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『承認欲求強めの最強勇者、魔法動画でバズって前世のヒロインたちを召喚してしまう~今世の幼馴染が管理しきれないほど愛が重すぎる~』  作者: 悪癖


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29/29

第28話 電脳の魔女、光の勇者に再会する

 西園寺グループ本社。


 最上階の一室。


 そこには普段の優雅な令嬢の空気はなかった。


 大型モニターには大量の資料。


 通話記録。


 送金履歴。


 匿名掲示板の書き込みログ。


 動画投稿サイトへの通報履歴。


 SNSアカウントの関連図。


 そして。


 脅迫文。


 個人情報の売買履歴。


 未成年への誹謗中傷。


 不正アクセスの証拠。


 画面に並んでいるのは、ただのアンチ活動では済まされない内容ばかりだった。


 聖奈は静かに紅茶を口に運ぶ。


 その向かいでは法務部の責任者たちが慌ただしく動いていた。


「全件裏取り完了しました」


「事実確認は?」


「九割以上が証拠付きで立証可能です」


「残り一割は?」


「警察が動けば確定します」


 法務部長が額の汗を拭う。


 西園寺グループは数多くの訴訟を扱ってきた。


 だが今回の案件は異質だった。


 まるで誰かが。


 犯人たちの人生を丸ごと解剖して。


 分かりやすく整理して送り付けてきたかのようだった。


 聖奈が静かに尋ねる。


「証拠能力は十分ですか?」


「はい」


「刑事事件になりますか?」


「間違いなく」


「では」


 聖奈は微笑んだ。


 いつもの上品な笑み。


 だが法務部の面々は知っている。


 その笑顔の時ほど怖いことを。


「勇者様へ迷惑を掛けた方々には、相応の責任を取っていただきましょう」


「承知しました」


「警察へ」


「既に通報済みです」


「各種プラットフォームへも報告を」


「こちらも完了しております」


「関係企業へ共有を」


「準備できています」


 完璧だった。


 数時間前まで匿名だった人間たちが。


 今は名前も住所も経歴も。


 全て把握されている。


 聖奈は満足そうに頷いた。


「流石ですね」


「ありがとうございます」


「ですが」


 聖奈の視線が資料へ向く。


「不思議です」


「と、おっしゃいますと?」


「ここまで綺麗に証拠が揃うものなのでしょうか」


 法務部長も苦笑した。


「正直に申し上げますと異常です」


「やはり」


「こちらで調査したわけではありません」


「ええ」


「誰かが全て掘り起こした後に、我々へ渡してきた形です」


 聖奈も同じ結論だった。


 西園寺グループですら。


 ここまで短時間では不可能。


 つまり。


 どこかに別の協力者がいる。


 しかも規格外。


「送信元は?」


「追跡不能です」


「西園寺グループでも?」


「はい」


「ふふ」


 聖奈は楽しそうに笑った。


「勇者様の周囲には本当に面白い方が集まりますね」


 そしてスマホを取り出した。


「少々、本人へ報告してまいります」



 ――――――



 その頃。


 ハルトたちは撮影スタジオ代わりの施設に集まっていた。


「へぇ」


 ハルトがスマホを見る。


「警察まで行くのか」


「行くわよ」


 結衣が呆れた。


「普通に犯罪だから」


「そうなのか?」


「そうなの」


 即答だった。


 凛も真顔で頷く。


「敵勢力の無力化は完了したということですね」


「その言い方やめて」


 結衣が反射的にツッコむ。


 聖奈は微笑みながら説明した。


「証拠の裏取りも終わりました」


「仕事早いな」


「西園寺グループですので」


 当然です。


 そんな顔だった。


 ハルトは感心したように頷く。


「やっぱりスポンサーすげぇな」


 結衣は頭を抱えた。


 そこじゃない。


 絶対そこじゃない。


 しかし。


 ハルトはふと資料の一部を見て首を傾げた。


「ん?」


「どうしたの?」


「いや」


 ハルトは画面を指差した。


「これ誰が集めたんだ?」


 部屋が静かになる。


 聖奈も少しだけ目を細めた。


