第26話 電脳の魔女が集める炎
放課後。
青葉高校の空き教室を借りた炎の勇者チャンネル臨時会議室では、いつものメンバーが集まっていた。
窓の外では夕日が校舎を赤く染めている。
だが室内の空気は少しだけ重かった。
結衣がノートパソコンを開きながら眉をひそめる。
「……ちょっと嫌な流れになってきたわね」
画面には大量のSNS投稿や掲示板の書き込みが表示されていた。
ハルトは椅子に座りながら首を傾げる。
「また炎上?」
「炎上っていうか……組織化ね」
「組織化?」
結衣はため息を吐いた。
「前までのアンチって単発だったじゃない」
「そうだったな」
「動画が気に入らないとか、CGが怪しいとか、金持ち自慢だとか」
「うん」
「でも最近は違うのよ」
結衣は画面を切り替える。
同じような内容の投稿。
同じような論調。
同じような時間帯。
そして不自然なほど連携の取れた動き。
「誰かがまとめてる?」
聖奈が静かに言った。
「その可能性は高いですね」
財閥令嬢らしく冷静な声だった。
「複数のコミュニティが急速に連携しています。自然発生にしては不自然です」
「勇者様への敵対勢力ですか」
凛の目が鋭くなる。
「排除しますか?」
「しないわよ」
結衣が即答した。
「なんでそこで排除になるのよ」
「敵対勢力と判断しましたので」
「判断が早すぎる!」
いつものやり取りだった。
ハルトは苦笑する。
「でもまあ、有名になればアンチも増えるよな」
「その認識は間違ってないけど」
結衣は額を押さえた。
「問題は規模よ」
画面には複数のグループが表示されている。
アンチ系配信者。
暴露系アカウント。
匿名掲示板。
考察系コミュニティ。
以前ならバラバラだった集団。
それが今は同じ方向を向いていた。
「なんか俺たち人気者みたいだな」
「その感想になるのがハルトなのよね」
結衣はもう慣れていた。
普通なら不安になる。
だがハルトは嬉しそうですらある。
再生数が伸びる。
注目される。
話題になる。
その発想しかない。
聖奈が上品に微笑む。
「ですが、確かに注目度は上がっています」
「ですよね!」
「そこ食いつくところじゃないから!」
結衣が叫んだ。
凛も頷く。
「敵が増えるということは主の影響力が拡大している証拠です」
「そういうことだよな」
「そういうことじゃないから!」
ツッコミが追い付かない。
結衣は椅子にもたれた。
この三人は本当に危機感というものがない。
いや。
正確には。
異世界を経験した二人と異世界最強勇者にとって、ネット上のアンチなど脅威として認識されていないのだ。
魔王軍。
竜。
大悪魔。
国家戦争。
それらを経験した人間にとっては、匿名アカウントの悪口など小石にも満たない。
「それで」
結衣が改めて言う。
「こういう状況だけど」
そしてハルトを見る。
「本当に次の動画投稿するの?」
室内が静かになった。
アンチが集まり始めている。
明らかに狙われている。
次の動画は間違いなく注目される。
そして叩かれる。
普通なら慎重になる場面だった。
しかし。
ハルトは一秒も悩まなかった。
「もちろん」
即答だった。
「だよな」
「ですよね」
「そうでしょうね」
凛も聖奈も納得している。
結衣だけが頭を抱えた。
「理由聞いていい?」
「え?」
ハルトは不思議そうな顔をする。
「だって今がチャンスじゃん」
「チャンス?」
「注目されてるんだろ?」
「まあ」
「じゃあ動画出さない理由なくないか?」
真顔だった。
純粋な本音だった。
「むしろ今のうちにでかいの出した方が再生数伸びそうだし」
承認欲求モンスターである。
結衣は天井を見上げた。
「知ってた」
予想通りすぎる回答だった。
聖奈も優雅に頷く。
「私も賛成です」
「聖奈まで」
「話題性がある今なら最大効果が見込めます」
「スポンサー視点で賛成しないで」
「勇者様の名がさらに広まります」
凛まで乗ってくる。
「効果はありそうね」
結衣は再びため息を吐いた。
正論ではある。
炎上も注目も結局は視線だ。
視線が集まる時に動画を出す。
配信者としては正しい。
