表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『承認欲求強めの最強勇者、魔法動画でバズって前世のヒロインたちを召喚してしまう~今世の幼馴染が管理しきれないほど愛が重すぎる~』  作者: 悪癖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/41

第30話 電脳の魔女、教壇に立つ

 剣道部企画を巡るアンチ騒動から数日。


 青葉高校の二年A組には、ようやく穏やかな朝が戻ってきていた。


「いやー、結局あの炎上も収まったな」


 登校してきた田辺が、自分の席へ鞄を放り投げながら笑う。


「ネットって移り変わるの早いよな」


「昨日なんて別の配信者が大炎上してたし」


「話題がそっちへ流れた感じ?」


 教室のあちこちから、そんな会話が聞こえてくる。


 数週間前まで、廊下を歩くだけで、


『炎の勇者チャンネルの奴だ』


『例の剣道部動画』


 などと囁かれていた空気はすっかり薄れていた。


 もちろん動画の人気が落ちたわけではない。


 むしろ逆だ。


 登録者数はさらに増え、動画一本ごとの再生数も以前を上回っている。


 世間はもう「炎上」ではなく、


『次は何をやるんだ』


という期待で彼らを見ていた。


「まあ、結果オーライだったな」


 ハルトは窓際の席でのんびりと笑う。


「炎上って悪いことばかりじゃないんだなぁ。登録者も増えたし」


「その考え方だけは本当にやめて」


 即座に結衣がツッコミを入れた。


「普通は炎上なんて喜ぶものじゃないの!」


「でも実際増えたし」


「たまたま!」


 結衣は机を軽く叩いた。


「たまたま上手くいっただけだからね!? 次も同じことしたら今度こそ終わるから!」


「分かった分かった」


 全然分かっていない笑顔だった。


 結衣は額を押さえる。


(本当に反省してない……)


