第3話 「証拠(ショーコ)ちゃん」
僕は、帰りのHRが終わると、急ぎ足で3組の教室へ向かった。3組の教室に入るほどの勇気はなかったため、教室の外で待機。数分すると、お目当ての葉一が教室から出てきた。
というのも…僕は理科室で壊れた試験管を見つけた後、その時は特に何もせずに教室へ戻った。しかし、しばらくしてから、僕は異様なほどに、このことを人に言いたくなった。一人で抱え込むには少し大きすぎる謎だったから。そして僕は見事に熟考。僕にはそれを相談する相手がいなかった。その時は先生に言おうかとも思ったが、そのせいでこのことが学校全体で広まり、大事にでもなってしまえば、自然と試験管を見つけた僕に面倒が増えるだろうと思った。
そんな時、もう先生以外に話せる相手など一人しかいなかった。
そして今に至る。
葉一は教室から出るなり、驚いた表情でこちらを見つめた。僕が小声で「話したいことがある。」というと葉一は黙ってうなずいた。
校門を出て数分するまで葉一は一言も発さなかった。昨日家で話した時とは裏腹に、どこか肩身の狭いような顔をしていた。そして葉一の体に昨日はなかった傷跡が増えていることに、僕は気づかないふりをした。実際、その時にはまだ気づいていなかった。
「話したいことって何?」
やっと葉一が口を開く。
「今日さ、学校で面白いもの見つけたんだよ。」
「何を見つけたの?楠見くんの面白いってのは、少し信用ならないな。」
この時、少しだけ葉一に言っていいのか、という素朴な疑問が浮かんだ。だけど、まあいっかと僕は軽はずみに言葉を紡いだ。
「本当偶然だったんだけど、理科準備室で前に先生が壊れたって言ってた、試験管を見つけたんだ。」
「うん。それがどうしたの?」
「それが、壊れたって言っても変な壊れ方をしてて。どう見ても実験で壊れたようには見えなかったんだよ。」
僕は、あえて試験管に血がついていたことは言わなかった。話の流れ的に言わなくていいような気がしたから。
「変なって。一体どんな壊れ方をしてたの?」
「それが…その〜、なんか、その〜、そう…!破片の量が異様に多かったんだ。実験で壊したってほどの量じゃなかった。多分…2,3本分くらい?」
「それは、確かに変な感じだね。」
「うん。」
───その後も会話は続いた。しかし、なぜだろうか。もっとうまく話せると思っていたのに、思ってた以上に会話はうまく進まなかった。多分そうだ、驚くほどに、’’血の付いた’’という部分を除いた試験管の話は、そこまで奥深いものではなくなっていたのだ。僕はその後も、試験管の謎について二人で探求しようと試行錯誤した。だけど、そうやって考えるうちに、話はどんどん逸れていき、いつの間にか、僕は葉一の話に集中できなくなっていた。
葉一も何か変だと思ったのか、その時の僕の様子を伺い、話を止めて、僕に聞いてきた。「その試験管に血は付いてなかった?」と。
その一言に僕は、葉一に隠された何かを垣間見た。
★ ★ ★
「何言ってるの…?そんな話、俺、したっけ?」
「いや?してないよ。でも、その試験管、僕も見たんだ。準備室の棚で。」
「そう…でしょ?あの棚にあった試験管のことでしょ?違った?」
急な質問に僕はなんて答えようか、なんて考える暇もなかった。
「そ、そう…合ってる。その試験管のこと。」
別に、葉一も知っている。というのはこれといって不思議なことではない。逆に、あんなあからさまな血痕を追わずに試験管を見つけない方がおかしい。
それに、葉一も血痕を追って、試験管を見つけたと言うなら話がはやい。
「金瀬も見つけてたんだね。」
「うん。それにしても、よくあんなところにある試験管を見つけられたね。まあ僕もだけど。」
「あぁ、確かに。でも、意外と簡単に見つかりそうな気もする。だって、あんな血痕があったら誰でも追いたくなる。」
「ん?ケッコン?」
「うん。“血痕”。血の跡のこと。」
「あー、血痕ね。」
僕たちは、それから、試験管くんの身に何があったのかと、2人で考え続けた。特にこれと言った結論は出なかったけど、1人で考えるよりも視野を広げることができた。