「分かったわよ」
結衣は降参した。
「どうせ止めてもやるんでしょ」
「おう!」
「いい笑顔しないで」
ハルトは立ち上がる。
その顔は完全に企画モードだった。
「じゃあ撮影準備しようぜ!」
「はい」
「お任せください」
「機材は既に手配済みです」
三人も立ち上がる。
こうして炎の勇者チャンネルは動き出す。
一方その頃。
ネットの闇の中では。
誰よりも静かに。
誰よりも楽しそうに。
一人の魔女がモニター越しにその様子を見守っていた。
「……やっぱり君はそう」
黒沼摩夜。
前世の名をモルガナ。
アンチたちをまとめ上げた張本人は、小さく笑う。
「逃げない」
無数のモニターに映る炎の勇者チャンネル。
そして増殖するアンチたち。
全ては計画通り。
勇者を守るため。
勇者の敵を集めるため。
そして――。
「もっと見せて」
その声は恋する少女のものだった。
「君の背中を」
暗い部屋の中。
モニターの光だけが彼女の笑みを照らしていた。
――――――
翌日。
撮影場所となったのは、西園寺グループ所有の巨大研究施設だった。
海沿いに建設されたその施設は、一見すると宇宙開発機関そのものだ。
巨大な格納庫。
発射台。
管制室。
各種観測設備。
どこからどう見ても国家プロジェクト級である。
しかし。
「なんであるんだよこれ」
結衣は今日もツッコミから始まった。
巨大な発射台を見上げながら頭を抱える。
「普通の高校生の動画撮影で使う施設じゃないわよね?」
「将来的に必要かと思いまして」
聖奈が微笑む。
「何に?」
「勇者様の宇宙進出です」
「見ろハルト!」
「当たってるじゃん」
「当たってるじゃないのよ!」
結衣の胃痛は今日も絶好調だった。
その横では凛が真面目な顔で施設を見回している。
「敵襲への備えは十分ですね」
「宇宙施設で何と戦う気なのよ」
「未知の脅威です」
「いる前提で話さないで」
ハルトはそんなやり取りを聞きながらカメラの前へ立つ。
今日は動画の冒頭撮影。
いわゆるオープニング部分だ。
そして今回の企画は。
まだ誰もやったことがない。
いや。
正確には人類でやったことがない。
「準備オッケー!」
ハルトが親指を立てる。
結衣はカメラを構えた。
「はいはい。撮るわよ」
凛が補助カメラ。
聖奈が照明とスタッフ管理。
いつもの布陣だった。
結衣がカウントを始める。
「三」
「二」
「一」
「スタート!」
赤ランプが点灯する。
その瞬間。
ハルトの表情が一気に配信者の顔になった。
「どうもー! 炎の勇者チャンネルです!」
慣れた挨拶。
大きく手を振る。
「みんな最近暑くない?」
突然だった。
結衣が嫌な予感を覚える。
「なので!」
ハルトは笑顔で言った。
「今日は涼しい場所へ行きます!」
嫌な予感が当たった。
「普通なら避暑地とか行くと思うんだけど」
結衣が小声で呟く。
もちろんハルトがそんな発想をするはずがない。
「今回の企画はこちら!」
背後の巨大モニターに文字が映る。
スタッフが用意した演出映像だ。
『【人類未到達】宇宙の果てまで行ってみた』
結衣は頭を抱えた。
「未到達どころじゃないわよ」
人類が月へ到達したのは何十年も前。
だが宇宙の果てなど誰も到達していない。
そもそも到達できない。
普通は。
「皆さん思ったことありませんか?」
ハルトは真面目な顔になる。
「宇宙ってどこまで続いてるんだろうって」
視聴者へ語りかけるように言う。
「月の向こうは?」
「火星の向こうは?」
「もっと先は?」
「銀河の外は?」
「その先は?」
テンポよく続く言葉。
実際、誰もが一度は考えたことがある疑問だった。
「なので調べてみます!」
軽い。
軽すぎる。
「近所のコンビニ行くテンションで宇宙の果て行こうとしてるわよ」
結衣はもう慣れていた。
「今回のルールは簡単!」
ハルトが指を一本立てる。
「宇宙へ行く!」
「簡単じゃない」
「そして!」
二本目。
「地球を外から撮影する!」
「それはまだ分かる」
「さらに!」
三本目。
「人類がまだ見たことのない景色を撮る!」
「いや無理でしょ」
