
「この方は……分かりやすいですわね」
凛について考える時。
最初に浮かぶのは、やはり戦闘能力だった。
元騎士団長。
異世界で培った剣技。
身体能力。
危機察知能力。
そして、何よりハルトへの忠誠心。
真利は少し考えてから、評価欄へ入力する。
**戦闘能力――極めて高い。**
**護衛能力――極めて高い。**
そこまでは簡単だった。
だが。
「……それだけではありませんわね」
今日の撮影を思い返す。
凛は、撮影中こそ目立った発言をすることは少なかった。
けれど。
常に周囲を見ていた。
カメラ。
スタッフ。
ハルト。
そして、何か異常が起きた時にすぐ動ける位置。
本人にとっては当たり前なのだろう。
だが、真利から見れば非常に価値が高い。
ハルトの周囲には。
普通の人間なら理解できない危険が存在する。
魔法。
異世界由来の存在。
そして、ハルト自身が引き起こす予測不能な現象。
そんな環境で。
常にハルトの安全を守れる人間。
「……護衛というより、最後の安全装置ですわね」
ハルトが何かをやらかした時。
結衣が常識面から止める。
聖奈が組織や資金面から支える。
そして凛は。
物理的な問題を引き受ける。
役割が違う。
だからこそ、代替しにくい。
「しかも……」
真利は凛の表情を思い出す。
ハルトを見る時の目。
あれは仕事ではない。
忠誠。
尊敬。
そして、おそらくそれだけでもない。
真利はそこまで考えてから、あえて評価を止めた。
「まあ……そのあたりは、私が判断することではありませんわね」
入力欄へ戻る。
**忠誠心――極めて高い。**
そして最後に。
**ハルトの危険行動に対する耐性――異常。**
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
確かに。
ハルトの行動へ毎回驚いていたら、到底やっていけない。
その意味では。
凛もまた、ハルトのそばにいるための適性が非常に高い人間だった。
真利は次の名前へ移る。
黒沼摩夜。
「……この方は、少し評価が難しいですわね」
真利は腕を組んだ。
摩夜。
オカルトブロガー。
そして。
ハッカー。
さらに。
ハルトの周囲で起きている異常事態に対して、誰よりも早く対応できる人間の一人。
以前の真利なら。
この人物を見ただけで警戒しただろう。
実際。
敵に回した時の恐ろしさは、身をもって知っている。
オムニスフィア・ネットワークスへの攻撃。
企業資産への干渉。
情報網への侵入。
あの時の摩夜は。
「……私の会社を、ほとんど一人で壊しかけましたものね」
真利は遠い目をした。
思い返せば。
ぞっとする。
だが。
今は、その能力がハルトの味方として使われている。
「情報戦……」
真利は画面へ入力する。
**情報収集能力――極めて高い。**
**サイバー戦能力――測定不能。**
**異常事態への対応力――極めて高い。**
そして。
「……この方は、何より」
真利は少し考えた。
摩夜は。
ハルトの異常さを異常として受け入れている。
普通の人間なら。
魔法を見れば驚く。
異世界の話を聞けば疑う。
聖剣を見れば、常識そのものを疑う。
けれど摩夜は違う。
「むしろ、面白がって調べますものね」
真利は苦笑する。
それはハルトにとって、とても重要な性質だ。
自分の存在を否定されない。
異常だからと距離を置かれない。
むしろ。
もっと知りたいと近づいてくる。
ハルトが自由に動ける理由の一つは。
彼の周囲に「普通ではないものを受け入れられる人間」がいるからなのかもしれない。
「……なるほど」
真利は新しい項目を追加する。
**ハルトの異常性への適応力――極めて高い。**
その文字を眺める。
そして。
「これも、かなり重要な資産ですわね」
情報。
技術。
対応力。
どれも高い。
だが、それ以上に。
摩夜がハルトのそばにいることで。
未知のものが未知のまま放置されない。