 この幼馴染は世界最強の勇者である以前に、世界最強クラスのポジティブ思考だった。


 落ち込まない。


 へこたれない。


 反省もしない。


 だからこそ異世界で世界を救えたのだろうが、現代日本では保護者の胃がいくつあっても足りない。


「勇者様」


 凛が静かに歩み寄る。


「今回の件で一つ学びました」


「お、何?」


「現代日本では敵を倒すより、世論を敵に回さない方が難しいということです」


「そこまで分かってるなら十分だよ!」


 結衣は思わず立ち上がった。


「そうそう! そういうこと!」


「はい。ですので今後は敵を制圧する前に、まず撮影許可を確認いたします」


「そこじゃない!」


 教室中から笑いが漏れた。


「剣崎さん、それ逆!」


「違う違う!」


「やっぱ天然だなぁ」


 凛本人だけは首を傾げている。


「……違いましたか?」


「違うのよ……」


 結衣はもう訂正する気力も尽きかけていた。


 そんな様子を見ながら、聖奈が優雅に紅茶の入った水筒を閉じる。


「ですが、今回の件で法務部門の体制もさらに強化できました。結果として炎の勇者チャンネルは以前より安定しております」


「相変わらずスケールがおかしい……」


 結衣は苦笑する。


 普通の高校生は「法務部門」などという単語を日常会話で使わない。


 だが聖奈は当然のように口にする。


「次回からは学校側との調整も私どもで行いますので、ご安心ください」


「うん……ありがとう」


 もはや慣れた。


 この学校生活では、


 財閥令嬢がスポンサーを務め、


 全国最強の女子剣士が護衛を担当し、


 世界最強勇者が動画撮影を考えている。


 常識を気にしていたら負けなのである。


 その時だった。


 ガラリ。


 教室の扉が開く。


「はい、席につけー」


 担任教師が教室へ入ってきた。


 騒がしかった教室が少しずつ静かになる。


「朝のホームルームを始めるぞ」


 生徒たちが席へ戻る。


 担任は出席簿を閉じると、どこか嬉しそうな表情を浮かべた。


「今日はみんなに連絡がある」


「連絡?」


「何だろ」


 教室がざわつく。


「以前から話していた通り、本校では情報教育を強化することになった」


 教師は黒板にチョークを走らせる。


 そこに書かれた文字は、


 『現代情報学 特別講師』


 だった。


「それに伴って、本日から特別講師を迎えることになった」


 さらに教師は続ける。


「それだけじゃない」


 教室が静まり返る。


「その先生には、副担任としてもしばらくこのクラスを担当していただく」


「副担任!?」


「急じゃね?」


「若い先生かな?」


「男? 女?」


 生徒たちが一斉に入口へ視線を向ける。


 担任は教室の外へ向かって軽く会釈した。


「では、黒沼先生。どうぞ」


 静かに。


 本当に静かに、一人の女性が教室へ足を踏み入れた。


 黒いロングコート。


 長い黒髪。


 透き通るように白い肌。


 眠たそうにも見える細い目。


 二十代前半ほどの若い女性だった。


 教室中が思わず息をのむ。


(綺麗……)


 初めて見る生徒たちは、誰もがそう思った。


 結衣は目を丸くする。


(この人が……モルガナさん?)


 ハルトから名前だけは聞いていた。


 異世界で知り合った魔法使い。


 だが、まさかこんな若い女性だとは思っていなかった。


 聖奈は静かに目を細める。


(モルガナ……)


 前世では何度か名前を耳にした程度だったが、その独特な雰囲気は記憶の印象とよく一致していた。


 凛も背筋を伸ばす。


(あの大魔術師……)


 直接会うのは初めてだ。


 だが、勇者が認めた魔法使いというだけで十分すぎる存在だった。


 そんな三人とは対照的に。


「おっ、モルガナじゃん」


 ハルトだけは、まるで久しぶりに知り合いを見かけたような気軽さで声を上げた。


 教室の空気が一瞬止まる。


「え?」


「一ノ瀬、お前知り合いなのか?」


 クラス中の視線が一斉にハルトへ集まる。


 摩夜はその声を聞き、静かに視線を向けた。


 そして。


 ほんのわずかに口元を緩める。


「……また会えたね、君」


 それは教室の誰にも分からないほど小さな、けれど何年もの想いが滲む再会の一言だった。



 教室は静まり返っていた。


 新しく赴任してきた副担任――黒沼摩夜。


 あまりにも若く、どこか近寄りがたい雰囲気をまとった女性に、誰もが興味津々だった。


 そんな空気を見回した担任教師が、苦笑しながら肩をすくめる。


「まあ、みんな気になってるよな」


 教室から小さな笑いが起きる。


「実は一時間目の担当の先生が急な体調不良で休みになってな。代わりの先生が来るまで少し時間がある」


「えーっ!」


「ラッキー!」


「自習じゃないの?」


「いや」


 担任は首を横に振る。


「せっかくの機会だ。この時間を使って黒沼先生と親睦を深めてもらおうと思う」


 教室が一気にざわつく。


「質問コーナーってこと?」


「副担任の先生のこと知りたい!」


「情報の先生って何するんだろ」


「それじゃあ、黒沼先生」


 担任は教壇を譲るように一歩下がった。


「軽く自己紹介をお願いできますか」


「……分かった」


 摩夜は静かに前へ出る。


 黒板の前へ立っても緊張した様子はない。


 ただ淡々とチョークを取り、


 さらさら、と名前を書いた。


 黒沼 摩夜


 整った、癖のない字だった。


 チョークを置くと、教室全体をゆっくり見渡す。


 その視線は一瞬だけハルトに止まり――何事もなかったように全員へ向けられた。


「改めて」


「黒沼摩夜」


「今日から現代情報学の特別講師と、このクラスの副担任を担当する」


 淡々とした口調。


 声も決して大きくはない。


 それなのに、不思議と教室の隅々までよく通る。


「担当科目は情報全般」


「コンピューター、ネットワーク、情報セキュリティ、プログラム……その辺り」


 クラスメイトたちは「おお」と小さく頷く。


 ここまでは、ごく普通の情報教師だった。


 しかし。


 摩夜は少しだけ首を傾ける。


「まあ、本質的には全部同じ」


「情報霊脈の流れを理解して、術式を最適化する学問だから」


「…………」


 一瞬、教室の時間が止まった。


「……え?」


 誰かが思わず声を漏らす。


 結衣はゆっくりと顔を覆った。


(始まった……)


 まだ自己紹介なのに。


 もう嫌な予感しかしない。


 摩夜本人は全く気にしていなかった。


「例えば校内のWi-Fi」


「一般には無線通信と呼ばれているけど、あれは精霊回線」


「空間を流れる情報精霊が通信を仲介している」


「だから電波状況が悪い場所は、精霊が迷いやすい地形ということになる」


 教室は完全に静まり返る。


「…………」


「…………」


 田辺が隣の男子へ小声で囁く。


「情報の先生……だよな?」


「たぶん……」


「オカルト研究部じゃなくて?」


 結衣は心の中で叫んだ。


(ダメだこの人! 本気でそう思ってる!)