普通なら。
だが普通ではない。
問題はそこだった。
ハルトは満面の笑みを浮かべる。
「せっかくだし月も見たいし!」
「うん」
「火星も見たい!」
「うん」
「ブラックホールも見たい!」
「待ちなさい」
結衣が即座に止める。
「何?」
「最後おかしいわよね?」
「そうか?」
「そうよ!」
凛が首を傾げた。
「ブラックホールとは危険な場所なのですか?」
「危険どころじゃないの!」
聖奈も考え込む。
「確かに視聴者受けは良さそうですが」
「スポンサーまで乗らないで!」
ツッコミが追い付かない。
ハルトは平然としていた。
「でもインパクトあるだろ?」
「それはある」
「今アンチも騒いでるし」
「うん」
「だったらもっと騒ぐ動画出した方が面白くない?」
実にハルトらしい発想だった。
アンチが増えている。
だから自重する。
ではない。
アンチが増えている。
だからもっと目立とう。
である。
承認欲求モンスターの思考回路だった。
「まあ」
結衣も認めざるを得なかった。
「確かにインパクトはあるわね」
「だろ?」
「世界中がひっくり返るレベルで」
「やったぜ」
褒めていない。
だが本人は喜んでいた。
そして撮影は続く。
「というわけで!」
ハルトは背後の発射台を指差した。
「今回は宇宙へ行きます!」
その宣言と同時に。
遠くのスタッフたちから拍手が起こる。
壮大なBGMが流れる。
風が吹く。
夕日が差し込む。
映像としては完璧だった。
だが。
モニターの向こう側。
誰よりも熱心にその映像を見ていた人物がいる。
暗い部屋。
無数のモニター。
そして一人の魔女。
黒沼摩夜は配信前の映像データを眺めながら小さく呟いた。
「宇宙……」
沈黙。
「やっぱり君は予想の外を行く」
アンチたちをまとめ上げる計画。
世論誘導。
情報操作。
ネット工作。
その全てを準備していた。
だが。
勇者はそんなものを一切気にしていない。
宇宙へ行くらしい。
「ふふ」
思わず笑みが漏れる。
「面白い」
そして。
恋する魔女は誰よりも確信していた。
この動画は。
世界をさらに騒がせることになると。
「それでは」
撮影機材の最終確認を終えたハルトが振り返る。
「宇宙行くか」
その言葉の軽さに結衣は眉をひそめた。
「ねえ」
「ん?」
「その言い方やめない?」
「なんで?」
「コンビニ行くみたいに言わないで」
宇宙である。
地球を飛び出すのである。
本来なら国家予算と長年の研究開発と厳しい訓練を経てようやく到達できる場所だ。
しかしハルトは本当に近所へ出掛ける程度の認識だった。
「じゃあ始めるぞ」
そう言うとハルトは右手を軽く上げた。
魔力が広がる。
空間が揺らぐ。
次の瞬間。
目の前に巨大な光の門が現れた。
結衣は何度見ても慣れない。
異世界の魔法。
それ自体は何度も見ている。
だが。
「宇宙に繋がってるの?」
「繋がってる」
「本当に?」
「本当に」
「なんで?」
「勇者だから?」
「疑問形で返さないで」
ハルトは気にした様子もなく歩き出す。
凛も続く。
聖奈も当然のように続く。
残された結衣だけが立ち止まった。
「……待って」
嫌な予感がする。
ものすごくする。
「ハルト」
「ん?」
「私たち今から宇宙行くのよね?」
「そうだな」
「宇宙服は?」
「いらない」
「酸素は?」
「ある」
「どこに?」
「周りに」
「ないでしょ!」
結衣が叫ぶ。
だがハルトは平然としていた。
「防御魔法張るから大丈夫」
「大丈夫じゃないと思うんだけど」
「大丈夫だって」
その言葉に。
結衣は少しだけ黙った。
ハルトは昔からこうだった。
大丈夫だと言う時は本当に大丈夫。
無茶はする。
常識外れなこともする。
だが仲間を危険に晒したことは一度もない。
異世界でも。
現代でも。
それだけは変わらない。
「……本当に?」
「おう」
即答だった。
迷いがない。
だからこそ結衣も理解していた。
理屈ではない。
常識でもない。
だが。
ハルトが大丈夫と言うなら大丈夫なのだ。
少なくとも今まではそうだった。
「はぁ……」
結衣は大きく息を吐く。
