第57話 刀鍛冶の工房と、未来への注文
京都観光二日目午後。
昼食を終えたハルトたちは、天橋立を後にして次の目的地へ向かっていた。
移動には、もちろん西園寺グループが手配した専用車が使われている。
車内では京都の街並みがゆっくりと流れ、古い町家や石畳の道が窓の外へ続いていた。
「いやー、京都ってどこを見ても雰囲気あるよな」
ハルトは窓の外を眺めながら嬉しそうに笑う。
「歴史ある建物がそのまま残っているからね」
結衣も同じように外を見ながら頷いた。
すると、その隣で静かに景色を眺めていた凛が、小さく口を開く。
「主」
「ん?」
「……もし許されるのでしたら、一度だけ本物の日本刀を手にしてみたいと思っていました」
その一言に、ハルトは目を丸くした。
「あ、それいいな!」
身を乗り出したハルトは、子どものような笑顔になる。
「俺も欲しい!」
「絶対かっこいいじゃん!」
その反応を見た結衣は思わず笑ってしまう。
「出た。ハルトの『欲しい!』」
「いや、でも日本刀ってロマンあるだろ?」
「それは分かるけど」
結衣も否定はしない。
男子なら一度は憧れる。
それが日本刀という存在だ。
「動画にもなるしさ」
「そっちが本音でしょ?」
「もちろん!」
悪びれもなく言い切るハルトに、車内へ笑いが広がった。
すると助手席に座っていた聖奈が振り返る。
「勇者様がそのようにお考えになると思いまして、既に準備しております」
「え?」
「本日午後は、日本刀を製作されている刀鍛冶の工房を貸し切っております」
「えぇっ!?」
ハルトだけでなく結衣まで驚きの声を上げる。
「もう準備してあったの!?」
「はい」
聖奈は微笑んだ。
「日本刀は日本を代表する伝統工芸です。勇者様でしたら必ず興味を持たれると思っておりました」
「さすが聖奈……。」
ハルトは感心したように何度も頷く。
「俺が考える前に準備してるじゃん」
「勇者様のお役に立てるのでしたら幸いです」
さらに聖奈は続ける。
「今回は通常の見学ではなく、工房そのものを貸し切っております」
「貸し切り?」
「はい。職人の皆様に、日本刀が作られる工程を目の前で実演していただけます。また、安全な範囲で一部工程を体験できるよう手配しております」
「おぉー!」
ハルトの目が一気に輝いた。
「それ絶対面白い!」
「動画映えもしそうですね」
陽葵も嬉しそうに微笑む。
「視聴者の皆さんも、日本刀が作られる様子は興味を持たれると思います」
「ネットでも人気の題材だね」
摩夜も静かに頷く。
「海外人気も非常に高い。伝統工芸系の動画は再生数も伸びやすい」
「よし!」
ハルトは拳を握る。
「これは気合い入れて撮影しよう!」
「その前に」
聖奈が一枚の資料を取り出した。
「工房では、オーダーメイドの日本刀も受注しております」
「え?」
「せっかくですので、皆様それぞれ一本ずつご注文されてはいかがでしょうか」
その提案に全員の視線が集まる。
「一本一本、柄や鍔、鞘の色、刃文の雰囲気まで細かく指定できるそうです」
「へぇ!」
ハルトは興味津々だった。
「世界に一本だけってことか」
「はい」
聖奈は頷く。
「美術品として登録されるものですので、完成まで半年ほど掛かるそうですが」
「半年かぁ」
「それだけ職人の方が一本一本丁寧に仕上げられるということですね」
凛はどこか感慨深そうだった。
「武器とは、本来そうあるべきものです」
前世では騎士団長。
剣に対する想いは誰よりも深い。
その横顔を見たハルトは笑う。
「じゃあ凛は絶対注文しないとな」
「……はい」
凛は少しだけ照れたように頷いた。
「主と同じ時代で、新たな剣を持てることを光栄に思います」
「みんなも頼もうぜ」
