赫い工場
ネオ・トーキョーで闇市に用があれば、『タイトウ・オールドタウン』のアメヨコ・アンダーグラウンドへ行くと良い。境インダストリアルによる管轄区となっているが、『境インダストリアルの横流し品』から『戦場で拾ったGF社の兵器』に『新鮮な肉』など、金さえ出せば何でも手に入る。ただ高架下に広がる迷路のようなそこには、闇市の客以外の存在もいる。難民キャンプへの『新鮮な肉』の提供者になりたくなければ、近づくべきではないだろう。
猥雑なネオンと屋台の湯気が混じり合う路地裏のガードレールに、場違いなほど鮮烈な存在感を放つ人影があった。
ボリュームのある銀髪のツインテール。露出度の高い黒と赤のビキニトップに、極端に短いミニスカート。その上からダボッとした白いジャケットを肩掛けした、長身の女――リリカ・ヴォルコヴァだ。
リリカの外見は『新鮮な肉』ですとプラカードを掲げているも同然だった。しかしリリカを獲物とする者はおろか声をかける者もいない。リリカが被食者でも捕食者でもなく、それを狩るハンターであることはこの地区で知れ渡っているからだ。
リリカは合成焼き鳥の串を齧りながら、退屈そうに貧乏ゆすりをしていた。
「あーあ。蛍のヤツ遅刻じゃん。呼び出しといて待たせるとか、何様のつもりだよマジで……」
彼女が最後の肉を飲み込み、串をポイと投げ捨てたその瞬間。音もなく、彼女の目の前に「白と青」の影が現れた。
「――遅刻はしていない。定刻通りだ」
「うわっ!?」
リリカは猫のように目を丸くし、反射的に背中の得物に手を伸ばしかける。だが、すぐに相手が敵ではないと判断し、興味深そうに目を細めた。
「なんだ、アンタ。蛍じゃないのかよ」
そこに立っていたのは、塵一つない純白のボディスーツと、淡いブルーシルバーの髪を持つ美少女――鷹空早苗だった。この汚れた路地裏において、彼女の姿はあまりに清廉で異質だった。
「犬噛蛍は別の任務中だ。今回の作戦指揮はボク、鷹空早苗が執る」
早苗は淡々と告げた。その瞳はリリカの派手な服装を冷ややかにスキャンしている。
(……露出過多。防弾性能はキチン皮下シェル頼りか。ジャケットも袖を通さず肩掛け……空力抵抗を無視している。非効率な装いだが、重心の安定感は一流だ)
「おっ? サナエちゃんってばいきなりジロジロ見ちゃって。さてはアタシに惚れたな?」
リリカは胸の前で両手を組み、わざとらしくクネクネと身をよじった。
「んもー♡ 君みたいなクールでおっぱいデカい娘はいつでも大歓迎だぞっ♡」
「ボクは君の外見を見ているんじゃない。装備評価だ」
早苗は表情一つ変えず、淡々とスキャンを続けた。その視線は、リリカの肉体美を素通りし、背負われた長大な得物に吸い寄せられる。
(『天之羽矢』……超長距離・対遮蔽物貫通型・電磁加速狙撃銃。表面はナノマシンを含有した『黒漆』コーティングか。ピアノのように濡れた光沢……一介の傭兵風情が手に入れられる代物ではない)
なるほど、と早苗は内心で納得する。犬噛蛍のお気に入りというのは本当らしい。この武器は間違いなくサカイのコネクションから流れたものだ。
さらに早苗の視線は、リリカの両腕に埋め込まれた『機巧鎌・蟷螂』へと移る。
それは彼女が敬愛してやまない上司、犬噛明と同じ型のサイバーウェアだった。明もかつては凄腕の傭兵だったと聞く。
(……気に食わないな)
早苗の心に、論理的ではない微かなノイズが走る。
この奔放で底知れない女傭兵の佇まいに、どこか犬噛蛍と似た「同類の臭い」を感じ取ってしまったからだ。
「とか言っちゃってアタシに釘付けじゃん? このむっつりちゃんめ♡」
リリカはニシシと歯を見せて笑い、ガードレールから軽やかに飛び降りた。180センチの長身が、160センチの早苗を見下ろす形になる。
「で? 今日はどんな楽しい遊びに誘ってくれるわけ? アタシ、退屈な仕事はパスだぜ?」
「……遊びではない。破壊工作だ」
早苗は空中にホログラムの地図を展開した
「ターゲットは『旧・築地豊州エリア』外縁部にある、ロマノフ・バイオダインの日本政府公認研究施設。『マウソレウム』だ。表向きはバイオ燃料精製工場だが、地下では違法なバイオウェアの実験が行われている」
「ロマノフかぁ。あそこ結構寒いんだよなー」
リリカはケラケラと笑った。
「でも、破壊工作ってことは……派手に暴れていいんだろ? アタシの『天之羽矢』が火を吹きたがってるんだよね」
「条件がある」
早苗は冷徹に釘を刺した。
「敵の殲滅と施設の破壊は許可する。だが、最優先事項は『データの奪取』だ。君が暴走してサーバーごと吹き飛ばした場合、報酬はゼロになると思え」
「ちぇっ、わーってるよ。要は、大事なもん以外は全部壊していいってことだろ?」