「分かったわよ」
「おう」
「死なない?」
「死なない」
「苦しくない?」
「苦しくない」
「絶対?」
「絶対」
そこまで言われると逆に納得してしまう。
それが悔しい。
「もういいわ」
結衣は観念した。
「行けばいいんでしょ」
「行こうぜ」
そして。
四人は光の門をくぐった。
瞬間。
世界が変わる。
「え」
視界が開けた。
どこまでも広がる黒。
夜空とは違う。
大気の向こう側。
本物の宇宙。
無数の星々が輝いている。
そして。
眼下には。
青い星があった。
「……え?」
結衣は言葉を失う。
地球だった。
青と白に彩られた巨大な惑星。
テレビでも写真でも何度も見た。
だが。
実際に見るそれは全く別物だった。
「うそ……」
呼吸をする。
苦しくない。
寒くもない。
身体を触る。
問題ない。
見えない膜のようなものが周囲を包んでいる。
「本当に大丈夫……」
「だから言っただろ」
ハルトは当然のように笑う。
周囲には薄く金色の結界が展開されていた。
防御魔法。
気圧差も温度差も放射線も全て遮断している。
異世界で魔王軍と戦うために作られた超高位防御術式。
宇宙空間程度では破れない。
「勇者様の魔法ですから」
凛は既に順応していた。
むしろ景色を眺めている。
「美しいですね」
「そうですね」
聖奈も穏やかに微笑む。
「地球を外から見る機会などそうありません」
「普通は一生ないのよ」
結衣が思わずツッコむ。
しかし。
そのツッコミにも力がなかった。
視線が吸い寄せられる。
青い地球。
輝く太陽。
果てしない宇宙。
あまりにも綺麗だった。
「……すごい」
ぽつりと呟く。
気付けばカメラのことも忘れていた。
「すごい……」
もう一度。
今度は少し震えた声で。
「こんなの……」
言葉にならない。
感動していた。
人間が本来見ることのできない景色。
学校にも。
教科書にも。
動画サイトにも存在しない本物。
それが目の前にある。
「綺麗……」
自然と零れた言葉だった。
ハルトはそんな結衣を見て笑う。
「だろ?」
「うん」
今だけは素直に頷いた。
怖かった。
不安だった。
常識的に考えればあり得ない。
でも。
結局。
ハルトは間違っていなかった。
苦しくない。
危険でもない。
そして。
それ以上に。
ここへ来なければ絶対に見られなかった景色があった。
「悔しいけど」
結衣は苦笑する。
「来て良かったかも」
「だろ?」
ハルトが得意げに胸を張る。
その瞬間。
結衣は思った。
きっとこの動画は大変なことになる。
世界中が驚く。
専門家は頭を抱える。
アンチも騒ぐ。
ニュースにもなる。
だが。
それでも。
この景色だけは本物だった。
だから少しだけ。
結衣は動画の成功を確信していた。
宇宙の彼方で。
青い地球を見下ろしながら。
宇宙空間。
青い地球を背にしながら、ハルトたちは移動を開始した。
もちろん。
宇宙船などない。
ロケットもない。
推進装置もない。
「よし、行くぞ」
ハルトがそう言った瞬間。
周囲の景色が流れ始めた。
「ちょっと待ちなさいぃぃぃぃぃぃ!?」
結衣の悲鳴が宇宙に響く。
実際には防御魔法の内部でしか音は伝わらないのだが。
そんなことを気にする余裕はなかった。
地球が一瞬で遠ざかる。
星々が線になって流れる。
常識外れの速度。
いや。
常識という概念そのものを破壊する速度だった。
「なにこれぇぇぇぇぇ!?」
「移動魔法だな」
「説明になってない!」
ハルトは平然としている。
凛も平然としている。
聖奈も優雅な笑顔のままだ。
慌てているのは結衣だけだった。
「なんでみんな平気なの!?」
「勇者様ですので」
「勇者だからな」
「ハルトだからですね」
「納得してる理由が全部雑なのよ!」
しかし。
そんな騒ぎをしているうちに。
ハルトが前方を指差した。
「あ」
「ん?」
「月だ」
軽かった。
本当に軽かった。
結衣は反射的に前を見る。
そこには。
巨大な灰色の天体が浮かんでいた。
「うわ……」
月。
人類が到達した唯一の地球外天体。
夜空で見る姿とは全く違う。
巨大だった。
