第48話 失われた奇跡と、炎の勇者チャンネルの決断
翌日の放課後。
青葉高校の動画研究部室――現在では、すっかり『炎の勇者チャンネル』の作戦会議室と化したその部屋には、これまでにない重苦しい空気が流れていた。
誰もがスマートフォンやノートパソコンへ視線を落とし、絶え間なく更新される情報を追い続けている。
「……増え続けてるね」
最初に口を開いたのは結衣だった。
疲れたようにため息をつきながら、画面を皆へ向ける。
「『元に戻せ』『あの奇跡を返して』『何をしたんだ』……うわぁ、もう海外でも同じ流れになってる」
画面には、世界中の言語で似たような投稿が並んでいた。
『奇跡を返せ』
『どうして消した』
『もう一度あの配信を』
『人生が変わったんだ』
『頼むから戻してくれ』
『あれがないと眠れない』
『俺の痛みを返すな』
『お願いだ』
中には、動画のコメント欄だけでは飽き足らず、炎の勇者チャンネルの公式SNSや問い合わせフォームへ大量の要望を書き込む者まで現れている。
「完全に依存状態ですね……」
聖奈が静かに言った。
「治癒そのものより、『奇跡が当たり前になってしまった』ことが問題です。一度手に入れたものを失えば、人は冷静ではいられません」
「現代社会では、希少な資源を失った時にも似たような現象が起きる。今回は、それが個人の精神に直接起きている」
摩夜も画面をスクロールしながら淡々と分析する。
「掲示板では『運営が裏で修正した』『政府に消された』『医療業界の圧力だ』という陰謀論まで出始めた」
「早いな!」
ハルトが妙に感心したような声を出した。
「陰謀論ってそんなすぐ出るんだな!」
「感心するとこじゃないから!」
結衣の鋭いツッコミが飛ぶ。
「原因はハルトだからね!?」
「え、俺?」
「俺? じゃない!」
結衣は机を軽く叩いた。
「そもそも無意識とはいえ、配信に奇跡をばらまいたのがハルト! それを今度は回収したから、『失った』って人が大量発生してるの!」
「うーん……」
ハルトは腕を組み、本気で考え込む。
「でも、あのまま残してたらもっとまずかったんだろ?」
「それはそう」
「じゃあ取るしかなかったよな?」
「それもそう」
「じゃあ仕方なくない?」
「だから困ってるんでしょうが!」
勢いよく突っ込んだ結衣は、そのまま机へ額を預けた。
「はぁ……もう……毎回スケールが大きすぎるのよ……」
凛も腕を組みながら真剣な顔でうなずく。
「敵が見えれば護衛もできますが……今回は相手が世界中です」
「護衛対象がコメント欄に囲まれている状況、と言うべきかな」
摩夜がさらりと言う。
「物理的に剣では斬れない」
「斬っちゃ駄目だからね?」
結衣は反射的に返した。
そんなやり取りを聞きながらも、聖奈は冷静に現状を整理していく。
「現時点で実際の被害報告はありません。」
「暴徒化というより、ネット上での混乱が中心です。」
「ですから、こちらも冷静に対処すべきでしょう。」
「具体的には?」
ハルトが尋ねる。
「まず公式として、『動画内容に変更を加えた事実はない』という最低限の説明を出します。」
「問い合わせには定型文で対応。」
「悪質な誹謗中傷は法務部が処理。」
「情報拡散は摩夜さんが監視。」
「時間が経てば熱量は徐々に落ち着いていくはずです。」
摩夜もうなずいた。
「炎上案件の多くは時間が解決する。」
「今回も感情のピークを越えれば収束する可能性が高い。」
「完全に収まるまで一週間から数週間、といったところかな」
「なるほど!」
ハルトは納得したように笑う。
「じゃあ、その方向で行こう!」
「ええ」
聖奈は静かに微笑んだ。
「騒ぎに反応しすぎる方が、かえって火へ油を注ぎます。」
