第6話 転校生は王女様
翌朝。
いつも通りの高校。
いつも通りの教室。
そして――全くいつも通りではない男がいた。
「ふっふっふ……」
一ノ瀬晴人は自席に座りながら、不敵な笑みを浮かべていた。
スマホを見つめるその顔は、戦略兵器の発射ボタンを握る将軍のように真剣である。
「見ろ結衣」
「朝から嫌な予感しかしないんだけど」
隣の席で教科書を取り出していた如月結衣が、露骨に顔をしかめる。
ハルトはスマホ画面を突き出した。
「登録者数」
「あー」
「二十五万人突破だ」
「はいはい、おめでとう」
「もっと驚けよ!」
「昨日から五十回くらい聞いた」
結衣はうんざりした顔で答える。
実際、昨日の料亭での出来事以降、ハルトはずっと上機嫌だった。
原因はもちろん聖奈である。
いや、正確には。
「いやぁ、西園寺グループってすげぇな」
「……」
「まさか年間三十億円の案件とは思わなかった」
「案件じゃないと思う」
「しかもスタッフ二百人だぞ?」
「普通の高校生に付く人数じゃないのよ」
「プロの世界は違うなぁ」
ハルトは感心しきりだった。
結衣は額を押さえた。
昨日の会食で。
聖奈は事実上、
『勇者様のためなら何でもします』
という宣言をしていた。
だがハルトは、
『超本気のスポンサー』
としか認識していない。
認識のズレが地球と月くらい離れている。
「なあ結衣」
「なに?」
「次の動画どうする?」
「その前に補導されない動画にして」
「大丈夫大丈夫」
ハルトは軽く笑う。
「聖奈のとこが協力してくれるし」
「それが一番不安なんだけど」
「CGスタジオとか貸してくれるらしいぞ」
「その子の発想だと軍事基地貸してきそうなのよ」
「ははは、まさか」
結衣は真顔だった。
そのまさかをやりそうだから怖いのである。
そんな二人の会話に割り込むように。
「おーい一ノ瀬!」
明るい声が響いた。
サッカー部の田辺である。
「お前マジですげぇな!」
「ん?」
「動画見たぞ!」
「おっ」
「どうやってんだよあれ!」
田辺が興奮気味に言う。
最近は学校内でもハルトの動画が話題になっていた。
もちろん全員CGだと思っている。
「企業案件か?」
「まだ正式にはな」
「マジかよ!」
「俺も有名人になるかもしれん」
「いやもうなってるだろ」
「そうかな?」
「お前の動画、昨日クラスの半分見てたぞ」
「マジで!?」
ハルトの目が輝く。
その反応を見て田辺が笑った。
「なんだよその顔」
「いやー!」
ハルトは満面の笑みを浮かべる。
「やっぱ見てもらえるって最高だな!」
その笑顔だけは。
異世界で誰にも見られず戦っていた勇者の本音だった。
結衣は少しだけ表情を柔らかくする。
だからこそ止めきれない。
この承認欲求モンスターは。
有名になりたい理由だけは、少しだけ分かってしまうから。
そんな時だった。
ガラリ。
教室の扉が開く。
「おーし席つけー」
担任教師が入ってきた。
朝のホームルームである。
クラス中が慌てて席へ戻っていく。
田辺も自席へ帰っていった。
教師は出席簿を机へ置く。
しかし今日は様子が少し違った。
なぜか妙に緊張している。
額にはうっすら汗まで浮かんでいた。
「……?」
結衣が首をかしげる。
教師は一度咳払いした。
「えー、突然だが」
教室が静かになる。
「今日は皆に知らせることがある」
ざわり。
何となく空気が変わった。
「転校生を紹介する」
一瞬。
教室中が沸騰した。
「えっ!?」
「転校生!?」
「今の時期に!?」
「男!? 女!?」
「美少女希望!」
「黙れ田辺!」
朝から大騒ぎである。
教師は頭を抱えた。
「静かにしろ」
だが全く静かにならない。
「先生!」
「なんだ」
「可愛いですか!」
「知らん!」
教室が爆笑に包まれる。
教師は深いため息を吐いた。
そして。
「入ってきてくれ」
教室の外へ声をかけた。
次の瞬間。