それは、ハルトにとって大きな意味を持つ。
「さて……最後は」
真利は最後の名前へ視線を移した。
猫宮陽葵。
「この方は……」
真利は一瞬、言葉に詰まった。
五人の中でも。
最も評価が難しい。
なぜなら。
数字だけを見れば、それほど複雑ではないからだ。
配信。
ASMR。
動画。
ファンとの交流。
そして、何より。
ハルトを応援する熱量。
「……ですが」
真利は今日の撮影を思い出す。
陽葵は、そこにいるだけで場の空気を明るくする。
ハルトが何かをすれば喜ぶ。
面白ければ笑う。
視聴者が盛り上がれば、自分も盛り上がる。
そして。
ハルトが楽しそうなら、それだけで嬉しそうにする。
「……単純ですわね」
真利はそう呟いて。
すぐに首を横へ振った。
「いえ」
単純なのではない。
純粋なのだ。
ハルトに対して。
何かを得ようとするわけでもない。
利益を計算するわけでもない。
ただ。
好きだから応援する。
楽しいから一緒にいる。
ハルトが喜ぶから、自分も嬉しい。
それだけ。
「……これは、強いですわ」
真利は少し驚いた。
経済の世界では。
利益を求めない人間は、扱いにくい。
何を基準に動くのか分からないからだ。
けれど。
ハルトにとっては違う。
自分を無条件に肯定してくれる人間。
自分の存在そのものを喜んでくれる人間。
それは。
どれだけ金を積んでも買えない。
「人気者であり続けるための、最も強力な燃料……」
真利はそう評価した。
そして。
陽葵には、もう一つ大きな価値がある。
視聴者との距離だ。
ハルト自身では届かない場所へ。
陽葵なら届く。
ハルトの魅力を別の角度から伝えられる。
ハルトを知らない人間へ。
ハルトを知っているけれど距離を感じている人間へ。
そして。
ただ応援したい人間へ。
その橋渡しができる。
「なるほど……」
真利は入力する。
**ファンとの親和性――極めて高い。**
**拡散力――高い。**
**精神的支援――極めて高い。**
最後に。
少しだけ考えて。
こう書き加えた。
**ハルトの承認欲求を満たす能力――極めて高い。**
「……ふふっ」
真利は笑った。
それは。
本人が知ったら怒るかもしれない評価だった。
けれど。
真利には、それが非常に重要なことだと分かる。
ハルトは強い。
強すぎる。
金も。
権力も。
魔法も。
必要なら自分で手に入れてしまう。
だからこそ。
彼にとって本当に必要なのは。
自分を必要としてくれる人間なのかもしれない。
「結衣さんは、日常を支える」
「聖奈さんは、組織と資本を支える」
「凛さんは、命と安全を支える」
「摩夜さんは、情報と未知への対応を支える」
「陽葵さんは、心と人気を支える」
真利は五人の名前を並べた。
その中央には。
一ノ瀬晴人。
ハルト。
不思議だった。
本人は何も考えずに自由に動いているように見える。
けれど。
その周囲には。
それぞれ違う役割を持った人間が揃っている。
「……これなら」
真利は画面を見つめる。
「ハルトが自由に動いても、ある程度は受け止められますわね」
そして。
その言葉に、自分自身が含まれていることへ気付く。
以前なら。
自分もハルトを「手に入れる側」だった。
けれど今は。
彼女たちと同じ。
ハルトが自由に動くための環境を作る側だ。
「……ふふ」
真利は小さく笑った。
五人を評価したつもりだった。
なのに。
いつの間にか。
自分まで、その輪の中に入っていた。
五人の評価を終えた真利は、しばらく画面を眺めていた。
結衣。
聖奈。
凛。
摩夜。
陽葵。
それぞれが違う。
持っている能力も。
ハルトとの関係も。
果たしている役割も。
けれど。
五人に共通していることが一つある。
「ハルトさんを中心に、すべてが回っている……」
真利はそう呟いた。
ハルトが中心。
その周囲に五人がいる。
ならば。
そこへ自分が加わった場合。
何が変わるのか。
「ここは、きちんと考えておくべきですわね」
