作戦完了のご褒美
特殊資産管理部、部長室。張り詰めた空気の中鷹空早苗はデスクの前に直立し、淡々と任務報告を行っていた。その傍らには、ふんぞり返ってソファに座る犬噛蛍と、その背後に影のように控える蛇森水母の姿もある。
早苗は指先で空中のホログラムを操作し、複雑なデータストリームを展開した。
「……報告は以上だ。『マウソレウム』から奪取したデータには、バイオウェアを用いた人体実験『ヌエ計画』の詳細が含まれていた。だが、問題はそれだけではない」
早苗は赤い警告色が点滅するファイル群を指し示した。
「メインサーバーの深層領域に、極めて高度な暗号化が施された通信ログを発見した。解析には時間を要するが、ロマノフ単独の犯行ではないことは明白。複数の巨大企業が、水面下で技術提携、あるいは共同出資を行っている形跡がある」
「複数の企業……ロマノフを隠れ蓑に、何か大きなものを動かそうとしていると?」
犬噛明が黄金色の瞳を鋭く細める。
「肯定します。現時点では企業の特定には至っていないが、サカイにとって看過できない脅威が育ちつつあると」
早苗が報告を締めくくると、それまで不満げに爪をいじっていた蛍が、バッと身を乗り出した。
「ふーん。まあ、仕事はこなしたようですわね……でも、納得いきませんわ!」
蛍は立ち上がり、早苗を指差した。
「早苗! あなた、わたくしには何と言いました? 『サカイの者が派手に暴れれば、企業戦争の引き金になりかねない』……そう言ってわたくしの出撃を止めたくせに、自分はどうですの! リリカと一緒に研究所を半壊させて帰ってくるなんて!」
蛍の怒りはもっともだった。自分は「お留守番」をさせられ、ライバルである早苗が現場で暴れてきたのだから面白くないに決まっている。
しかし、早苗は眉一つ動かさず涼しい顔で切り返した。
「状況が異なる。リリカ・ヴォルコヴァは外部の傭兵だ。彼女がどれだけ派手に暴れようと、それは『暴走した傭兵のテロ行為』として処理できる。そしてボクに関しては……」
早苗は自身のこめかみをトントンと指差した。
「現地の監視カメラ、センサーログ、目撃者のサイバーアイ……全ての記録媒体から、ボクの存在を示すデータはハッキングの上、完全に消去済みだ。物理的な証拠は一切残していない」
「はぁ? 証拠隠滅すればいいってもんじゃありませんわよ!」
「リリカが派手に戦ってくれたおかげで、敵の注意は全て彼女に向いた。その裏でログを改ざんするのは、赤子の手をひねるより容易かった。つまり、サカイの関与は露見していない。作戦に矛盾はない」
早苗の論理武装に、蛍はぐぬぬと言葉を詰まらせた。だが、すぐに意地悪な笑みを浮かべて反撃に出た。
「ふん、よく言いますわ。屁理屈を並べていますけれど、結局のところ……日頃のデスクワークの鬱憤晴らしに暴れたかっただけじゃありませんの?」
図星を指されたのか、早苗のポーカーフェイスが一瞬だけ崩れかけた。
「……否定する。全ては効率的な任務遂行のためだ」
「あら、目が泳ぎましたわよ? 素直になればよろしいのに。『非効率』ですわよ?」
「……ッ」
二人の間に再び険悪な火花が散り始めた。冷戦が熱戦に変わる直前、パン、と乾いた柏手が鳴り響いた。
「はいはい、そこまで」
明が苦笑しながら二人を制した。
「蛍の言い分も分かりますが、今回は早苗を不問とします。彼女が持ち帰ったデータは、サカイにとって極めて重要なものですから」
「お母様がそう仰るなら……」
蛍は唇を尖らせて椅子に座り直した。
明は娘を宥めるように、優しく微笑みかけた。
「それに蛍。あなたには、イサナ様から素晴らしい『ご褒美』をいただいたばかりでしょう? 心に余裕を持ちなさい。幸せな者は、他者を許す寛容さを持つべきですよ」
「あ……!」
『イサナ様』『ご褒美』という単語が出た瞬間、蛍の機嫌はV字回復した。彼女は頬を緩ませ、うっとりと天井を見上げた。
「そうですわ……! イサナ様は今回の働きを認めてくださって……わたくしに『特別休暇』をくださいましたの! 丸一日、何の任務もない自由な休日を!」
蛍は背後にいた水母の手をぎゅっと握りしめた。
「水母! 聞きまして!? 休日ですわよ、休日! イサナ様が『たまには羽を伸ばしてきなさい』と仰ってくださったの! ああ、なんてお優しい……!」
「は、はい……! おめでとうございます、蛍様……! 自分も、涙が出るほど嬉しいです……!」
水母は感動と興奮でガスマスクからシューシューと音を出しながら、蛍の手を握り返した。
「ふふん。今回は大目に見て差し上げますわ、早苗。わたくしはイサナ様の愛で満たされていますからね!」
蛍は上機嫌で鼻歌を歌い始めた。単純明快なその性格に、早苗は小さく安堵のため息をついた。
明はそんな蛍を微笑ましく見守った後、視線を早苗へと移した。そして、労うように声をかけた。
「さて、早苗。あなたもよくやりました。完璧な仕事でしたよ」
「……光栄です、明部長」
早苗は直立不動で頭を下げた。
「蛍にはイサナ様からのご褒美がありましたが……あなたにも、何かご褒美が必要かしら?」
明は悪戯っぽく首をかしげた。
「ボーナスの支給? それとも最新鋭のサイバーウェア? 遠慮なく言いなさい」
早苗は顔を上げた。その淡い青紫色の瞳が、一瞬だけ揺らぐ。彼女は迷うように視線を伏せ、そして意を決したように小さな声で告げた。
「……では、一つだけ」
「何でしょう?」
「……お出かけを、所望します」
「お出かけ?」
明が問い返す。
早苗は、耳の先をほんのりと赤く染めながら、しかし真っ直ぐに明を見つめた。
「明部長と……その、プライベートで……お買い物でも、食事でも構いません。あなたの時間を、少しだけボクにいただきたいのです」
金でも、力でもない。『母親』と慕う明との、ただの親子の時間を。いつも冷徹な早苗が見せた、不器用でいじらしい少女の素顔だった。
明は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに慈愛に満ちた、本当に母親のような優しい笑みを浮かべた。
「……ええ、いいですよ。喜んで」
「! ……感謝します、お母……いえ、明部長」
早苗は慌てて言い直したが、その表情には隠しきれない喜びが滲み出ていた。
横で見ていた蛍がむっとした顔をする。
「ちょっと早苗! お母様を独り占めする気ですの!? ずるいですわよ!」
「これはボクの正当な報酬だ」
早苗は勝ち誇ったようにフンと鼻を鳴らした。
「まあまあ、喧嘩しないの……ふふ、忙しくなりそうですね」
明は騒がしくも愛おしい『娘』たちを見渡しながら、静かに微笑んだ。




