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『承認欲求強めの最強勇者、魔法動画でバズって前世のヒロインたちを召喚してしまう~今世の幼馴染が管理しきれないほど愛が重すぎる~』  作者: 悪癖


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第69話 倒産令嬢、ゼロからの再起動

 世界有数の資産家だった女が、その日、人生で初めて財布の中身を気にしていた。


「……三千二百円」


 真利・R・ヴァインは、机の上に置いた財布を開いて呟いた。


 中に入っているのは、紙幣が数枚と小銭だけ。


 かつてなら、昼食代どころか、一秒にも満たない時間で動かしていた金額だった。


 しかし今は違う。


 銀行口座は凍結。


 所有していた企業はすべて失った。


 株式も、土地も、投資先も、金融資産もない。


 それどころか。


 彼女には借金まで残っている。


「……本当に、何もありませんわね」


 真利はそう言って、乾いた笑みを浮かべた。


 高級ホテルの最上階でもない。


 巨大な自社ビルの執務室でもない。


 今いるのは、最低限の家具だけが置かれた小さな部屋だった。


 広くもない。


 豪華でもない。


 窓から見える景色も、これまで彼女が見てきたものとは何もかも違う。


 それでも。


 真利は不思議と落ち込んでいなかった。


「……ふふ」


 むしろ。


 少しだけ、笑っていた。


「面白いですわね」


 机の上には一台のノートパソコン。


 そして、その横には紙に書き出した数字の山。


 借金。


 生活費。


 会社設立費用。


 事務所代。


 人件費。


 広告費。


 必要になる金額を一つずつ並べていく。


 普通なら絶望する。


 だが。


 真利・R・ヴァインにとって、金がないこと自体は問題ではなかった。


 問題なのは――。


「資金を作るまでの時間ですわね」


 彼女は椅子へ深く腰を下ろした。


 金を生み出す方法なら、いくらでも思いつく。


 市場を読む。


 企業を買う。


 価値のある情報を探す。


 誰も気づいていない商機を見つける。


 それを必要としている相手へ売る。


 それだけなら。


 今の真利でも出来る。


 失ったのは資産であって、頭脳ではない。


 長年にわたって世界中の市場を見続けてきた経験も、人脈も、知識も消えてはいなかった。


「では、最初に売るものを決めましょう」


 真利はパソコンを開いた。


 画面に表示されたのは、世界各国の企業情報、公開資料、市場データ。


 その一つを眺める。


「……これですわね」


 真利が見つけたのは、とある中堅企業が近く発表する予定の新規事業に関する情報だった。


 まだ世間には出ていない。


 しかし、公開資料のわずかな変化。


 関連会社の人員移動。


 設備投資の時期。


 過去の経営判断。


 そういった小さな情報をつなぎ合わせれば、何を始めようとしているのかは十分に推測できる。


 情報そのものは違法なものではない。


 真利がこれまで培ってきた分析能力によって導き出した、価値のある情報だ。


 ただし。


「これを普通に売れば、数週間後にはもっと高く売れますわね」


 問題はそこだった。


 価値がある。


 だが、現金になるまで時間がかかる。


 今の真利にとって、それは致命的だった。


「……なら」


 真利は別の名前を検索する。


 かつて取引をした投資家。


 企業経営者。


 金融関係者。


 その中から一人を選んだ。


 以前なら、こんな小さな取引をする必要すらなかった相手。


 しかし今は違う。


 真利は電話をかけた。


「お久しぶりですわ」


 数分後。


 相手の声がスピーカーから聞こえてくる。


『……真利? 本当に君なのか?』


「ええ。本人ですわ」


『ニュースは見た。君の会社が全部――』


「その話は後で結構です」


 真利は淡々と遮った。


「少し買っていただきたい情報がありますの」


『情報?』


「ええ」


 真利は画面を見ながら、必要な部分だけを説明する。


 相手が黙り込む。


 そして。


『……確かに、それなら欲しい』


「でしょう?」


『だが、今すぐ払える額は大したことないぞ』


「構いませんわ」


 真利は即答した。


「今の私には、最大利益より即金が必要ですもの」


 しばらくして。


 小さな金額が、真利の口座へ振り込まれた。


