第19話 日常という名の戦場、校内検分
放課後。
最後のチャイムが鳴り終わると同時に、教室中が一気に騒がしくなった。
部活へ向かう生徒。
友人同士で雑談を始める生徒。
帰り支度をする生徒。
いつもの放課後の光景である。
だが。
そんな中、一人だけ真剣な顔をしている少女がいた。
剣崎凛。
いや、元騎士団長リーゼロッテである。
彼女は腕を組み、窓の外を見ながら何やら考え込んでいた。
「どうした?」
ハルトが気軽に声を掛ける。
すると凛は振り返り、真面目な表情のまま答えた。
「主」
「ん?」
「本日一日、この学び舎で過ごして分かりました」
「おう」
「防衛情報が圧倒的に不足しております」
「防衛情報?」
ハルトが首を傾げる。
結衣が嫌な予感しかしない顔をした。
聖奈は面白そうに微笑んでいる。
凛は続けた。
「私は今後、主の護衛として長い時間をこの場所で過ごすことになります」
「まあ、そうだな」
「ならば校舎構造、避難経路、監視可能地点、侵入経路、死角、防衛拠点の把握は必須です」
「必須なのか?」
「必須です」
即答だった。
しかも一切迷いがない。
「敵襲があった際に対応が遅れます」
「敵襲なんて来ないだろ」
「来ます」
「来ない」
「来ます」
「来ないって」
「来ます」
「なんで断言できるんだよ」
「主がおられるからです」
「どういう理屈だよ」
ハルトが笑う。
凛は至って真面目だった。
「異世界でも主の周囲は常に事件だらけでした」
「まあ確かに」
「ならばこの世界でも同様でしょう」
「そんなことないだろ」
「昨日だけで校門前が半壊しました」
「…………」
ハルトが黙った。
結衣が即座に突っ込む。
「それ凛のせいだからね!?」
「む」
「む、じゃない!」
「しかし主への確認行為でしたので」
「確認で地面砕くな!」
教室の何人かが吹き出した。
既にクラスではいつもの光景になりつつある。
凛の暴走。
結衣のツッコミ。
そして何故か納得してしまうハルト。
聖奈は楽しそうに紅茶を飲んでいた。
「ですが結衣殿」
「なによ」
「主の安全は何より優先されるべきです」
「それは分かるけど」
「ですので校内の情報収集を行いたいのです」
凛は真っ直ぐ頭を下げた。
「どうかご同行を」
その姿は真面目そのものだった。
ふざけているわけではない。
本気で学校を調査しようとしている。
結衣は額を押さえた。
「うわぁ……」
「嫌か?」
「嫌というか怖い」
「なぜ」
「絶対何か起きるから」
「起きません」
凛が断言する。
その瞬間。
結衣と聖奈が同時に目を逸らした。
全く信用していない。
「面白そうじゃん」
しかし。
そんな空気をぶち壊したのはハルトだった。
目を輝かせている。
「え?」
結衣が嫌そうな顔になる。
「いや、学校案内って転校生イベントの定番だろ」
「そんな理由?」
「せっかくだし凛に青葉高校を案内してやろうぜ」
「主……!」
凛の顔が明るくなる。
完全に犬だった。
大型犬だった。
「俺もこの学校二年通ってるからな」
「頼もしいです」
「任せろ」
「主直々のご案内……」
凛が感動している。
なぜか目が潤んでいる。
そんな大層な話ではない。
ただの校内案内である。
「よし決まり」
ハルトは立ち上がった。
「今日は放課後探検だ!」
「探検じゃないからね?」
結衣が即座に訂正する。
「校内案内だからね?」
「似たようなもんだろ」
「全然違う」
「まあまあ」
ハルトは笑いながら鞄を肩に掛ける。
「聖奈も来るか?」
「もちろんですわ」
即答だった。
「勇者様とご一緒できる機会を逃す理由がありません」
