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エピソード46

―深層―



 意識の底――そこは、現実とも夢ともつかない、灰色の世界だった。



 色も音もない空間のなかで、俺はひとり立っていた。



 ――否。





「……久しぶりだね、こうして“正面から”話すのは」



 振り向いた先にいたのは、もう一人の自分。



 アエル。



 それは“力”であり、“封じられた過去”であり――



 そして、もう“ただの存在”ではなくなっていた。





「……勝手に出てくるなって、何度言えばわかる」





 淡々と、俺は告げる。



 けれど、以前のような怒気はそこになかった。




「君が出てこなければ、僕が表に立つこともなかった。……でも、出てきた以上、無視もできないよね」





 アエルの声は穏やかだった。



 挑発も皮肉もない。ただ、真実だけを並べる口調。





「君は今、俺を共存の対象として見ようとしている。

 なら僕も、“どう共にあるべきか”を考えようと思った。……それだけだ」



「……リリィに、何を言った」



 俺の問いに、アエルは目を伏せた。



「特別なことは言っていない。ただ、知ろうとしただけ。彼女が、僕をどう見るか。

 君をどう支えようとしているのか。……それを知って、少しだけ“分からなくなった”」



「……分からなく、なった?」



「そう。僕は力だ。純粋で、強大で、支配することで意味を持つ存在だった。

 でも今、君が“僕と共にあろう”とし、彼女が“僕ごと受け止めよう”とする――

 それが、何なのか。未だに定義できていない」





 沈黙が落ちた。



 二人は同じ空間に立ちながら、どこか遠い存在のようでもあった。





「君は、僕を拒絶しないことで、弱くなる」





 アエルが告げる。





「だが、君は拒絶しないことで、強くもなれる。……僕は、まだその答えを知らない」



 その言葉に、俺は目を細めた。



「……つまり、お前も“変わり始めた”ってことか?」



「かもしれないね。

 少なくとも、“共に在る”という概念に、少しだけ興味を持ってしまった」





 アエルは初めて、“譲歩のように見える言葉を発した。





「この先、どこかで主導権が曖昧になることもあるだろう。

 そのとき、僕が出るか、君が残るか――その判断を、君と共有してみてもいいと思っている」



「……勝手なことを言うな」





 そう言いながらも、俺の中には確かに“何か”が揺れていた。



「……彼女の目を見て、思い出したよ。“彼”が、なにを守ろうとしていたのか」



 アエルはそう言ったあと、ふと視線を逸らした。



 まるで、その“何か”に触れそうになって、怖くなったかのように。



 怒りではなく――対話の余地が生まれたことへの、戸惑いに似た安堵。





「その代わり、一つだけ条件を」



 アエルが一歩、近づいた。



「リリィには、決して“傷をつけない”こと。

 直接でなくても、間接でも、彼女を否定することはしない」





 俺は、黙ってその言葉を受け止めた。



 それが、“アエル自身の意思”であることを、直感で理解したからだ。



 ――静かな、始まりだった。



 否定から始まったふたりが、はじめて「どう共に在るか」を話し始めた。



 それは、まだ形にならない約束のようで――しかし確かな一歩だった。



「……もう一つ約束しろ……勝手に体を使うな」



「……あぁ、良いよ。もうそんな事はしない」





―君と共にあるということ―



 夕暮れの縁側に、柔らかな風が吹き込んだ。



 リリィは庭の手入れを終えて戻ってきたところで、俺はその縁に腰を下ろし、しばらく前からそこに座っていた。



 沈黙が続いたあと、彼の口が開いた。





「リリィ。……少し、話がある」





 その声は、どこか迷いをはらんでいた。



 けれど、核心に近づくほどの静かな覚悟も、そこにはあった。



 リリィは頷き、隣に座る。





「……アエルさんのことですね?」





 やはり、分かっていた。



 俺は小さく頷き、目を閉じた。





「俺は……アエルと、共に生きることにした」



 リリィは目を見開いたが、驚きではなく、どこか納得するような瞳だった。



「それが、主様の決めたことなら……私は、聞かせてほしいです」



 その言葉に、俺はゆっくりと語り始めた。



「アエルは……“力”だ。人格を持った、俺の中の存在。

 だけど、もともとは俺の一部だった。

 抑え込んできたけど、もうそれじゃあ何も守れない。……自分も、君も」





 リリィは黙って聞いていた。



 その横顔は、まるで何かを受け止めるために、全身で耳を澄ましているようだった。





「俺は――アエルを否定するのをやめる。

 力としてではなく、一つの意思として、共に在ることを選ぶ」





 言葉にして初めて、その決意が確かなものになった気がした。



 それは怖いことでもあった。



 けれど、同時に今の自分が選べる唯一の道でもあった。





「……でも、それが君にとって、恐怖や不安になるなら……離れてもらっても構わない」





 それは本心ではなかった。



 だけど、リリィの負担になることだけは、避けたかった。



 リリィは、しばらく沈黙していた。



 目を伏せて、言葉を選ぶようにして。



 そして、そっと微笑んだ。





「……少しだけ、怖かったです。最初は、誰も信じられないと思ってた。でも――今は違います

 主様……あなたは、変わっていないです」



 その言葉に、俺の肩から力が抜けた。



「アエルさんがいても、いなくても。

 それが主様の選んだ生き方なら、私はその選択ごと、大事にしたいです」



「……本気で、そう言ってるのか?」



 リリィは頷いた。



「だって、私はもう知ってます。主様がどれほど、誰かを守ろうとする人か。

 それが“アエルさんと一緒にあること”でも、変わらないって、分かってます」





 風が、縁側を抜けていった。



 その音の中に、ほんの少し――涙をこらえるような音が混じっていたのを、リリィは気づかないふりをした。





「ありがとう、リリィ」


 


 その声は、震えていたけれど、確かに、優しかった。

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