 かつての真利なら、取引と呼ぶことすらなかった金額。


 けれど。


 真利はスマートフォンに表示された数字を見て、満足そうに微笑んだ。


「……最初の一歩ですわね」


 たった数十万円。


 それだけだった。


 だが。


 ゼロではない。


 真利はすぐに次の情報を探し始めた。


 一つ。


 また一つ。


 今すぐ売れる情報だけを選び出す。


 将来的にはもっと高く売れる。


 しかし、今は安くてもいい。


 必要なのは、今日を越えるための金。


 そして。


 会社を作るための最初の資金だった。


「会社設立費用……事務所は後回し」


 紙へ数字を書き込む。


「人を雇うのも後ですわね。最初は私一人で十分」


 真利はペンを止めた。


 その視線が、机の端に置かれた一枚の写真へ向かう。


 そこに写っているのは――。


 一ノ瀬晴人。


 炎の勇者チャンネルで笑っている少年だった。


「……ハルト」


 以前なら。


 この少年を自分のものにするため、世界中の資産を使った。


 今度は違う。


 金で買うのではない。


 契約する。


 許可をもらう。


 そして。


「あなたのために、私が稼ぐ会社を作りますわ」


 真利は写真へ向かって、静かに笑った。


「今度は、ちゃんと正面から」


 その目には、かつて世界経済を動かした商人の光が戻っていた。


「まずは――会社を作りましょう」


 資産はない。


 企業もない。


 信用すら、一度は失った。


 それでも。


 金を稼ぐ方法を知っている頭脳だけは、まだここにある。


 真利は再びパソコンへ向き直った。


 ゼロからではない。


 マイナスからだ。


 だからこそ。


 面白い。


「さて……最初の出資者を探しますわよ」


 こうして。


 世界有数の資産家だった女の、人生で初めての――小さな資金集めが始まった。



 それから三日。


 真利は、集めた資金を前にして腕を組んでいた。


「……よし」


 机の上に置かれているのは、数枚の契約書。


 そして、銀行から届いた入金通知。


 まだ大した金額ではない。


 以前の真利なら、一晩の食事代にもならないと笑っていたかもしれない。


 だが。


「これだけあれば、十分ですわ」


 真利はノートパソコンを開いた。


 すでに必要な手続きは知っている。


 これまでにどれだけの会社を作ってきたことか。


 会社を作る。


 それだけなら難しくない。


 問題は、何の会社を作るか。


 普通なら市場調査を行い、成長分野を探し、将来性を分析し、複数の事業案を比較する。


 真利も、つい先日まではそうしていた。


 だが。


 今回は違った。


 真利は新しい会社の事業目的を入力していく。


 最初に一つ。


 炎の勇者チャンネル関連グッズの企画、製造、販売。


 次に。


 炎の勇者チャンネル関連イベントの企画、運営。


 さらに。


 動画撮影、配信活動に関する支援業務。


 広告、宣伝、広報。


 関連商品の輸出入。


 そして最後に。


 炎の勇者チャンネル及びその所属メンバーに関連する一切の事業。


 真利は画面を見つめる。


「……完璧ですわね」


 これだけ見れば、誰でも分かる。


 この会社は。


 炎の勇者チャンネルのためだけに作られた会社だ。


「会社名は……」


 真利は少し考える。


 以前の自分なら、もっと大きな名前を付けていた。


 世界市場を意識したブランド名。


 将来的な多角化を見据えた企業名。


 何十年先まで使える名前。


 しかし。


 今回は必要ない。


「分かりやすい方がいいですわね」


 いくつか候補を入力し、画面を眺める。


 そして。


 真利は一つの名前を選んだ。


「株式会社、炎の勇者パートナーズ」


 あまりにも露骨だった。


 だが、それでいい。


「これなら、何の会社か一目で分かりますもの」


 真利は満足そうにうなずいた。


 炎の勇者チャンネルのグッズを売る。


 イベントを運営する。


 動画活動を支える。


 それ以外は、今のところ考えていない。


 世界的な資産家だった女が作るには、あまりにも小さな会社だった。


 だが。


「大きくする必要はありませんわ」


 真利は静かに呟く。


「ハルトの役に立てる会社なら、それで十分ですもの」


 その言葉だけは。


 今までの真利からは、想像できないほど素直だった。


 ――数時間後。