「だよな」
「ちなみに現在の校舎改築案についても説明できます」
「改築案?」
「ええ」
聖奈が微笑む。
「勇者様専用休憩ラウンジ増設計画ですわ」
「そんなのあったのか」
「あります」
「初耳なんだけど」
「今初めて言いましたので」
「やめろ」
結衣が即座に止めた。
この学校は本当に大丈夫なのだろうか。
最近少し不安になってきた。
「じゃあ行くか」
ハルトが教室の扉へ向かう。
凛もすぐ隣へ並ぶ。
その後ろに聖奈。
さらに結衣。
気付けばいつもの四人組だった。
夕日が差し込む教室。
オレンジ色に染まる机と椅子。
生徒達の話し声。
部活動へ向かう足音。
そんな青春らしい放課後の風景の中。
ただ一人。
凛だけは真剣な目で教室全体を見渡していた。
(窓は多い……)
(侵入経路になり得る)
(だが視界も確保しやすい)
(主の席は中央付近)
(防衛には悪くない)
完全に戦場の指揮官だった。
学校生活を楽しむ転校生ではない。
敵城へ潜入した騎士である。
そして。
そんな彼女の検分は。
この後、青葉高校全体を巻き込む騒動へと発展していくのだった。
教室を出た四人は、そのまま廊下を歩き始めた。
窓の外では運動部の掛け声が聞こえている。
吹奏楽部の演奏もどこからか流れてきた。
いかにも放課後の高校という風景だった。
だが。
凛だけは景色の見方が違った。
「窓が多いですね」
「そうか?」
「はい」
凛は真面目な顔で頷く。
「外部からの侵入経路になります」
「そんな映画みたいな侵入者来ないから」
結衣が即座に突っ込む。
「ですが視界の確保にも役立ちます」
「聞いてない」
「敵影の発見には有効です」
「だから敵いないって」
「今は」
「今後もいないよ!」
今日も結衣は元気だった。
そんなやり取りをしながら階段を下りる。
途中ですれ違う生徒達が何人も凛を見てざわついていた。
「おい、あれ剣崎さんだよな」
「本物だ……」
「動画で見た人だ」
「隣に炎の勇者もいる」
「なんか校内案内してる?」
ひそひそ声が聞こえる。
凛は気にしていない。
ハルトも気にしていない。
結衣だけが少し気まずそうだった。
「有名人になったねぇ」
「いいことだろ」
ハルトは満足そうに笑う。
「再生数にもつながるし」
「そこしか見てない……」
そして一階へ到着した。
ハルトが手を広げる。
「まずはここだ」
目の前に広がっているのは巨大な図書館だった。
正確には図書室である。
だが普通の高校とは規模が違う。
ガラス張りの自動ドア。
二階まで吹き抜けになった構造。
大量の蔵書。
閲覧スペース。
個別学習ブース。
電子書籍コーナー。
カフェのような休憩スペースまである。
青葉高校が誇る人気施設だった。
「おお……」
凛が珍しく感嘆の声を漏らす。
「すごいだろ?」
「図書館ですか」
「図書室な」
「王立図書館にも匹敵します」
「そこまでじゃないと思うけど」
結衣が苦笑する。
だが実際かなり豪華だった。
聖奈が少しだけ胸を張る。
「三年前に改築されましたの」
「へぇ」
「西園寺グループが寄付した資金で」
「お前だったのか」
「勇者様が快適な学園生活を送れるように」
「俺まだ入学してなかったぞ」
「未来への投資ですわ」
意味が分からない。
凛は本棚を眺めながら歩いていく。
軍事史。
世界史。
科学。
文学。
あらゆる分野の本が並んでいた。
「知識の保管庫か」
ぽつりと呟く。
「異世界では本は高価でした」
「あー、確かにな」
「これほど自由に知識へ触れられる環境は貴重です」
その言葉には少しだけ感心が混じっていた。
