既視感のある襲撃者
『天浮橋』がビルの一角に激突し、爆発炎上する音が響いた。
高速道路の高架上。リリカは強化脚部と過剰駆動を駆使し、着地の衝撃を殺して降り立った。両脇の蛍と八尾は、衝撃で目を覚ますどころか、まだ安らかに寝息を立てている。
「っはー……! 危ねぇ危ねぇ!」
リリカは冷や汗を拭った。
「『天浮橋』の謳い文句は『車の事故とは無縁』ってもんだったはずだけど?」
「……これは『車の事故』などではない。明確な『撃墜』だ」
早苗もまた、光学迷彩を解除しながら着地した。彼女は即座に周囲を警戒し、二丁拳銃を抜いた。
「リリカ。蛍と八尾を死んでも離すなよ……来るぞ」
「ああん?」
早苗の視線の先。高速道路の反対車線を、ゆっくりと歩いてくる人影があった。
月明かりの下、その姿が露わになる。身長は2メートルを優に超えているだろう。筋肉質だがしなやかな肢体。燃えるような赤髪のウルフカット。そして、その顔立ちは……早苗はスキャナーを走らせながら、強烈な既視感を覚えた。
(この顔立ち……まさか)
『サイバーウェア反応……微弱。バイオウェア反応……極大』
検知されたバイオウェアの反応は、全て純粋な戦闘用のものだ。八尾のような未知の完全生体兵器ではない。市場に出回っている既存の強化筋肉や骨格パーツ……だが、その搭載量が異常すぎた。人間の肉体で耐えられるキャパシティを、遥かに凌駕している。
「……ロマノフ・バイオダインの追手か」
早苗が銃口を向ける。
女は立ち止まり、ニヤリと口角を吊り上げた。その笑顔には、絶対的な強者だけが持つ傲慢さが溢れていた。
「ロマノフ・バイオダイン? ククッ、ハハハハハッ!」
女は腹を抱えて笑った。その声は低く、腹の底に響くような迫力があった。
「愉快なうつけ者め。余がどの回し者かなど、貴様ごときが知る必要はない」
女はそう言い放つと、傍らを通り抜けようとしていた無関係の走行中の大型バンに無造作に手をかけた。
凄まじいブレーキ音とひしゃげる金属音。女は片腕の力だけで数トンはあるバンを強引に停止させ、あろうことか頭上へと軽々と持ち上げてみせたのだ。
「なっ……!?」
リリカが目を見開く。
「しかし、何も知らないまま殺されるのは無念だろう……冥土の土産に、余の名を教えてやる」
女はバンを振りかぶり、早苗たちを見下ろした。その瞳は、蛍と同じ紫水晶に輝いていた。
「余の名は、尊」
尊が車を軽々と投げつけた。
「その脳髄に、余の名を轟かせろッ!!」
「リリカ! 回避しろッ!」
早苗の鋭い警告と共に、リリカは強化脚部を限界まで駆動させて横っ飛びに避けた。直後、投げつけられたワンボックスカーが、二人がいた場所を通過し、後方の防音壁に激突して鉄屑と化した。
「チッ……!」
早苗は回避行動を取りながら、空中で体勢を立て直す。左手に流線型のロングバレルを待つパールホワイトの銃身。EMピストル『ヨルムンガンド』のチャージを開始した。
銃身の周囲に青緑色のエネルギー・リングが螺旋状に回転しながら眩く発光し、高い風切り音を上げる。
フルチャージされた複合徹甲弾が、一直線に大噛尊の眉間へと吸い込まれた。同時に、右手の『フェンリル』が火を噴く。尊が持ち上げようとしていた二台目の車両の燃料タンクを撃ち抜く。
ドォォォォン!!
爆発炎上が尊を包み込み、ヨルムンガンドの一撃が着弾した。煙が晴れる。そこには、煤けた顔を拭いもせず、無傷で立っている尊の姿があった。
「……硬いな」
早苗が眉をひそめる。ヨルムンガンドのフルチャージ弾は、分厚いコンクリート壁はもちろん戦車の装甲、防弾シールドですら容易に貫通する威力だ。だが、尊の額には赤い痣一つできていない。彼女の全身を覆うバイオスキンは、戦車の装甲以上の強度を持っているようだ。ハックが通じない相手に対し、唯一の物理的ダメージソースさえ通用しない。
「おいおい、マジかよ……」
リリカが青ざめた顔で後ずさった。
「相手が悪い、逃げた方がいいって!」
その言葉を聞き、炎の中から歩み出た尊が、紫水晶の瞳を細めて笑った。その瞳の色は、奇しくも今リリカが抱えている犬噛蛍と同じものだ。
「賢明な判断だ、傭兵」
尊は余裕たっぷりに頷いた。
「余も無益な殺生は好まぬ……貴様の脇に抱えている二人を置いていくなら、見逃してやろう」
(……『傭兵』だと?)