「私も同じ疑問を抱いております」


「西園寺でも無理だったんだろ?」


「短時間では不可能ですね」


「だよな」


 ハルトは腕を組んだ。


 しばらく考える。


「面白いな」


「面白いで済ませないで」


 結衣が言う。


 しかしハルトは楽しそうだった。


 異世界時代からそうだ。


 正体不明の実力者。


 未知の存在。


 そういうものを見つけると興味を持つ。


「ちょっと顔見てくるか」


「は?」


 結衣が固まった。


「顔見てくる?」


「うん」


「どうやって?」


「痕跡あるし」


「は?」


「ん?」


 ハルトは当然のように言う。


「証拠を送る時に情報の流れ残ってたから」


「待って」


 結衣が手を上げる。


「その情報の流れって何?」


「んー」


 ハルトは考えた。


「足跡みたいなもの?」


「分からない」


「だよな」


 本人も説明を諦めた。


 聖奈だけが僅かに目を見開いていた。


 まさか。


 追えるのか。


 追跡不能だった相手を。


 ハルトは軽く伸びをする。


「じゃ、行ってくる」


「行ってくるじゃないわよ!」


 結衣が立ち上がる。


「場所分かるの!?」


「分かる分かる」


「なんで!?」


「辿ればいいだけだろ?」


 勇者基準だった。


 全員が理解できない。


 そして。


 ハルトは指先を軽く鳴らした。


 空間が揺れる。


 金色の光が走る。


「じゃ」


「待ちなさい!」


「すぐ戻る」


 次の瞬間。


 ハルトの姿が消えた。



 ――――――



 薄暗い部屋。


 カーテンは閉め切られている。


 壁際には何台ものモニター。


 机の上には空になったエナジードリンク。


 配線の海。


 電子機器の山。


 黒沼摩夜は椅子に座ったまま画面を眺めていた。


 アンチたちの逮捕準備。


 情報削除。


 証拠保全。


 後始末。


 全て順調。


「終わり」


 小さく呟く。


「これでしばらく静かになる」


 勇者の周囲から害虫を排除する。


 それだけの話だった。


 誰にも知られず。


 誰にも気付かれず。


 いつものように。


 そう。


 いつものように終わるはずだった。


 だが。


 その時だった。


 摩夜の背後で。


 何の前触れもなく。


 空間が裂けた。


「お」


 聞き覚えのある声。


「ここか」


 摩夜の思考が停止した。


 ゆっくり。


 本当にゆっくり。


 首を動かす。


 そして。


 そこに立つ人物を見た。


 制服姿。


 どこまでも能天気な顔。


 異世界でも現代でも変わらない笑顔。


 一ノ瀬晴人。


 勇者。


 最強。


 人生そのもの。


 その本人が。


 自室のど真ん中に立っていた。


「やっぱり」


 ハルトは笑う。


「モルガナだったか」


 摩夜の脳が完全にフリーズした。


 数秒。


 十数秒。


 沈黙。


 そして。


「……………………は?」


 人生で一番間抜けな声が出た。


 摩夜の脳は完全に停止していた。


 いや。


 正確には停止していない。


 むしろ異常な速度で回転していた。


 だからこそ理解できない。


 なぜ。


 どうして。


 何故ここにいる。


 何をどうしたら。


 完璧に痕跡を消したはずの居場所へ。


 勇者が立っているのか。


「……………………」


「久しぶりだな」


「いや」


 摩夜は立ち上がった。


「いやいやいや」


 声が震えている。


「待って」


「うん?」


「待って」


「待ってる」


「違う」


 違わない。


 だが違う。


 自分でも何を言っているのか分からない。


 摩夜はハルトへずんずん歩み寄った。


「どうやって来たの」


「転移魔法」


「そうじゃない」


「そうじゃないのか」


「場所をどうやって特定したの」


「ああ」


 ハルトは納得したように頷く。


「辿った」


「何を」


「痕跡」


 摩夜は頭を抱えた。


「だから何の」


「送信経路?」


「馬鹿なの?」


「え?」


「馬鹿なの?」


 人生で初めて。


 勇者へ二度続けて同じ言葉を言った。


 だがハルトは全く気にしていない。