真利は新しいページを開いた。
タイトルを入力する。
**『炎の勇者チャンネルにおける自分の役割』**
「まずは、既存メンバーとの重複を避ける」
これは基本だった。
結衣は日常と管理。
聖奈は資本と組織。
凛は護衛。
摩夜は情報。
陽葵はファンと精神面。
ならば。
「私は……経営と市場ですわね」
真利は迷わず入力した。
株式会社炎の勇者パートナーズ。
自分が作った会社。
その役割は、ハルトの活動によって生まれる経済的な余波を受け止めること。
グッズ。
イベント。
動画制作。
企業との連携。
商品展開。
そして。
ハルトが何かを始めた時に発生する、予測不能な市場変動。
「ハルトさんが何かをする」
そこまでは、変えない。
変える必要もない。
「その結果として市場が動く」
そこから先を、自分が担当する。
ハルトの行動を制限するのではなく。
ハルトが自由に動いた結果を、ビジネスへ変換する。
「……なるほど」
真利は少し笑った。
これは、自分が最初に考えていた方法とは正反対だった。
以前の自分は。
ハルトそのものを手に入れようとしていた。
ハルトの力。
ハルトの知名度。
ハルトの将来性。
それらを自分の会社の中へ取り込めば。
巨大な利益を生み出せると考えていた。
だから。
ハルトを自分の側へ引き寄せることばかり考えていた。
だが。
「今は……違う」
ハルトを変える必要はない。
ハルトを縛る必要もない。
ただ。
ハルトが自由に動けるように。
その周囲で発生する問題を処理すればいい。
「これは、かなり大きな違いですわね」
真利は椅子へ背を預ける。
そして、さらに考える。
炎の勇者チャンネルに自分が加わることで。
視聴者から見ても変化が生まれる。
これまでのメンバーは。
ハルトと深い個人的な関係を持つ人間が中心だった。
幼馴染。
財閥令嬢。
元騎士。
オカルトブロガー。
配信者。
そこへ。
「女子高校生社長」
という肩書きが加わる。
しかも。
元々ハルトと敵対していた。
その自分が。
今は仲間として動画へ出演している。
「……話題性もありますわね」
これは大きい。
視聴者からすれば。
自分がなぜ仲間になったのか。
どうして敵対していた人間が、今はハルトと一緒に動画へ出ているのか。
当然、気になる。
過去の経緯を知る者なら。
なおさらだ。
「つまり……」
真利は画面へ文字を入力していく。
**新規層への訴求。**
**企業・経済界への窓口。**
**グッズ事業の強化。**
**市場変動への対応。**
**過去の敵対関係を利用した話題性。**
次々と項目が増えていく。
「……悪くありませんわね」
むしろ。
かなり相性がいい。
ハルトが自由に動く。
結衣が日常を整える。
聖奈が資金を用意する。
凛が安全を守る。
摩夜が情報を処理する。
陽葵がファンを繋ぐ。
そして。
自分が、その結果として生まれる経済を処理する。
「役割分担としては、非常に合理的ですわ」
真利は満足そうに頷いた。
これなら。
ハルトが何をしても。
以前よりずっと安全に対応できる。
もしハルトが新しい魔法を使ったとしても。
もし新商品を作ったとしても。
もし世界中の人間がそれを欲しがったとしても。
自分がいることで。
少なくとも経済面の混乱を抑えられる可能性が高い。
「……ハルトさんにとっても、悪くありませんわね」
その言葉を口にした瞬間。
真利は少しだけ黙った。
今。
自分は。
ハルトの利益を考えた。
以前なら。
それも自分の利益とセットだった。
ハルトの価値が上がれば、自分も儲かる。
ハルトの影響力が増せば、自分の会社も成長する。
だから、ハルトを支えようとした。
けれど。
今は。
「……あれ?」
真利は眉を寄せた。
ハルトの利益。
ハルトが自由にできること。
ハルトが楽しく活動できること。
そこまで考えている。
自分が損をしても。
ハルトが自由に動けるなら、それでいい。
そんな考えが。
いつの間にか、自分の中にある。
