学園生となる飼い犬
特殊資産管理部、部長室。張り詰めた空気の中、犬噛明は空中に展開されたホログラムマップを指し示した。
そこに映し出されているのは、ネオ・トーキョーの中でも無法地帯として知られる『シンジュク・ウォーゾーン』の地下にある、学校のような施設だった。
「先日、早苗とリリカが持ち帰ったデータの解析が完了しました。……やはり、ロマノフは単独で動いているわけではありませんでしたよ」
明の言葉に、ソファに座る犬噛蛍、その背後の蛇森水母、そしてデスクの脇に立つ鷹空早苗が注目する。
「ロマノフが主導し、複数の企業が技術提供を行っている共同プロジェクト。その隠れ蓑となっているのが、この施設――『ネオ・オリンピア英才育成機構』です」
「ネオ・オリンピア……ですって?」
蛍が小首をかしげる。
「名前だけ聞けば随分堅苦しそうな……エリート向けの学園ってところですわね」
「表向きはね」
早苗が補足した。
「公には『次世代のアスリートを育成する神経運動能力開発センター』とされている。実際、ここからはオリンピック級のサイバーアスリートや、格闘技団体のチャンピオンが多数輩出されている実績がある」
明が頷き、さらに深い闇を語り始めた。
「ですが、その実態は違法な人体実験場です。彼らは未成年の子供たちを集め、成長期の肉体に過度なサイバーウェアを埋め込み、適合率を高めるためのバイオウェアの投与を行っている……本来、未成年への戦闘用サイバーウェアの移植は国際企業法で厳しく制限されていますが、シンジュクならば法の目も届きませんからね」
「なるほど。子供をモルモットにして、強力な兵隊やアスリートを量産しているというわけですわね」
蛍は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「美しくありませんわ。才能のない凡人を無理やり改造したところで、所詮は紛い物ですもの」
「その『紛い物』の中に、今回のターゲットである新型バイオウェアの完成形が隠されている可能性が高いのです」
明は蛍を見据えた。黄金色の瞳が、娘を値踏みするように光る。
「そこで、蛍。あなたに任務です」
「はい、お母様! 殲滅ですか? それとも爆破?」
蛍が嬉々として立ち上がる。
「いいえ……『潜入』です」
明は優雅に微笑み、衝撃的な命令を下した。
「あなたには、この学園に『生徒』として入学してもらいます」
「…………は?」
蛍の動きが止まった。彼女は自分の耳を疑うように、数回瞬きをした。
「にゅ、入学……? 生徒として……?」
「ええ。正面から堂々と、転入生として潜り込むのです」
明は淡々と説明を続けた。
「この学園は、高いサイバーウェア適性を持つ『才能ある若者』を常に求めています……蛍、あなたのその外見と、常識外れのサイバーウェア搭載量は、彼らが求めている『理想の検体』そのものです」
「ちょ、ちょっと待ってくださいましお母様!」
蛍が慌てて抗議の声を上げた。
「わたくしは、サカイの上級主任! 立派な大人のレディですわよ!? 今更、学生のフリだなんて……そんな子供騙しな……!」
彼女は自分の貧乳と低身長を無意識に隠すように腕を組んだ。彼女にとって、童顔で小柄な外見にコンプレックスはない。ただ子供扱いされるのは我慢ならないのだ。それだけに学生としての任務というのはプライドが許さない部分があった。
しかし、すかさず早苗が冷徹な事実を突きつけた。
「客観的に見て、適任だ」
早苗は蛍を上から下までスキャンするような視線で見下ろした。「身長150センチ未満。童顔。発育途上の体格……どう見ても10代半ばの少女にしか見えない。制服を着れば、違和感なく溶け込めるはずだ」
「うぐっ……! さ、早苗! あなた、喧嘩を売っていますの!?」
「事実を述べているだけだ。それに、あなたのサイバーウェア容量は規格外だ。スカウト部門に見せつければ、特待生扱いで即日入学が許可されるだろう……他の誰にも真似できない、あなただけの適性だ」
早苗の言葉は、褒めているのか貶しているのか紙一重だったが、論理的には完璧だった。
明もまた、慈愛に満ちた笑みで追い打ちをかけた。
「そうですよ、蛍。これはあなたにしかできない任務です……それに、久しぶりの学校生活というのも、悪くないのではありませんか? アカデミー時代を思い出して」
「うぅ……お母様まで……」
蛍は唇を尖らせたが、明の期待に満ちた視線と、早苗の「どうせ無理だろう」と言いたげな視線を受け、負けん気に火がついた。
「……わ、わかりましたわ! やればいいのでしょう、やれば!」
蛍はフンと鼻息を荒くした。
「わたくしにかかれば、学生の演技などお手の物ですわ! 学園のアイドルとして君臨し、華麗にデータを奪ってご覧に入れます!」
「ふふ、頼もしいですね」
明は満足げに頷いた。
「潜入者は蛍一名。ですが、内部のセキュリティ網は複雑です。早苗、あなたがサーファーとしてバックアップにつきなさい。学籍データの改ざんや、潜入後の通信サポートを頼みます」
「了解、明部長……『転校生』がボロを出さないよう、影から手綱を握っておく」
早苗は涼しい顔で請け負った。
「なっ……! 誰がボロを出すと言いましたの!?」
キャンキャンと吠える蛍の背後で、蛇森水母だけは、ガスマスクの下で別の妄想に囚われていた。
(……蛍様が……学生……制服……ブレザーか、セーラーか……。白いブラウスに、短いスカート……ハイソックス……体育の授業ではブルマ……? 汗ばむ肌!?)
「ブハッ……!」
「あら? 水母、どうしましたの? 変な音を立てて」
「い、いえっ! 何でもありません! 任務……そう、任務ですね! 全力でサポートします!」
水母は鼻血が出そうになるのを必死に堪え、直立不動で敬礼した。
こうして『狂犬』による、前代未聞の学園潜入ミッションが幕を開けることとなった。