「もちろん!」
結衣が真っ先に手を挙げた。
「こういう記念品って大事だし!」
「私もお願いしたいです」
陽葵も柔らかく笑う。
「勇者様と同じ思い出になりますから」
「君たちらしいね」
摩夜も肩をすくめながら微笑んだ。
「私も一本お願いしようかな」
「私ももちろん注文いたします」
聖奈も迷いなく答える。
「それと」
彼女は少しだけ表情を改めた。
「株式会社炎の勇者の新オフィスへ飾る展示用として、もう一本お願いする予定です」
「あー!」
ハルトは納得したように手を叩いた。
「会社にもあったらかっこいいな!」
「会社のシンボルにもなりますから」
「じゃあ合計……」
結衣が指を折る。
「ハルト、私、聖奈、凛、摩夜、陽葵で六本」
「展示用で一本追加」
「全部で七本ですね」
「了解!」
ハルトは満足そうに笑う。
「みんなお揃いだ!」
その一言だけで、車内の空気が少しだけ柔らかくなった。
恋心を抱く少女たちにとって、「お揃い」という言葉の破壊力は計り知れない。
しかし。
「これ絶対、動画のサムネも映えるぞ!」
当の本人は、いつも通り動画のことしか考えていなかった。
結衣は苦笑しながら肩をすくめる。
「ほんと、ブレないよね」
「そこが主らしいところです」
凛が穏やかに微笑む。
そんなやり取りをしているうちに、車は山あいへ続く静かな道へ入っていく。
観光地のにぎわいが少しずつ遠ざかり、周囲には木々の緑と澄んだ空気が広がっていた。
やがて車は、一軒の立派な建物の前で静かに停まる。
木造の門。
白いのれん。
軒先には年月を感じさせる看板。
派手さはない。
だが、そこには長い歴史を積み重ねてきた職人の誇りが静かに漂っていた。
「ここか!」
ハルトは目を輝かせながら車を降りる。
「なんかもう雰囲気だけでワクワクする!」
入口では、作務衣姿の初老の男性が数名の職人とともに待っていた。
一歩前へ出た男性は、穏やかに頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました」
日に焼けた手。
鍛えられた腕。
その立ち姿だけで長年鉄と向き合ってきたことが伝わってくる。
「当工房の代表を務めております、黒川と申します。本日は工房見学と刀鍛冶体験、そして皆様のご注文を担当させていただきます」
ハルトたち六人も自然と姿勢を正し、それぞれ挨拶を返した。
日本刀という、日本が世界へ誇る伝統工芸との出会いが、いよいよ始まろうとしていた。
工房へ一歩足を踏み入れた瞬間。
鼻をくすぐる炭の香りと、熱気が一行を包み込んだ。
建物の奥では、大きな炉が赤々と燃え、その前では数人の職人が黙々と作業を続けている。
「おぉ……」
ハルトは思わず声を漏らした。
「なんかもう、異世界の鍛冶場みたいだ」
「確かに雰囲気は似ています」
凛も静かに辺りを見渡す。
前世では数え切れないほど鍛冶師の工房を訪れた。
しかし、日本刀を作る鍛冶場は初めてだった。
黒川は一同を炉の前へ案内する。
「本日は、日本刀づくりの中でも特に見応えのある工程をご覧いただきます」
「見応えのある工程?」
「はい」
黒川は赤く焼けた鋼を指差した。
「これから行うのは『鍛錬』です」
「鍛錬?」
「鋼を何度も折り返して打ち延ばし、不純物を取り除きながら強さと粘りを生み出していく、日本刀づくりを代表する工程になります」
「おぉ!」
ハルトは目を輝かせる。
「テレビで見たことある!」
そのタイミングで、一人の職人が真っ赤に熱せられた鋼を炉から取り出した。
まるで夕日のように赤く輝く鋼。
それを金床へ置くと——
カンッ!!
鋭い音が工房中へ響いた。
続けて。
カン! カン! カン! カン!