前世では騎士団長。
戦いの日々だった。
だからこそ学問を学べる環境の価値も知っている。
しかし。
次の瞬間。
凛の視線が天井へ向いた。
「どうした?」
「梁がありますね」
「あるな」
「人が潜伏できます」
「しないから」
即座に結衣が突っ込む。
「夜間なら狙撃地点にも」
「狙撃もないから!」
「本棚の配置は迷路状です」
「うん」
「奇襲向きです」
「図書室を戦場として評価するな!」
司書の先生が吹き出した。
周囲で勉強していた生徒達も肩を震わせている。
だが凛は本気だった。
「危険です」
「危険じゃない」
「ならば安心しました」
「納得した!?」
どういう理屈なのか誰にも分からなかった。
その後もしばらく館内を歩き回った後。
四人は再び廊下へ出る。
夕日が差し込む渡り廊下を進みながら、ハルトが次の目的地を指差した。
「あっちだな」
校舎の奥。
少し離れた場所にある建物。
ガラス張りの近代的な施設だった。
「次は?」
「メディアセンター」
青葉高校名物の一つ。
動画編集室。
配信設備。
撮影スタジオ。
防音ブース。
大型スクリーン。
最新機材。
それらを備えた特殊施設である。
「最近の高校ってすげーよな」
ハルトが言う。
「動画研究部とかもあるし」
「主の活動に向いておりますね」
「だろ?」
中へ入る。
広い編集室では何人かの生徒が映像制作をしていた。
撮影用スタジオでは照明機材が並んでいる。
放送部の生徒達も作業中だった。
凛は周囲を見回した。
「これは興味深い」
「気に入ったか?」
「はい」
珍しく即答だった。
「異世界には存在しなかった技術です」
パソコンを見つめる。
大型モニターを見る。
動画編集ソフトを見る。
目が少し輝いていた。
戦い以外にも興味を持つものがあるらしい。
「最近はここ借りて撮影したりもするんだよ」
「なるほど」
「校長が俺のファンだからな」
「主は本当に自由ですね」
「だろ?」
全く褒め言葉ではない。
しかしハルトは満足そうだった。
その時。
凛がスタジオの高所に設置された照明設備を見上げた。
「ふむ」
嫌な予感がした。
結衣が顔をしかめる。
「今度は何?」
「上部に足場があります」
「あるね」
「監視に最適です」
「あーはいはい」
「非常口は三箇所」
「うん」
「侵入経路も三箇所」
「言い方!」
「籠城には向きません」
「高校で籠城しないから!」
結衣の叫びがスタジオ中に響いた。
放送部員達が爆笑する。
凛は不思議そうな顔をした。
「結衣殿」
「なによ」
「なぜそこまで平和を信じられるのですか」
「逆に何でそんなに戦争前提なの!?」
「戦場とは常に突然訪れるものです」
「ここ高校!」
「なるほど」
凛は真剣な顔で頷いた。
「つまり油断を誘うための名称なのですね」
「違うから!」
結衣の悲鳴が再び響く。
そしてハルトは笑いながら歩き出した。
「次行くか」
「御意」
凛もすぐ後ろにつく。
夕日に染まる校舎。
賑やかな放課後。
平和な学園生活。
だが凛の頭の中だけは。
相変わらず戦争が続いているのだった。
メディアセンターを後にした四人は、そのまま校舎内を歩き続けていた。
既に案内というより遠足である。
もっとも。
ハルトは楽しそうだし。
聖奈は勇者と一緒に歩けるだけで満足そうだし。
凛は本気で情報収集している。
唯一、結衣だけが疲れ始めていた。
「あと何か所回るの……」
「いっぱい」
「曖昧!」
そんなやり取りをしながら、まず最初に案内したのは保健室だった。
「ここ保健室」
「傷病兵の治療所ですね」
「言い方」