「だって残ってただろ」


「残してない」


「残ってた」


「残してない」


「残ってた」


 平行線だった。


 摩夜の額に青筋が浮かぶ。


 いや。


 正確には青筋ではない。


 精神的な何かだった。


「私が?」


「うん」


「消した」


「でも残ってた」


「消した」


「残ってた」


「消した!」


「だから残ってたんだって!」


 数秒。


 沈黙。


 摩夜は理解した。


 理解してしまった。


 これは技術の問題ではない。


 能力の問題でもない。


 勇者が相手だった。


 異世界で何度も経験してきた。


 自分が十年掛けて構築した魔法理論を。


 この男は数分で理解した。


 理解するだけならまだいい。


 改良して返してきた。


 結界も。


 転移も。


 召喚も。


 理論上不可能なことを平然とやる。


 だから。


 ネットワークだろうが。


 電子機器だろうが。


 きっと同じなのだ。


 摩夜が人生を費やして築いた情報の迷宮を。


 この男は散歩感覚で歩いてきた。


「……意味が分からない」


「俺も説明できない」


「知ってる」


 摩夜は深くため息を吐いた。


 もういい。


 考えるだけ無駄だ。


 昔からそうだった。


 勇者を理屈で理解しようとすると頭がおかしくなる。


 だから。


 別の疑問を口にする。


「それより」


「ん?」


「なんで私だと思ったの」


「あー」


 ハルトは少し考えた。


「最初は分からなかった」


 摩夜が僅かに目を細める。


 当然だ。


 現代の自分は別人。


 肌の色も違う。


 角もない。


 年齢も違う。


 名前すら違う。


 異世界のモルガナを知る人間が見ても。


 同一人物だとは分からないはずだ。


「でもな」


 ハルトは部屋を見回した。


 モニター。


 配線。


 大量の端末。


 解析画面。


 複雑な情報図。


 そして。


 壁一面に貼られた資料。


「この部屋見たら何となく」


「何となくで分かるわけない」


「いや」


 ハルトは笑った。


「魔法の組み方が同じだった」


 摩夜の呼吸が止まった。


「……は?」


「証拠の集め方」


「うん」


「情報の整理」


「うん」


「隠し方」


「うん」


「全部モルガナっぽかった」


 あまりにも。


 あまりにも勇者らしい答えだった。


「普通は分からない」


「そうか?」


「そう」


「でも俺は分かった」


「君は昔からそう」


 思わず漏れた言葉。


 ハルトが懐かしそうに笑う。


「あー」


「何」


「その言い方」


「……」


「モルガナだなって思った」


 心臓が跳ねた。


 異世界。


 帝国。


 依頼帰り。


 焚き火の前。


 何度も交わした言葉。


 君は昔からそう。


 君らしいね。


 変わらないね。


 その全部を。


 ハルトは覚えていた。


 摩夜は黙り込んだ。


 しばらく。


 本当にしばらく。


 何も言えなかった。


 会いたかった。


 ずっと。


 ずっと。


 会いたかった。


 異世界を捨てた。


 人生を捨てた。


 全てを捨てて。


 ここまで来た。


 なのに。


 実際に再会すると。


 何を言えばいいのか分からない。


 ハルトが首を傾げる。


「モルガナ?」


「……」


「どうした?」


 摩夜はゆっくりと目を伏せた。


 肩が小さく震える。


 感情を隠す。


 いつもの癖だった。


 だが。


 今日は無理だった。


「君」


 声が掠れる。


「ん?」


「本当に」


 一度言葉が途切れる。


 呼吸を整える。


 それでも震えは止まらない。


「本当に」


 そして。


 ようやく顔を上げた。


 涙は出ていない。


 けれど。


 長い年月を閉じ込めたような表情だった。


「また会えた」


 ハルトが少しだけ目を丸くする。


 摩夜は小さく笑った。


 いつもの無表情ではない。


 心の底から漏れ出た笑み。


「嬉しい」


 短い言葉だった。


 だが。


 そこには異世界で別れてからの全てが詰まっていた。


「私は」


 声が震える。


「ずっと探してた」