 一方のハルトだけは、


「なるほどなぁ」


 と素直に感心している。


「昔からモルガナは説明が上手いな」



「ハルトは納得しないで!」


 結衣のツッコミに、教室はどっと笑いに包まれた。


 それまで漂っていた妙な緊張感も、一気に和らぐ。


 担任も苦笑しながら口を開いた。


「まあ……情報の考え方は黒沼先生独特ということでな」


「質問がある人は、この機会だから何でも聞いてみるといい」


 すると、教室の後ろから男子生徒が手を挙げた。


「はい!」


「どうぞ」


「黒沼先生って、おいくつなんですか?」


 教室が少しざわつく。


「おい、それ聞く?」


「でも気になるだろ」


「めちゃくちゃ若く見えるし」


 摩夜は少しだけ考えるように視線を泳がせた。


「年齢……」


 小さく呟く。


「数えてない」


「…………」


 教室が静まり返る。


「正確には忘れた」


「えぇっ!?」


 思わずあちこちから声が上がる。


「忘れることある!?」


「先生、天然だ!」


 担任が慌てて咳払いをした。


「……まあ、その辺は本人が非公開ということで」


「……うん」


 摩夜も素直に頷いた。


 もちろん本当の理由は、人間の尺度で数えれば年齢を説明する方が難しいからなのだが。


 そんな事情を知る者は、この教室ではハルトだけだった。


 今度は女子生徒が手を挙げる。


「先生、ご結婚は?」


「おおー!」


「攻めるなぁ!」


 摩夜は一瞬だけ首を傾げた。


「してない」


「恋人は?」


「いない」


「好きな人は?」


 その質問だけは。


 摩夜の視線が、ごく自然に教室の窓際へ向いた。


 ほんの一瞬。


 本当に一瞬だけだった。


「……いる」


 静かな一言。


「えぇぇぇっ!?」


 教室中が一気に盛り上がる。


「意外!」


「どんな人ですか!」


「先生のタイプ知りたい!」


 質問攻めになりかけたところで、摩夜は少し考え込む。


「……優しい」


「うんうん」


「強い」


「おぉ」


「誰よりも真っすぐ」


「へぇー」


「世界を救った」


「…………」


 教室の空気が止まった。


「え?」


「最後なんて?」


「世界?」


 結衣は頭を抱える。


(危ない危ない危ない!)