「ベッドが四つ」
「普通だな」
「医薬品も十分」
「高校だからな」
「窓からの脱出も容易」
「脱出前提やめろ」
保健の先生が苦笑していた。
次に案内したのは職員室。
放課後でも教師達が仕事をしている。
「ここ職員室」
「指揮所ですね」
「違う」
「統治機関」
「違う」
「代官所」
「それ警察署だから」
結衣が即座に否定する。
凛は少し残念そうだった。
何が残念なのかは誰も聞かなかった。
さらにそのまま進み。
中庭へ出る。
噴水。
ベンチ。
花壇。
夕日に照らされた木々。
まるでドラマの撮影場所のような空間だった。
「ここは中庭」
「決闘に向いていますね」
「向いてない」
「視界が開けています」
「うん」
「伏兵を置きにくい」
「置かない」
そのまま移動。
購買部。
まだ何人かの生徒がパンを買っている。
「ここ購買」
「補給拠点」
「まあ近い」
「兵站は重要です」
「急に正論言うな」
さらに体育館。
巨大なアリーナ。
バスケットゴール。
ステージ。
部活動の声。
「ここ体育館」
「室内訓練場」
「まあ近い」
「剣の稽古にも使えそうです」
「使うなよ?」
「善処します」
「絶対使う顔してる!」
こうして五か所を回った頃には。
凛の頭の中に青葉高校の地図がかなり完成し始めていた。
そして。
ハルトは最後に校舎の最上階へ向かう。
「さて」
「次が最後ですか?」
凛が尋ねる。
「ああ」
ハルトが笑う。
「青葉高校で一番変な場所だな」
「変?」
「普通の高校にはないぞ」
「ほう」
凛の目が少し鋭くなった。
そして階段を上る。
さらに上る。
屋上へ出るかと思ったが違った。
途中にある大きな金属扉の前で止まる。
電子認証付き。
一般生徒立ち入り禁止。
警備員まで配置されている。
「主」
凛が真顔になる。
「秘密施設ですか」
「秘密じゃない」
「しかし厳重です」
「まあな」
ハルトは慣れた様子でカードをかざした。
ピッ。
電子音。
扉が開く。
そして。
凛は中を見て固まった。
「……」
「どうだ?」
「……これは」
広大だった。
学校の中とは思えない。
まるで研究施設。
あるいは企業の開発センター。
数百平方メートルはありそうな空間。
最新鋭の撮影設備。
巨大モニター。
防音壁。
可動式ステージ。
照明設備。
クロマキー撮影スペース。
さらには小型ドローン訓練区画まである。
青葉高校特別創作棟。
通称――コンテンツラボ。
「なんだこれ」
凛が素で呟いた。
結衣も初めて見た時は同じ反応だった。
「数年前にできた施設らしいぞ」
「なぜ高校に?」
「知らん」
「勇者様のためですわ」
聖奈がさらりと言った。
「お前か」
「私ではありません」
「違うのか」
「ですが寄付はいたしました」
「やっぱりお前じゃねぇか!」
実際には聖奈が転校前に寄付した資金が大量投入されている。
校長が暴走した結果。
高校とは思えない施設が完成したのだ。
「動画制作」
聖奈が説明する。
「映像研究」
「配信技術」
「ドローン開発」
「三次元映像技術」
「最新の教育カリキュラムですわ」
「金持ち高校ってすげぇな」
ハルトは感心していた。
凛は周囲を見渡す。
巨大モニター。
複数の撮影ブース。
編集室。
会議室。
配信設備。
もはや小規模テレビ局だった。
「……主」
「ん?」
「ここを拠点にしましょう」
「何の?」
「防衛のです」
「しない」
即答だった。
「なぜです」
「学校だから」
「ですがここなら監視が――」
「しない」
「迎撃も――」
「しない」
「籠城も――」
「しない」
「補給も――」
「購買でいいだろ」