「そうだったのか」


「そう」


「ごめん」


「別にいい」


 即答だった。


「君だし」


「それで済むのか?」


「済む」


 君だから。


 そう言いそうになって。


 摩夜は飲み込んだ。


 代わりに一歩前へ出る。


 そして。


 ハルトの制服の袖をそっと掴んだ。


 逃げないように。


 確かめるように。


「本物?」


「本物」


「幻覚じゃない?」


「違う」


「夢?」


「違う」


「……そう」


 そこでようやく。


 摩夜は安心したように目を閉じた。


「よかった」


 本当に。


 本当に。


 ようやく。


 勇者は見つかったのだから。



 部屋の空気が少し落ち着いた頃。


 摩夜はいつの間にかハルトの向かい側へ座っていた。


 とはいえ。


 距離は近い。


 かなり近い。


 机を挟んでいるにもかかわらず、まるで少しでも視界から消えたらまたいなくなるとでも思っているようだった。


 ハルトはそんなことに全く気付いていない。


 部屋を興味深そうに見回している。


「すげぇな」


「何が」


「この部屋」


 モニターを指差す。


「完全に秘密基地じゃん」


「秘密基地じゃない」


「そうか?」


「違う」


「俺は結構好きだけどな」


「……そう」


 摩夜の口元が僅かに緩む。


 本人は隠せているつもりだった。


 全く隠せていなかった。


「そういえば」


 ハルトがモニターを見る。


「さっきのアンチの件」


「うん」


「全部お前がやったのか?」


「大体」


「すげぇな」


「別に」


「いや普通に凄いだろ」


 ハルトは素直に感心していた。


「聖奈のところの法務部でも無理だったんだぞ?」


「西園寺グループは優秀」


「だよな」


「でも」


 摩夜は肩を竦める。


「情報収集は私の専門」


「昔から変わらないな」


 帝国時代もそうだった。


 依頼を受ける前には。


 地形。


 敵勢力。


 周辺国家。


 歴史。


 伝承。


 全部調べ尽くしていた。


 ハルトは思い出して笑う。


「モルガナが調べてくれると楽だったんだよな」


「君が調べなさすぎるだけ」


「そうか?」


「そう」


「でも何とかなるし」


「君は何とかなる」


 摩夜は即答した。


「君だけ」


「ひどくない?」


「事実」


 昔と変わらないやり取り。


 そのことが。


 摩夜にはたまらなく嬉しかった。


 異世界で別れてから。


 どれだけ長い時間が経っても。


 何も変わっていない。


 勇者は勇者のままだった。


 だからこそ。


 ふと疑問が浮かぶ。


「君は」


「ん?」


「今何をしてるの」


「動画投稿」


「それは知ってる」


「あと学校」


「それも知ってる」


「あとバズり活動」


「何その活動」


 ハルトは真面目な顔で答えた。


「有名になるための活動」


「……」


 摩夜は思った。


 やっぱり変わっていない。


 魔王を倒しても。


 世界を救っても。


 この男の本質は全く変化していなかった。


「今どれくらい有名なの」


「かなり」


「具体的には」


「世界規模」


「そう」


 全然驚かなかった。


 むしろ当然だと思った。


 勇者なのだから。


 目立つに決まっている。


 ハルトは少し身を乗り出した。


「でさ」


「何」


「モルガナ」


「うん」


「手伝ってくれないか?」


 摩夜の思考が止まる。


「……何を」


「炎の勇者チャンネル」


 ハルトは笑った。


「今、結衣と聖奈と凛がいるんだけどさ」


 指を折りながら数える。


「結衣は編集担当」


「うん」


「聖奈はスポンサー担当」


「うん」


「凛は護衛担当」


「うん」


「だからモルガナは情報担当」


 あまりにも自然だった。


 まるで。


 最初からそこに席が用意されていたみたいに。


「どうだ?」


 ハルトは楽しそうに言う。


「一緒にやろうぜ」


 摩夜は黙った。


 しばらく。


 本当にしばらく。


 何も言わなかった。


 炎の勇者チャンネル。


 今のハルトの居場所。


 結衣がいて。


 聖奈がいて。


 凛がいて。