 会社設立に必要な手続きが進められた。


 本拠地として選んだのは、ハルトたちが暮らしている町。


 巨大企業が集まる都心ではない。


 もっと小さな町だった。


 しかし真利にとっては、それでよかった。


「本社は、ここですわね」


 地図を眺める。


 ハルトが学校へ通い。


 炎の勇者チャンネルの活動を行い。


 仲間たちと暮らしている場所。


 そこに会社を置く。


 理由は簡単だった。


「ハルトの近くにある方が便利ですもの」


 世界中を飛び回っていた頃の真利からすれば、ずいぶん小さな選択だった。


 だが。


 それが今の真利にとっては、大切だった。


 そして。


 数日後。


 新しい会社が正式に設立された。


 代表取締役。


 真利・R・ヴァイン。


 資本金。


 決して大きくない。


 従業員。


 今のところ、真利一人。


 借金。


 たっぷり。


 それでも。


「株式会社、炎の勇者パートナーズ」


 その会社は確かに存在した。


 真利は登記に必要な書類を確認し終えると、新しい会社の事業計画書を作り始めた。


 最初の事業。


 それは。


「ハルトグッズですわね」


 まずは炎の勇者チャンネルの公式グッズ。


 ハルトを中心としたアクリルスタンド。


 キーホルダー。


 タオル。


 Tシャツ。


 ステッカー。


 そして、動画内で使用された道具を再現した記念商品。


「ただし、勝手には作れませんわ」


 真利はペンを置く。


 ここが以前との最大の違いだった。


 今までなら。


 価値があると判断したものを、自分の判断で買い、作り、売った。


 だが。


 今回は違う。


「ハルトの名前を使う以上、正式な許可をいただく」


 当たり前のことだった。


 だからこそ。


 真利は事業計画書の最後に、もう一つの項目を書き加えた。


『株式会社炎の勇者との業務提携』


 その下に。


『炎の勇者チャンネル公式グッズの企画・販売について、正式な許諾を得る』


 さらに。


『将来的にはイベント運営、物販、スポンサー業務、関連事業の支援を行う』


 そこまで書き終えた真利は、ファイルを保存した。


 ファイル名は。


『株式会社炎の勇者パートナーズ_事業計画書』


「これで準備は終わりですわ」


 真利はメールソフトを開く。


 宛先に入力したのは、株式会社炎の勇者。


 その中で、企業案件やスポンサー、契約関係の窓口を担当している人物。


 西園寺聖奈。


 以前なら。


 真利と聖奈は、互いに相手の隙を探していた。


 金。


 企業。


 情報。


 人脈。


 あらゆるものを使って、ハルトを巡って争った。


 だが。


 今は違う。


 真利は一度、深呼吸する。


 そして。


 メールを書き始めた。


『株式会社炎の勇者

 企業・事業提携窓口

 西園寺聖奈様


 突然のご連絡、失礼いたします。


 真利・R・ヴァインです。


 この度、炎の勇者チャンネルに関連する事業を行うことを目的として、新会社を設立いたしました。


 会社名は、株式会社炎の勇者パートナーズです。


 本拠地は、炎の勇者チャンネルの皆様が活動されている町に置いております。


 現在、弊社では第一回事業として、炎の勇者チャンネルの公式グッズの企画・製造・販売、ならびに関連イベントの企画・運営を検討しております。


 ただし、これらの事業につきましては、株式会社炎の勇者様の正式な許諾なく実施する意思は一切ございません。


 つきましては、公式グッズ事業および今後の業務提携について、一度正式にお話しする機会をいただけないでしょうか。


 また、可能であれば、ハルトさんご本人とも直接お会いしてお話をさせていただきたく存じます。


 私はこれまで、ハルトさんを自らの事業へ取り込むことばかりを考えておりました。


 しかし、今回の会社はそのためのものではありません。


 炎の勇者チャンネルの活動を支え、その利益を生み出すための会社として運営したいと考えております。


 もちろん、最終的な判断は株式会社炎の勇者様にお任せいたします。


 ご検討いただけますと幸いです。


 何卒よろしくお願いいたします。


 株式会社炎の勇者パートナーズ

 代表取締役

 真利・R・ヴァイン』


 真利は、完成した文章を何度も読み返した。


 余計な言葉はない。


 利益条件も、こちらから勝手に決めていない。


 会社の説明。


 事業内容。


 許諾を求める意思。


 そして。


 ハルト本人と会いたいという希望。