ハルトが笑う。
凛は少しだけ納得していない顔だった。
しかし。
しばらく施設内を見学した後。
彼女はぽつりと呟く。
「面白い場所ですね」
その声は少し柔らかかった。
「だろ?」
「はい」
凛は巨大な編集ブースを見つめる。
異世界には存在しなかった技術。
存在しなかった文化。
存在しなかった娯楽。
この世界は平和で。
奇妙で。
そして新鮮だった。
「主はこのような場所で活動しておられるのですね」
「まあな」
「理解しました」
「何を?」
「なぜ多くの者が主を見ているのか」
凛は小さく笑った。
「戦場だけが、人を惹き付ける場所ではないのですね」
珍しく騎士団長ではなく。
一人の女子高生らしい感想だった。
もっとも。
その直後。
彼女は天井を見上げて真顔になる。
「ただし換気ダクトから侵入可能です」
「戻ってきた!」
結衣の叫びが響く。
どうやら凛の戦場思考は。
そう簡単には治りそうになかった。
気付けば。
窓の外は夕焼け色に染まっていた。
コンテンツラボを出た四人は、そのまま校舎の屋上へ続く階段前の踊り場に腰を下ろしていた。
放課後も終盤。
部活動の声も少しずつ減り始めている。
長かった校内案内もようやく終わりだった。
「疲れたぁ……」
結衣が壁にもたれかかる。
「なんで学校案内でこんなに歩くのよ」
「探検だったからな」
「だから違うって言ってるでしょ」
ハルトが笑う。
凛はその隣で腕を組みながら静かに校舎を見渡していた。
しばらくして。
ハルトが声を掛ける。
「どうだった?」
「はい?」
「学校」
凛は少し考えた。
そしてゆっくりと口を開く。
「正直に申し上げますと」
「おう」
「最初は奇妙な場所だと思っておりました」
「奇妙?」
「はい」
凛は頷く。
「学び舎でありながら、数百人もの若者が毎日集まる巨大施設です」
「まあそうだな」
「にもかかわらず武装兵はおらず」
「いないな」
「城壁もなく」
「ないな」
「堀もありません」
「高校だから」
結衣が突っ込む。
凛は続けた。
「最初は非常に危険だと思いました」
「だろうな」
「ですが」
少しだけ表情が柔らかくなる。
「皆が笑っているのです」
「……」
「教室でも」
「廊下でも」
「中庭でも」
「図書室でも」
凛は夕焼けに染まる窓を見た。
「異世界では、このような光景は貴重でした」
誰も茶化さなかった。
リーゼロッテが生きた時代は戦乱の時代だった。
魔王軍との戦争。
魔物の脅威。
いつ誰が死ぬか分からない世界。
だからこそ。
この平和な学園の価値が分かる。
「皆が未来の話をしている」
凛がぽつりと呟く。
「部活動」
「進学」
「友人関係」
「恋愛」
少しだけ間を置く。
「そのようなことを考えられる世界は良いものですね」
結衣が少し驚いた顔をした。
凛はもっと脳筋だと思っていたのだ。
だが実際は違う。
彼女は戦争を知っている。
だから平和の価値も知っている。
「まあな」
ハルトが笑う。
「学校ってそういう場所だし」
「はい」
凛も頷いた。
「主がこの場所を気に入っている理由も理解できました」
「俺?」
「はい」
そして少しだけ困ったように笑う。
「ただ」
「ただ?」
「防衛面は壊滅的です」
「戻ってきた!」
結衣が叫んだ。
「いい話だったのに!」
「事実です」
「事実じゃなくていいの!」
「窓が多すぎます」
「うん」
「死角も多いです」
「うん」
「換気ダクトもあります」
「もういいよ!」
凛は本気だった。
聖奈が優雅に紅茶を飲みながら微笑む。
「その点については改善案がありますわ」
「あるの!?」