 聖奈も静かに咳払いをする。


「黒沼先生。比喩、ですよね?」


「……?」


 摩夜は本気で不思議そうな顔をした。


「その人は世界を救った」


「事実」


 ハルトは照れくさそうに頭をかく。


「いやぁ、そんな大したことでも――」


「いや何で認めるのよ!」


 結衣のツッコミが炸裂し、再び教室は笑いに包まれた。


 誰も本気にはしていない。


 "世界を救った"という言葉も、変わった先生の少し大げさな惚気話くらいに受け取られていた。


「他には?」


 担任が話題を切り替える。


 前の席の女子が手を挙げた。


「先生って趣味はあるんですか?」


「趣味……」


 摩夜は少しだけ考え、


「読書」


「魔導書……じゃなくて、本」


「あと動画」


「動画?」


「最近はいろいろ勉強してる」


「へぇ、何を見るんですか?」


 摩夜は迷いなく答えた。


「炎の勇者チャンネル」


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間。


「先生も見てるんだ!」


「俺も登録してます!」


「最新動画めっちゃ面白かったですよね!」


 教室は思わぬ共通の話題で盛り上がる。


 当の本人であるハルトは、どこか照れ臭そうに笑っていた。


 そんな様子を見ていた担任が時計へ目を向ける。


「よし、そのくらいにしておこう」


 ちょうど廊下からチャイムが鳴り響く。


「代わりの先生も来たようだな」


 担任は教壇へ戻った。


「黒沼先生、ありがとうございました」


「みんなも席につけ。一時間目を始めるぞ」


 生徒たちは名残惜しそうに席へ戻っていく。


 その中で摩夜も静かに教壇を降り、副担任用の席へ腰を下ろした。


 窓から差し込む朝の日差しを受けながら、その横顔はどこか満ち足りたように穏やかだった。



――――――



 一時間目が終わり、休み時間。


 教室にはいつものような賑やかな空気が戻っていた。


 しかし、その話題の中心は一つしかない。


「黒沼先生、やっぱすごかったよな」


 田辺が机に肘をつきながら笑う。


「世界を救った人が好きって言い切る先生、初めて見たわ」


「しかも本人は真顔だったし」


「絶対天然だよな」


「でも美人だったなぁ」


「それは認める」


 男子たちが頷き合う。


 一方、女子たちも盛り上がっていた。


「雰囲気すごくない?」


「ミステリアスっていうか」


「声小さいのに聞き取りやすいよね」


「あと字がめっちゃ綺麗」


「服もなんか映画に出てきそうだった」


 好意的ではある。


 ただし。


「でも情報精霊って何?」


「そこだけ全然分からなかった」


「Wi-Fiを精霊って言われてもねぇ」


「新しい説明方法なのかな?」


 やはりそこだけは誰も理解できていなかった。


 結衣は苦笑する。


(意外と受け入れられてる……)


 もっと教室中が混乱すると思っていた。


 だが、生徒たちは、


「変わった先生」


くらいの認識で済ませているらしい。


 その隣ではハルトがのんびり頷いていた。


「モルガナの説明、昔からあんな感じだったぞ」


「昔っていつよ」


「冒険者やってた頃」


「その設定を普通に混ぜない!」


 結衣は即座にツッコむ。


「クラスメイトが聞いてるから!」


「ん?」


 ハルトは周囲を見回す。


「別に誰も気にしてないぞ?」


「そういう問題じゃないの!」


 そんなやり取りを見ていた田辺が笑う。


「一ノ瀬って先生と本当に知り合いなんだな」


「昔から?」


「ああ」


 ハルトは気軽に答えた。


「結構長い付き合いだぞ」


「へぇー!」


「意外!」


「先生って年上だよな?」


「まあ五歳くらい?」


「すげぇ」


 誰も深く追及しない。


 単純に「昔からの知り合い」と受け止められていた。


 その時。


 チャイムが鳴る。


 キーンコーンカーンコーン――。


「次って情報じゃなかった?」


「黒沼先生だ!」


「いきなり授業か」


「楽しみだな」


 教室の空気が少しだけ引き締まる。


 ガラリ。


 扉が静かに開いた。


 黒いロングコートを羽織った摩夜が、変わらぬ無表情で教室へ入ってくる。


「起立」


 学級委員の号令。


「礼」


「お願いします」


 全員が頭を下げる。


 摩夜も小さく会釈を返した。


「よろしく」


 そのまま教壇へ立つ。


 教室全体を一度だけ見渡し、静かに口を開いた。


「今日から現代情報学を担当する」


「改めてよろしく」


 短い。


 本当にそれだけだった。


 数人が思わず顔を見合わせる。


(自己紹介、終わった?)


 そんな空気を察したのか、摩夜は少しだけ付け加える。


「……授業は難しくしない」


「現代情報学は、機械の授業じゃない」


 チョークを持ち、黒板へ大きく一文字だけ書く。


 『情報』


「この漢字の意味」


「何だと思う?」


 教室が静かになる。


 数秒後、男子生徒が恐る恐る手を挙げた。


「ニュースとか?」


「知識?」


「ネット?」


 摩夜は小さく頷く。


「全部正しい」


 さらに黒板へ書き足す。


 『伝える』


 『残す』


 『つなぐ』


「情報は、人と人をつなぐもの」


「昔は手紙」


「少し前は電話」


「今はネット」


「形は変わっても、本質は変わらない」


 今度は誰も戸惑わなかった。


 さっきまでの精霊の話とは違う。


 ごく自然で、分かりやすい説明だった。


「だから現代情報学では」


「コンピューターそのものを覚えるんじゃない」


「情報をどう扱うかを学ぶ」


 教室のあちこちで頷く姿が見える。


(意外と普通だ)