圧倒的だった。
クレーターの一つ一つが見える。
荒涼とした大地が広がっている。
まるで別世界だった。
「ちょっと待って」
結衣は思わず言う。
「月よ?」
「月だな」
「もっと何かないの!?」
「何が?」
「感動とか!」
ハルトは少し考える。
「でかい」
「小学生の感想!」
凛が頷いた。
「確かに大きいですね」
「そこじゃない!」
聖奈も微笑む。
「地球から見た時より迫力があります」
「普通の感想が聖奈しかいない!」
しかし月はすぐに後方へ流れていった。
あまりにも速い。
本当に一瞬だった。
「通り過ぎた!?」
「月だからな」
「だから何よ!」
ツッコミが追い付かない。
そして。
さらに移動する。
火星。
木星。
次々と太陽系の天体が視界を横切っていく。
そのたびに。
「あ、火星だ」
「軽い!」
「木星でかいな」
「だから軽い!」
「ガスでできているそうですよ」
聖奈が補足する。
「いや知ってるけど!」
凛も感心したように言う。
「確かに巨大ですね」
「だからもっと驚きなさいよ!」
しかし。
異世界で天空都市や浮遊大陸を見てきた二人にとっては。
巨大な天体も驚く対象ではないらしい。
やがて。
ひときわ印象的な天体が見えてきた。
黄金色に輝く巨大な球体。
そして周囲を取り巻く巨大な輪。
「あ」
ハルトが指を差した。
「土星だ」
再び軽い。
「うん、土星ね」
結衣ももう慣れ始めていた。
「土星ってホントにあんな見た目なんだなー」
ハルトは感心したように言う。
「そこ!?」
結衣が食いつく。
「そこなの!?」
「いや」
ハルトは輪を見ながら言う。
「写真とかCGとかで見たことあったけど」
「うん」
「本当に輪っかあるんだな」
「あるわよ!」
世界中の人が知ってる。
教科書にも載っている。
だが。
実際に肉眼で見ると確かに感動する。
土星の輪は美しかった。
無数の氷や岩石が作る巨大なリング。
まるで芸術作品だった。
「綺麗ですね」
聖奈が呟く。
「はい」
凛も見入っている。
「まるで神話の世界のようです」
その感想には結衣も同意した。
確かにそうだった。
異世界の幻想的な風景にも負けていない。
宇宙そのものが神秘だった。
そして。
太陽系を抜ける。
周囲の星々が増えていく。
銀河が広がる。
色とりどりの星雲。
輝く恒星。
見たこともない光景。
それでもハルトは。
「あの星綺麗だな」
「雑!」
「なんか赤い」
「雑!」
「青いのもある」
「雑!」
結衣のツッコミが止まらない。
しかし。
次第に。
彼女もツッコむ余裕がなくなっていった。
景色が壮大すぎた。
人類が何千年かけても見られない光景。
それが次々と目の前を流れていく。
「……すごい」
思わず呟く。
銀河が見える。
銀河の向こうに別の銀河がある。
さらにその向こうにも。
宇宙がどこまでも続いている。
「これ全部本物なのよね……」
「本物だぞ」
ハルトが答える。
当たり前のように。
だからこそ。
結衣は少しだけ笑った。
この非常識な状況にも慣れてきたらしい。
異世界帰りの勇者。
財閥令嬢。
元騎士。
そして自分。
そんな四人で宇宙旅行。
冷静に考えれば意味が分からない。
だが。
今はそれでいいと思えた。
その時だった。
ふと。
前方の景色が変わる。
今まで見えていた星々が徐々に減っていく。
銀河の光も遠ざかる。
宇宙そのものが静かになっていくような感覚。
「……あれ?」
結衣が首を傾げた。
「なんか景色変わってない?」
ハルトも前方を見る。
「お」
珍しく少しだけ興味深そうな声を出した。
「それっぽいな」
「それっぽい?」
「宇宙の果て」
その言葉に。
結衣たちは思わず前方を見つめる。
そこには。
今までとは明らかに違う光景が広がり始めていた。
宇宙の果て。
そう呼ぶしかない場所だった。
周囲に星はほとんどない。
銀河の光も遠い。
漆黒。
ただただ果てしない闇だけが広がっている。
まるで世界そのものの終端。
宇宙が始まる前から存在していたような静寂だった。
「……」
結衣は思わず息を呑む。
言葉が出てこない。
凛も。
聖奈も。