「公式はあくまで冷静に。」
「時間を味方につけましょう。」
部屋の空気が、ほんの少しだけ落ち着く。
少なくとも運営としての方針は決まった。
これ以上は騒ぎへ付き合わない。
事務的に。
淡々と。
時間をかけて沈静化を待つ。
それが全員の結論だった。
だが――。
その場で一人だけ。
静かに唇を結んでいる少女がいた。
猫宮陽葵。
膝の上で握り締めた両手へ、自然と力が入る。
(……違います。)
(皆さんは、ハルトさんを責めたいわけじゃない。)
(奇跡を失って、不安で、悲しくて、どうしていいか分からないだけ。)
だからこそ。
このまま事務的な対応だけで終わらせるのは違う。
陽葵にはそう思えた。
(私なら……。)
人気配信者『ベネルディス』としてなら。
あの人たちは話を聞いてくれる。
普段から配信を見てくれている視聴者も多い。
きっと、自分が直接「もうやめましょう」と伝えれば――。
(皆さん、落ち着いてくださるかもしれません。)
誰にも気付かれないよう、小さく息を吸う。
その瞳には、静かな決意が宿っていた。
この件だけは。
配信者として。
そして、ハルトを信じる一人として。
自分の言葉で止めなければならない。
陽葵は誰にも悟られぬよう、そっとスマートフォンを握り締めた。
――――――
その日の夜。
普段なら配信予定のない時間帯。
人気配信者『ベネルディス』のチャンネルに、突然通知が飛んだ。
――ゲリラ配信開始。
その一本の通知だけで、待機人数はあっという間に数万人を超える。
『え、急に!?』
『珍しい』
『何かあった?』
『ASMRの件?』
『絶対その話だ』
『ベネルディス来た』
コメントが滝のように流れる中、画面が切り替わる。
「皆さん、こんばんは。」
いつもと変わらない、穏やかな笑み。
柔らかな照明の下で、猫宮陽葵――配信者ベネルディスは深く頭を下げた。
「本日は、急なお時間にもかかわらず、お集まりいただきありがとうございます。」
その声は普段と同じ優しいものだった。
しかし、表情だけはどこか引き締まっている。
「最初に、お伝えしなければならないことがあります。」
陽葵は一度、小さく息を吸った。
「今日は、皆さんを楽しませるための配信ではありません。」
コメント欄の流れが少しだけ遅くなる。
「雑談も、ゲームも、歌もありません。」
「そして、この配信は途中から来られた方にも誤解なく伝わるよう、できるだけ真剣にお話しさせていただきます。」
その言葉だけで、多くの視聴者が空気の違いを察した。
『マジだ』
『そんなに深刻なの?』
『了解』
『聞きます』
陽葵は再び深く頭を下げる。
「まず最初に。」
「今回の件とは関係のない皆さんへ、お詫び申し上げます。」
「本来であれば、今日も皆さんに楽しい時間をお届けしたかったのですが、このようなお話をしなければならなくなってしまいました。」
「申し訳ありません。」
数秒間。
静かに頭を下げ続ける。
コメント欄にも自然と、
『大丈夫だよ』
『謝らないで』
『顔上げて』
『気にしないで』
そんな言葉が並び始める。
やがて陽葵はゆっくり顔を上げた。
「それでは、本題に入ります。」
普段なら決して使わない、硬い口調。
「現在、インターネット上では『炎の勇者チャンネルが奇跡を消した』『意図的に何かを隠した』『誰かの圧力があった』など、様々なお話が広がっています。」
「ですが。」
陽葵は真っすぐカメラを見つめる。
「そのような事実はありません。」
はっきりと。
一切迷いなく言い切った。
「ネット上で言われているような陰謀もありません。」
「誰かが皆さんから何かを奪った、という事実もありません。」
「事実ではない情報が、事実であるかのように広がっています。」