「…………」
真利は黙り込んだ。
そして。
今日の撮影を思い出した。
ハルトが笑っていた。
剣を手にして。
子供のように嬉しそうな顔をして。
自分がその隣に立っていることを、何の疑いもなく受け入れて。
『真利、次の撮影も一緒にやろうぜ!』
そう言ってくれた。
「…………」
胸の奥が。
また、少しだけ熱くなる。
昼間から感じていた。
あの感覚。
ハルトの隣に立った時。
名前を呼ばれた時。
一緒に笑った時。
妙に嬉しかった。
けれど。
それを真利は。
新しいビジネス環境に適応した結果だと思っていた。
仲間になったから。
距離が近くなったから。
これまで敵だった相手を理解する必要があるから。
だから。
気になるだけだと。
そう思っていた。
「……違いますわね」
真利は小さく呟いた。
経営者として。
何人もの人間を見てきた。
利益になる人間。
危険な人間。
信用できる人間。
利用価値のある人間。
そういう分類なら。
いくらでもできる。
けれど。
ハルトについて考えている時だけ。
どうしても。
数字では説明できない感情が混ざる。
もっと話したい。
もっと近くで見ていたい。
また一緒に動画を撮りたい。
自分のことを見てほしい。
そして。
自分がハルトを支えることで。
ハルトが嬉しそうに笑ってくれたら。
――嬉しい。
「…………ああ」
真利の目が大きく開いた。
今まで。
自分は何をしていたのだろう。
ハルトの価値を計算していた。
ハルトの周囲にいる人間を評価していた。
そして。
自分自身の価値まで分析していた。
すべて。
経営者として。
商人として。
合理的に考えているつもりだった。
なのに。
そのどこにも。
「ハルトが好きだから」という項目は存在していない。
「……ふふ」
真利は困ったように笑った。
自分で自分が可笑しかった。
あれほど冷静に。
ハルトという人間の価値を計算していたのに。
最後に出てきた答えだけは。
どうしても数字にならない。
「……ああ」
真利は胸元へ手を当てる。
そこにある感情を。
もう誤魔化すことはできなかった。
「私は……ハルトに恋をしてしまったのかも」
言葉にした瞬間。
頬が熱くなる。
真利は慌てて顔を伏せた。
「……何を考えていますの、私は」
けれど。
否定する言葉は。
もう出てこなかった。
しばらくの間。
真利は、机に突っ伏していた。
「…………」
恋。
自分が。
あのハルトに。
そう考えるだけで、顔が熱くなる。
「……落ち着きなさい、私」
真利はゆっくりと顔を上げた。
今までの人生で。
こんなにも自分の感情に振り回されたことは、ほとんどなかった。
何か問題が起きれば。
原因を分析する。
必要な資金を計算する。
最適な手段を選択する。
そうやって。
自分はここまで来た。
ならば。
今回も同じでいい。
「……恋をしてしまったのなら」
真利は一度、深呼吸した。
「その状況を、最適化すればいいのですわ」
口にしてから。
「……何を言っていますの、私は」
自分で自分に呆れた。
けれど。
少しだけ冷静になった。
問題は。
ハルトに恋をしたことではない。
問題は。
これからどうするかだ。
炎の勇者チャンネルのメンバーとして活動する。
それだけでも、以前よりずっとハルトの近くにいられる。
しかし。
動画撮影は毎日ではない。
会社の仕事もある。
しかも。
ハルトは高校生だ。
「……学校」
その言葉が。
真利の頭に浮かんだ。
「…………学校?」
真利は固まった。
そして。
ゆっくりと。
机の横に置いてあった資料へ手を伸ばす。
株式会社炎の勇者パートナーズを設立する際に調べた、これまでの経緯。
その中に。
懐かしい名前があった。
青葉高校。
「…………そうでしたわ」
真利は思い出した。
自分と聖奈のマネーゲーム。
その発端。
自分が青葉高校へ送り付けた。
莫大な寄付金。
学校側が到底無視できないほどの金額を。
ほとんど一方的に。
「結局……」
