作戦決行 濡れた野良犬
ネオ・トーキョーの首都高速湾岸線は、かつて物流の大動脈だったが、今は企業間の物資輸送と、違法ルーレット族の遊び場と化している。
その上空を覆う分厚い酸性雨の雲が、街のネオンを反射して不気味な紫色に光っていた。
時刻は深夜02:00。天気は雨。
企業のコンボイが動くには、最もリスクが低く、かつ目立たない時間帯だ。
「ターゲット、接近中。距離2000……速度120キロ」
通信機越しにリズの無機質な声が響く。彼女は今、数キロ離れたビルの屋上から、無数の監視カメラをジャックして『目』となっているはずだ。
ヴィンセントは、路肩に停めたヴェンデッタの運転席で、静かに息を整えていた。
隣にはタンクが操る重装甲輸送車『鉄血号』が、獣のようなアイドリング音を立てて待機している。
「おいサイクロプス、来たぞ……でけえな」
タンクの声に緊張が走る。
ヴィンセントの黄色いバイザーが、闇の向こうから迫る光を捉えた。
それは、通常の輸送車列ではなかった。
先頭と殿を固めるのは、境インダストリアル製の多脚戦車『ガシャドクロ』の都市迷彩仕様。
そして中央には、漆黒の塗装が施されたリムジン。その装甲は戦車の砲撃すら耐えうる『神武鋼』製だ。
さらに上空には、ステルスドローン『メダマ』の編隊が蚊柱のように旋回している。
「……大名行列だな」
ヴィンセントは呟き、腰の『斬火』と、助手席に置いたライトマシンガン『ワイルドドッグ』の安全装置を解除した。
ただの視察にしては護衛が厚すぎる。やはりファラリスの言う通り、何か裏がある。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
目の前の鉄壁をどうやって粉砕するか。それだけだ。
「リズ、ジャミング開始!」
「了解……『悪夢』を見せてあげる」
リズがダイブした瞬間、上空のドローン編隊が一斉にバランスを崩した。
彼女が流し込んだウイルスにより、ドローンたちは敵味方識別信号を誤認し、ドローンが互いに体当たりを始めた。空中で火花が散り、鉄屑となって降り注ぐ。
その隙を突いて、タンクが鉄血号のアクセルを床まで踏み込んだ。
「どけええええッ!!」
重量10トンの重装甲車が、まるで砲弾のように路肩から飛び出し、車列の横っ腹に突っ込んだ。
轟音。
殿を務めていた『ガシャドクロ』が、予期せぬ質量攻撃にバランスを崩し、ガードレールを突き破って高架下へと落下していく。
「今だ!」
ヴィンセントがヴェンデッタを発進させる。V8エンジンの悲鳴と共に、車はリムジンの真横に並走した。
窓越しに見えるのは、驚愕する運転手の顔と、後部座席に少女のシルエット。
ヴィンセントはハンドルを固定すると、ドアを蹴り開け、走行中の車体から身を乗り出した。
「『阿修羅』……起動ッ!!」
脊髄に埋め込まれた過剰駆動が唸りを上げる。
世界が、色彩を失った。
雨粒が空中で緩やかに落ちていき、爆発の炎が揺らめく蝋燭の火のように彫刻のように穏やかになる。音すらも置き去りにした静寂の世界。ヴィンセントの意識だけが、引き伸ばされた時間の中で加速する。
ヴィンセントはヴェンデッタの屋根を足場にして跳躍した。 強化脚が生み出す脚力が、ヴィンセントをリムジンの天井へと運ぶ。
着地と同時に『斬火』を逆手に構え、屋根の装甲へと突き立てた。
ズブブッ。
超高熱を帯びた刃が、最高級の装甲をバターのように融解させる。
ヴィンセントはそのまま円を描くように屋根を切り裂き、装甲板を無理やり剥がし取った。
「ごきげんよう、お姫様」
加速した時間の中で、ヴィンセントはリムジンの内部へと飛び込んだ。
そこにはイルカ・サカイと思われる少女と、二人の護衛がいた。だが、護衛たちはまだ銃を抜くことさえできていない。ヴィンセントの速度に反応できていないのだ。
「遅い」
ヴィンセントの一閃。
『斬火』が紅蓮の軌跡を描き、護衛たちのサイバーアームを一撃で両断する。切断面が瞬時に炭化し、彼らは悲鳴を上げる間もなく無力化された。
時間が通常の流れに戻る。残るは、イルカ・サカイただ一人。轟音と風圧が戻ってきた車内で、ヴィンセントは刃を向けその顔を覗き込んだ。
「……!? なんだこれは!」
ヴィンセントのスキャナーが、警告音と共にエラーを吐き出す。見た目こそ、事前のデータにあるイルカ・サカイだ。
しかしそこに人間はいなかった。座席に鎮座していたのは、機械仕掛けの人形だった。
人形の瞳が嘲笑うように明滅する。
『引っかかりましたわね、おバカなワンちゃん』
「……クソッ、罠か!!」
ヴィンセントの思考よりも早く、人形の胸部が赤く発光した。これは、高密度の爆薬か!