コメント欄は静まり返っていた。
『……』
『聞いてる』
『続けて』
『うん』
陽葵は穏やかな声色を保ったまま続ける。
「そして今、その事実ではない情報を信じた方々が、炎の勇者チャンネルの皆さんへ数多くのコメントや問い合わせを送られています。」
「中には、強い言葉で責めるものや、傷付ける内容も含まれていると聞いています。」
そこで一度だけ、表情が厳しくなる。
「どうか、おやめください。」
その一言には、普段の配信では見せない強さがあった。
コメント欄が止まる。
「事実が分からないまま誰かを責めること。」
「怒りに任せて言葉をぶつけること。」
「誹謗中傷を繰り返すこと。」
「それは決して正しい行動ではありません。」
静かな声。
それでも、一言一言が胸へ響く。
「画面の向こうには、人がいます。」
「皆さんと同じように、笑って、悩んで、傷付く人がいます。」
「そのことだけは、どうか忘れないでください。」
コメント欄へ、少しずつ空気の変化が現れ始める。
『……そうだよな』
『言い過ぎてたかも』
『冷静になる』
『ごめん』
『確かに』
陽葵は小さくうなずいた。
「私は皆さんを信じています。」
「だからこそ、お願いではありません。」
その瞳に、配信者としての決意が宿る。
「これは、私から皆さんへのお願いではなく、はっきりとした意思です。」
「どうか、今この瞬間から。」
「事実ではない情報を広めること。」
「そして、炎の勇者チャンネルへの誹謗中傷は、やめてください。」
「皆さんなら、きっとできます。」
そう言って、陽葵は静かに頭を下げた。
画面の向こうには、数十万人の視聴者。
その誰もが、普段の癒やし系配信では決して見られない、ベネルディスの真剣な姿を見つめていた。
しかし。
陽葵の願いは、その場では届かなかった。
配信開始から十分ほど。
コメント欄の空気が、ゆっくりと変わり始める。
『でも説明になってなくない?』
『事実はありません、だけ?』
『じゃあ何で急に効果がなくなったんだよ』
『そこを説明して』
『納得できない』
最初は疑問だった。
だが、その疑問へ別の誰かが反応する。
『結局ごまかしてるだけじゃん』
『炎の勇者チャンネルをかばってるんだろ』
『仲良いもんな』
『身内だからそう言うしかないよね』
『信じろって言われても』
コメントの流れが、少しずつ速くなる。
陽葵は最後まで落ち着いた表情を崩さなかった。
「皆さんのお気持ちは分かります。」
「ですが、誰かを傷付けることだけは――」
その言葉さえ。
大量のコメントに飲み込まれていく。
『きれいごと』
『答えになってない』
『返してくれれば終わる話』
『奇跡を返せ』
『返せ』
『返せ』
『返せ』
同じ言葉が、画面を埋め尽くしていく。
配信開始直後から見ていた視聴者の中には、
『ベネルディスさんの話を聞こう』
『落ち着こう』
『責めても意味ない』
と呼びかける者もいた。
しかし、それ以上の勢いで新しい視聴者が流れ込んでくる。
SNSで、
『ベネルディスが炎の勇者をかばってる』
『今配信中』
『凸しよう』
そんな投稿が拡散された結果だった。
配信を最初から見ていない人々は、事情を知らないまま途中から流れ込み、画面の一部だけを見て判断する。
『つまり隠してるってこと?』
『説明責任』
『逃げるな』
『奇跡を返せ』
『謝罪しろ』
『炎の勇者出てこい』
コメントは雪崩のように増え続ける。
画面が文字で真っ白になるほどの勢いだった。
陽葵は静かに息を吸う。
それでも声を荒らげない。
「皆さん、どうか落ち着いて――」
だが、その声は届かない。
コメント欄はもはや会話ではなく、一方的な感情の洪水になっていた。