真利は資料をめくる。
あれだけの金額を寄付したにもかかわらず。
その後の経済状況が激変したこともあり。
寄付の使途や具体的な恩恵について、きちんと整理されないままになっていた。
もちろん。
学校側が寄付を無駄にしたわけではない。
設備や教育環境の改善。
学校運営への活用。
さまざまな形で恩恵は生まれている。
だが。
「……まだ、お願いできることはあるのでは?」
真利は考えた。
寄付をした。
学校側はその恩恵を受けた。
ならば。
寄付者として。
多少のお願いをするくらい。
「……問題ないですわね」
真利は頷いた。
そして。
次の瞬間。
とんでもない案が頭に浮かんだ。
「……私も、青葉高校へ通えばいいのでは?」
静寂。
「…………」
真利は瞬きをした。
もう一度考える。
青葉高校。
ハルトが通っている学校。
そして。
ハルトのクラス。
そこへ。
自分が入る。
「…………」
真利は椅子から立ち上がった。
「これですわ」
思わず声が出た。
非常に合理的だった。
動画撮影だけではない。
学校なら。
ハルトと毎日会える。
同じ教室にいられる。
授業を受ける。
昼休みに話す。
放課後に一緒に帰ることだってできる。
何より。
ハルトの日常を。
もっと近くで見ることができる。
「……完璧ですわ」
真利の目が輝いた。
ただ。
一つだけ問題がある。
「私、もう大学を卒業していますけれど……」
真利は呟いた。
飛び級。
それによって。
普通なら高校生である年齢にもかかわらず、すでに大学教育まで終えている。
学歴だけを見れば。
高校へ編入する理由など、どこにもない。
「…………」
真利は考える。
そして。
数秒後。
「何とかしましょう」
あっさりと言った。
これまで。
不可能に見える問題など、いくらでもあった。
会社の設立。
資金調達。
市場への参入。
巨大企業との競争。
そして。
世界経済を巻き込んだハルトとの戦い。
その程度の問題。
「学校側との調整をすればいいだけですわ」
真利はスマートフォンを手に取った。
青葉高校。
自分がかつて寄付をした学校。
そして。
ハルトが通っている学校。
「寄付の恩恵を、一つくらい使わせていただいても……」
真利はそこで言葉を止めた。
そして。
ふっと笑った。
「……いえ」
これは。
恩恵などという言葉ではない。
もっと個人的な。
もっと身勝手な理由だ。
「ハルトのそばにいたい」
それだけだった。
真利は自分の頬へ手を当てる。
また熱くなる。
「……本当に、どうしてしまったのでしょうね。私」
けれど。
嫌ではなかった。
むしろ。
少しだけ嬉しい。
これまでの人生。
自分はいつも未来を計算してきた。
何年後に何をする。
どれだけ利益を出す。
どの会社を買う。
どの市場へ進出する。
そんな未来ばかりだった。
なのに。
今は。
「明日、ハルトさんに会いたい」
そんな。
ひどく単純な願いがある。
真利は窓の外を見る。
夜の街。
その向こうに。
青葉高校がある。
そして。
そこにはハルトがいる。
「……決めましたわ」
真利はスマートフォンを操作する。
「株式会社炎の勇者パートナーズの仕事は、今まで通り進める」
そして。
「私は――」
一度だけ。
少し恥ずかしそうに笑った。
「青葉高校へ編入しますわ」
理由は。
寄付者としての恩恵。
表向きは、それでいい。
学校側へ説明する理由としても。
社会的な建前としても。
十分に通る。
けれど。
本当の理由は。
たった一つ。
「ハルトのクラスメイトになりたい」
真利はそう呟いた。
そして。
翌日。
青葉高校に。
誰も予想していなかった転校生がやって来ることになる。
すでに大学を卒業している。
女子高校生社長。
かつてハルトたちと敵対していた少女。
そして今は。
炎の勇者チャンネルの新メンバー。
――真利・R・ヴァイン。
彼女の編入によって。
ハルトの日常は。
また一つ。
大きく変わることになる。