しばらく無言だった。
圧倒されていた。
その光景に。
「よし」
しかし。
ハルトだけは違った。
「撮れたな」
いつもの調子である。
「撮れたなじゃないのよ」
結衣がようやくツッコむ。
「宇宙の果てっぽい場所よ!?」
「おう」
「もっと何かあるでしょ!」
「綺麗だったな」
「感想が軽い!」
だが。
その軽さのおかげで少し緊張が解けた。
確かに十分だ。
地球。
月。
惑星群。
銀河。
そして宇宙の果てらしき場所。
これ以上ない映像が撮れている。
「じゃあ締め撮るか」
ハルトがカメラへ向き直る。
結衣も慌てて撮影体勢に入った。
「はいはい、撮るわよ」
「よろしく」
カメラが回る。
赤ランプが点灯する。
ハルトは宇宙の闇を背に笑った。
「というわけで!」
元気な声が響く。
「宇宙の果てまで行ってみました!」
あまりにも簡単に言う。
普通なら人類史に残る偉業である。
「地球も見た!」
「月も見た!」
「土星も見た!」
「銀河も見た!」
テンポよく指を折る。
「そして宇宙の果てっぽい場所も見た!」
最後だけ若干曖昧だった。
「っぽい場所って何よ」
結衣が小声でツッコむ。
しかし動画的には問題ない。
そもそも誰も確認できない。
宇宙の果てなど行った人間がいないのだから。
「ということで今回の企画は大成功!」
ハルトは満足そうに頷く。
「高評価とチャンネル登録よろしく!」
いつもの締め。
そして。
撮影終了。
「オッケー!」
結衣が親指を立てる。
「完璧ね」
「だな」
ハルトも満足そうだった。
これで帰るだけ。
そう思った時。
「あ」
ハルトが何かを思い出した。
「どうしたの?」
「ブラックホール見てなかった」
結衣は嫌な予感がした。
「……うん」
「せっかく宇宙来たのにな」
「うん」
「残念だ」
「うん」
そこで終われば良かった。
本当に。
「じゃあ作るか」
「は?」
一瞬だった。
ハルトが片手を上げる。
魔力が収束する。
空間が歪む。
光が捻じ曲がる。
星々の軌道が狂う。
そして。
そこに現れた。
真っ黒な穴。
全ての光を飲み込む闇。
空間そのものが潰れたような異様な存在。
「待ちなさい待ちなさい待ちなさい!!」
結衣が絶叫する。
「何作ったの!?」
「ブラックホール」
「見れば分かるわよ!」
凛が感心したように言う。
「これがブラックホールですか」
「勉強になりますね」
聖奈も興味深そうに観察している。
「二人とも順応早すぎない!?」
しかし。
ブラックホールはどんどん大きくなっていく。
周囲の光が飲み込まれる。
見るだけで恐ろしい。
「ハルト!」
「ん?」
「危なくないの!?」
「大丈夫」
即答だった。
「なんで!?」
「帰り道だから」
「意味が分からない!」
すると。
ブラックホールの中心に魔法陣が浮かび上がる。
転移魔法。
異世界最強勇者による超長距離転移術式。
「なるほど」
聖奈が納得する。
「入口なのですね」
「そうだな」
「合理的です」
「合理的かなぁ!?」
結衣だけが納得できない。
だが。
次の瞬間。
強烈な吸引力が発生した。
「あ」
ハルトが笑う。
「吸われる」
「他人事みたいに言うなぁぁぁぁぁぁ!!」
四人の身体が一気に引き寄せられる。
闇へ。
ブラックホールへ。
宇宙の果てから地球へ。
「帰るぞー!」
「普通の帰り方しなさいよぉぉぉぉぉぉ!!」
結衣の悲鳴を残して。
四人は闇の中へ消えた。
――――――
その頃。
暗い部屋。
無数のモニター。
黒沼摩夜は静かに映像を見ていた。
編集前の映像データ。
宇宙。
月。
土星。
銀河。
そして。
最後のブラックホール。
「……本当にやった」
小さく呟く。
前世で勇者を知っている。
だから信じていた。
できるだろうとは思っていた。
だが。
実際に映像として見ると話は別だった。
世界がひっくり返る。
間違いなく。
ネットは大騒ぎになる。
ニュースになる。
学者も政府も企業も動く。
そして。
アンチたちも。
「さて」
摩夜は椅子にもたれた。
モニターの光が横顔を照らす。
口元には楽しそうな笑み。
「どう動こうかな」