その頃。
青葉高校近くの結衣の自宅。
夕食後もノートパソコンを開き、炎の勇者チャンネルへの反応を監視していた結衣は、ふと通知へ目を向けた。
「……え?」
ベネルディスチャンネル。
同時接続者数。
わずか数分で急上昇。
そしてコメント速度は、普段の何倍にも達していた。
「陽葵ちゃん!」
慌てて配信を開く。
そこに映っていたのは。
一人で必死に視聴者へ語り掛ける陽葵だった。
そして画面を埋め尽くす、
『返せ』
『返せ』
『返せ』
『炎の勇者を出せ』
『隠れるな』
『説明しろ』
というコメント。
結衣の顔色が変わる。
「まずい……!」
陽葵は一人で止めようとしている。
けれど。
今の相手は、もう一人や二人の言葉で止まる人数ではない。
結衣は迷わずスマートフォンを手に取った。
「ハルト!」
『もしもし?』
「大変! 陽葵ちゃんが一人で配信してる!」
『え?』
「止めようとしてるけど全然止まらない! コメントが大変なことになってる!」
電話の向こうで、一瞬だけ沈黙。
次の瞬間。
『分かった。』
短い返事だった。
「俺、今から行く。」
「えっ!? どこに――」
『陽葵のところ。』
それだけ言って電話が切れる。
結衣は思わず立ち上がった。
「まさか……!」
その頃。
陽葵はまだ配信を続けていた。
「皆さん……どうか――」
その時だった。
配信部屋の床へ、淡い光の魔法陣が静かに広がる。
見慣れた金色の光。
次の瞬間。
空間が揺らぎ、一人の少年が姿を現した。
「陽葵。」
制服姿のハルトだった。
「ハルトさん……!」
突然の出来事に陽葵は目を丸くする。
しかし。
もっと大きく反応したのは視聴者だった。
『は!?』
『本人来た!!』
『炎の勇者!?』
『転移演出!?』
『どうやって入った!?』
『出てきた!!』
コメント欄は一瞬静まり返り――
次の瞬間。
それまで以上の勢いで流れ始める。
『説明しろ!!』
『奇跡を返せ!!』
『逃げるな!!』
『何をした!?』
『何で消した!!』
『元に戻せ!!』
怒りも。
疑問も。
混乱も。
そのすべてが、今度は画面へ現れたハルト本人へ一斉に向けられていた。
画面いっぱいを埋め尽くすコメント。
『説明しろ!』
『奇跡を返せ!』
『何をした!』
『逃げるな!』
『元に戻せ!』
配信画面の右側は、もはや文字の壁だった。
陽葵はその勢いに息をのみ、小さく唇をかむ。
「ハルトさん……私……」
自分の言葉では止められなかった。
その事実が胸へ重くのしかかる。
そんな陽葵の頭へ。
ぽん、と優しく手が乗せられた。
「大丈夫。」
聞き慣れた、安心する声。
ハルトはいつもの笑顔で陽葵を見つめていた。
「陽葵はちゃんと頑張った。」
「でも……」
「一人で抱え込まなくていいって。」
そう言って、軽く頭を撫でる。
その手の温もりだけで、陽葵の張り詰めていた心が少しだけほどけた。
「はい……」
小さくうなずく。
ハルトは安心したように笑うと、そのまま机の上に置かれた配信用モニターへ視線を向けた。
「おぉ。」
流れ続けるコメントを見て、素直に感心したような声を漏らす。
「すげーな。」
陽葵が目を瞬かせる。
「こんな速さでコメント流れるんだ。」
ハルトは画面を眺めながら、まるで人気配信を初めて見た少年のように目を輝かせていた。
「人気配信者ってやっぱ違うな。」
「ハルトさん……」
陽葵は思わず苦笑してしまう。
コメントの内容ではなく。
コメントの流れる速さに感心している。
そんな人は世界中を探しても、この人くらいだろう。
もちろんコメント欄は止まらない。
『無視するな!』
『聞いてるのか!』
『説明しろ!』
『返せ!』
『返せ!』
『返せ!』
