金属対細胞
「これ以上、わたくしのパーソナルスペースを汚さないでくださる?」
蛍は八尾と組み合った状態のまま、電磁反発式・運動増強腱『建御雷』のチャージを開始した。大腿部の圧電繊維が唸りを上げ、青白い稲妻がスカートの下から迸る。
ドォォォォォン!!
床が爆ぜた。蛍は八尾を抱え込んだまま、ロケットのような勢いで垂直に跳躍した。プラチナ・クラスの天井は高い。だが、神の名を冠した脚部義体の前には無意味だ。二人の身体は一瞬で天井へと到達する。蛍は空中で身体を反転させると、八尾の背中を天井のコンクリートへと全力で叩きつけた。
「がはっ……!?」
八尾の口から空気が漏れる。だが、蛍の攻撃は終わらない。天井にめり込んだ八尾の襟首を掴むと、遥か下の床面へと向かって全力で投げ捨てた。
「落ちなさいッ!!」
ビュンッ!
八尾の小柄な身体が隕石のように落下し、深紅の絨毯を突き破って床を粉砕した。
土煙が舞い上がる。並のサイボーグなら全身の骨が砕けて即死するダメージだ。
しかし。
土煙が晴れる。八尾は四肢をついて着地していた。ダメージはあるはずだが、その動きに衰えはない。
「しぶといですわね……!」
蛍は天井の梁を蹴り、左腕を変形させた。『天照』展開。リミッター解除。
「逃がしませんわよ!」
空中の蛍から、五つの太陽が放たれた。オーバーチャージされた熱エネルギー弾が、着地したばかりの八尾に殺到する。
だが、八尾の動きは人間のものではなかった。
「わふっ!」
彼女は床を這うような低空姿勢でジグザグに疾走した。一発目が床を焼き、二発目が壁を溶かす。三発目、四発目、五発目。爆炎と熱波が部屋を焦がすが、八尾はその爆風すら利用して加速し、壁や家具を蹴って三次元的に回避していく。その動きは、プログラムされた回避行動ではなく、純粋な野生の勘によるものだ。
激しい攻防が繰り広げられる中、ヘンリエッタの声が朗々と響き渡った。彼女は戦闘の余波など意に介さず、VIPたちに向けてプレゼンテーションを続けていた。
「ご覧ください、皆様! あの機動力、あの耐久性! そして何より……このコンセプト!」
ヘンリエッタは、熱弾を避けて舞う八尾と、それを追う蛍を交互に指差した。
「隠神八尾は、サカイの至宝『犬噛蛍』をモデルに設計されました! 圧倒的な戦闘能力を持ちながら、庇護欲をそそる可憐な容姿。普段は愛らしいペットとして振る舞い、いざとなれば検知不能の暗殺者となる……!」
ヘンリエッタの眼鏡がギラリと光る。
「金属探知機に引っかからない暴力装置にして、ベッドの中でも楽しめる最高の愛玩対象。これこそが、ロマノフ・バイオダインが提案する『次世代のパートナー』です!」
ホログラムの向こうで、VIPたちがどよめいた。
「素晴らしい……! あれならボディガード兼愛人としてどこへでも連れて行ける!」
「欲しい! 言い値で買おう!」
欲望に塗れた賞賛の声。だが、あるVIPが疑問を投げかけた。
「しかし最高管理責任者。あれほどの傑作、まさか一点物ではないだろうな? 我々は軍隊として運用したいのだが」
その問いに、ヘンリエッタは嗜虐的な笑みを浮かべて答えた。
「ご安心ください……『隠神シリーズ』は、現在地下プラントにて鋭意生産中です。八尾はそのプロトタイプに過ぎません」
その言葉を聞いた瞬間、蛍の脳内に早苗の冷徹な声が響いた。
『……やはりな。ロマノフには以前から『人間牧場』の噂があったが、事実のようだ。クローン技術と遺伝子操作で、あなたを模した生体兵器を量産している』
早苗の声には、珍しく嫌悪感が混じっていた。
『あなたのブランド価値を利用した、悪趣味なコピー商品だ』
「……なんですって?」
蛍が着地と同時に床を踏み砕いた。自分の強さを模倣されるのは百歩譲って許そう。だが、イサナ・サカイに捧げられた自分の存在そのものを、量産品として切り売りするなど――万死に値する冒涜だ。
「……血の繋がらない妹が大量にできそうですわね。嬉しい限りですわ!」
蛍は皮肉たっぷりに叫ぶと、床を蹴って八尾との距離を一瞬で詰めた。『天照』の砲撃が当たらないのならば、近接戦闘で潰すのみ。彼女の回し蹴りが八尾の側頭部へと放たれた。
「喰らいなさい、紛い物ッ!!」
バシィィィッ!!