 必要なことだけを書いた。


「……これでいいですわね」


 真利は送信ボタンへ指を伸ばす。


 一瞬だけ。


 指が止まった。


 以前なら。


 この程度のメールを送る前に迷うことなどなかった。


 自分が連絡すれば、相手が動く。


 それが当然だった。


 だが今は違う。


 自分には何の力もない。


 返事が来ない可能性だってある。


 断られるかもしれない。


 それでも。


「……今度は、ちゃんとお願いする」


 真利は小さく笑った。


 そして。


 送信。


 メールは静かに飛んでいった。


「さて」


 真利は椅子へ背を預ける。


 会社は作った。


 資金も、最低限なら用意した。


 事業計画もある。


 あとは。


「ハルトに会うだけですわね」


 その言葉を口にした瞬間。


 真利の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


 かつては。


 何十億、何百億という金を積んでも手に入らなかった少年。


 その少年に。


 今度は金ではなく。


 自分の会社と、自分自身を持って会いに行く。


「……ふふ」


 真利はメールの送信済み画面を見つめながら笑った。


「返事が楽しみですわ」



――――――



 メールが届いたのは、その日の午後だった。


「……真利?」


 株式会社炎の勇者のオフィス。


 聖奈は自分の端末に表示された送信者の名前を見て、眉を寄せた。


 真利・R・ヴァイン。


 つい先日まで、聖奈が最も警戒していた相手。


 いや。


 今だって、警戒している。


 むしろ。


 警戒しなくていい理由など、どこにもない。


「何の用かしら……」


 聖奈はメールを開いた。


 そこに書かれていた内容を読み進める。


 新会社を設立した。


 会社名は、株式会社炎の勇者パートナーズ。


 炎の勇者チャンネルに関連する事業を行う。


 公式グッズの企画、製造、販売。


 イベントの企画、運営。


 動画活動や配信活動の支援。


 そして。


 株式会社炎の勇者との正式な業務提携を希望している。


「……」


 聖奈は無言で画面を見つめた。


 あまりにも分かりやすい。


 何をしたい会社なのか。


 誰のために作った会社なのか。


 一目で分かる。


「本当に……炎の勇者チャンネルのことしか考えていないのね」


 メールには、事業計画書も添付されていた。


 聖奈はそれを開く。


 そして。


「……え?」


 思わず声が漏れた。


 そこから先は。


 ページをめくる手が、止まらなかった。


 商品の企画。


 販売方法。


 製造委託先の選定基準。


 在庫リスク。


 イベント開催時の収支モデル。


 会場規模ごとの想定来場者数。


 チケット販売。


 物販。


 スポンサー。


 広告。


 配信連動。


 さらには、炎の勇者チャンネル側に発生する作業負担まで考慮されている。


 どこにも無駄がない。


「……これ」


 聖奈はページを戻した。


 もう一度読む。


 そして、また次のページへ進む。


 完成度が高い。


 高すぎる。


 会社を作ったばかりの人間が、思いつきで作った事業計画ではない。


 実際に事業を動かしたことがある人間。


 それも。


 何度も会社を成功させてきた人間でなければ、ここまで作れない。


「……そうだったわね」


 聖奈は小さく呟いた。


 真利は。


 これを一人でやってきたのだ。


 誰かに用意された会社を引き継いだわけではない。


 誰かに経営を教えてもらったわけでもない。


 自分自身の才覚だけで、経済界の頂点まで上り詰めた。


 聖奈はそれを知っている。


 だからこそ。


「……これが、真利の本当の実力」


 ぞくりとした。


 怖い。


 そう思った。


 敵だったからではない。


 むしろ。


 敵でなくても怖い。


 たった一人。


 資産も、企業も、信用も失った状態から。


 数日で資金を作り。


 会社を設立し。


 この事業計画を完成させた。


 普通ではない。


「……化け物ね」


 思わず口から漏れた。


 だが。


 その感想と同時に。


 聖奈は別のことにも気づいていた。


 この事業計画には。


 以前の真利なら必ず入れていたはずのものが、ない。


 自分の取り分。


 自分の支配権。


 ハルトを自分の会社へ引き込むための仕組み。