教室の空気が変わった。
コツ。
コツ。
静かな足音。
そして。
教室の扉が開く。
入ってきた少女を見た瞬間。
誰もが息を呑んだ。
長い金色の髪。
宝石のような青い瞳。
気品そのものを形にしたような美貌。
制服姿でさえ、どこか王族の正装に見える。
テレビの中の人間がそのまま出てきたようだった。
「うそ……」
「マジかよ……」
「え……誰……?」
男子が固まる。
女子も固まる。
教師ですら少し気圧されていた。
少女は静かに教壇へ立った。
そして。
優雅に一礼する。
「西園寺聖奈です」
その名前が出た瞬間。
教室が爆発した。
「えええええええええええええっ!?」
「西園寺!?」
「財閥の!?」
「西園寺グループの!?」
「テレビ出てた人!?」
「マジで本人!?」
もはや騒音だった。
日本最大級の財閥。
その令嬢。
知らない者はいない。
芸能人以上の知名度を持つ存在だった。
結衣も目を見開く。
(来た……!)
昨日の時点で予感はしていた。
だが。
本当に来るとは思わなかった。
一方。
ハルトだけが呑気だった。
「あ、聖奈じゃん」
友達を見つけたくらいの反応である。
周囲の生徒たちが一斉に振り向いた。
「知り合い!?」
「一ノ瀬!?」
「なんで!?」
「え?」
ハルトは首をかしげる。
「昨日会ったし」
さらに教室がざわめく。
結衣は頭を抱えた。
説明不足にも程がある。
その時。
聖奈がゆっくりと教室を見渡した。
そして。
青い瞳が一直線にハルトを捉える。
その瞬間だけ。
完璧な令嬢の仮面がわずかに崩れた。
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。
微笑んだのだ。
まるで長年探し続けた宝物を見つけたように。
その視線の熱量に。
結衣だけが気付いた。
(あ、ダメだこれ)
確信する。
(完全に来ちゃってる)
昨日の時点でも危険だった。
だが今見た笑顔で分かった。
この女。
本気だ。
そして当のハルトは。
(おー、ちゃんと学校設定まで作ってきたのか)
などと感心していた。
(やっぱプロのスポンサーは違うな)
盛大な勘違いをしたまま。
聖奈の学園侵略が、静かに幕を開けようとしていた。
教室の熱気は一向に冷める気配がなかった。
「本物の西園寺聖奈だ……」
「なんでうちの学校に……」
「ていうか芸能人より有名じゃない?」
「いや、財閥令嬢だぞ?」
「転校とかあるんだ……」
あちこちでひそひそ声が飛び交う。
しかし、その中心にいる聖奈本人は全く気にしていなかった。
正確には。
気にする価値がないと思っていた。
彼女の視界には今、この教室にいる三十数名の生徒など映っていない。
ただ一人。
勇者だけがいる。
教壇の前に立ちながら、聖奈は必死に平静を保っていた。
(勇者様ですわ……)
胸が苦しい。
心臓がうるさい。
昨日も会った。
会ったはずなのだ。
だが一晩離れただけで会いたくて仕方なかった。
(本当に同じ空間に……)
三年間。
異世界で共に戦った日々。
そして失われた年月。
ようやく辿り着いた。
ようやく。
ようやく。
勇者の隣に。
その時だった。
「西園寺さん」
担任が声をかける。
「はい」
「軽く自己紹介をお願いできるかな」
教室中の視線が集まる。
普通の転校生なら緊張する場面だ。
だが。
かつて数万の兵を前に演説していた第一王女にとっては朝食前の挨拶にも等しい。
聖奈は優雅に微笑んだ。
「趣味は動画鑑賞です」
教室が静かに聞き入る。
「特に『炎の勇者チャンネル』を愛しております」
「おおっ」
「見てるんだ!」
「意外!」
「俺も見てる!」
クラスの男子が盛り上がる。
ハルトも嬉しそうだった。
「ありがとう!」
思わず手を振る。
聖奈の表情が一瞬だけ蕩けた。
「い、いえ」
声が少し裏返る。
結衣だけが見逃さなかった。
(今の反応なに!?)