重い衝撃音が響く。だが、蛍の脚は止まっていた。八尾が左腕一本で、蛍の蹴りをガッチリと受け止めていたのだ。
「……!」
蛍が目を見開く。
八尾は、受け止めた蛍の脚を愛おしそうに撫でながら、前髪の隙間から覗く瞳を濡らし、うっとりと頬を染めて言った。
「嬉しいですぅ……♡ やっと……やっと戦えますぅ……!」
八尾の指が、『建御雷』にミシミシと音を立てて食い込んでいく。
「ずっとずっと、この時を待ってたんです。手加減なんていらない、壊れるのを怖がらなくていい……全力でぶつかれる『本物』と殺し合えるのを……!」
八尾の口から、歪んだ歓喜の声が漏れる。
「すぐに壊れないですよね?――蛍お姉様♡」
*
「ご覧ください、皆様。あのサカイの『狂犬』が攻めあぐねています」
ヘンリエッタは、眼下で繰り広げられる蛍と八尾の肉弾戦を指し示し、勝ち誇ったように声を張り上げた。蛍の蹴りを八尾が受け止め、八尾の爪撃を蛍が弾く。互角に見える攻防は、ヘンリエッタにとって最高のプレゼン素材だった。
「隠神シリーズの真価は、その『対サカイ性能』にあります。物理戦闘で犬噛蛍と渡り合えるということは……他の特殊資産など、赤子の手をひねるも同然ということ」
ヘンリエッタは空中のホログラムを切り替え、鷹空早苗と蛇森水母のデータを表示させた。
「例えば、サーファーの鷹空早苗。彼女のハッキング技術は脅威ですが、生体兵器である隠神シリーズには通用しません。脳も神経も独自のバイオ組織で構成されているため、彼女のクラッキングは滑るだけ……つまり、容易に捕獲可能ということです」
その言葉に、VIPたちの目が下卑た欲望の色に染まった。
「おお……! ということは、あの氷のように美しいサーファーも、我々の手に……?」
「おい、あのガスマスクの女もだ! あの豊満な身体、シャイというのも唆るじゃないか!」
「ええ、左様でございます」
ヘンリエッタは囁くように続けた。
「皆様がお求めになるのであれば、サカイから奪取した特殊資産を、隠神シリーズと同様に販売することもやぶさかではありません……愛玩対象にするもよし、愛人として囲うもよし」
さらに彼女は、とどめの一言を放った。
「弊社の『人間牧場』では、優秀な遺伝子を残すための交配プログラムも用意しております……彼女たちを母体とし、皆様のお好みの『子供』を作ることも可能です」
ドッと沸き立つVIPたち。品性の欠片もない欲望の坩堝と化したラウンジの会話は、通信回線をハックしている早苗の耳にも筒抜けだった。
『…………』
早苗は感情を表に出さないタイプだが、自身を、そして同僚たちを『繁殖用の家畜』扱いされたことに対する不快感は、許容値を超えていた。
『……蛍主任』
早苗の怒りを孕んだ声が、蛍の脳内に響く。
『早くこの戦いを終わらせろ……これ以上、あの下劣な豚どもの会話を聞かされるのは苦痛だ。耳が腐る』
対する蛍は、八尾の連撃を掌で捌きながら、やれやれといった様子でため息をついた。
「あら、無粋ですわね、早苗は」
蛍は八尾の鋭い手刀を首の皮一枚で躱し、余裕の笑みを浮かべた。
「せっかくの、可愛い義妹との触れ合いですのよ? もう少し楽しませてくださらない?」
「蛍お姉様ぁッ! よそ見してる暇なんてありませんよぉッ!!」
八尾が獣の咆哮と共に、身体を低く沈めた。バネのように圧縮された全身の人工筋肉が解放され、蛍の鳩尾めがけて渾身の蹴りが放たれた。
ドォォォン!!
重い衝撃音が響き、蛍の小さな身体がくの字に折れ……なかった。
「……へ?」
八尾の動きが止まる。彼女の脛が、蛍の腹部に深々とめり込んでいる。並のサイボーグなら胴体が千切れるほどの威力、少なくとも蛍の肋骨をへし折れるだけの威力があった。だが、蛍は一歩も下がっていなかった。感触でわかる。一本も折れてはいない。
蛍の全身骨格――自律進化型複合骨格『経津主』。通常のサイバーウェアが、既存の骨を人工物に置換するものであるのに対し、「経津主」は、犬噛蛍自身の骨髄から採取した幹細胞と、自己増殖能力を持つナノマシン。そして形状記憶特性を持つ合成ダイヤモンド繊維を融合させ、彼女の成長と共に『進化』し続ける、究極の生体骨格だ。
その自己進化機能が、八尾との戦闘データから衝撃の質を瞬時に解析。肋骨と腹部の構造をダイヤモンド以上の硬度と、衝撃を拡散するハニカム構造へと最適化させていたのだ。
「……いい蹴りですわ。ですが」
蛍の手が動いた。腹にめり込んだままの八尾の足首を、万力のような握力でガシリと掴む。
「なっ……抜けないっ!?」
八尾が焦って足を引こうとするが、ビクともしない。
蛍は至近距離で八尾の顔を覗き込み、冷酷に告げた。
「義妹の躾は、姉の役目ですものね」
蛍の瞳孔が青白く輝き始めた。背中の回路が三日月の紋様を描き出す。
「お仕置きの時間ですわ……『月読』、起動」
ヘンリエッタのセールストークも、VIPたちの欲望も、八尾の驚愕の表情も。すべてが凍りついた静寂の中で、狂犬の牙だけが動いた。