 株式。


 経営権。


 独占契約。


 そんなものが、どこにも書かれていない。


「……」


 聖奈はメール本文へ戻る。


 そこにも。


 以前の真利にあった、あの欲が感じられなかった。


 ハルトを自分のものにしたい。


 ハルトを支配したい。


 そんな意図が。


 ない。


「むしろ……」


 聖奈は、添付された資料をもう一度見る。


 そこにあるのは。


 炎の勇者チャンネルが大きくなるための仕組み。


 ハルトが活動しやすくなるための仕組み。


 そして。


 自分がその隣で働くための仕組み。


「……私たちと同じになりたい?」


 その考えが浮かんだ。


 聖奈たちは。


 ハルトの力を利用しているわけではない。


 もちろん、会社として利益を得ることはある。


 だが。


 最終的に望んでいるのは。


 ハルトがやりたいことを実現すること。


 そのために自分たちが力を貸すこと。


 真利の事業計画にも。


 それに近いものがある。


 自分が中心になるのではない。


 ハルトを中心にして、その周囲を支える。


「……どうして?」


 聖奈は椅子へ背を預けた。


 理由は分からない。


 以前の真利を知っているからこそ。


 簡単に信じることなどできない。


 ハルトを手に入れるためなら、何でもする。


 そう考えていた女なのだ。


 その結果。


 聖奈たちとも激しく争った。


 ハルトを支配しようとした。


 あれだけは。


 絶対に許せない。


「私は……あなたを好きにはなれないわ」


 誰もいない部屋で、聖奈は呟いた。


 たぶん。


 これから先も。


 心の底から真利を信頼することはできない。


 警戒は続ける。


 何かあれば、すぐに対応する。


 それくらいは当然だ。


 しかし。


 だからといって。


「この提案を断る理由には……ならない」


 聖奈は、再び事業計画書へ視線を落とした。


 グッズ販売。


 イベント運営。


 スポンサー対応。


 企業との交渉。


 契約。


 収支管理。


 こういった分野について。


 炎の勇者チャンネルには、まだ専門家がいない。


 もちろん聖奈自身にも知識はある。


 だが。


 自分がすべてを担当する必要はない。


 むしろ。


 自分には、自分にしかできない仕事がある。


 そしてハルトの周囲には。


「経済に強い人間が……いない」


 聖奈はそう認めざるを得なかった。


 だから。


 真利の能力は。


 欲しくないと言えば嘘になる。


「……嫌な話ね」


 聖奈は頭を抱えた。


 信用できない。


 でも。


 能力は本物。


 しかも。


 今の真利は、以前とは違う。


 少なくとも。


 この事業計画書を見る限りでは。


「……勇者様にとっては、プラスになる」


 それだけは。


 どうしても否定できなかった。


 聖奈はスマートフォンを手に取った。


 ハルトへ連絡する。


 何度も文章を打ち直した。


 真利の名前を出しただけで、ハルトがどう反応するか分からない。


 説明すべきことは多い。


 けれど。


 最初から難しい話をする必要はない。


 聖奈は短くまとめた。


『勇者様、少し相談があります』


 送信。


 すぐに返信が来る。


『なに?』


 聖奈は少し迷った。


 そして。


『会ってほしい人がいます』


 送信。


 数秒後。


『誰?』


 聖奈は画面を見つめた。


 その名前を入力する。


『真利さん』


 送信。


 これで。


 後戻りはできない。


 聖奈は静かに息を吐いた。


「……さて」


 ここから先は。


 ハルト自身に決めてもらうしかない。


 真利を受け入れるのか。


 拒絶するのか。


 それとも。


 その間を選ぶのか。


 聖奈には分からない。


 ただ一つだけ。


 今の真利を見て。


 聖奈は初めて思った。


 もしかすると。


 この女は。


 ハルトの敵ではなく。


 ハルトの味方になれるのかもしれない。


 ――少なくとも。


 その可能性を、切り捨てるべきではない。


 そう思わせるだけのものが。


 真利の事業計画書には、確かにあった。



――――――



 翌日。


 株式会社炎の勇者の会議室には、三人の姿があった。


 一人は、炎の勇者チャンネル代表。


 一ノ瀬晴人。


 一人は、企業・事業提携を担当する西園寺聖奈。