他の生徒は気付いていない。
だが結衣は昨日の会食を見ている。
分かる。
今のは完全に恋する女子の反応だった。
しかもかなり重症だ。
「あと」
聖奈は続ける。
「炎の勇者チャンネル運営者の一ノ瀬晴人さんを大変尊敬しております」
「おおー!」
「推しじゃん!」
「ガチファンだ!」
クラスが盛り上がる。
ハルトは満更でもない顔をした。
「いやー照れるな」
「黙れ」
即座に結衣が突っ込む。
聖奈は内心で首を傾げた。
(尊敬……?)
違う。
全然違う。
そんな軽い言葉ではない。
信頼。
憧れ。
感謝。
忠誠。
愛情。
執着。
救済。
人生。
存在理由。
それら全部を混ぜても足りない。
だが現代語では説明が難しいので諦めた。
「以上です」
美しい一礼。
拍手が起こる。
男子たちはすでに浮足立っていた。
「やべぇ」
「近寄れる気しねぇ」
「オーラあるわ」
「王女様みたい」
実際元王女である。
教師が出席簿を見ながら言った。
「じゃあ席だが――」
結衣が嫌な予感を覚えた。
昨日の会食。
聖奈の発言。
西園寺財閥。
そして。
この女の行動力。
(まさかね)
そう思った瞬間だった。
「一ノ瀬の隣だ」
教室が止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
「……は?」
結衣が固まる。
「え?」
ハルトも固まる。
「は?」
クラス全員が固まる。
教師が指差した席は。
まさしく。
ハルトの右隣。
空席だった場所である。
女子たちがざわめく。
「嘘でしょ」
「なんでそこ?」
「席替えじゃなくて?」
「偶然?」
偶然ではない。
絶対に違う。
結衣は確信した。
そして当の聖奈は。
「承知いたしました」
当然のように頷いた。
まるで。
最初から決まっていたことのように。
いや。
実際決めていた。
昨日の夜。
西園寺グループ法務部。
西園寺グループ教育事業部。
複数の弁護士。
複数の理事。
複数の役員。
その全員を巻き込み。
聖奈は本気で席を確保したのである。
学校への寄付金。
設備投資。
教育支援。
図書館改築。
体育館改修。
グラウンド整備。
その総額。
数億円。
結果。
席は確保された。
もちろん誰も知らない。
知らない方が平和だからだ。
聖奈はゆっくり歩き出す。
コツ。
コツ。
教室中の視線を集めながら。
まっすぐ。
迷いなく。
ハルトの隣へ。
そして。
椅子を引く。
座る。
距離およそ三十センチ。
聖奈は心の中で叫んでいた。
(近いですわああああああああ!!)