しかし。
ハルトは最後まで、その内容へ一切反応しなかった。
「うーん。」
少しだけ考えるように首をかしげる。
「みんな、ちょっと興奮してるみたいだな。」
その認識は、ある意味では正しかった。
怒り。
焦り。
喪失感。
不安。
様々な感情が互いをあおり合い、一つの巨大な感情の波になっている。
ハルトは陽葵へ振り返る。
「これなら簡単だ。」
「え?」
「昔も似たようなの、結構あったから。」
異世界。
戦争の終結後。
救えなかった者への怒り。
大切な人を失った悲しみ。
復讐心。
国同士の憎しみ。
そんな負の感情が連鎖し、新たな争いへ発展しそうになるたび。
勇者だったハルトは、一つの補助魔法を使っていた。
「ちょっと借りるな。」
そう言って、配信用マイクへ軽く近付く。
右手を胸の前へ上げる。
詠唱らしい詠唱すらない。
呼吸をするほど自然に。
日常動作のように。
魔法が発動した。
誰にも見えない。
誰にも感じられない。
それでも確かに存在する魔力が、静かにマイクへ溶け込んでいく。
「――精神鎮圧。」
小さく呟いた、その一言だけ。
魔法陣すら現れない。
光もない。
音もない。
だが。
その瞬間。
画面の向こう側へ、膨大な魔力が一気に広がっていった。
それは昨日のASMRとは比較にならない。
あの時は。
無意識に漏れ出した魔力が、偶然録音へ残っただけだった。
だからこそ、疲労回復や治癒という奇跡が起きた。
しかし今回は違う。
世界最強の勇者が。
明確な意思を持ち。
目的を定め。
必要な効果だけを乗せて放った魔法。
その密度も。
精度も。
規模も。
昨日とはまるで別物だった。
画面の向こうでは。
コメントを書こうとしていた指が止まる。
怒鳴ろうとしていた口が閉じる。
胸を支配していた熱が、静かにほどけていく。
怒りが消えたわけではない。
記憶が消えたわけでもない。
ただ。
誰かを傷付けたい。
責めたい。
ぶつけたい。
その攻撃性だけが、まるで朝霧が晴れるように静かに消えていった。
配信画面では。
さっきまで滝のように流れていたコメントが、目に見えて減速し始める。
『……』
『あれ?』
『なんか』
『落ち着いた』
『俺、何であんなに怒ってたんだ?』
『ちょっと冷静になる』
『一回寝ようかな』
『言い過ぎたかも』
『ごめん』
陽葵は、その光景を呆然と見つめていた。
数十万人。
いや、その向こうにいる何十万、何百万という人々の感情が。
たった一度の魔法で、静かに鎮められていく。
昨日、無意識に漏れた魔力だけで世界中へ奇跡を起こした人が。
もし最初から意図して魔法を使ったなら。
その影響がどれほど規格外なのか。
答えは、今まさに画面の向こうで示されていた。
コメント欄の流れは、完全に変わっていた。
『……何か冷静になった。』
『さっきまで何であんなに怒ってたんだろ。』
『ちょっと頭冷やす。』
『言い過ぎたかもしれない。』
『ごめんなさい。』
先ほどまで画面を埋め尽くしていた攻撃的な言葉は、ほとんど姿を消している。
代わりに流れてくるのは、自分自身を振り返るようなコメントばかりだった。
ハルトはその様子を見て、小さくうなずく。
「うん。」
「これなら大丈夫そうだな。」
そう言うと、配信用のマイクへ向き直った。
「えーっと。」
「みんな、聞こえるか?」
コメント欄には、
『聞こえる』
『聞こえてる』
『はい』
と穏やかな反応が返ってくる。
ハルトは普段動画で話す時と変わらない、自然な笑顔で続けた。
「俺さ。」
「みんなに動画を見てもらえるのはすごく嬉しい。」
「『面白かった』とか。」
「『すごかった』とか。」
「『次も楽しみ』とか。」
「そういうコメントを見るの、結構好きなんだ。」