結衣が振り返る。
嫌な予感しかしなかった。
「もちろんです」
聖奈は当然のように頷いた。
「私も本日、校内を歩きながら色々考えましたので」
「考えなくていい!」
「勇者様のためですわ」
「それが一番怖い!」
しかし聖奈は止まらない。
凛も興味深そうな顔になった。
「例えば」
聖奈が指を立てる。
「校内全域への高性能音響設備の設置」
「なんで?」
「勇者様のお声を常に聞けるようにするためですわ」
「いらない!」
結衣が即答する。
だが聖奈は真面目だった。
「本日の移動中、勇者様のお声を聞いていて思ったのです」
「何を」
「校内放送を勇者様専用にするべきだと」
「やめろ」
ハルトが笑いながら言う。
聖奈は本気だった。
「朝の放送」
『おはようございます』
「昼の放送」
『昼飯食ったか?』
「放課後」
『また明日な!』
「完璧ですわ」
「完璧じゃない!」
結衣のツッコミが飛ぶ。
だが聖奈はさらに続けた。
「また、勇者様の声には非常に良い効果があります」
「効果?」
「生徒達の集中力が向上していました」
「してた?」
「幸福度も上昇」
「測ったの?」
「推定ですわ」
全部適当だった。
凛が腕を組む。
「なるほど」
「なるほどじゃない」
「主の士気向上効果を校内全域へ」
「ゲームのバフ扱いしないで」
結衣は頭を抱えた。
だが二人は真面目に議論を始める。
「さらに勇者様専用休憩所」
「必要ですね」
「勇者様専用食堂」
「必要です」
「勇者様専用移動通路」
「必要です」
「勇者様専用訓練場」
「必要です」
「全部いらないから!」
結衣の叫びが響く。
ハルトは大笑いしていた。
「面白そうじゃん」
「面白くない!」
「いや、専用通路とかロマンあるだろ」
「皇帝か!」
夕焼け空。
騒がしい放課後。
平和な学園。
そして。
学校を要塞化したい騎士と。
学校を勇者テーマパークにしたい元王女。
結衣は改めて思う。
(やっぱりこの二人ヤバい)
今日一日で。
その確信だけはさらに強まったのだった。
夕暮れ。
校門へ向かう帰り道。
長かった校内案内も終わり、四人は並んで歩いていた。
オレンジ色の光が校舎を照らしている。
部活動を終えた生徒達が続々と帰宅していく時間帯だった。
「結局、一番気に入った場所はどこだったんだ?」
ハルトが尋ねる。
凛は少し考える。
「難しいですね」
「図書室か?」
「いえ」
「コンテンツラボ?」
「それも興味深かったですが」
そして。
少しだけ笑った。
「教室です」
「教室?」
「はい」
ハルトが意外そうな顔をする。
凛は夕日に染まる校舎を見上げた。
「主が普段過ごしている場所ですので」
「そういう理由かよ」
「十分な理由です」
即答だった。
結衣が呆れた顔をする。
聖奈はなぜか悔しそうだった。
「私も教室の隣に専用ラウンジを――」
「作らなくていい」
「まだ諦めておりませんわ」
「諦めろ」
いつものやり取り。
いつもの放課後。
凛は静かにその光景を見ていた。
平和だ。
本当に平和だった。
異世界では考えられないほど。
だからこそ。
彼女は少しだけ気を緩めていた。
――その時だった。
カサッ。
どこかで小さな物音がした。
凛の視線が動く。
校舎の角。
植え込みの陰。
一瞬だけ何かが見えた。
「……」
凛の目が細くなる。
「どうした?」
ハルトは気付いていない。
だが。
凛は見逃さなかった。
ほんの一瞬。
こちらを見ていた人影。
しかも今日だけではない。
図書室でも。
中庭でも。
体育館前でも。
視界の端に映っていた。
同じ人物だった。
(監視……?)