だが表情は完璧だった。
「これからよろしくお願いいたします」
上品な笑顔。
ハルトも笑う。
「おう。よろしく」
あまりにも自然だった。
まるで昨日の続きのように。
その笑顔を見た瞬間。
聖奈の心臓が危険なほど跳ねた。
(勇者様……)
危うく机に突っ伏しそうになる。
しかし耐える。
王女の矜持で耐える。
一方。
結衣は二人を交互に見ていた。
「……」
嫌な予感がする。
ものすごくする。
台風が来る前。
地震の前。
そういうレベルではない。
もっと根本的な災害の予感だ。
目の前には。
世界最大級の財閥令嬢。
その隣には。
世界最強のバカ。
絶対に何か起きる。
むしろ起きない方がおかしい。
そして。
結衣の予感は。
わずか数分後。
早速的中することになる。
ホームルーム終了のチャイムが鳴った瞬間。
聖奈が静かに立ち上がったからである。
その瞳には。
昨日、料亭で見たのと同じ危険な光が宿っていた。
キーンコーンカーンコーン――。
ホームルーム終了のチャイムが鳴り響く。
担任教師は連絡事項を終えると、
「じゃあ一時間目の準備しておけよー」
そう言い残して教室を出ていった。
その瞬間だった。
クラス中の生徒が一斉に立ち上がる。
目標は一つ。
西園寺聖奈。
日本最大級の財閥令嬢。
テレビでも雑誌でも見る有名人。
そんな存在が目の前にいるのだ。
話しかけないわけがない。
「西園寺さん!」
「どうして転校してきたの?」
「前の学校って海外だったの?」
「芸能人とか会ったことある?」
「家ってやっぱりお城みたいなの!?」
質問が飛び交う。
聖奈は優雅な笑みを浮かべた。
「そうですわね」
「わあ……」
「本物のお嬢様だ……」
女子たちが感動している。
男子たちは緊張しすぎて言葉が出ない。
しかし。
聖奈は表面上こそ応対しているものの。
内心では別のことしか考えていなかった。
(邪魔ですわ)
にこり。
「海外には少しだけ」
(勇者様が見えませんわ)
にこり。
「芸能人の方とは何度か」
(あと三歩右に移動していただけません?)
にこり。
「家は普通ですわ」
(普通ではありませんが)
完全に上の空である。
その視線は常に。
少し離れた場所にいるハルトへ向いていた。
ハルトはというと。
「おい田辺」
「なんだよ」
「今朝から登録者が五千人増えてる」
「またかよ!」
いつも通りだった。
聖奈はそれだけで幸せそうな顔になる。
すると。
女子の一人が言った。
「西園寺さんって、炎の勇者チャンネル好きなんだよね?」
「ええ」
即答だった。
「どの動画が好きなの?」
次の瞬間。
聖奈の目が輝いた。
それまでの上品なお嬢様モードが少しだけ崩れる。
「全てですわ」
「え?」
「第一投稿の炎生成動画は勇者様――失礼、一ノ瀬さんの美学と信念が凝縮された歴史的作品ですし、炒飯動画は火力制御の芸術性と生活への応用性を示した傑作ですわ」
教室が静かになる。
「えっと……」
「特に三分二十一秒地点の炎の揺らぎには深い意味があります」
「あるの!?」
「当然ですわ」
当然らしい。
聖奈は止まらない。
「一ノ瀬さんはあの時、視聴者との距離感を――」
「待って」
「はい?」
「そんなこと考えてたの?」
女子たちが困惑する。
聖奈は当然だと思っている。
一方。
当のハルトは。
「いや?」
