代償は脳味噌で
「な、何だこれは!? 回線が切れないぞ!」
「おい! 早くログアウトさせろ! この場にいることがバレたら……!」
プラチナ・クラスのVIPラウンジに、醜悪な悲鳴が響き渡った。ヘンリエッタが展開していたホログラムパネルの中で、世界各国の軍需産業や裏社会の重鎮たちが、蜘蛛の巣にかかった羽虫のように藻掻いている。彼らは必死に切断コマンドを入力しているが、システムは無慈悲なエラー音を返すだけだ。
「無駄だ」
鷹空早苗が告げた。彼女の瞳は、深い海のような青色に発光している。
「蛍主任が身体を張って時間を稼いでくれたおかげで、こちらのルートキットを深層まで埋め込むことができた……回線、及び個人情報、裏帳簿のデータは全て掌握した」
早苗は二丁の拳銃を構えたまま、視線だけでVIPたちを射抜いた。
「『特殊資産』を、繁殖用の家畜だと侮辱した罪だ……その代償は脳味噌で払ってもらう」
早苗のニューロ・リグ『冥府の冠』が唸りを上げた。『神経焼き付き』一斉送信。
「ギャァァァァァッ!!」
「あ、熱い! 頭が、頭がァァァッ!!」
ホログラムの向こう側で、VIPたちが一斉に頭を抱えて倒れ込む。目や鼻から煙を吹き、痙攣し、やがて動かなくなった。物理的な距離を無視した、電子の処刑だった。
静寂が戻った部屋で、ヘンリエッタ・アーチボルトだけが立っていた。彼女は自分の顧客たちが全滅し、最強の生体兵器が敗北した状況にありながら、白衣の埃を払い、眼鏡の位置を直すだけの冷静さを保っていた。
「……見事ね」
ヘンリエッタは両手を挙げるポーズを取りながら、早苗に向かって微笑んだ。
「……認めましょう。私の負けよ」
「……」
早苗は無言で、右手の『フェンリル』の銃口をヘンリエッタの眉間に向けた。
「待ちなさい。取引をしましょう」
ヘンリエッタは自信たっぷりに提案した。
「私を殺しても君たちに得はない……私の頭の中には隠神シリーズの全遺伝子データと、製造プラントのアクセスコードがある。これを全てサカイに譲渡するわ」
彼女は一歩踏み出した。
「条件は一つ。私のサカイでの身分保証……『特殊資産管理部』の研究主任なんてどうかしら? 私の技術は、必ずあなた達の役に立つはずよ」
裏切りと保身。それをさも合理的な提案であるかのように語るヘンリエッタに対し、早苗は表情一つ変えなかった。
ズドン!!
「ギャッ……!?」
乾いた銃声と共に、ヘンリエッタの右太ももが弾け飛んだ。彼女は無様に崩れ落ち、高価な絨毯を鮮血で汚した。
「がっ……あぁっ……! な、何を……!?」
「交渉の余地はない」
早苗は冷淡に言い放った。
「この学園の設備も、データも、貴様を処理した後に我々が接収することは確定事項だ……元々手に入るものを交渉材料として提示するな。非効率だ」
「ぐ、うぅ……ッ!」
ヘンリエッタは脂汗を流しながら、這いつくばって早苗を見上げた。プライドも余裕も剥がれ落ちた、敗北者の顔。だが、彼女にはまだ切り札があった。
「ま、待って……! 知りたくないの……!?」
ヘンリエッタは喘ぎながら叫んだ。
「彼女の……犬噛蛍のサイバーウェア情報が、なぜ筒抜けだったのか……! 彼女のスペック、弱点、『切り札』の冷却時間……すべて事前に知らされていたからこそ、私は対策できたのよ!」
その言葉に、早苗の引き金にかかっていた指がピタリと止まった。背後で様子を伺っていたリリカも眉をひそめた。
「情報提供者がいる……」
ヘンリエッタは笑みを浮かべた。
「それは、サカイの上層部……それも機密情報へアクセスする権限を持つ者よ。私を助ければ、その裏切り者の名前を教えてあげる……!」
室内に重い沈黙が流れた。サカイ内部の裏切り者。それは外部の敵よりも遥かに危険な存在だ。その正体を知ることは、今後の『特殊資産管理部』の存亡に関わる重要事項である。
「……へぇ」
リリカが早苗に問いかけた。
「どうするよ、サナエちゃん? こいつにポストとやらを与えて、飼い殺しにするか? 裏切り者の首と引き換えなら安いもんかもよ?」
サカイの利益を、そして論理的な正解を考えるならば。ここでヘンリエッタを生かし、情報を吐かせるのが正しい。感情を排し、効率を最優先するならばそうするべきだ。
早苗は数秒間、逡巡した。青い瞳が這いつくばるヘンリエッタと、ボロボロになって倒れている蛍を交互に見る。そして、結論を出した。
「……不要だ」
早苗は冷たく告げた。
「貴様程度の外部協力者が知っている情報だ……ログを洗えば、ボクの技術で特定できないはずがない」
「な……っ!?」
「それに」
早苗の声に微かな、しかし明確な怒りが混じった。
「『脳味噌で払ってもらう』と言ったはずだ」
ズドンッ!!