騎士団長として培った経験が警鐘を鳴らす。
偶然ではない。
移動先で何度も見た。
一定距離を保っている。
接触はしてこない。
しかし視線だけはこちらへ向いている。
凛の中の危機管理能力が一気に動き出した。
(主を追跡している)
結論が出た。
そして最悪の方向へ。
ハルト達は気付かないまま校門へ向かう。
だが。
その途中。
校舎の陰で一人の男子生徒が頭を抱えていた。
「やっべぇ……」
二年生。
名前は佐久間。
サッカー部所属。
どこにでもいる普通の男子生徒だった。
ただし今日は違った。
「本物だよなぁ……」
彼は今日一日。
ハルト達の後ろをついて回っていた。
理由は単純だった。
炎の勇者チャンネルの大ファンだったから。
世界的に有名な動画投稿者。
数億再生を連発する超有名人。
そんな人物が同じ学校にいる。
しかも今日は転校生の剣崎凛と校内を歩き回っている。
気になるなという方が無理だった。
最初は偶然だった。
図書室で見かけた。
少し離れて眺めた。
次は中庭。
また見かけた。
体育館前。
コンテンツラボ前。
そのたびに、
(あ、またいた)
と遠くから見ていただけだった。
本人に話しかける勇気はない。
ただのファンである。
しかし結果だけ見れば。
一日中追い掛け回していた。
「いやでも絶対すごいじゃん……」
炎の勇者。
剣崎凛。
西園寺聖奈。
学校の有名人が勢揃い。
男子高校生としては興味を持つなという方が無理だった。
「明日友達に自慢しよ……」
そう呟いて顔を上げる。
そして。
固まった。
「……え?」
目の前にいた。
剣崎凛が。
音もなく。
いつの間にか。
立っていた。
「ひっ」
思わず声が漏れる。
凛は無表情だった。
だが目だけが笑っていない。
「質問があります」
「え?」
「なぜ主を追跡していたのですか」
男子生徒の顔色が変わる。
「ち、違っ」
「本日」
凛が淡々と告げる。
「図書室」
「中庭」
「体育館」
「創作棟」
「計七回確認しました」
「え」
「偶然ではありませんね」
男子生徒の背中を冷や汗が流れる。
怖い。
なぜか怖い。
話している内容は普通なのに。
なぜか尋問されている気分だった。
「いや、その……」
「目的は?」
「え?」
「目的です」
凛が一歩近付く。
「主への敵意ですか」
「ないないないない!」
男子生徒は全力で首を振った。
「じゃあ何ですか」
「ファ、ファンです!」
「……」
「炎の勇者チャンネルの!」
沈黙。
数秒。
凛は男子生徒を見つめる。
男子生徒は泣きそうだった。
やがて。
凛がぽつりと呟く。
「ファン……」
「はい……」
「なるほど」
少しだけ警戒が緩む。
だが。
次の言葉は全く緩んでいなかった。
「では危険ですね」
「え?」
「熱狂的な崇拝は時に暴走します」
「しないよ!?」
「主へ近付きすぎないようお願いします」
「は、はい……」
「半径五メートル以内への無断接近は禁止です」
「なんで!?」
「主の安全のためです」
男子生徒は理解を諦めた。
この人は駄目だ。
話が通じない。
そんなことを考えていると。
遠くからハルトの声が聞こえた。
「凛ー?」
「主」
凛が即座に振り返る。
そして。
男子生徒へ最後に一言。
「監視は継続します」
「えっ」
「失礼」
次の瞬間。
もういなかった。
男子生徒はその場に立ち尽くす。
数秒後。
「なにあれ……」
心の底から呟いた。
そして。
彼は知らない。
自分がただのファンとして起こした行動が。
剣崎凛の危機感をさらに刺激してしまったことを。
一方その頃。
ハルトの元へ戻った凛は真剣な顔をしていた。
「主」
「ん?」
「この学園は危険です」
「またかよ」
「本日、不審人物を確認しました」
「不審人物?」
「はい」
凛は頷く。
「追跡行為を行っていました」
「へぇ」
ハルトは軽く流した。
だが。
凛は本気だった。
(やはり警戒を強化せねば)
(主の周囲は危険に満ちている)
そんな決意を固める。
そして。
翌日。
その過剰な警戒心は。
さらに大きな騒動へと発展していくことになるのだった。