首を傾げた。
「なんとなくカッコよさそうだったからやっただけだけど」
教室中が沈黙した。
聖奈も固まる。
「……」
「……」
「……」
数秒後。
聖奈は静かに頷いた。
「なるほど」
何も理解していない。
「深すぎて私ごときには読み切れませんでしたわ」
「え?」
ハルトは困惑した。
結衣は頭を抱えた。
(始まった……)
この現象を結衣は知っている。
昔からだ。
ハルトが適当に石を投げる。
周囲が勝手に意味を見出す。
本人だけ置いてけぼり。
異世界でもきっと同じだったのだろう。
そんな中。
クラスメイトの女子が何気なく聞いた。
「そういえば西園寺さん、一ノ瀬くんと知り合いなんだよね?」
空気が変わった。
結衣が反応する。
ハルトも顔を上げる。
聖奈は微笑んだ。
「ええ」
「どんな関係なの?」
「えっ」
女子たちの目が輝く。
恋愛話である。
高校生が食いつかないわけがない。
結衣は嫌な予感しかしなかった。
(頼むから余計なこと言わないで)
しかし。
その願いは届かない。
聖奈は少し考えてから。
とんでもない爆弾を投下した。
「前世からのお付き合いですわ」
教室が静まり返った。
「……え?」
「前世?」
「え?」
「前世?」
数秒の沈黙。
そして。
「ぷっ」
誰かが吹き出した。
「あはははは!」
「なにそれ!」
「面白い!」
「運命の人ってこと!?」
教室が爆笑に包まれる。
もちろん誰も本気にしていない。
前世などあるわけがない。
恋愛的な比喩表現だと思ったのだ。
だが。
聖奈だけは真顔だった。
「事実ですわ」
「あははは!」
「ガチ設定来た!」
「西園寺さん意外と面白い!」
盛り上がるクラス。
結衣だけが胃を押さえた。
(本当なのよ……)
笑えない。
全く笑えない。
ハルトも普通に頷いている。
「久しぶりだったな」
「ええ」
「十数年ぶりくらい?」
「私にとっては永遠にも等しい時間でした」
「おおげさだなー」
ハルトが笑う。
聖奈は本気だった。
その温度差が恐ろしい。
すると。
田辺が割り込んできた。
「おい一ノ瀬」
「ん?」
「もしかして付き合ってんの?」
教室がざわめく。
男子全員が耳をそばだてた。
女子も興味津々である。
ハルトは即答した。
「違う違う」
「ですよね!」
男子たちが安堵する。
しかし。
聖奈は微笑んだまま言った。
「まだですわ」
空気が凍った。
「……え?」
田辺が固まる。
女子も固まる。
結衣も固まる。
ハルトだけが意味を理解していない。
「まだ?」
「ええ」
聖奈は当然のように続けた。
「勇者様――失礼、一ノ瀬さんとの関係は、これからゆっくり進めていく予定ですので」
教室が爆発した。
「うおおおおおお!?」
「攻めてる!!」
「なにそれ!?」
「西園寺さん強すぎる!」
「一ノ瀬お前何者だ!?」
ハルト本人が一番困惑していた。
「なんで俺が責められてんの?」
「知らないわよ!」
結衣が即座に突っ込む。
だがその直後。
彼女は気付いた。
教室の女子たちが。
妙にこちらを見ていることに。
そして。
「如月さんは?」
誰かが聞いた。
「え?」
「一ノ瀬くんと幼馴染なんでしょ?」
「あー」
「どう思ってるの?」
その瞬間。
教室中の視線が結衣へ集中した。
結衣は固まる。
そして思った。
(なんで私まで巻き込まれてるのよ!?)