息を合わせた二人の職人が、大槌と小槌を振り下ろしていく。
火花が弾ける。
赤い鋼が少しずつ形を変えていく。
「すご……」
結衣は思わず息を呑んだ。
映像では何度も見たことがある。
しかし、目の前で響く音と熱気は、画面越しとはまるで別物だった。
「これは迫力ありますねぇ……」
陽葵も思わず見入っている。
「動画越しでは伝わらない空気があります」
「音がいい」
摩夜はスマートフォンで撮影しながら呟く。
「金属音と火花。ASMRとしても人気が出そう」
「確かに」
結衣も頷いた。
「これは編集で変にBGMを入れない方がいいかも。」
目の前では職人が鋼を半分に折り返し、再び炉へ入れる。
そして再び赤くなった鋼を取り出し、また打つ。
「これを何度も繰り返すんですか?」
聖奈が尋ねる。
「はい。」
黒川は頷いた。
「昔ながらの製法では十数回から十五回ほど折り返します。」
「そんなに?」
「回数だけで数えれば、数千層もの鋼になります」
「数千……」
ハルトは思わず感嘆した。
「めちゃくちゃ手間掛かってるんだな。」
「一本完成するまでには半年ほど掛かりますから」
「納得だ」
ハルトは真剣な表情で頷く。
「これは値段が高いのも当然だな」
職人たちの槌音はしばらく続いた。
鋼が少しずつ一本の刀へ近付いていく様子を、誰も言葉を発することなく見守る。
やがて一区切りついたところで、黒川が一礼した。
「こちらが代表的な工程となります。」
「いやぁ……」
ハルトは満足そうに息を吐く。
「めちゃくちゃ面白かった!」
「ありがとうございます」
黒川も嬉しそうに微笑んだ。
「続きまして、完成した刀をご覧いただきながら、ご注文についてご案内いたします」
一同は別室へ案内される。
そこにはガラスケースが並び、完成した日本刀が何本も展示されていた。
漆黒の鞘。
朱色の鞘。
蒔絵が施された豪華なもの。
装飾を極限まで抑えた質実剛健なもの。
それぞれがまったく異なる雰囲気を纏っている。
「うわぁ……」
ハルトは一本一本を眺めながら歩く。
「全部かっこいい……」
「実際に手に取っていただいて構いません」
黒川の言葉に、一同は順番に刀を持たせてもらう。
「軽い……」
結衣は驚いた。
「もっと重いと思ってた」
「重心の取り方が絶妙なんです」
黒川が説明する。
「振った際に自然と刃筋が通るよう設計されています」
一方。
凛は一本の刀を両手で静かに持ち、そのまま目を閉じた。
「……美しい」
それだけを呟く。
武人だからこそ分かる。
ただ飾るだけではない。
実用品として磨き抜かれた機能美。
その姿に、思わず見惚れてしまっていた。
そんな凛を見たハルトは笑う。
「やっぱり凛が一番似合うな」
「……ありがとうございます」
少しだけ頬を染める凛。
その様子に結衣たちは微笑ましく笑った。
やがて黒川が注文用の見本帳を広げる。
「それでは、皆様のご希望を伺います」
ハルトは見本帳を見ながら言った。
「せっかくだし、みんな同じシリーズみたいな感じにしたいな」
「シリーズですか?」
「うん。」
ハルトは仲間たちを見回す。
「ベースは全部一緒。」
「黒い鞘に金色の家紋……じゃなかった、会社のロゴ。」
「鍔も同じ形。」
「柄巻きも黒。」
「ぱっと見で『炎の勇者』って分かるデザイン。」
「その代わり、それぞれの個性だけ少し入れる。」
「例えば刃文とか、鞘のワンポイントとか。」
「なるほど……」
黒川は何度も頷く。
「統一感を持たせながら、それぞれ一点物にするわけですね」
「そう!」
「仲間って感じがするだろ?」
その一言に。
五人の少女たちは自然と笑みを浮かべた。
「素敵です」
陽葵が嬉しそうに微笑む。
「私、そのデザインがいいです」
「私も賛成」
結衣も頷く。
「会社の記念品にもなるしね」
「非常に良い案かと思います」
聖奈も迷わず同意する。
「展示用の一本も同じ意匠で、より豪華な仕様にいたしましょう」
「それいい!」
ハルトは大きく頷いた。
こうして。
六人それぞれのための六振り。
そして株式会社炎の勇者のシンボルとなる展示用の一振り。
合計七振りの日本刀が正式に注文された。
黒川は注文書を丁寧にまとめると、深く頭を下げる。
「責任を持って製作させていただきます。」
「完成まで、およそ半年ほどお時間を頂戴いたします。」
「楽しみに待ってます!」
ハルトは満面の笑みで答えた。
半年後。
世界に七振りしか存在しない、日本刀が完成することになる。