 そしてもう一人は。


「改めまして。本日はお時間をいただき、ありがとうございますわ」


 真利・R・ヴァイン。


 つい先日まで、ハルトを巡って敵対していた女だった。


 しかし。


 今日の会議において、そのことを気にしている者は一人もいなかった。


 聖奈はすでに決めている。


 この提案を受ける。


 ハルトも。


「俺も、いいと思うよ」


 あっさりと答えていた。


 真利が驚いたように目を瞬く。


「……よろしいのですか?」


「だって、俺たちの活動を手伝ってくれる会社なんだろ?」


「はい」


「じゃあ、お願いしたい」


 あまりにも簡単だった。


 真利はしばらくハルトを見つめる。


 以前の自分なら。


 この少年から許可を得るために、どれだけの条件を積み上げただろう。


 金。


 株。


 契約。


 権利。


 あらゆるものを使って、自分に有利な形へ持っていこうとした。


 だが。


 今は違う。


「……ありがとうございます」


 真利は小さく頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」


「うん。よろしく」


 ハルトも笑う。


 それだけで。


 真利にとっては、十分だった。


「では、具体的な話に入りましょう」


 聖奈が資料を机の中央へ置いた。


「業務提携そのものについては、法務確認が必要になります。ですが、方向性についてはすでに決まったものとして進めて構わないでしょう」


「異論ありませんわ」


「俺もいいよ」


「ありがとうございます」


 聖奈は資料をめくる。


「最初の事業は、やはり公式グッズ販売でよろしいですか?」


「はい」


 真利は即答した。


「現在の株式会社炎の勇者パートナーズが、最も少ない資金で開始でき、なおかつ早期に利益を生み出せる事業ですわ」


「具体的には?」


「まずは少数の商品に絞ります」


 真利は資料を開いた。


「アクリルスタンド、キーホルダー、タオル、Tシャツ、ステッカー。この五種類ですわね」


「おお」


 ハルトが身を乗り出す。


「アクスタって、俺のやつ?」


「はい」


「なんか楽しそうだな」


 ハルトの目が輝いた。


 それを見て、真利の表情も少しだけ柔らかくなる。


「もちろん、デザインについてはハルトさん本人の意見もいただきたいと思っています」


「じゃあ、剣を持ってるやつがいい!」


「剣ですか」


「うん。炎の勇者っぽいし」


「……なるほど」


 真利はすぐにメモを取った。


「では、撮影時の衣装と剣を再現したものを第一候補に」


「待ってください」


 聖奈が口を挟んだ。


「剣の再現というのは、どこまで再現するつもりですか?」


「可能な限り正確に」


「……」


 聖奈の目が細くなる。


「本物のようなものを作る必要はありませんよね?」


「当然ですわ。安全性を最優先に――」


「そうじゃなくて」


 聖奈は少しだけ苦笑した。


「勇者様が実際に使っている剣って、普通の剣ではありませんよね?」


「まあ、そうだけど」


 ハルトが首をかしげる。


「だったら、普通の人が持てるサイズと重さにしてください」


「それはもちろん」


 真利は頷いた。


 そして。


「ただし、見た目については可能な限り忠実に再現しますわ」


「いいな!」


 ハルトは嬉しそうに笑った。


「それ、俺も欲しい」


「販売するものを本人が欲しがるのは珍しいですね」


 聖奈が笑う。


「だって自分のグッズだぞ?」


「それはそうですが」


 会議室の空気が少しだけ和らいだ。


 真利はその様子を見ながら、資料の次のページを開く。


「そして、販売方法についてですわ」


「予約販売?」


 聖奈が先に言った。


「はい」


 真利が頷く。


「現在の弊社には、余分な資金がありません。ですから、最初から大量生産することは避けます」


 数字を指で示す。


「まず商品画像を公開し、予約を受ける。その注文数を基準として製造数を決定します」


「在庫を抱えないわけですね」


「ええ」


「それなら資金繰りも安定する」


「さらに、炎の勇者チャンネル側の宣伝効果を利用できます」


 真利の言葉に、ハルトが首をかしげた。


「宣伝って、動画で紹介するの?」


「その通りですわ」


「じゃあ、俺が使ってみればいい?」


「それが最も効果的です」


 真利は即答した。


「例えば、実際にアクスタを持って写真を撮る。タオルを使う。Tシャツを着る。そうすれば視聴者にも商品がどういうものなのか伝わります」