しかし。
その問いから逃げることはできそうになかった。
しかも隣では。
聖奈が静かにこちらを見ている。
まるで。
正式な対戦相手を確認するかのように。
初めて。
結衣は理解した。
この学園生活。
昨日までとは完全に別物になったのだと。
「如月さんは?」
「一ノ瀬くんと幼馴染なんでしょ?」
「どう思ってるの?」
教室中の視線が集まる。
結衣は思わず顔を引きつらせた。
(なんでこうなるのよ……)
ただ幼馴染なだけだ。
いや、実際には全然ただではないのだが。
少なくとも恋愛話の中心になるつもりはなかった。
しかし周囲は許してくれない。
「気になるー!」
「幼馴染じゃん!」
「絶対なんかある!」
「漫画ならメインヒロインだぞ!」
「現実は漫画じゃないから」
即座に結衣が切り返す。
だが田辺が追撃する。
「じゃあ一ノ瀬のこと何とも思ってないの?」
「思ってるわよ」
「おっ」
「放っておくと社会問題起こすから」
教室が爆笑した。
ハルトが不満そうに口を尖らせる。
「失礼な」
「先週誰が庭半分吹き飛ばしたのよ」
「あれは撮影」
「撮影で近所から苦情が来るな」
また笑いが起きる。
結衣としてはいつも通りのやり取りだった。
だが。
聖奈だけは真剣な目で見ていた。
(なるほど)
会話を観察する。
声色。
視線。
距離感。
反応速度。
そこにある信頼。
異世界で王女として育った聖奈は、人間観察にも長けている。
だから分かる。
結衣は特別だ。
少なくともハルトにとっては。
そして。
ハルトにとって結衣もまた特別である。
問題は。
結衣自身がどう思っているかだった。
その時。
一時間目開始までまだ少し時間があることに気付いた聖奈が立ち上がる。
「如月さん」
「え?」
突然話しかけられ、結衣が目を瞬かせる。
教室の空気も少し変わった。
財閥令嬢とクラスのマドンナ。
美少女二人の会話に注目が集まる。
聖奈は柔らかく微笑んだ。
「少しお話してもよろしいかしら」
「別にいいけど」
結衣は警戒しながら答える。
昨日会ったばかりだ。
だが既に分かっている。
この女は危険だ。
とても危険だ。
見た目は上品なお嬢様なのに、中身が全然上品ではない。
主にハルト関連が。
聖奈は席から立つと、自然な動作で結衣の机の近くまで歩いてきた。
ハルトは田辺たちに囲まれている。
ちょうど少し離れていた。
「一ノ瀬さんとは長い付き合いだそうですわね」
「幼稚園からだからね」
「なるほど」
聖奈は頷く。
幼稚園。
つまり十年以上。
自分が知らない時間だ。
異世界で共に過ごした三年より遥かに長い。
少しだけ胸がざわつく。
だが表情には出さない。
「昔からあのような方でしたの?」
「どのような方?」
「常識が存在しない方」
即答だった。
「昔からよ」
結衣も即答だった。
教室のあちこちから笑い声が漏れる。
「木に登って落ちるし」
「うん」
「川で流されるし」
「うん」
「カブトムシ捕まえようとしてスズメバチの巣に突撃するし」
「勇敢ですわね」
「ただのバカよ」
また笑いが起きる。
ハルト本人は聞こえていない。
田辺たちと動画の話で盛り上がっている。
聖奈はそんなハルトを見つめる。
自然と頬が緩む。
「変わりませんのね」
ぽつりと呟く。
結衣はその横顔を見る。
その表情だけは。
少しだけ昨日と違った。
王女でも財閥令嬢でもない。
ただ昔を懐かしむ少女の顔だった。
だが。
次の質問で空気が変わる。
「如月さん」
「なに?」
「あなたは、一ノ瀬さんのことをどう思っていますの?」
結衣が固まった。
直球だった。
あまりにも直球だった。
「どうって……」
「大切ですか?」
「そりゃ」
即答だった。
「大切よ」
迷いはない。
幼稚園からの付き合いだ。
家族みたいなものだ。
放っておけない。
心配になる。
助けたいと思う。
それは事実だった。
聖奈は静かに聞いている。
「もし」
そしてさらに続ける。
「一ノ瀬さんが突然いなくなったら?」
結衣の表情が止まる。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
異世界から帰ってきたあの日のことが頭をよぎった。
数秒しか経っていないはずなのに。
ハルトの目だけは変わっていた。
何かを失って。
何かを背負って帰ってきた目だった。