早苗の青い瞳が、冷たく細められた。
尊はリリカの素性を知っているだけではない。まるで、このルートで早苗たちが『二人』を回収してくることを事前に知っていたかのような口ぶりだ。
先ほどの『天浮橋』への正確無比な奇襲。そしてこの待ち伏せ。ヘンリエッタが死の間際に残した言葉と繋ぎ合わせれば、結論は一つしかない。
やはり、サカイの上層部に情報提供者《裏切り者》がいることは確実だ。
「……やはり、二人が目的か」
早苗は二丁の銃を構えたまま、冷ややかに呟いた。
「尚更渡すわけにはいかない」
「強情な奴め」
尊は呆れたように肩をすくめた。
「貴様のことも知っているぞ、鷹空早苗。サカイの『傑作』だったか? だが残念だったな。全身を生体組織で構築した余と、電子機器を操るサーファー……相性は最悪だ。貴様ほどの使い手が、それを知らぬはずはなかろう?」
尊の言う通りだ。彼女にはハッキングするためのポートも、オーバーヒートさせる回路もない。早苗の最大の武器は使えない。
だが、早苗はポーカーフェイスを崩さない。
「……認識の齟齬があるな」
早苗の瞳が、青く激しく明滅し始めた。
「サーファーは、対象をハックするだけが能じゃない」
「何……?」
尊が怪訝な顔をした、その瞬間だった。
キキキィィィッ!!
激しいスキール音と共に、背後から一台のスポーツカーが猛スピードで突っ込んできた。無人だ。早苗が近辺の停車車両の制御系を乗っ取ったのだ。
「ぬんっ!」
尊は振り返りざまに、衝突してきた車を片手で受け止めた。バンパーがひしゃげ、フレームがひん曲がる。尊の足がアスファルトにめり込み、体勢が崩れる。
「小賢しい真似を……!」
尊が車を押し返そうとしたが、エンジンは唸りを上げ続け、タイヤは白煙を上げて回転し続けている。
「まだだ」
今度は正面から、大型の輸送トラックが突っ込んできた。
「チィッ!?」
ガシャァァァン!!
尊は、スポーツカーとトラックに挟まれる形となった。
「ぐ、ぬぅぅ……!」
尊は両手で二台の車を押し広げようと踏ん張った。その怪力により、トラックのフロント部分が飴細工のように潰れていく。
「なるほど……他の物をハックすることはできるな」
尊は顔色一つ変えずに、挟まれた状態で笑った。
「だが、この程度で余を倒そうなどと……」
「『この程度』で終わると思うな」
早苗の瞳の輝きが増す。彼女の意識は、高速道路上のすべての電子制御された鉄塊とリンクしていた。
「突撃」
キキキッ!ドガッ! ガシャンッ! 三台目、四台目、五台目。セダンが、クーペが、SUVが。意思を持った弾丸のように、次々と尊を目掛けて突っ込んでいく。鉄の棺桶が積み重なり、尊の姿を押し潰し、埋め尽くしていく。
「トドメだ」
早苗が天を仰ぐ。頭上を飛行していた無人の配送用ACが、推進器を逆噴射させた。数トンの質量が、車の山の上へと自由落下する。
ズドォォォォォンッ!!!
鉄の山がさらに圧縮され、高速道路の高架が悲鳴を上げて軋んだ。
「……起爆」
早苗が最後のコマンドを送る。積み重なった車両とACの燃料電池、ガソリンタンクが一斉に臨界点を突破する。
夜空を焦がすような盛大な爆発。紅蓮の炎と黒煙が巻き上がり、爆風が早苗とリリカの髪を激しく揺らした。
「うっわ……」
リリカは口をあんぐりと開けて、燃え上がる鉄屑の山を見つめた。
「えげつねぇ……これだからインテリは敵に回したくねーんだよ」
「感心している暇はない」
早苗は炎から視線を外し、ハイウェイの彼方を見た。
「あれで死ぬようなタマじゃない。足止めにしかならないだろう」
「マジかよ!? あれで死なねーの!?」
「ボクの車で行く。乗れ」
早苗の言葉に応えるように、爆炎を背にした闇の中から、一台の洗練された車両が滑るように現れた。
北欧企業アインヘリャル・モータースが誇るハイエンド・スポーツセダン、『スレイプニル』。
一見すると銀色に見えるほど淡いブルーの車体には、特殊な光干渉ピグメントが配合されており、夜の極彩色なネオンの下では早苗の髪色と同じく、透き通るような水色の輝きを放っている。
早苗は戦いの最中、愛車を自動運転で迎えに来させていたようだ。
ガルウィングドアが音もなく跳ね上がる。
その流麗なフォルムと圧倒的な高級感に、リリカは目を丸くした。
「うおっ……! サナエちゃんもこんな超高級車に乗るんだな! アンタはてっきり装甲車とか無骨なのに乗るタイプかと思ってたぜ!」
「無駄口を叩くな。急げ、追いつかれるぞ」
早苗は運転席に飛び乗り、リリカは蛍と八尾を抱えたまま後部座席へと転がり込んだ。