今の彼女はアンチたちの中心人物。
だが。
本当の目的は別にある。
勇者を守ること。
勇者に近付く敵を把握すること。
そして。
誰よりも近くで見守ること。
「きっと面白くなる」
この動画が公開された瞬間。
世界は変わる。
ハルトはさらに目立つ。
敵も増える。
味方も増える。
騒ぎも大きくなる。
だから。
摩夜は微笑んだ。
まるで舞台の幕が上がるのを待つ観客のように。
「楽しみだよ」
恋する魔女は。
誰よりも嬉しそうに。
その時を待っていた。
――――――――――――――
投稿した動画のコメント
――――――――――――――
【動画タイトル】
『【人類未到達】宇宙の果てまで行ってみた』
【再生数:184,762,311回】
【高評価:7,981,442】
【コメント:1,532,884件】
『またタイトル詐欺かと思ったら意味が違った』
『なんで本当に宇宙行ってるんだよ』
『月で「でかい」は感想として雑すぎるwww』
『土星見て「ホントに輪っかあるんだなー」で終わる男』
『結衣ちゃんのツッコミだけが人類代表』
『ブラックホール作るな』
『最後まで見たけどブラックホール作るな』
『誰もそこツッコまないの怖い』
『凛ちゃん順応早すぎる』
『聖奈さんが途中から観光旅行みたいになってて草』
『結衣「普通の帰り方しなさいよ!」←正論』
『このチャンネル毎回正論担当が可哀想』
『CG班にボーナス払え』
『いやCGならハリウッド超えてる』
『NASA仕事しろ』
『↑NASAが一番困ってそう』
『天文学者だけど頭抱えてる』
『物理学者だけど頭抱えてる』
『宇宙工学研究者だけど頭抱えてる』
『専門家全員頭抱えてて草』
『月までの移動時間どうなってるんだ』
『土星まで何秒だった?』
『計算したら人類の物理法則が死んだ』
『そもそもブラックホール生成の時点で終わってる』
『ブラックホールが帰宅手段なの初めて見た』
『帰宅手段:ブラックホール』
『新しい交通機関かな?』
『ブラックホール急行』
『終点:地球』
『途中下車不可』
『吸い込まれてて草』
『なんか今回はCGに見えないんだよな……』
『↑分かる』
『↑映像の質感がおかしい』
『↑だから最新技術だろ』
『↑それ毎回言われてる』
『いや今回はマジで違和感ある』
『本物派また増えてて草』
『CG派vs本物派、開戦』
『どうせ企業案件だろ』
『どこの企業が宇宙の果て案件持ってくるんだよ』
『西園寺グループならやりかねない』
『↑やれるわけねーだろ』
『西園寺グループ公式が動画にいいねしてるんだが』
『公式反応してて草』
『絶対何か知ってるだろ』
『最近このチャンネル調子乗りすぎじゃない?』
『さすがにやり過ぎ』
『前より露骨に盛ってるな』
『宇宙の果てとか証明できないじゃん』
『信者は何でも信じるんだな』
『こんなの子供騙し』
『↑わざわざ見に来てコメント残してるの草』
『↑アンチも再生数に貢献してるんだよな』
『最近アンチの動き同じで不自然じゃね?』
『同じ内容の批判コメ多すぎる』
『テンプレみたいなコメント増えたな』
『なんか組織的な匂いする』
『炎上狙いだろ』
『↑でも炎上した結果1億再生超えました』
『アンチ負けてて草』
『このチャンネル叩くほど伸びるの無敵か?』
『むしろ毎回アンチが宣伝してる説』
『月で感動しない勇者』
『土星で感動しない勇者』
『宇宙の果てで感動しない勇者』
『ブラックホールで帰宅する勇者』
『本人だけ感覚おかしい』
『勇者基準で動画作るな』
『結衣ちゃんがいなかったら視聴者置いていかれる』
『結衣ちゃんの悲鳴まとめ動画まだ?』
『今回のMVPは結衣』
『いやブラックホール』
『ブラックホールはMVPじゃなくて戦犯』
『次回何やるんだよ』
『宇宙の果て超えたから次元の外とか?』
『そのうち神様に会いに行きそう』
『もう何が来ても驚けない』
『そう思ってた時期が俺にもありました』
『絶対次回もっとヤバいことやる』
『このチャンネルは予想の斜め上じゃなくて宇宙の外から殴ってくる』
『次回も楽しみです』