結衣は知らない。
戦場のことも。
魔王のことも。
命を懸けた三年間も。
だが。
それでも。
もし本当にいなくなったら。
そう考えた瞬間。
胸の奥が少しだけ痛んだ。
「……困る」
結衣は小さく答える。
「すごく困る」
その声は思ったより真面目だった。
聖奈は黙って聞いている。
「誰がご飯作るのよ」
次の瞬間。
結衣はいつもの調子に戻った。
「誰が宿題確認するのよ」
「はい」
「誰が動画編集するのよ」
「はい」
「誰が警察沙汰止めるのよ」
「非常に重要ですわね」
聖奈も真顔で頷く。
周囲が笑う。
だが。
その笑いの中で。
聖奈だけは別のものを見ていた。
(なるほど)
結衣は気付いていない。
少なくとも今は。
自分の感情を。
異性として好きなのか。
家族のような情なのか。
まだ整理できていない。
だが。
大切に思っているのは本当だ。
そして。
ハルトのために本気で怒り、本気で悩み、本気で支えている。
それも本当だ。
つまり。
軽視はできない。
決して。
財力で押し潰せる相手ではない。
聖奈は理解した。
この少女は。
勇者の隣に立つ資格を持っている。
少なくとも今まで出会った誰よりも。
だからこそ。
ほんの少しだけ。
楽しくなった。
「如月さん」
「ん?」
聖奈が微笑む。
だがその笑顔の奥に。
何か別の色が混じった気がした。
「あなたは面白い方ですわね」
「どういう意味?」
「褒め言葉ですわ」
結衣は眉をひそめる。
褒められている気がしない。
だが聖奈はそれ以上何も言わなかった。
今はまだ。
確認段階だ。
戦う価値がある相手か。
脅威か。
それとも違うのか。
その答えはまだ出ていない。
ただ一つだけ。
確実に分かったことがある。
如月結衣は。
勇者の人生に深く根を張っている。
だからこそ。
聖奈は初めて少しだけ本気になった。
その時だった。
キーンコーンカーンコーン――。
一時間目開始のチャイムが鳴る。
教師が教室へ入ってくる。
生徒たちが慌てて席へ戻った。
聖奈も自席へ戻る。
その途中。
何気ない顔でハルトの机を見た。
すると。
「お?」
ハルトが笑う。
「どうした聖奈?」
ただそれだけ。
ただ名前を呼ばれただけ。
それだけで。
聖奈の顔が一瞬で緩んだ。
「い、いえ」
危うく頬が溶けそうになる。
結衣はその様子を見て。
(重っ……)
と改めて思った。
まだ始まったばかりなのに。
既に胃が痛かった。
――――――
一時間目。
二時間目。
三時間目。
そして四時間目。
その日の授業は、いつも通り進んでいるようで全くいつも通りではなかった。
理由は言うまでもない。
西園寺聖奈である。
「じゃあ、この問題を――」
数学教師が黒板を振り返る。
「西園寺」
「はい」
聖奈は静かに立ち上がった。
「この問題を解いてみろ」
教師としては軽い確認のつもりだった。
転校生の学力を見るための。
ただそれだけ。
だが。
聖奈は黒板を見る。
一秒。
二秒。
「証明方法を三種類ほどお見せしましょうか?」
教師が固まった。
「……え?」
「最短解法と一般的解法、それから大学課程を用いた解法も可能ですが」
教室が静まり返る。
「いや、普通のでいい」
「承知しました」
三十秒後。
完璧な解答が完成した。
教師は頭を抱えた。
クラスメイトは拍手した。
ハルトは寝ていた。
聖奈は少しだけ落ち込んだ。
(勇者様に見ていただけませんでした……)
結衣はその様子を見ていた。
(そこ落ち込むところなの?)
理解できない。
全く理解できない。
だがまだ序の口だった。
英語の時間。
「西園寺、発音が綺麗だな」
「ありがとうございます」
当然である。
異世界で十数か国語を扱っていた元王女だ。
現代語など数年で習得している。
体育の時間。
「西園寺さん運動できるんだね!」
「少々嗜む程度ですわ」
女子たちが感心する。
ちなみに剣を持たせれば人類最強クラスの化け物である。
嗜むどころではない。
そして休み時間。
男子たちは勇気を振り絞って話しかける。
「西園寺さんって休日何してるの?」
「勇者様――失礼、一ノ瀬さんの動画を見ていますわ」
「へ、へえ!」
「朝も昼も夜も」
「へえ!」
「寝る前も」
「へえ……」
「移動中も」
「へえ……」
男子たちが少し引いた。
結衣は盛大に引いた。
(思った以上に重いわね!?)