ヴィンセントは反射的にリムジンの天井を蹴り破り、外へと飛び出した。
直後、天地を揺るがす轟音が背後で爆ぜる。
爆炎がリムジンを内側から食い破り、夜の高速道路に紅蓮の花を咲かせた。
爆風に煽られながら、ヴィンセントはどうにか路面に受け身を取る。強化されたナノセラミックの装甲がアスファルトと擦れ合い、激しい火花を散らした。
『ヴィンセント! 一体何があったの!? 生体反応が消えたわ!』
脳内の通信リンクから、リズの焦った声が響く。
「ハズレくじだ! こいつはただのデコイだ! ちくしょう!」
『嘘でしょ……待って、バックドアが閉じられていく。この反応……逆探知!? う、嘘! 早すぎる!』
リズの声色が恐怖へと変わる。
『見つかった! 誰かがこっちを見ている! ありえない、私のファイアウォールが一瞬で……いやぁぁぁぁぁっ!!』
悲鳴と共に不快なノイズが走る。神経を直接焼かれるような金切り声。
「リズ! 応答しろ!リズ!!」
返事はない。ただ、向こう側から冷たい「何か」が回線を通じて逆流してくる気配がした。 このまま繋いでいれば、自分の脳まで焼かれる!
ヴィンセントは躊躇なくリンクを切断した。
「……やられたか」
舌打ちする間もなく、今度はタンクからの緊急通信が入る。
『おいサイクロプス! リズの生体シグナルがロストした! やられちまったのか!?』
「ああ、逆探知された。敵にバケモノ級のサーファーがいる」
『クソッ! とにかく合流して仕切り直すぞ! 俺がそっちへ――』
タンクの声が、突然の衝撃音にかき消された。 金属が悲鳴を上げる音。何かがひしゃげる音。
「おい、どうした!? タンク!」
『な、なんだコリャ……!? 女だ! 女が俺の車を持ち上げて……うわぁぁぁぁっ!!』
「タンク!!」
ヴィンセントがタンクのいる方角へ顔を向けた瞬間だった。 暗闇の中から、巨大な鉄塊が砲弾のように飛んできた。
「ッ……!?」
『阿修羅』を起動し、世界がスローモーションになる。
飛んできたのは、タンクが乗っていた『鉄血号』だ。 重量10トンを超える車体が、まるでサッカーボールのように宙を舞っている。
ヴィンセントは紙一重で身を捻り、その質量爆撃を回避した。
ズガアアァァンッ!!