そんな中、葉一との会話には少し引っ掛かる点も多々あった。僕と葉一で交わした言葉の一つ一つは、別に・・・気にするほどのものでもないが、何か意味がある。そんな感じがした。
しかし、人は誰しも言えないことだってある。僕らがそんな秘密を言い合える仲ではないのも重々承知してる。今は多分、我慢の時だ。
その日は、僕の家には寄らず、そのまま道を別れた。もし話したいことがあっても、今話したいことは、明日に言えばいい。そんな毎日が続けば、それでいい。そうやって僕の心の教科書には書いてある。
そして次の日の朝、今日の僕はとても調子がよく、いつもよりも20分ほど早く教室に着いていた。教室にはまだ誰も来ていない。なんと優雅な朝だろう。教室の窓から映る景色は、日光が照らした緑と雲量2割の青天。朝の日光に焼かれ、僕の体はセロトニンで充満していた。
朝の教室はとても静か。それに対して、中庭から見える昇降口にはちょっとした人集りができていた。なんだなんだと教室から出ていくクラスメイトに流されて、僕も人集りを遠くから見守っていた。
目を凝らし、よく見ると人集りの中心には、倒れ込んだ1人の男子生徒。見覚えのある髪質と、首についた青紫の紋章は、僕にそれが誰かを知らせていた。
先生に連れて行かれる彼を見て、僕は動き出せなかった。───人集りが僕を横切り、数秒間。人とぶつかり、少しふらついた数秒間。睨みつけられ、立ち尽くした1秒間。
数十秒が経った後、僕の足はようやく動いた。
先生が彼を、葉一を保健室へ運ぶのが見え、それを追いかけるように保健室へ向かい、ドアを開けた。先生は僕を見るなり、すぐに道を開けて、僕を葉一のもとへ導いてくれた。
僕は情けない。情けないほどにかける言葉がない。ベッドに横たわる彼の体には、くっきりと傷が残っていた。
「さっきはどうしたの?なんで倒れてた?」
そんな彼に、何も考えていない僕は気遣いのない質問を投げかけた。
「ただ、転んだだけだよ。大丈夫。」
───誰かが僕の心臓をつねった。
「転んだだけでそんな傷がつくわけないだろ。気なんか使わずに素直に言えよ。」
葉一は黙って、目を閉じた。
「・・・僕は本当に、転んだだけだったんだ。」
葉一は、真剣にそう言った。気を使わず。
「で、でもその傷は───!」
「───その後だ!その後に...あいつらは、うつ伏せになった僕を起き上がる寸前で背中から踏みつけた。それで、横っ腹から僕を蹴り飛ばした。最後には顔を...。」
「あいつらって?・・・いや、それよりそんなこと...なんで金瀬に。金瀬がそんなことをされなきゃならない理由があるのかよ。」
「ないよ。ないはず。」
「ならなんで...。」
僕は悔しくなった。葉一とはまだ出会って2日。なのに、僕のどこかで葉一を救ってあげたい、と。葉一をここまでいじめたやつに報復をしたい、と。そう思う気持ちが膨れ上がっていた。
「金瀬は、それに耐えられなくなって、死にたいって思ったの?それで、一回でもやりかしたいって思わなかったの...!?」
「思わなかった。僕じゃどうしようもない。この世の中はどうもさせてくれない。」
───そんなこと言うなよ。って、そうやって強気に言いたい。
「俺がいるよ。・・・俺がいる。2人でどうにかしてみようよ...先生に言いつけるってだけでもいい。少しでも足掻いてみようよ。」
「無理だ。それでも、どうしたってあいつらはうまく口車を回らせて、そこまでの罰は受けない。やるならもっと...そんなんじゃ足りない。」
「それでも...。」
葉一は、一向にいじめに立ち向かおうとしない。僕だって自分勝手だってわかってる。でも。それでも。
「・・・違うんだ。今までいじめが大事になってこなかったのは、僕のせいなんだ。僕の仕組んだことなんだ。」
「どういうこと...?」
「今まで僕は、いじめの手がかりを自分で隠してきたんだ。体育の時もジャージを脱がずに見学して。それで体の傷を隠して、!理科準備室の試験管だってそうだ...!あの血は押し倒された時についた僕の血だ....それを僕は、見られちゃまずいと思った。だから自分自身で、できるだけ奥に隠したんだ....!」