(ちゃんと先生してる)


 そんな空気が広がり始める。


 摩夜は黒板へ次の言葉を書く。


 『情報は力』


「例えば」


「誰かの住所」


「電話番号」


「パスワード」


「写真」


「全部情報」


「便利だから扱う」


「でも」


 そこでチョークを止めた。


「使い方を間違えると、人を傷付ける」


 教室が静かになる。


 つい数日前まで、炎の勇者チャンネルの炎上騒動を経験している生徒たちには、その言葉が妙に重く響いた。


 結衣も思わず真剣な表情になる。


(……ネットの怖さを教える授業なんだ)


 摩夜は淡々と続ける。


「だからこの授業では」


「情報機器の使い方だけじゃない」


「情報との付き合い方も話す」


「便利だから使う」


「便利だからこそ気を付ける」


「それが一番大事」


 教室は静まり返っていた。


 誰もが話を聞いている。


 派手な言い回しではない。


 抑揚も少ない。


 それなのに、不思議と耳へ入ってくる。


 そんな空気の中、摩夜は静かに教科書を開いた。


「じゃあ今日は」


「最初だから」


「情報とは何か」


「そこから始めよう」


 ゆっくりとページをめくる音だけが、静かな教室に響いていた。



「まず確認」


 摩夜は教壇の前で静かに教科書を閉じた。


「みんな」


「毎日インターネットは使う?」


「はーい」


「使います」


「動画見ます!」


「ゲームも!」


 教室のあちこちから手が挙がる。


 摩夜は小さく頷いた。


「そう」


「なら情報の授業は、たぶん一番生活に近い授業」


 その言葉に、生徒たちは少し意外そうな顔をした。


「数学や英語は使わない日もある」


「でもネットは、ほとんど毎日使う」


「だから」


「知らないまま使うのが一番危ない」


 淡々とした説明だった。


 だが、妙に納得できる。


 結衣も小さく頷く。


(ちゃんと先生してる……)


 先ほどの「情報精霊」の話があっただけに、そのギャップが余計に大きかった。


 摩夜は黒板へ新たに文字を書く。


 『情報リテラシー』


「聞いたことある?」


 何人かが首を縦に振る。


「ニュースで見たことあります」


「情報を見極める力……とか?」


「そう」


 摩夜は短く答える。


「正しい」


「例えば」


 チョークが動く。


 黒板に二つの文章が並んだ。


『今日から青葉高校は休校になります』


『今日から青葉高校は通常授業です』


「どっちが本当?」


「いや、分からないですよ」


 田辺が苦笑する。


「そう」


 摩夜は頷いた。


「分からない」


「だから確認する」


「誰が言ったか」


「どこで言ったか」


「本当に学校が発表したか」


「そこまで見る」


 教室は静かだった。


 誰もが自然と話を聞いている。


「ネットは便利」


「でも」


「嘘も本当も、同じ見た目で流れてくる」


 その一言には妙な重みがあった。


 まるで経験者の言葉だった。


 実際、摩夜は経験者である。


 世界中のネットワークを渡り歩き、無数の情報を収集し、必要なら痕跡ごと改ざんしてきた。


 情報とは、人を守る盾にもなる。


 そして、容易く人を欺く刃にもなる。


 誰よりもそれを知っていた。


「じゃあ質問」


 摩夜が教室を見回す。


「ネットの記事」


「全部信じる人」


 誰も手を挙げない。


「良かった」


 少しだけ安心したように頷く。


「全部疑う人」


 今度も手は挙がらない。


「それも良かった」


 数人が笑う。


「信じすぎても駄目」


「疑いすぎても駄目」


「大事なのは確認」


「それが情報リテラシー」


 結衣は心の中で感心していた。


(……すごく分かりやすい。)


 もっと専門的な話になると思っていた。


 だが実際は違う。


 高校生にも理解できる言葉だけを選んでいる。


 聖奈も静かに摩夜を見つめる。


(本当に勉強されたのでしょうね。)