「なるほど!」


 ハルトは納得したように頷く。


「じゃあ、グッズを使って遊ぶ動画とかも面白そうだな」


「……」


 真利の手が止まった。


「それは……非常に良い案ですわね」


「だろ?」


 ハルトは得意げに笑う。


 聖奈も頷いた。


「商品紹介だけの広告より、動画そのものを企画にしてしまった方が、勇者様らしいですね」


「でしたら」


 真利は新しいページを開いた。


「第一弾の商品発売に合わせて、特別動画を一本撮影しましょう」


「いいじゃん!」


 ハルトが即答する。


「どんな動画にする?」


「それについては、これから考えましょう」


 真利はそう言って、資料へ目を落とした。


 会議が始まってまだ三十分。


 それなのに。


 もう最初の事業の形が見え始めていた。


 会社を作る。


 商品を決める。


 製造する。


 売る。


 利益を出す。


 そして、その利益を炎の勇者チャンネルへ還元する。


 かつての真利なら。


 その中で自分がどれだけ利益を得られるかを考えていただろう。


 だが。


 今の真利が最初に確認したのは。


「ハルトさん。ひとつだけ確認してもよろしいでしょうか」


「ん?」


「この事業で、何より優先したいことは何ですか?」


 ハルトは少しだけ考えた。


 そして。


「みんなが喜んでくれることかな」


 あまりにも簡単な答えだった。


「俺たちの動画を見てくれてる人が、買ってよかったって思えるものを作りたい」


 真利は黙ってハルトを見つめる。


 利益ではない。


 市場規模でもない。


 売上でもない。


 もっと単純なもの。


「……承知しましたわ」


 真利は静かに微笑んだ。


「では、それを最優先にいたしましょう」


 会議室の中で。


 新しい関係が、正式に形を作り始めていた。



 それから。


 三人はさらに細かな部分まで話し合った。


 商品の価格。


 販売開始の時期。


 予約期間。


 製造数。


 配送方法。


 問い合わせ窓口。


 不良品が出た場合の対応。


 利益の配分。


 そして、今後の商品展開について。


 真利が一つずつ問題点を挙げ。


 聖奈が炎の勇者チャンネル側の事情を確認し。


 ハルトが時折、思いついたことを口にする。


 そのたびに真利が内容を整理し、聖奈が実現可能かを確認する。


 そうしているうちに。


「……では、第一弾については、この形で進めましょう」


 真利が資料を閉じた。


「問題ありません」


 聖奈も頷く。


「俺もいいよ」


 ハルトも頷いた。


 最初の事業。


 公式グッズ販売。


 その大枠は、これで決まった。


「では、次は宣伝についてですわね」


 真利が別の資料を開く。


「先ほど話に出た動画ですが、発売に合わせて一本制作するのであれば――」


「そうだ」


 ハルトが突然、声を上げた。


「真利も出れば?」


「……え?」


 真利の動きが止まった。


 聖奈も目を瞬く。


「私が……ですか?」


「うん」


 ハルトは何でもないことのように頷いた。


「だって、このグッズを売ってくれる会社の社長なんだろ?」


「ええ、まあ……そうですわね」


「だったら、最初に紹介した方が分かりやすくない?」


「……」


 真利は言葉を失った。


 自分が動画に出る。


 それは、考えたこともなかった。


 会社を作った。


 炎の勇者チャンネルと提携する。


 グッズを販売する。


 そこまでは想定していた。


 だが。


 自分自身が、ハルトの動画に出演する。


 そんな未来は。


「……よろしいのでしょうか?」


 思わず確認してしまう。


「何が?」


「私が、炎の勇者チャンネルに出ることですわ」


「別にいいだろ?」


 ハルトは首を傾げた。


「むしろ、社長が出てきた方がいいと思う」


「……」


 真利はハルトを見つめる。


 以前なら。


 ハルトの隣に立つことこそ、自分が最も望んでいたことだった。


 そのためなら。


 どれだけの金も使った。


 どれだけの会社も動かした。


 どれだけの人間も利用した。


 それなのに。


 今。


 何の力も持たない自分が。


 ただ一人の少年から。


「一緒に出よう」


 そう言われている。


 金も。


 権力も。


 取引条件も。


 何もない。


 ただ。


 仲間として。