工房を後にした一行は、再び専用車へ乗り込んだ。
窓の外では、京都の町並みがゆっくりと流れていく。
午後の日差しも少しずつ傾き始め、夕暮れが近づいていることを感じさせた。
「この後ですが」
聖奈がスケジュール表を確認しながら口を開く。
「夜は旅館で宴会を予定しております。」
「宴会!」
ハルトが嬉しそうに反応する。
「料理楽しみ!」
「そこは変わりませんね……」
結衣は苦笑する。
「ですので、夕食までは一度ヴィラへ戻り、ゆっくり休憩していただこうと思います」
「賛成です」
陽葵が小さく伸びをした。
「今日は朝から結構歩きましたし」
「少し休憩した方が、夜も楽しめそう」
摩夜も頷く。
「了解!」
ハルトもあっさり了承した。
「じゃあヴィラでのんびりするか!」
その言葉を聞いた結衣は、ほんの少しだけ安心する。
(珍しい……)
(今日はちゃんと休む気なんだ。)
そんな期待を抱いたのも束の間だった。
――――――
ヴィラへ戻ると、それぞれがリビングで思い思いにくつろぎ始める。
陽葵はソファに座って紅茶を飲み、
摩夜はノートパソコンを開き、
聖奈は宴会の最終確認を始め、
凛は静かに庭を眺めていた。
そんな中——
「よし。」
ハルトが立ち上がる。
「ちょっと未来行ってくる。」
「…………」
部屋の空気が止まった。
結衣がゆっくり振り返る。
「……今、なんて?」
「未来。」
「いや、その単語は聞こえた。」
「だから未来。」
「いやだから!」
結衣は勢いよく立ち上がる。
「休憩するんじゃなかったの!?」
「休憩だよ?」
ハルトはきょとんとした顔をする。
「未来までちょっと取りに行くだけ。」
「その『ちょっと』の基準がおかしいの!」
結衣のツッコミがヴィラ中へ響いた。
「だって半年待つの長いじゃん。」
「普通は待つの!」
「でも俺、時間魔法あるし。」
「そういう問題じゃない!」
ハルトは首を傾げる。
「未来にはもう完成してるんだろ?」
「まあ……理屈の上では……」
「だったら取りに行けばいいじゃん。」
「その発想になる人類はいないの!」
結衣が頭を抱えている横で、摩夜が冷静に呟く。
「勇者基準では合理的。」
「合理的じゃないから!」
聖奈も少し困ったように笑う。
「勇者様でしたら可能ではありますが……」
「だろ?」
ハルトは得意げに笑う。
「じゃ、行ってくる。」
そう言うと、右手を軽く前へかざした。
「時間魔法——《クロノ・ロード》」
空間が静かに揺らぐ。
目の前に金色の魔法陣が幾重にも重なり、時計の針を思わせる光の輪がゆっくりと回転し始めた。
「相変わらずスケールがおかしい……」
結衣が呆然と呟く。
ハルトはその光の中へ一歩踏み込む。
姿が光へ溶け——
次の瞬間。
ぱっと消えた。
「……行った。」
陽葵がぽつりと呟く。
「未来へ。」
「もう何も驚かない。」
摩夜が真顔で紅茶を飲む。
「十分驚いて。」
結衣は即座に突っ込んだ。
それから数十秒後。
再び光が揺らぎ、ハルトが何事もなかったように戻ってきた。
「ただいまー。」
その両手には。
二振りの日本刀が収められた木箱が抱えられていた。
「取ってきた!」
「…………」
全員の視線が木箱へ集まる。
「え?」
結衣が固まる。
「それ……」
「完成品。」
「いやいやいや!」
結衣は思わず頭を抱えた。
「本当に持ってきちゃったの!?」
「うん。」
ハルトは木箱をテーブルへ置く。
「半年後に受け取って、そのまま戻ってきた。」
「さらっと言わないで!」
聖奈も思わず苦笑する。
「未来の勇者様も驚かれたのでは?」
「いや。」
ハルトは笑った。
「『あー、過去の俺か』って普通に渡してくれた。」
「慣れてるんですか!?」
「何回かやってるし。」
「やってるんだ……」
結衣は遠い目になった。
しかし、そこでふと気付く。
「待って。」
「半年後に受け取る予定だった刀を今持ってきたら……」
「未来では受け取れなくならない?」
ハルトは「ああ」と頷く。
「大丈夫大丈夫。」
「何が?」
「時間魔法って、その辺ちゃんと補正されるんだ。」
「補正?」
「本来の時間軸になって俺たちが半年後に受け取る頃には、今ここにある刀と、その時に受け取る刀が時間の流れの中で自然に重なって、一つになる。」
「……一つになる?」
「うん。」
ハルトは当たり前のように説明する。
「同じ存在が二本ある状態は世界の方が嫌がるから。」
「だから時間が一致した瞬間に『あ、これ同じ刀だ』って認識して、いい感じに融合する。」