 現代社会に適応するため。


 勇者と再会するため。


 そのためだけに、ここまで知識を身につけてきたのだろう。


 ふと、男子生徒が手を挙げた。


「先生」


「何?」


「SNSって、本名じゃない方がいいんですか?」


「場合による」


 即答だった。


「仕事で本名を使う人もいる」


「でも」


「必要ないなら個人情報は出さない方が安全」


「住所」


「学校」


「家族」


「生活パターン」


「全部情報」


「組み合わせると」


 一拍置く。


「思ったより簡単に人が特定される」


「えぇ……」


 教室から驚きの声が漏れる。


「写真一枚でも?」


「できる」


「背景」


「店」


「駅」


「看板」


「太陽の向き」


「影」


「制服」


「全部ヒント」


「だから」


「写真を投稿するときは、一回見直す」


「それだけでも違う」


「へぇ……」


「知らなかった」


 教室中で感心したような声が上がる。


 田辺が小さく呟いた。


「先生、やっぱ詳しいな」


「ネット関係の仕事でもしてたのかな」


 その言葉に、結衣は思わず苦笑した。


(まあ……間違ってはいないけど。)


 仕事と言えば仕事だ。


 ただし内容が、世界最高峰のハッカー兼オカルトブロガーというだけで。


 もちろん、それを知る者はいない。


 摩夜は教壇に手を添えた。


「あと」


「ネットで困ったら」


「一人で解決しようとしない」


「先生でも」


「家族でも」


「友達でもいい」


「相談する」


「早い方が、大体被害は小さい」


 担任が教室の後ろで腕を組みながら頷いていた。


(黒沼先生……。)


 情報の専門家という肩書きは伊達ではない。


 少なくとも授業内容は極めて実践的で、高校生に必要なことばかりだ。


 多少、言葉の選び方に独特なところはあるものの、それを差し引いても十分に分かりやすい。


 その時だった。


 一人の女子生徒が、おずおずと手を挙げる。


「あの、先生」


「何?」


「先生って、ネット関係のお仕事とかされてたんですか?」


 教室中が少しだけ静かになる。


 摩夜は少し考え込み――。


「してた」


 あっさりと頷いた。


「情報を集める仕事」


「情報を分析する仕事」


「文章を書く仕事」


「そんな感じ」


 嘘は言っていない。


 オカルト系ブロガーとして情報を集め、分析し、記事を書く。


 それだけ聞けば、ごく普通のフリーランスのライターにも聞こえる。


「へぇー!」


「だから詳しいんだ!」


「納得!」


 クラスメイトたちは素直に頷く。


 ただ一人。


 ハルトだけが、


(……いや、だいぶ省略したな。)


 と苦笑していた。


 本当は、その「情報を集める」の中に国家機関すら気付かないレベルの侵入が含まれ、「分析する」の中には世界中の機密情報の精査が含まれている。


 だが、そんなことを真顔で説明されても誰も信じないだろう。


 摩夜にとっても、それは今となっては過去の話だ。


 今の彼女にとって最も重要なのは、勇者・ハルトと同じ学校で、ごく普通の教師として日常を送ることなのだから。


「じゃあ最後」


 摩夜は教壇へ視線を戻した。


「一つだけ覚えて帰って」


 黒板の右端へ、ゆっくりと一文を書き込む。


 『便利なものほど、正しく使う』


「現代は」


「スマートフォン一台で何でもできる」


「調べる」


「買い物」


「勉強」


「動画を見る」


「誰かと話す」


「全部できる」


 静かな声が教室へ広がる。


「だから」


「便利だから使う、で終わらない」


「便利だからこそ」


「どう使うかを考える」


「それが現代情報学」


 教室中の視線が黒板へ集まる。


 派手な授業ではない。


 笑いを取るような授業でもない。


 それでも、どこか引き込まれる空気があった。


 摩夜は教室をゆっくり見渡した。


「例えば」


「ネットで誰かが失敗した」


「炎上した」


 一瞬だけ。


 教室の何人かがハルトへ視線を向ける。


 当の本人は「あ、俺だ」という顔で苦笑していた。


「そういう時」


「面白半分で広める人もいる」


「正義感で叩く人もいる」


「何となく参加する人もいる」


「でも」


 摩夜はそこで言葉を切った。


「画面の向こうにも、人がいる」


 短い一言だった。


 だが、その一言だけで教室が静まり返る。


 結衣は思わず摩夜を見つめる。


(……。)