「……はい」


 真利は小さく頷いた。


「ぜひ、お願いしますわ」


 その声は。


 ほんの少しだけ震えていた。


 聖奈はそんな真利を見つめていた。


 そして。


 ふっと微笑む。


「それなら、動画の内容も決めてしまいましょうか」


「うん」


 ハルトが頷く。


「まず、グッズを紹介する」


「はい」


「それから、このグッズを作ってくれる会社を紹介する」


「株式会社炎の勇者パートナーズですわね」


「そうそう」


 ハルトはそこで少し考えた。


 そして。


「あ」


 何かを思いついたように声を上げる。


「じゃあ、真利も新メンバーってことでいいよな!」


「……え?」


 またしても。


 真利が固まった。


 聖奈も一瞬、言葉を失う。


 だが。


「それが一番分かりやすいかもしれませんね」


 聖奈が微笑んだ。


「会社の社長として紹介するだけではなく、炎の勇者チャンネルのメンバーとして紹介する。そうすれば視聴者にも、今後どういう関係になるのか伝わります」


「だろ?」


 ハルトは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、決まりだな!」


「……」


 真利は黙っていた。


 新メンバー。


 その言葉を。


 何度も頭の中で繰り返す。


 炎の勇者チャンネル。


 ハルトと、その仲間たちがいる場所。


 かつて自分が。


 何としてでも入りたかった場所。


 それが今。


 自分から奪い取るのではなく。


 誰かを押し退けるのでもなく。


「……はい」


 真利は頷いた。


「新メンバーとして、よろしくお願いいたしますわ」


「うん!」


 ハルトが笑う。


「これでみんな仲間だな!」


「……仲間」


 真利は、その言葉を小さく呟いた。


 胸の奥が。


 不思議なほど温かかった。


「では、動画の構成を決めましょう」


 聖奈が話を進める。


「最初にハルト様から第一弾グッズを紹介。その後、実際に商品を見せながら説明。そして――」


「真利を紹介する」


「はい」


「『このグッズを作ってくれる会社の社長です!』って」


「非常に分かりやすいですね」


 聖奈が頷く。


「その後、真利さん自身から会社の説明をしてもらいましょう。今後、炎の勇者チャンネルのグッズやイベントなどを担当する会社だと伝えれば、視聴者にも役割が理解されます」


「分かりましたわ」


 真利も頷く。


「では、私から会社について説明いたします」


「それから、新メンバーとして紹介」


「はい」


「最後に、これからよろしくって言う」


「ええ」


 それだけだった。


 特別な演出もない。


 壮大な企画でもない。


 ただ。


 新しい仲間を紹介する。


 それだけの動画。


 しかし。


 真利にとっては。


 人生を変えるほど大きな意味を持っていた。


 かつて。


 世界の頂点からハルトを手に入れようとした。


 今は。


 その世界の頂点から落ちて。


 一つの小さな会社を作った。


 そして。


 その会社を通して。


 ようやく。


 ハルトの隣に立つことができる。


「……楽しみですわね」


 真利は静かに笑った。


「うん。俺も楽しみ!」


 ハルトも笑う。


 聖奈は二人を見ながら、資料を閉じた。


「では、本日の会議はここまでにしましょう」


 これで。


 業務提携の話は終わった。


 株式会社炎の勇者と。


 株式会社炎の勇者パートナーズ。


 二つの会社が手を組むことも。


 真利が炎の勇者チャンネルの新たな仲間になることも。


 もう決まった。


 残るのは。


 正式な契約と。


 そして。


 そのことを視聴者へ伝えるだけだった。


 真利は席を立つ。


「本日は、本当にありがとうございました」


「こちらこそ」


 聖奈が答える。


「これから忙しくなりますよ」


「ええ」


 真利は笑った。


「望むところですわ」


 そして。


 ハルトを見る。


「ハルトさん」


「ん?」


「これから、よろしくお願いいたしますわ」


「うん。よろしく、真利!」


 その言葉を聞いて。


 真利は、今までで一番嬉しそうに笑った。


 こうして。


 倒産令嬢の再起動は。


 新たな仲間を加えたところで、一つの区切りを迎えた。


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