躊躇のない一撃。ヘンリエッタの眉間に風穴が空き、彼女の野望と保身の言葉は永遠に途絶えた。元最高管理責任者が床に崩れ落ちる。
「うわぉ……」
リリカは口笛を吹き、目を丸くした。
「容赦ないねぇ……ま、アタシもこいつは気に入らなかったから、せいせいしたけどさ」
リリカは硝煙の匂いが漂う部屋を見渡し、早苗に尋ねた。
「で? これからどうすんのボス?」
早苗は拳銃をホルスターに納め、床に転がっている二人の少女――いつの間にか仰向けになってスヤスヤと寝息を立てている犬噛蛍と、その横で泥のように眠りこけている隠神八尾を指差した。
「回収だ……この二人を連れて帰る」
「へっ? 二人とも?」
リリカは八尾の方を見た。
「こっちの犬っころは敵じゃなかったのか?」
「蛍主任が『ペットにする』と公言した以上、彼女はサカイの所有物だ。それに、貴重なサンプルでもある」
早苗は端末を操作し、迎えのACを手配しながら言った。
「リリカ、君は二人を運べ。ボクはデータの最終処理を行う」
「へいへい、人使いが荒いこって」
リリカは苦笑しながら蛍の元へと歩み寄った。
「よっと……軽いなー、ホントに戦車並みの重装備が入ってんのかよ?」
「蛍主任の総重量は110キロはある。それを『軽い』と言い切る君も大概だぞ」
早苗は呆れたように返した。
見た目は少女だが、その中身は軍用サイバーウェアと複合装甲の塊だ。それを小脇に抱えるリリカの出力もまた、並のインプラントを遥かに凌駕する領域にあることは明白だった。
リリカは蛍を米俵のように左脇に抱えた。蛍は「むにゃ……イサナ様……」と寝言を言っている。
続いて、八尾の元へ。
「こっちも軽い軽い……へえ、近くで見ると可愛い顔してんじゃん♡」
リリカは八尾を右脇に抱えた。
両脇に小柄な美少女を抱えた長身の傭兵。その姿は、なんともシュールな光景だった。
「まさか傭兵のアタシが、子供のお迎え係とはねぇ……」
リリカは呆れつつも、どこか楽しげに笑った。
「ほら、帰るぞー。お寝坊さんたち」
背後には崩れ落ちた支配者と、破壊された最強の夢の跡。
血生臭い結末の中心にいたはずの二人は、リリカの腕の中で幸せそうな寝息を立てている。
早苗はそのあまりにアンバランスな光景を見下ろし、呆れたように吐息を漏らした。
「この惨状を作り出した張本人が、揃いも揃ってこの安眠とは……」
早苗は電子の瞳を明滅させ、ふっと口元を緩めた。
「……その神経の図太さだけは、評価に値するな」
「おっ? なになに今の?」
リリカがすかさず反応した。彼女は両手がふさがっているため、わざとらしく顔を突き出して早苗の表情を覗き込む。
「サナエちゃん、今笑ったでしょ? それも冷笑じゃなくて、『やれやれ、仕方ない子たちだなぁ』みたいな……ママみたいに優しい顔でさぁ!」
「……否定する」
早苗は瞬時にポーカーフェイスを取り戻し、ツンと顔を背けた。
「これは呆れによる表情筋の弛緩だ。母性などという非効率な感情は持ち合わせていない」
「へーえ? 素直じゃないねぇ。そういうとこ、嫌いじゃないぜ? ツンデレ・ボス♡」
早苗はリリカの戯言を無視し、プラチナ・クラス専用の重厚なエレベーターのパネルにアクセスした。電子ロックが解除され、扉が静かに開く。
「……ふざけるなら置いていく」
早苗はスタスタと中へ入り、振り返りもせずに冷徹に告げた。
「回収対象は、その二名だけだ。無駄口を叩く傭兵は、瓦礫と共に廃棄処分とする」
ウィン、と無情にも閉まりかける扉。
「うおっ!? ちょ、待てって! マジで行くなよ!」
リリカは両脇の少女たちを抱え直すと、慌てて閉まりかけるエレベーターの隙間へと滑り込んだ。
「ったく……冗談が通じないねぇ。これだから企業のエリート様は……」
リリカは呆れ顔で肩をすくめた。
だが、彼女は気づいていなかった。
プイと背を向けた早苗の口元が、またほんの少しだけ、柔らかく綻んでいたことに。