 数日前まで、自分たちもまさにその渦中にいた。


 だからこそ、その言葉は妙に胸へ残る。


「送る前に一回考える」


「書き込む前に一回考える」


「拡散する前に一回考える」


「一回止まるだけで」


「防げることは結構ある」


 担任も教室の後ろで腕を組み、小さく頷いていた。


(いい授業だな。)


 情報機器の操作方法ではない。


 情報との向き合い方を教える。


 高校生には、むしろこちらの方が重要なのかもしれない。


 摩夜は教科書を閉じた。


「今日はここまで」


「次回から」


「実際にコンピューター室も使う」


「パソコンにも触る」


「楽しみにしていて」


「おぉ!」


「やった!」


「実習あるんだ!」


 教室が少し明るい空気になる。


 その反応を見て、摩夜はほんの少しだけ口元を緩めた。


「質問は?」


 教室を見渡す。


 すると田辺が勢いよく手を挙げた。


「先生!」


「何?」


「今日の授業ってテストに出ます?」


 教室中から笑いが漏れる。


 いかにも高校生らしい質問だった。


 摩夜は少しだけ考え、


「たぶん出す」


「でも」


「暗記しなくていい」


「考え方を覚えて」


「……以上」


「それ一番難しいやつ!」


「先生!」


「結局覚えないとダメじゃないですか!」


 再び笑いが起きる。


 摩夜は不思議そうに首を傾げた。


「考えれば覚えなくていい」


「……?」


 本人は至って真面目だった。


 その少しだけ噛み合わない返答に、教室はまた笑いに包まれる。


「黒沼先生って、やっぱり天然だ。」


「でも授業は分かりやすかった。」


「なんか不思議な先生だよな。」


「次も楽しみかも。」


 そんな声があちこちから聞こえてきた。


 結衣は小さく息をつく。


(よかった……。)


 最初はどうなることかと思った。


 精霊回線だの情報霊脈だのと言い始めた時は冷や汗をかいたが、終わってみればしっかりした授業だった。


 もちろん。


 ところどころ妙な発言はあった。


 それでも、「少し変わった先生」という印象に収まっている。


 十分すぎる成果だった。


 その時。


 キーンコーンカーンコーン――。


 授業終了のチャイムが校内へ響いた。


「起立」


「礼」


「ありがとうございました!」


 生徒たちの声が揃う。


 摩夜も小さく頭を下げた。


「ありがとう」


 教科書を抱え、静かに教室を出て行く。


 その後ろ姿を見送りながら、田辺がぽつりと呟いた。


「思ってたより普通の先生だったな。」


「最初はヤバい人かと思ったけど。」


「うん。」


「ちょっとズレてるけど、ちゃんと教えてくれるし。」


「話も分かりやすいよな。」


 教室には、すっかり安心した空気が流れていた。



 ――――――



 一方、その頃。


 廊下を歩く摩夜は、一人静かに考えていた。


(……授業は、たぶん問題ない。)


 今日の内容に学校側から指摘が入ることは、おそらくない。


 生徒の反応も悪くなかった。


 教師として過ごすという目的は、ひとまず達成できたと言っていい。


 その直後。


 ポケットの中で、スマートフォンが小さく震えた。


 画面には見慣れた通知が表示される。


 『炎の勇者チャンネル 最新動画 急上昇ランキング上昇』


 摩夜は画面を見つめ、小さく目を細めた。


(……まだ伸ばせる。)


 授業は教師としての仕事。


 だが、もう一つ。


 勇者を支えるための仕事がある。


 世界中の情報の流れ。


 視聴者の行動。


 おすすめアルゴリズム。


 拡散の仕組み。


 それらは魔法陣にも似た、一つの巨大な情報網だった。


(もっと効率よく広げられる。)


(もっと多くの人へ届けられる。)


 放課後。


 勇者と仲間たちに話すべきことは、もう決まっていた。


 "情報"を知る者だけが見える、新しい戦い方を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