「いい感じって何!?」
結衣が思わず叫ぶ。
「説明雑すぎるでしょ!」
「でも実際そうなる。」
「その『そうなる』が一番怖い!」
ハルトは笑顔のまま木箱を軽く叩く。
「ほら。」
「未来も変わってない。」
「因果も壊れてない。」
「世界も普通。」
「便利だろ?」
「便利じゃなくて恐怖なの!」
結衣は深いため息をついた。
この勇者にとって。
半年という時間は、歩いて隣の部屋へ行く程度の距離でしかないらしい。
そんな規格外の時間感覚に、五人は改めて「勇者」という存在の非常識さを実感するのだった。
リビングのテーブル。
ハルトが未来から持ち帰ってきた日本刀は、美しい木箱に納められたまま静かに置かれていた。
凛はそっと一本を手に取り、鞘越しにその重みを確かめる。
「……美しいですね」
「さすが職人さんだよね」
結衣も頷く。
「これだけでも十分価値があるって分かる。」
鞘の艶。
柄の巻き。
鍔の細工。
どれも芸術品と呼ぶにふさわしい完成度だった。
だが——
ハルトは腕を組みながら首を傾げる。
「でもさ。」
「ん?」
「日本刀って武器じゃん?」
「そうだけど?」
「これ、美術品として最高なのは分かる。」
「でも俺、実用品としての日本刀も見てみたい。」
一同は一瞬黙った。
「……嫌な予感しかしない。」
結衣が額を押さえる。
ハルトは笑顔で言う。
「ちょっと作ってくるわ。」
「待って。」
「ん?」
「その一言で済ませる内容じゃないよね?」
「大丈夫大丈夫。」
ハルトは軽く手を振る。
「知識は今から覚えるし。」
「そこから!?」
「道具も作る。」
「そこも!?」
「材料も用意する。」
「全部じゃん!」
「工房も作る。」
「もう日本刀工房そのものじゃん!」
結衣のツッコミをよそに、ハルトは床へ魔法陣を展開した。
淡い銀色の光が床一面へ広がっていく。
「空間魔法——《ワールド・クリエイト》」
空気が静かに震えた。
目の前に黒い扉が現れる。
扉の向こうには、どこまでも広い別世界が広がっていた。
「これは……」
聖奈が思わず息を呑む。
「亜空間?」
「うん。」
ハルトは当然のように頷く。
「中は俺専用。」
「今回ちょっと本気出すから。」
そう言って振り返る。
「動画も撮るぞ。」
パチン。
指を鳴らす。
すると小型の撮影用魔道具——いや、現代風に言えば浮遊カメラが何台も空中へ現れ、自動的にハルトへレンズを向けた。
「よし。」
「撮影開始。」
結衣はもう止めることを諦めた。
「……いってらっしゃい。」
「すぐ戻る。」
ハルトは笑顔で亜空間へ入っていった。
扉が閉じる。
――――――
亜空間。
そこには何もない白い世界が広がっていた。
「まずは工房だな。」
ハルトは目を閉じる。
「検索魔法——《アカシック・サーチ》」
膨大な情報が頭へ流れ込む。
日本刀の歴史。
玉鋼の性質。
折り返し鍛錬。
火造り。
土置き。
焼き入れ。
焼き戻し。
研磨。
拵え。
数百年積み重ねられてきた刀鍛冶たちの知識。
一流から超一流。
さらに人類史に残る名工たちの技術まで。
その全てを、一瞬で理解する。
「なるほど。」
ハルトは小さく頷いた。
「分かった。」
それだけだった。
彼は異世界でもそうだった。
剣術も。
魔法も。
錬金術も。
料理も。
楽器も。
裁縫も。
人類が習得可能なあらゆる技能を、一度理解すれば人類最高峰まで到達できる。
それが勇者・ハルトという存在だった。
「次。」
「創造魔法。」
白い空間が揺らぐ。
巨大な炉。
ふいご。
金床。
大小様々な槌。
水槽。
研磨台。
すべてが、本物と寸分違わぬ精度で現れる。
さらに。
「材料。」
銀色の光が集まり、一塊の玉鋼が姿を現した。
異世界の神金属ではない。
日本刀に使われる、本物の玉鋼。
「せっかくなら同じ条件で作らないとな。」
ハルトは笑う。
「時間魔法。」
今度は工房全体へ巨大な魔法陣が広がる。
「《クロノ・アクセラレーション》」
世界が静止した。
いや。
止まったのは外側だ。
この亜空間だけが、何百倍、何千倍もの速度で時間を進め始める。
外では十分。
しかし、この中では何か月、何年という時間を費やせる。
さらに。
回復魔法が常時発動する。
疲労。
眠気。
空腹。
喉の渇き。
筋肉疲労。
集中力。
その全てが瞬時に回復し続ける。
何日作業を続けても、常に最高の状態を維持できる環境だった。
「よし。」
ハルトは玉鋼を炉へ入れた。
赤く染まる鋼。
取り出す。
打つ。
カンッ!