葉一の語ったこれまでの経緯は、かなり異常だった。傷を隠すだけなら、まだわかる。だけど、試験管を隠す...?なぜそんなことをする。それは紛れもない、いじめの証拠だったはずだ。その試験管さえ、先生、いや他の生徒にでも、見つかっていたなら、それは大事になり、葉一が被害者だということは明確になったはずだ。
だから、そんな行動に意味なんかない。無駄な行為だと、葉一に言ってやりたかった。
───でも。それでも僕はTPOがわかる我が校有数の優等生だ。多分...今は、否定するべき時じゃない。
「それなら...俺がもっとあからさまな証拠を作ってやる...!金瀬が隠しきれないほど、明確な証拠を。」
「そんなもの。どうせ無駄になる。」
「無駄になったっていい...それでも少しは足掻くべきだ。それに...金瀬がそれでも死にたいっていうなら、死んだっていい。だとしても、金瀬の書いた遺書と一緒に証拠を詰め込んで、死んでからも一生、そいつらを呪ってやろう。」
「勝利の女神は俺を、俺たちを味方してくれる。そう俺は信じてる。」
「・・・。本当に君は───変な人。僕に、そこまでする価値なんか全然ないのに....」
「いーやッ...!金瀬をいじめた奴らには、そこまでされるほどの罪がある。そうでしょ?」
君は調子に乗りすぎてるって目つきで葉一はこちらを見つめて、少しするとその顔に笑みを浮かべた。僕はこれからの心配よりも、笑顔になってくれたという今の喜びを強く噛み締めた。
★ ★ ★
それからというもの、僕たちは2人で会う時間が今までの倍以上に増え、約2週間ほどで、より心の繋がりを強めていった。これからはどうしようかと、一緒に何をしようかと毎日に期待を持てるようになっていた。
僕たちはたくさん会って話したが、2人で会う時は、大体が僕の家。だけど一度だけ、葉一の家にも行くことがあった。
葉一の部屋は思ってた以上に、明るく、愉快な装飾で、なんなら僕の部屋よりも元気があった。その装飾が葉一の作ったものなのか、親に作ってもらったものなのかはわからないけれど。
その時は、葉一の親とは会えなかった。だけど家の中の所々に愛情が垣間見えて、僕は、なかなかにいい生活をしているんだなと。このまま死なせたくないと。再び思ってしまった。
僕らが会う時は、当然遺書を書くという命題で集まる時もあった。初めは、ただ黙って葉一が遺書を書いていくのを見守るだけだったが、時間が経っていくにつれて自然と2人でする会話が増えていった。葉一が遺書を書くのを直接手伝うことはなかったけれど、葉一も間接的に質問してくれるようになって、質問に答えるくらいの手伝いはできた気がする。
僕たちは学校でも会うことが多くなった。2人でいる分、前よりも過ごしやすくなったし、心なしか葉一にされるいじめも減ってきたような気がした。
そんな中、図書室が僕たちの溜まり場になっていた。暇な時間はいつも図書室に集まって、遺書の参考になりそうな資料を読むってことを建前に、休み時間を空きなく図書室で費やした。
図書室は静かでなければならない。という決まりは葉一を、僕たちをいじめから守ってくれていた。
そして今日も、休み時間に図書室で会う約束をしている。僕は授業が終わると速攻図書室へ向かい、気持ちをルンルンさせていた。いつもなら図書室へ行く前に3組の前を通るため、そこから一緒に図書室へ行っていたのだが、前の授業が体育だった3組は今は外に行っていた。
だから僕は教室の窓から見つけた葉一に、先に言ってるよとジェスチャーをして葉一に伝えていた。
多分伝わった顔をしていたので、ジャスチャー通りに僕は1人で図書室に向かっていた。
図書室に着くと、ドアには「図書室はただいま使えません」と書かれた張り紙が貼られていた。僕はマジかと、少しの間落ち込んだ。だから僕は葉一にいち早く伝えに行こうとも思ったのだが、運悪くすれ違ってしまう可能性を見据えて、図書室の近くの階段に座り込んで待つことにした。
階段に座り込んで数分。僕は、この階段の下から葉一はいつも来るからと待ち構えていたが、なかなか葉一は来ない。あいつ、一体何しテ─────。
何が起きたかわからない。とりあえず、前へ向かって押された僕は、少しの間、重力と推進力に身を委ね、
───って、ヤバッ...。
ダンッダッ
その音は、葉一が階段を登る音を見事に掻き消した。