 その輪の中へ入れと言っている。


 昔なら。


 絶対に断っていた。


 人付き合いは苦手だ。


 一人の方が楽だ。


 面倒事も嫌いだ。


 だが。


 今は。


「いいの?」


「何が?」


「私で」


「なんで駄目なんだ?」


 ハルトは本気で不思議そうだった。


「だってお前凄いじゃん」


「……」


「今回も助かったし」


「……」


「昔から頼りになったし」


「……」


「むしろ来てくれたら助かる」


 心臓がうるさい。


 昔からそうだった。


 勇者は。


 こういうことを平然と言う。


 だから困る。


「君」


「ん?」


「それ」


「何が?」


「勧誘の仕方がずるい」


「そうか?」


「そう」


 ハルトは首を傾げる。


 意味が分かっていない。


 摩夜は小さく息を吐いた。


 そして。


 諦めたように笑う。


「分かった」


「お」


「手伝う」


 ハルトの顔が明るくなる。


「本当か!」


「うん」


「助かる!」


 嬉しそうだった。


 本当に。


 心の底から。


 その顔を見て。


 摩夜も自然と笑ってしまう。


「ただし条件」


「条件?」


「君の近くで働く」


「?」


「裏方じゃない」


「おう」


「必要なら表にも出る」


「いいんじゃないか?」


「そう」


 摩夜は頷いた。


 本当は。


 条件でも何でもない。


 ただ。


 今度こそ。


 見失いたくなかった。


 帝国で別れたあの日のように。


 気付いたらいなくなっているなんて。


 もう嫌だった。


「じゃあ決まりだな」


 ハルトは立ち上がる。


「炎の勇者チャンネルへようこそ」


 そう言って。


 何の迷いもなく右手を差し出した。


 摩夜はその手を見る。


 異世界で何度も見た手。


 魔王を倒した手。


 世界を救った手。


 そして。


 自分を受け入れてくれた手。


 そっと握る。


「よろしく」


 小さく呟く。


「勇者様」


 その声は。


 自分でも気付かないほど優しかった。


「それで」


 ハルトが言った。


「モルガナはどうするんだ?」


「何が?」


「学校」


 摩夜が首を傾げる。


 ハルトは当然の疑問を口にした。


「チャンネル手伝うなら、これから結構顔合わせることになるだろ」


「うん」


「でもお前引きこもりじゃん」


「……」


「家から出ないじゃん」


「……」


「どうするんだ?」


 摩夜は無言になった。


 数秒後。


「君」


「ん?」


「久しぶりに会った相手へ言う言葉じゃない」


「そうか?」


「そう」


 だが否定できないのが悔しかった。


 実際。


 ここ数年ほとんど外へ出ていない。


 生活必需品ですら宅配だった。


 しかし。


 今回は事情が違う。


 摩夜は少し考える。


「まあ」


「うん」


「何とかする」


「雑だな」


「君に言われたくない」


「確かに」


 納得するな。


 摩夜は小さくため息を吐く。


 だが。


 既に頭の中ではいくつもの計画が動き始めていた。


 西園寺グループ。


 青葉高校。


 教育委員会。


 各種データベース。


 身分。


 経歴。


 資格。


 戸籍。


 必要なものを組み立てることは難しくない。


 元より。


 異世界で隠遁の魔女として生きていた頃から。


 偽装工作は得意だった。


「私の方でうまくやる」


「おう」


「明日には終わる」


「早くない?」


「普通」


「普通じゃないだろ」


「君基準で言われたくない」


 また即答だった。


 ハルトは笑う。


 摩夜も少しだけ笑う。


 昔から。


 こういうやり取りだった。


 依頼の前も。


 依頼の後も。


 酒場でも。


 野営地でも。


 勇者と魔女はこんな会話ばかりしていた。


 だから不思議だった。


 何年も離れていたはずなのに。


 昨日別れたみたいな感覚だった。


「じゃあ」


 ハルトが立ち上がる。


「またな」


「うん」


「明日?」


「たぶん」


「了解」


 そして。


 ハルトは転移魔法を発動する。


 金色の光。


 揺れる空間。


 見慣れた光景。