照れくさそうに頭をかく。
「やっぱり褒められると嬉しいし。」
「応援してもらえると、次も頑張ろうって思える。」
それは、ハルトの本音だった。
異世界では誰にも知られなかった英雄。
だからこそ現代では、自分を見てもらいたい。
認めてもらいたい。
その承認欲求を、彼は隠そうともしない。
「でも。」
そこで少しだけ真面目な表情になる。
「だからって。」
「『こうしろ。』
『ああしろ。』
『俺たちの言うことを聞け。』」
「そうやって要求してくる人までは、俺はいらない。」
静かな口調だった。
怒っているわけでもない。
見下しているわけでもない。
ただ、自分の考えを述べているだけだった。
「俺は、自分が面白いと思った動画を作る。」
「見たい人が見てくれれば嬉しい。」
「応援してくれるなら、もっと嬉しい。」
「でも。」
「それ以上は違う。」
異世界でも同じだった。
助けを求める人は助ける。
救える命は救う。
しかし。
勇者だから。
英雄だから。
国のために永遠に戦え。
王の命令に従え。
そう命じてきた者たちには、相手が王侯貴族であろうと首を縦には振らなかった。
勇者は道具ではない。
それがハルトの変わらない信条だった。
「だからさ。」
笑って言う。
「俺の動画を見たくなくなったなら、それでもいい。」
「また見たいって思った時だけ来てくれ。」
「その方がお互い気楽だろ?」
コメント欄には、
『……確かに』
『それが普通か』
『ごめん』
『求めすぎてた』
『反省します』
という言葉が、静かに流れていく。
ハルトは満足そうにうなずいた。
「よし。」
「じゃあ、この話は終わり!」
急にいつもの調子へ戻る。
「みんな、おとなしく次の動画を待っててくれ!」
「今度もちゃんと面白いの撮るから!」
親指を立てて笑う。
「それじゃ!」
「またな!」
そう言って、配信は終了した。
画面が暗転する。
部屋へ静寂が戻った。
「……終わりましたね。」
陽葵は深く息を吐く。
全身から力が抜け、椅子へ座り込んだ。
ハルトはそんな陽葵を見て、いつものように笑う。
「お疲れ。」
「頑張ったな。」
「……でも。」
陽葵は少しだけうつむいた。
「私は止められませんでした。」
「一人で何とかしようとしたのに……。」
その言葉へ、ハルトは首を横へ振る。
「一人で何とかしなくていい。」
あまりにも自然に。
当たり前のことのように言った。
「俺たち、チームだろ?」
「困った時は頼ってくれ。」
「陽葵だけじゃない。」
「結衣も、聖奈も、凛も、摩夜も。」
「みんなでやればいいんだから。」
陽葵は目を見開く。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……はい。」
その返事を聞き、ハルトは満足そうに笑った。
「じゃあ、俺帰るな。」
床へ淡い金色の魔法陣が広がる。
「また学校で。」
「はい。」
「また明日です、ハルトさん。」
光が部屋を包み込む。
一瞬後には。
ハルトの姿は、跡形もなく消えていた。
静まり返った配信部屋。
陽葵はしばらく、その場へ立ち尽くしていた。
そして。
ハルトが立っていた場所へ、そっと手を伸ばす。
「……一人で無理をしなくていい。」
小さく、その言葉を繰り返した。
今日、自分は止められなかった。
けれど。
助けを求めれば、ハルトは迷わず来てくれた。
それが嬉しくて。
心強くて。
思わず頬がゆるむ。
「えへへ……。」
誰もいない部屋で、小さく笑う。
そして胸へ両手を当て、静かに目を閉じた。
(ありがとうございます、ハルトさん。)
(私は、本当に幸せ者ですね。)
配信部屋には、穏やかな夜だけが静かに流れていた。