背後の防音壁に激突した『鉄血号』は、見るも無惨な姿になっていた。
ただの衝突事故ではない。
車体全体が、まるで巨大なプレス機にかけられたように、中心に向かって無理やり圧縮されていたのだ。 戦車の砲撃すら耐える装甲が、飴細工のように丸められている。
「……ぐ、うぅ……」
ひしゃげた鉄の塊の中から、微かな呻き声が聞こえた。
ヴィンセントは駆け寄り、装甲をこじ開ける。 中には、全身の骨が砕け、オイルと血に塗れたタンクが挟まれていた。
もはや助からないことは、一目で分かった。
「……タンク」
「へ、へへ……ざまあねえな……」
タンクは血の泡を吹きながら、最期の力を振り絞ってヴィンセントの腕を掴んだ。
「リズからの……最期の伝言だ……。逆探知される寸前……奴らのログを……抜いた……」
「……」
「ターゲットは……タワーだ……。最初から……ここには、いねえ……」
「……そうか」
「あとは……頼んだ、ぜ……ヴィンセ……ト」
タンクの手から力が抜け、ドサリと落ちた。 彼の義眼から光が消える。
一流のドライバーと一流のサーファー。
たった数分。 境インダストリアルは指先一つ動かすことなく、ヴィンセントのチームを壊滅させたのだ。
『……聞こえるかい、ヴィンセント』
今度はファラリスからの内線だ。その声には、明らかに焦りと苛立ちが混じっていた。
『リズとタンクのバイタルが消えたよ。作戦は失敗だ。これ以上は無駄死にだ、直ちに撤退しろ』
冷酷な指令。傭兵は道具だ。壊れたら捨てる。それがこの街のルール。
だが。
ヴィンセントはゆっくりと立ち上がり、タンクの死体を見下ろした。その視線を、雨に煙る彼方の巨塔――|境インダストリアル東京支社ビル《サカイ・タワー》へと向けた。
「……断る」
『なに?』
「まだ終わっちゃいねえ……俺が残っている」
ヴィンセントの声は低かった。
「仲間をやられて尻尾を巻いて逃げたら、それこそ野良犬以下だ……そうだろ? ファラリス」
『……正気か? 君一人でタワーに乗り込むつもりか? そこにはリズを焼き切り、タンクを鉄屑にした怪物がいるんだよ!? 自殺行為だ!』
「『自殺行為』を買い取ると言ったはずだぞ」
ヴィンセントは『斬火』を引き抜き、刀身に付着した雨水を振り払った。高熱を帯びた刃が、ジュッという音と共に水を蒸発させる。
雨脚が強くなる中、隻眼の巨人は一人、怪物の住む塔へと歩き出した。
*
ネオ・トーキョーの中心にそびえ立つ、漆黒の摩天楼。 境インダストリアル東京支社ビル、通称『境・タワー』その頂に鎮座するイルカ・境のペントハウスは、俗世を見下ろす神々の社。ネオ・トーキョーの汚濁も喧騒も、決して届くことのない天空の聖域だ。
ヴィンセントはその巨大な剣の麓に立ち、首が痛くなるほど天を仰いだ。無数の窓から漏れる光は、まるで巨大なサーバーラックのLEDのように冷たく、無機質に瞬いている。
ファラリスの通信が入る。
『君が元、どこに所属していたか知っていて言うんだけど、奴らのセキュリティがどれほど常軌を逸しているか君が知らないはずはないよね。裏口、抜け道、警備の穴でも知っているのか?』
「ふん……知っていてもその知識はとっくに古い。俺が抜けてからシステムは何度もアップデートされているだろうよ。それに、俺のバイオメトリックデータは最優先抹殺対象としてサカイの全ネットワークに登録されている。タワーに一歩足を踏み入れた瞬間、俺の存在は筒抜けになるさ」
ファラリスが言葉を失うのがわかった。バックアップなし、援護なし。世界で最も警備が厳重な場所にたった一人で乗り込む。世界広しといえど、こんな馬鹿げた依頼を受ける傭兵はいない。自殺行為も同然だ。金の問題ではない。意地なのだ。
サーチライトが雨を切り裂き、重武装のドローンが旋回する中、ヴィンセントは隠れることなく、堂々とメインストリートの中央を歩いていく。
ステルス? 潜入?