 摩夜はそれを静かに見つめていた。


「勇者」


「ん?」


「今度は」


 ハルトが振り返る。


 摩夜は少しだけ視線を逸らした。


「ちゃんと見つけたから」


「?」


「いなくならないで」


 一瞬だけ。


 部屋が静かになった。


 だがハルトはいつもの調子で笑う。


「どこ行くんだよ」


「……そう」


「学校にもいるし」


「うん」


「動画も撮るし」


「うん」


「だから大丈夫だろ」


 その答えに。


 摩夜は思わず笑ってしまった。


 そうだった。


 この男は昔からこうだ。


 難しく考えない。


 だからこそ救われる。


「じゃあな」


「また明日」


 次の瞬間。


 ハルトの姿が光の中へ消えた。


 静寂が戻る。


 部屋には自分一人。


 いつもと同じはずなのに。


 何かが決定的に違っていた。


 摩夜は自分の胸に手を当てる。


 うるさいくらい心臓が鳴っていた。


「……明日」


 小さく呟く。


 その言葉だけで。


 少し笑顔になれた。



 ――――――



 数秒後。


 ハルトは元の施設へ戻ってきた。


「ただいまー」


 軽い声。


 だが。


 待っていた三人は一斉に立ち上がった。


「早い!」


 結衣が叫ぶ。


「勇者様!」


 聖奈が身を乗り出す。


「主!」


 凛も反応する。


「見つかったの!?」


「おう」


 ハルトは平然と頷いた。


「見つかった」


「誰だったのですか?」


 聖奈が尋ねる。


 ハルトは答えた。


「モルガナ」


 一瞬。


 凛の動きが止まる。


「……モルガナ?」


「知ってるのか?」


「はい」


 凛が真剣な顔で頷いた。


「帝国時代に何度か名前を聞きました」


「有名人だったしな」


「隠遁の魔女」


 凛が呟く。


「帝国では伝説的な冒険者でした」


 結衣だけが話についていけていない。


「誰?」


「昔の知り合い」


「また!?」


 結衣が頭を抱えた。


「また異世界関係者!?」


「うん」


「何人いるのよ!」


「俺も知らない」


「知らないの!?」


 ハルトは真顔だった。


「異世界広かったし」


「それはそうだけど!」


 聖奈は少し考える。


「その方は敵ではないのですね?」


「全然」


「信頼できますか?」


「できる」


 即答だった。


 迷いが一切ない。


 その答えだけで十分だった。


 聖奈は静かに頷く。


「勇者様がそう仰るなら」


「それでな」


 ハルトが笑った。


「チャンネルに誘ってきた」


「は?」


 結衣が固まる。


「え?」


「メンバー追加」


「早くない!?」


「そうか?」


「そうよ!」


 だが。


 凛はどこか納得したような顔をしていた。


「主らしいですね」


「そうか?」


「はい」


 信頼できる相手を見つける。


 即座に仲間へ引き入れる。


 異世界でも何度も見た光景だった。


 聖奈も微笑む。


「では近いうちにお会いできるのですね」


「たぶんな」


「どのような方なのですか?」


 その質問に。


 ハルトは少しだけ考えた。


「頭いい」


「はい」


「めちゃくちゃ頭いい」


「はい」


「あと引きこもり」


「……はい?」


「それと」


 ハルトは笑った。


「昔から頼りになる奴」


 その言葉には。


 珍しく絶対的な信頼が込められていた。


 結衣たちは気付く。


 きっと。


 このモルガナという人物は。


 凛や聖奈と同じ。


 ハルトが異世界で背中を預けた相手なのだと。


 そして誰も知らない。


 その頼りになる引きこもり魔女が。


 たった今。


 青葉高校へ堂々と乗り込むための計画を開始していることを。



――――――



 ハルトが帰った後。


 黒沼摩夜はしばらくその場から動けなかった。


 椅子へ深く腰掛けたまま。


 静かになった部屋を見つめる。


 先ほどまで勇者が立っていた場所。


 転移魔法の残滓は既に消えている。


 だが。


 そこにいたという事実だけは消えない。


「……」


 摩夜は両手で顔を覆った。


 そして。


 数秒後。


「……ああ」


 小さく声を漏らす。


 顔が熱い。


