ネオ・オリンピア英才育成機構
ネオ・トーキョー、シンジュク・ウォーゾーン。かつて眠らない街と呼ばれたこの場所は、今や企業間の緩衝地帯という名のゴミ捨て場と化していた。降りしきる酸性雨が、崩れかけたビルの外壁を濡らし、極彩色のネオンが水たまりに滲んで歪な模様を描いている。
その地下深度100mにネオ・オリンピア英才育成機構があることを知っている者は少ない。
ゲートをくぐった先に広がる光景は、地上の無法地帯とは隔絶された、あまりにも清潔で、未来的で、そして不気味なほど「整然とした」空間だった。
天井には巨大なLEDパネルが『偽物の青空』と『太陽』を映し出し、地下であることを忘れさせるほど明るい。美しく整備された人工芝のグラウンド。ガラス張りの校舎。壁面には子供たちの運動データをリアルタイムで表示するホログラムが流れている。
だが、その美しい箱庭を徘徊しているのは人間だけではなかった。
「オイ、見ろ! あの12番の個体! 大腿四頭筋の強化繊維、最新の浪速バイオティクス製だぞ!」
「反応速度0.03秒……! 買いだ! うちの球団で契約する!」
「待て待て、あいつの視覚野はGF仕様だ。軍事転用の方が高く売れるぞ」
通路のあちこちで人型のテレイグジスタンス・ロボットたちが、ガヤガヤと騒々しい電子音を撒き散らしていた。
彼らは世界各地のスポーツチーム、民間軍事会社あるいは裏社会の組織からアクセスしているスカウトたちだ。遠隔操作技術により、安全な場所から生徒たちを品定めしているのだ。
彼らにとってここは学校ではなく、優秀な競走馬のセリ市に過ぎない。
その異様な光景の中を、犬噛蛍は真新しい制服に身を包みコツコツと音を響かせて歩いていた。
彼女が身に纏っているのは、深みのある黒を基調としたブレザーに、赤いチェックのスカート。首元には品の良いリボン。泥一つついていないローファー。
境インダストリアル傘下のエリート校『皇高等教育院』の制服だ。
(……趣味の悪い場所ですわね。子供を肉の塊のように値踏みして)
蛍は愛想笑いを浮かべつつ、脳内で小さく毒づいた。
すれ違う生徒たち――まだ10代前半とおぼしき少年少女たちの姿は異様だった。半袖の体操着から伸びる腕は、不自然に肥大化したチタン強化骨格で覆われている。首筋にはシナプス加速器の接続ポートが露出し、呼吸をするたびに胸部の人工肺が微かな駆動音を立てている者もいた。そこらへんのストリートの傭兵ですら躊躇うような重度の改造手術が、成長期の子供たちに施されていた。
『……ひどい有様だ』
蛍の脳内に、冷ややかな声が直接響いた。鷹空早苗だ。彼女はネット空間を経由して蛍の視覚野をジャックし、その光景を共有している。
『骨格の成長を無視したチタン置換。神経系の発達を阻害する過度な反応ブースト……あんな年齢からこれほどのサイバーウェアを搭載すれば、脳への負荷で発狂するか、身体が拒絶反応で壊死するのがオチだ。非人道的かつ非効率極まりない』
早苗の冷静な分析に、蛍はピクリと眉を跳ねさせた。
(……あら? 早苗。それはわたくしに対する当てつけですの?)
蛍もまた、幼少期からサカイによって徹底的な改造手術を受けてきた身だ。彼女の体内には、常人を遥かに凌ぐ量のサイバーウェアが詰め込まれている。
『事実を述べたまでだ……だが、訂正しよう。あなたは例外だ』
早苗の声は淡々としていた。
『あなたの適合率は異常値だ。普通の人間なら廃人になるレベルの改造を、なぜか平然と受け入れている……まあ、性格が破綻しているのはその副作用かもしれないが』
(一言多いですわよ! わたくしは正常ですわ!)
蛍は脳内で叫び返すと、目的の場所――「所長室」と書かれた重厚な扉の前に立った。
「……コホン。行きますわよ」
蛍は深呼吸をして『お嬢様転校生』の仮面を被り直すと、扉をノックした。
「入りたまえ」
中から聞こえたのは、知的だが、どこか冷めた響きを持つ女性の声だった。
蛍が扉を開けると、そこは壁一面がモニターで埋め尽くされた司令室のようなオフィスだった。部屋の中央、ガラスのデスクの向こうに、その女性はいた。
ヘンリエッタ・アーチボルト。ネオ・オリンピア英才育成機構の最高管理責任者。タイトなスーツに白衣を羽織り、冷徹そうな銀縁眼鏡をかけた美女だ。手元のタブレットから視線を外さず、入ってきた蛍を一瞥もしない。
「失礼いたします。本日付で転入いたしました、西園寺・蛍ですわ」
蛍が優雅にカーテシーを披露すると、ヘンリエッタはようやく顔を上げた。眼鏡の奥の瞳が、蛍を冷ややかにスキャンする。
「ああ、君か。スメラギからの推薦枠……『特待生』の」
ヘンリエッタは手元のデータを指先で弾き、蛍の偽造プロフィールを表示させた。
「…… サイバーウェア搭載数は極少。成績は知力、運動力共にアカデミーきっての天才……フン、呆れたものね」
ヘンリエッタは口の端を歪めた。
「サカイは随分と間抜けらしい。こんな天然ダイヤの原石をみすみす放り出すなんて」
「才能ある原石には、相応の磨き方が必要ということですわ」
蛍は物怖じせず、不敵な笑みで返した。
「わたくしはここで、自身の価値をさらに高めたいと願っておりますの……ここの生徒たちが、わたくしの良い『刺激』になればよろしいのですけれど」
ヘンリエッタは眼鏡の位置を中指で直し、鼻で笑った。
「威勢はいいわね……いいでしょう。ここは実力至上主義の世界。君の中身がガラクタでないことを祈っているわ」
彼女はデスクの上のカードキーを滑らせた。
「寮の部屋とIDよ。授業は午後から……せいぜい、スカウトたちの良い『商品』になれるよう努力することね。お嬢さん」
「ええ、ご期待に添えるよう善処いたしますわ」
蛍はカードキーを手に取り、優雅に背を向けた。部屋を出た瞬間、蛍の表情から笑みが消え、狩人の目つきへと変わる。
『……食えない女だ。警戒しろ、蛍主任』
早苗の声が響く。
「ええ、わかっていますわ……あの女の目、生徒を人間だなんて思っていませんもの。ただの数字としか見ていない目でしたわ」
蛍は廊下を歩き出した。その背中には、ロボットたちの無機質な視線と、改造された子供たちの虚ろな視線が突き刺さっていた。