ハルトだけが嬉しそうだった。
「そんなに見てくれてるのか」
「もちろんですわ」
聖奈が即答する。
その顔があまりにも幸せそうなので、ハルトも悪い気はしない。
「熱心なファンだな」
「ええ」
聖奈は微笑む。
否定しなかった。
否定したら長くなるからである。
そんなこんなで。
転校初日の午前中は終わっていった。
そして――。
キーンコーンカーンコーン。
四時間目終了のチャイムが鳴る。
待ちに待った昼休みだ。
「飯だー!」
「腹減ったー!」
「購買行くぞ!」
クラス中が一斉に動き出す。
しかし。
その瞬間。
教室内に妙な緊張感が走った。
なぜなら。
多くの生徒が気付いていたからだ。
転校生。
幼馴染。
そして本人。
この三人が昼休みにどう動くのか。
それが気になって仕方なかったのである。
特に女子たち。
完全に観察モードだった。
結衣は弁当袋を取り出す。
朝作ってきた弁当だ。
いつものように。
いつもの場所で。
ハルトと食べるつもりだった。
すると。
隣から気配がした。
「勇者様」
小さな声。
聖奈だった。
ハルトの目が輝く。
「お?」
「昼食をご一緒していただけますか?」
教室が静かになった。
あまりにも自然な誘いだった。
だが。
その破壊力は絶大だった。
財閥令嬢。
絶世の美少女。
転校初日。
いきなり昼食のお誘い。
男子たちの心が砕ける音が聞こえた気がした。
ハルトは何も考えていない。
「いいぞ」
即答だった。
「ありがとうございます」
聖奈の顔がぱあっと明るくなる。
その瞬間。
結衣が反応する。
「ちょっと待った」
「ん?」
「私も一緒だけど?」
当然のように言う。
ハルトが首を傾げた。
「当たり前じゃん」
「そうよね」
結衣が頷く。
だが。
聖奈は一瞬だけ固まった。
「……」
「……」
空気が止まる。
教室中が固唾を呑む。
しかし聖奈は優雅に微笑んだ。
「もちろんですわ」
その笑顔は完璧だった。
完璧だったが。
結衣だけは見逃さなかった。
ほんのわずか。
ほんの一瞬。
笑顔の端が引きつったことを。
(あっ)
理解する。
(今、一対一で食べるつもりだったわねこの人)
聖奈も理解していた。
如月結衣は。
想像以上に自然に勇者の隣へ入り込んでくる。
許可も確認も必要ない。
最初からそこにいる。
まるで呼吸のように。
それが少しだけ悔しかった。
だが。
今はまだいい。
まだ初日だ。
時間はいくらでもある。
「では」
聖奈は微笑む。
「昼食の場所を用意しておりますので」
「場所?」
ハルトが首を傾げた。
結衣も嫌な予感がした。
転校初日。
普通なら教室で食べる。
だが。
目の前にいるのは西園寺聖奈である。
普通という言葉が通じる相手ではない。
「ええ」
聖奈は優雅に頷く。
そして。
とんでもなく嫌な予感しかしない笑顔で言った。
「少し準備をして参りましたので」
結衣の額に嫌な汗が流れた。
その時。
教室の外から複数の足音が聞こえた。
しかも。
かなり統率された足音だった。
まるで訓練された集団のような。
結衣はゆっくりと教室の扉を見る。
嫌な予感しかしない。
本当に。
嫌な予感しかしない。
そして次の瞬間。
教室の扉が開こうとしていた。
昼休みはまだ始まったばかりだった。