 心臓がうるさい。


 さっきまで普通に会話していたはずなのに。


 今になって実感が押し寄せてくる。


「会えた」


 勇者に。


 本当に。


 ようやく。


 会えた。


 異世界から現代へ。


 転生して。


 探して。


 探して。


 探して。


 やっと。


 見つけた。


「……」


 しばらく余韻に浸る。


 だが。


 数分後。


 摩夜はゆっくりと顔を上げた。


 目付きが変わる。


 感傷は終わり。


 ここからは仕事だ。


「明日」


 勇者の近くへ行く。


 それが決まった。


 ならば準備するだけだった。


 摩夜の指がキーボードを叩く。


 瞬間。


 十数枚のウィンドウが展開された。


 教育委員会。


 教員データベース。


 資格管理システム。


 人事情報。


 各種公的記録。


 一般人なら見ただけで頭が痛くなる画面が並ぶ。


「さて」


 摩夜は呟く。


「どれが自然かな」


 大学卒業。


 教育実習。


 教員免許。


 勤務経歴。


 推薦状。


 履歴書。


 全てを作る。


 いや。


 作るという表現は正しくない。


 整える。


 既に存在していたように。


 誰も疑問を抱かないように。


 自然な形で。


 摩夜は画面を眺める。


 そして一つの案を採用した。


「特別講師」


 悪くない。


 正式な担任ではない。


 だが学校へ常駐できる。


 勇者の近くにいられる。


 情報収集もしやすい。


 何より。


 自然だ。


「これで」


 キーボードが高速で鳴る。


 数分後。


 新たな経歴が完成する。


 黒沼摩夜。


 二十四歳。


 情報工学分野における特別人材。


 教育委員会推薦。


 期間限定の特別講師。


 そして。


 青葉高校副担任。


「完成」


 誰が見ても違和感はない。


 調べても問題ない。


 むしろ優秀すぎる経歴だった。


 摩夜は満足そうに頷く。


「うん」


 これなら大丈夫。


 勇者の隣へ立てる。


 堂々と。


 正面から。


 その時だった。


 画面の片隅に映る自分の姿が目に入る。


 黒髪。


 白い肌。


 眠そうな目。


 どこにでもいる現代日本人。


 異世界の面影はほとんど残っていない。


 あの頃の青白い肌も。


 魔族特有の角もない。


 隠遁の魔女モルガナではなく。


 ただの黒沼摩夜。


 だが。


 勇者は見つけた。


 ほんの少しの痕跡から。


 自分を見つけた。


「……ずるい」


 小さく呟く。


 昔からそうだった。


 誰も気付かないことに気付く。


 誰も見つけられないものを見つける。


 だから。


 あの人は勇者だった。


 摩夜は画面を閉じる。


 そして。


 机の引き出しを開いた。


 中から取り出したのは。


 古びた革紐だった。


 現代ではただのアクセサリーにしか見えない。


 だが。


 それは異世界の品だった。


 帝国時代。


 ある依頼の帰りに手に入れた物。


 そして。


 勇者と共に戦っていた頃の数少ない思い出。


 摩夜はそれを静かに握る。


「懐かしい」


 思い出す。


 帝国での依頼。


 雪山での遭難。


 古代遺跡の探索。


 魔獣討伐。


 酒場での情報交換。


 焚き火を囲んだ夜。


 隠遁の魔女と呼ばれながら。


 なぜか勇者とばかり依頼が重なった日々。


 そして。


 帝国での別れ。


 あの日から。


 全てが始まった。


 摩夜は目を閉じる。


 脳裏に蘇るのは。


 異世界の空。


 冒険者だった頃の記憶。


 誰にも語っていない過去。


 勇者と出会う前。


 勇者と旅した日々。


 そして。


 なぜ自分がここまで勇者を追い続けたのか。


「……」


 静かに目を開く。


 モニターには明日の予定。


 青葉高校。


 特別講師着任。


 黒沼摩夜。


 副担任として赴任予定。


 その文字が表示されている。


 摩夜は小さく微笑んだ。


「明日か」


 長かった。


 本当に。


 長かった。

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