火花が散る。
折る。
また打つ。
何度も。
何度も。
何度も。
最初は検索した知識をなぞるような動きだった。
だが、一時間。
二時間。
一日。
三日。
一週間。
一か月。
亜空間の中で積み重ねられる膨大な時間の中で、ハルトの技術は凄まじい勢いで洗練されていく。
打つたびに精度が増し、
火加減は一度見ただけで見極め、
槌の角度は髪一本分の狂いもなく、
焼き入れの温度は完璧に制御される。
やがて。
検索魔法で得た知識を再現する段階は終わった。
そこから先は。
天才だけが到達できる領域。
歴代の名工たちの理論を理解し、
融合し、
さらにその先へ。
より美しく。
より強く。
より扱いやすく。
一本の刀として理想を追い求める。
その様子を、浮遊カメラが無言で撮影し続けていた。
何か月もの試行錯誤を経て。
ついに。
静かな工房に、一振りの日本刀が完成する。
黒漆の鞘。
流れるような刃文。
無駄を削ぎ落とした美しい姿。
芸術品でありながら、実用品としても極限まで完成度を高めた一振り。
「……できた。」
ハルトは静かに笑った。
「凛なら気に入ってくれるかな。」
その一言を残し、完成した日本刀を丁寧に木箱へ納める。
そして時間魔法を解除する。
長い長い鍛錬の時間は終わりを迎えた。
外の世界では——
まだ、ハルトが亜空間へ入ってから十分しか経っていなかった。
――――――
十分後。
リビングにいた五人は、何気ない雑談をしながらハルトを待っていた。
すると。
亜空間へ続く黒い扉が静かに開く。
「ただいまー。」
いつもと変わらない調子で、ハルトが姿を現した。
その腕には、一つの木箱が抱えられている。
「おかえりなさい。」
結衣が笑顔で迎える。
「今回は本当に十分だったね。」
「言っただろ?」
ハルトは得意げに笑う。
「ちゃんと十分で帰ってきた。」
「中では何年いたの?」
「んー……」
ハルトは少しだけ考え込む。
「途中から数えるのやめた。」
「でしょうね!」
結衣は即座にツッコむ。
「どうせそうだと思った!」
ハルトは笑いながら木箱をテーブルへ置く。
「それより見てくれ。」
ゆっくりと蓋を開く。
その瞬間。
室内の照明を受けて、一振りの日本刀が静かに輝いた。
「…………」
誰も言葉を発しない。
工房で見た刀も美しかった。
だが、それとはどこか違う。
余計な装飾はない。
それなのに目を奪われる。
静かな存在感。
まるで長い年月を戦場で生き抜いてきた名刀のような風格が漂っていた。
「これ……」
摩夜が珍しく目を見開く。
「本当に作ったの?」
「うん。」
ハルトはあっさり答える。
「玉鋼から。」
「本当に?」
「本当に。」
陽葵も恐る恐る近付く。
「すごく……綺麗です。」
「ありがとう。」
ハルトは満足そうに笑った。
「でも。」
そう言って刀を持ち上げる。
「刀って飾るだけじゃないからな。」
「え?」
「武器だし。」
嫌な予感がした。
結衣がゆっくりと口を開く。
「……何するの?」
「試し切り。」
「何を?」
「ちょうどいい物を作る。」
「ちょうどいい物って何?」
ハルトは庭へ出る。
五人も慌てて後を追い掛けた。
ヴィラの広い庭。
誰もいないことを確認すると、ハルトは右手を前へ向ける。
「創造魔法。」
ゴゴゴゴ……
地面が揺れる。
次の瞬間。
庭の中央へ、高さ三メートルほどの巨大な金属柱が現れた。
「え?」
結衣は固まる。
「それ……何?」
「アダマンタイト。」