リリカはジャケットを翻し、全長2メートル近い長大な弓のような形状の電磁駆動兵器。『天之羽矢』を愛おしそうに撫でた。
「んじゃ、行こうか。アタシのスピードについてこれる? 置いてかれても泣くなよー?」
「……愚問だ。君こそ、ボクの処理速度に遅れるな」
ロマノフ第4バイオプラント『マウソレウム』。施設の四方を囲む巨大な冷却塔からは、常時マイナス数十度の冷気が白煙となって噴き出していた。これにより、施設周辺の地面やフェンスは常に分厚い霜と氷に覆われている。地面には赤い霜が降りているが、それは漏れ出した『ツァーリ・オイル』が凍結したものだ。
冷却塔の陰から、二つの影がロマノフの施設を確認していた。高いフェンスと自動タレット、そして巡回する重武装の警備ドローン。
ゲートには『日本国経済産業省・認可施設』のプレートと共に、ロマノフ社独自の『冬の猟兵』である銃士隊が直立不動で歩哨に立っている。要塞のような堅牢さだ。
「正面突破でいく?」
リリカが好戦的な笑みを浮かべる。
「非効率だ。まずは目を潰す」
早苗が瞳を青く光らせた。彼女の脳内にあるニューロ・リグ『ヘル』が唸りを上げる。
『視覚侵入……開始』
早苗の視界の中で、施設のセキュリティネットワークが可視化される。フェーズドアレイ・アンテナによる指向性ハッキング。早苗が見つめるだけで、不可視のデータブリッジが架けられるのだ。数秒後。施設の監視カメラが一斉に下を向き、巡回していた警備ドローンの動きがピタリと止まった。
「……カメラとセンサー、ドローンを掌握した。今なら正面から歩いても気づかれない」
「っはー! やるじゃんサナエちゃん! 魔法使いみたいだねぇ!」
リリカは感心したように口笛を吹いた。
「サーファーって、暗い部屋でカタカタやってるイメージだったけど、アンタは現場主義ってわけか。ますます気に入った!」
「無駄口を叩いている暇はない。突入する」
早苗は二丁のEMピストル「フェンリル」と「ヨルムンガンド」を抜き放ち、光学迷彩を起動して姿を消した。
「おっと、消えやがった……恥ずかしがり屋さんめ。よし、アタシもいくか!」
リリカは銃の上部から伸びる有線ケーブルを首筋に直結し、『迦楼羅』過剰駆動を発動させる。世界の色が反転し、時間の流れが泥のように重くなる。彼女にとっての8秒間。それは自由の時間だ。
「ヒャッハー!!」
リリカは高く跳躍し、フェンスを軽々と飛び越えた。空中で『天之羽矢』を構え、引き絞るを開始する。折り畳まれた銃身から上下に扇状に展開し、全長2メートル近い巨大な弓のような形状に変形する。漆黒の銃身に、金色の雷紋が血管のように浮かび上がり脈動する。この銃の特性は、あらゆる障害物を貫通する透過力とその静音性にある。
パシュッ!
空気を切り裂く鋭い短音。電磁加速された弾《矢》が、建物の厚いコンクリート壁を貫通した。壁の向こうにいた銃士隊の上半身が、何が起きたかもわからずに弾け飛ぶ。
「一丁あがり!」
着地と同時に、リリカは過剰駆動を維持したまま疾走した。反応して動き出そうとする銃士隊たちが、彼女の目には案山子に見える。彼女は愛銃を背負い直し、両腕から『機巧鎌・蟷螂』を展開した。前腕の人工皮膚が縦に割れ、肘から先が漆黒の刀身へと変わる。
ザシュッ! ズバッ!
銀色の旋風が駆け抜ける。すれ違いざまに首を飛ばされ、胴を薙がれた銃士隊たちが、時間差で血飛沫を上げて崩れ落ちていく。
「あはっ! 遅い遅い! 止まって見えるぜぇ!?」
リリカが享楽的な笑い声を上げながら前線を蹂躙していく中、その後方では、透明なままの早苗が冷静に制圧射撃を行っていた。
「フェンリル」から放たれた弾丸が、増援に現れた警備ロボットに着弾し、EMPパルスで回路を焼き切る。動きの止まったロボットの頭部を、左手の「ヨルムンガンド」が正確に撃ち抜く。
「……動きに無駄が多い」
早苗は前で暴れ回るリリカを見ながら独りごちた。
(だが、囮としての性能は優秀だ。彼女がヘイトを集めている間に、ボクはシステムへの直結ルートを確保できる)
早苗は正面の分厚いセキュリティゲートへと視線を向ける。
物理的な操作盤には触れない。瞳の奥で青い光が明滅するだけで、軍用規格の電子ロックが次々と緑色に変わっていく。
『セキュリティレベル2、解除。隔壁開放』
「リリカ、ルートは開けた。地下へのエレベーターホールだ」
「了解っと! ……んじゃ、最後の仕上げ!」
リリカは腰のポーチから球体状の手榴弾を二つ掴み取ると、ピンを口で引き抜き、迫りくる銃士隊の集団のど真ん中へと放り投げた。
「爆ぜろッ!」
轟音と爆風が銃士隊を吹き飛ばす中、二人は煙幕を突き破って施設内部へと侵入した。




