第三十九話 ちらつく感情
ヴァルの策略により、ネコは攫われてしまった。シロはインカム越しで全て聞いている。いや、聞かなきゃいけなかった。
電源の切れたインカムを耳に押し付けたまま、シロは立ち尽くしていた。いつもの笑みはもちろんない。
ただ、胸の中から張り裂けようとしている感情を抑えようとしていた。
「はあ……はあ……。」
怒りで、呼吸が乱れる。
むかし捨てたはずの殺意がふつふつと燃え滾っている。
へらへらと自分たちを探り倒すあの男を殺したくてたまらない。同時に、ネコが傷ついていないかと不安で頭が真っ白になる。ああ、なんて自分は無力だ。
主を失った子犬のように足に鎖を付けた。
「ネコちゃん……。」
今、声が聞けたのなら冷静に戻れただろう。だが、消えかけるネコの声が耳にこびりついている。こんなの実をいうと初めてだった。
情報屋として働いていたネコは、今何でも屋を営んでいる仲でもそういう関係で動いていた。
依頼内容をまとめたり、優先度をつけたり。依頼が足りなくなり、お金がかつかつになってきたらネコ自身の貯金をはたいてまで、シロのために動いてくれる。
……そもそも、なんであの人は借金を肩代わりしてくれたのだろうか。
シロとネコ。いびつな二人が何でも屋を始めたのには、一つのきっかけがあった。遡ること数年前。シロがまだ、殺し屋でスナイパーライフルを片手に路地裏で座り込んでいた時だ。
シロが当時の記憶があやふやなのは、敵から受けた傷が思ったよりも内蔵に響いていた。死にかけていたのだ。息を吐くだけで、傷がズキズキと痛む。赤く染まった服からさらに血が流れていく。だが、それをみてシロはあきらめていた。
殺し屋は死んでも仕方がない存在。他人を殺しているのだから、恨まれても仕返しされても自業自得だ。借金が絡んでいようと関係がない。それを知っていたからだ。
夜の冷たい風を受けながら、シロは浅い息を吐く。目の前がちかちかと点滅して意識が飛びそうになっていた。
ああ。ようやくこの地獄から抜け出せるのか。
そんなことを考えていた。だが、そのとき。あの小柄な青年と出会ったのだ。
彼は瀕死でもなければ、怪我もおってはいない。シロを見て、ぴたりと足を止める。シロはそちらを向いて警戒していた。相手もまた警戒していた。
「……誰だ。」
その声にシロがゆっくりそちらを向く。
シロが彼に対して初めに思った感想がこれだ。
――体が細い、折りやすいだろうな。
全てが人を殺すために動いていた。死にかけているというのに、銃口を向ける。
だれかに殺されるぐらいなら、売られるぐらいなら、先に殺してやるぞと言わんばかりに。
その殺意を受けても彼は一切、動揺しなかった。
「誰だと聞いている。」
彼は二度目の問いを投げかけえる。シロは血がなくなっていく指先を震わせながらぽつりとつぶやく。
「……シロ。」
「あー。シロね。」
「……しってんのか。」
銃を下ろさないまま、シロはじっとその人を見た。当時の彼は顔すら見えなかった。
猫をモチーフにした仮面をつけて、フードをかぶり、挙句の果てに声まで変えていた。ガビガビで、機械音声であることがわかりやすい物。
だが、今聞けば話し方も声のトーンも昔から変わらない。
「……何の用っすか、坊ちゃん。」
「いや、たまたま通りがかっただけだが。」
シロはその言葉に目を丸くする。てっきり自分を狙ってきた者だとばかり思っていたから。
あっけにとられつつも、警戒を解くことはなかった。銃口は下ろさず、観察し続ける。
「じゃあ、このまま見殺しにするっすか?」
「……それも面白いが。少し聞いてもいいか?」
「なんすか。」
シロはどうせ大したことがない、馬鹿にする気だと思いながらも耳を傾けていた。
その時ネコは言ったのだ。
「一緒に逃げないか。世界の果てまで。」
「にげる……?」
意識が遠のき始める。血が足りない。銃口が下に下がる。……頭が回らない。逃げるとはどこへ。世界の果てってどこ。
そんなことしか考えれなかった。
「世界の果てってどこ……。」
「さあ、そこは知らない。でも、ここでもなければあの世でもない。そんな中途半端なところなら、僕らでも生きられるんじゃないかって。」
「……いや、そもそも……坊ちゃんは誰なんすか……?」
シロが問いかけた。お前は誰かと。ネコは答える。
「うなずいたら答えてやる。助けてやる。」
上から目線で助けてやるといわれてしまった。シロはもう、よくわからなかった。目の前の人が何を目的に助けるといっているのか。なぜ自分のことを知っているのか。
わからなかったが、すがるしかなかった。
死にたくはなかったのだ。
シロがコクリとうなずき、ネコに助けてほしいと態度で示した。ネコはそれを無下にせず、宣言通りに手当をした。包帯を巻いて、血が流れているところを圧迫し。そして最後には闇医者に連絡を入れた。最初から最後まで世話してくれたのだ。
話は戻り、現代。あの宣言通り、自分らは表でも裏でもない。世界の果て。「何でも屋」という職に就いた。犯罪かといわれればそうでもないし、悪者ではないのかといわれてもそうじゃないとは言い切れない。
だが、それでいい。悪者になってしまった自分らは、あいまいな存在のまま生きれるのならそれでもいい。
……だが、そこまで連れだしてくれた存在が、攫われてしまった。あの時の恩を果たすときかもしれない。
シロは静かに息を吐き感情を抑えた。殺意を、怒りを冷静さに変えた。
「絶対クリアしてやる。ネコちゃんとの出会いを聞くのは、俺だけでいい。」
今日も番犬は主のためなら命を張る。本音を隠す。
全てはご褒美のために。主の身を守るために。