「アダマンタイト!?」
凛まで驚いた。
異世界最高峰の超硬度金属。
伝説級の武具にしか使われない素材。
それが一本丸ごと柱になっている。
「ちょうどいいかなって。」
「全然ちょうどよくない!」
結衣が叫ぶ。
「日本刀の試し切りに使う物じゃないから!」
「でも一番硬いし。」
「だから!」
ハルトは刀を静かに抜いた。
すぅ……と澄んだ音が響く。
そして。
「よっと。」
軽く一閃。
ただ、それだけだった。
キィン……
澄んだ音だけが響く。
一瞬、何も起きていないように見えた。
「……切れてない?」
陽葵が首を傾げる。
すると。
サラサラサラ……
柱の上部が崩れ始めた。
「え?」
次の瞬間。
高さ三メートルのアダマンタイト柱が、まるで長ネギの千切りのように極薄の細切れとなって地面へ崩れ落ちていく。
シャララララ……
無数の金属片が、美しく積み重なって山になる。
「…………」
沈黙。
誰も声が出ない。
ハルトは刀身を確認する。
「うん。」
「刃こぼれなし。」
光にかざす。
刃先には傷一つ付いていなかった。
「成功だな。」
「成功じゃないよ!!」
結衣が頭を抱えた。
「何その切れ味!」
「アダマンタイトだよ!?」
「異世界でも伝説級なんだけど!?」
「まあ。」
ハルトは照れ笑いする。
「ちょっと頑張った。」
「『ちょっと』で済ませる話じゃない!」
摩夜が静かに細切れとなった柱を見つめる。
「材料強度を完全に上回る刃。」
「物理法則が泣いてる。」
「泣いてるねぇ……」
陽葵も苦笑する。
一方。
凛だけは、完成した刀から目を離せなかった。
武人だからこそ分かる。
あの一太刀。
技だけではない。
刀そのものが、使い手の動きへ完全に応えていた。
それは間違いなく、一流どころか伝説級の一振りだった。
その凛を見たハルトは微笑む。
「凛。」
「……はい。」
「こっち来て。」
凛はゆっくり歩み寄る。
ハルトは静かに刀を鞘へ納めると、両手で持ち直した。
そして。
まるで儀式のように、凛の前へ差し出す。
「これ。」
「凛にやる。」
一瞬。
時間が止まったような静寂が流れた。
主君が。
騎士へ。
新たな剣を授ける。
その姿は、まるで歴史映画の戴剣式を切り取ったかのように荘厳だった。
凛の瞳がわずかに揺れる。
「主……」
震える手で刀を受け取る。
その瞬間、自然と片膝をついていた。
それは命令ではない。
長年騎士として生きてきた彼女の身体が、本能で選んだ礼だった。
「この剣……確かに、お受けいたします。」
静かに頭を垂れる。
「騎士・剣崎凛。」
「この命尽きるその時まで、主より賜りましたこの剣とともに、お傍にお仕えすることを改めて誓います。」
その声音は震えていた。
嬉しさと。
誇りと。
そして、騎士としての覚悟が込められていた。
ハルトは少し照れくさそうに頭をかいた。
「そんな大げさじゃなくていいって。」
「似合うと思ったから作っただけ。」
「……はい。」
凛は小さく微笑む。
だが、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
前世でも。
今世でも。
自分はこの人から剣を授かった。
それ以上に嬉しいことなど、彼女には存在しなかった。
その光景を見守っていた四人も、誰一人として茶化すことはできなかった。
そこにあったのは、恋愛とも友情とも違う。
主君と騎士だけが共有できる、何よりも深い信頼の証だった。