そんな小細工は必要ない。仲間を殺された落とし前は、派手な花火でつけるに限る。
ヴィンセントはコートの襟を立て、タワーの正面エントランスへと悠然と歩を進めた。磨き上げられた大理石の床、壁面をよじ登るホログラムの紅ズワイガニ、行き交うエリート社員たちの纏う高価な香水の匂い。ここは戦場とは無縁の世界。だが、ヴィンセントが足を踏み入れた瞬間、その完璧な調和は崩れ始めた。
彼の顔を認識したエントランスのセキュリティシステムが、瞬時に警告を発する。
『警告。未許可の人物を認識。コード:レッド。最優先抹殺対象、ヴィンセント。直ちに退去しなさい』
無機質な合成音声が、静寂なホールに響き渡る。行き交っていた社員たちが凍りつき、悲鳴を上げて散っていく。
ヴィンセントは構わず、ペントハウスへと続くプライベートエレベーターへと向かって歩き続けた。
『警告。ここは境インダストリアルの私有地である。直ちに退去せよ』『さもなくば、実力行使により排除する』
無機質な合成音声と共に、エントランスの左右から黒い影が躍り出た。
全員が黒一色の、身体のラインに密着したシナプシス加速スーツ。顔を覆う赤い三つ目の光学センサーを備えたフルフェイスヘルメット。背中には、鈍い光を放つ刀に『境』の紋章。特殊執行部隊『黒脛巾』だ。
彼らは一言も発することなく、背中の高周波ブレードを一斉に抜刀した。五人の忍者達の輪郭がブレた。
『迅雷・過剰駆動』 常人の目には消えたように見えるほどの高速移動。
一人が背後に回り込み、一人が頭上から、残りの三人が前方から。逃げ場なしの完璧な包囲網。抜き放たれた刀の切っ先が、寸分の狂いもなく彼の首、心臓、両手足を狙って突き進んでくる。その刃が彼の肌に触れるまで、あと数センチ。
だが。
「……遅えよ」
ヴィンセントの黄色いバイザーの奥で、瞳孔が収縮した。脊髄の『阿修羅』が咆哮を上げる。
世界が遅くなる。
迫り来る忍者たちの動きが、泥の中を泳ぐようにスローモーションになる。宙に舞う埃の粒子の一つ一つすらはっきりと見える。刀の切っ先が空気を切り裂く際に生じる、微細な衝撃波さえも視認できた。
彼らの『迅雷』は確かに速い。だが、ヴィンセントの『阿修羅』はそのさらに上の次元にある。
ヴィンセントは、ゆっくりと迫る先頭の忍者の懐に、散歩でもするように歩み寄った。彼の右手が腰に差した斬火の柄を握る。刀身に組み込まれたサーマルユニットが起動し、刃が瞬時に赤熱化した。腰の『斬火』を逆手に抜く。
まず、背後の忍者。彼の刀はヴィンセントのうなじを捉える寸前で停止している。ヴィンセントは身をかがめる必要すらなかった。ただ、すれ違いざまに斬火を水平に薙いだ。赤熱した刃が、忍者の腰を装甲スーツごと何の抵抗もなく切り裂いていく。
次は頭上の忍者。彼は武装腕『蟷螂』を展開し、脳天に突き立てようとしている。ヴィンセントは見上げ、左腕の『手筒』を起動させた。
展開された砲口から、小型の熱エネルギー弾が発射される。弾丸が静止した忍者の顔面へと吸い込まれていく。
前方、三人の忍者。彼らは完璧な連携で、三方から突きを繰り出している。ヴィンセントはその三本の刀が交差する中心点へと、自ら踏み込んだ。
そして、コマのように回転する。
一回転目。一人目の忍者の両腕を、手首から斬り飛ばす。
二回転目。二人目の忍者の喉を、水平に掻き切る。
三回転目。最後の一人の胴体を、袈裟懸けに両断する。
斬火の熱が、斬り裂いたすべての断面を瞬時に焼灼し、出血さえも許さない。
刀の切っ先から、溶けたセラミック装甲の雫が一つ、床に落ちていく。
ヴィンセントは『阿修羅』を解除した。
時が元の速度を取り戻す。
一瞬の静寂。
次の瞬間、世界は凄惨な音と動きに満たされた。
ドシャッ! 背後の忍者が、上下真っ二つになって崩れ落ちる。
ドッ! 頭上の忍者が、顔面で爆発した熱エネルギー弾によって吹き飛び、天井に叩きつけられる。
ガシャン! ズズッ…! 前方の三人。両腕を失った一人が膝から崩れ、喉を焼かれた一人が血の代わりに煙を噴き出し、胴を両断された最後の一人が、ゆっくりと左右にずれて床に倒れた。
わずか一秒にも満たない現実時間の中で、境の精鋭部隊はただの肉塊と鉄屑の集合体へと変わり果てていた。焦げ付く匂いと、鉄錆の匂いが混じり合い、エントランスホールを満たす。
静寂の中、自身の排熱ダクトから出る蒸気の音だけが響いている。
ヴィンセントは返り血一つ浴びていない『斬火』を軽く振るい、鞘に納めた。
彼の目は、すでに目の前の惨状にはなく、静かに到着を待つプライベートエレベーターの扉だけを見据えていた。




