飼い犬はお留守番
特殊資産管理部、部長室。張り詰めた空気の中、犬噛蛍はデスクに座る明に向かい、自信に満ちた表情で報告を行っていた。
「……以上の状況証拠から、今回の件の黒幕はロマノフ・バイオダインと断定いたしますわ」
蛍は宙に浮いたホログラムマップを指し示した。
「ネオ・ペテルブルクに本社を置き、旧北海道にも拠点を持つ企業。専門はバイオ燃料と遺伝子工学。食品企業を傘下とし、バイオウェアの分野でも独自の技術を持つ……『彼岸』で使われていた技術は彼らの特許と酷似しておりますわ」
明は深く頷き、黄金色の瞳を細めた。
「ええ。素晴らしい洞察力です、蛍。私の見立てとも一致します。サカイ内部の反体制派を煽り、自社の実験場として利用しつつ、我々の弱体化を狙う……いかにもあの企業が考えそうなことです」
「お母様もそう思われますのね!」
蛍は嬉しそうに微笑むと、瞳に獰猛な光を宿した。
「でしたら話は早いですわ。さっそくわたくしが、その不届きな研究所ごとロマノフの連中を吹き飛ばして差し上げます! 『スサノオ』で更地にしてやれば、二度とコソ泥のような真似はできないでしょうから!」
蛍が勇んで出撃しようとした、その時だった。
「――待て。それは短絡的すぎる」
冷ややかな声が、蛍の熱意に水を差した。部屋の隅で待機していた鷹空早苗が、静かに口を開いたのだ。
「何ですの? 早苗」
蛍が不機嫌そうに振り返る。
早苗は無表情のまま淡々と指摘した。
「サカイの特殊資産であり、『イサナ様の狂犬』として名の知れたあなたが、表立ってロマノフの施設を襲撃すればどうなるか。それは即ち、サカイによるロマノフへの宣戦布告と受け取られる」
早苗は指を一本立てた。
「現在、両社の関係は緊張状態にあるとはいえ、均衡は保たれている。あなたの暴走がきっかけで企業戦争の引き金を引くことになりかねない……そもそも、ロマノフ側が『彼岸』という隠れ蓑を使って工作を行っていたのは、足がつかないようにするためだ。相手が裏のルートを使ったのなら、こちらも相応の手順を踏むべきだ」
「ぐぬぬ……」
蛍は反論しようとしたが、早苗の論理があまりに正論すぎて言葉に詰まった。
「い、いちいち細かいですわね、あなたは! だったらどうすればいいと言うのですの!?」
「簡単なことだ。サカイの関与を隠蔽しつつ、実力を行使できる『外部の力』を使えばいい」
「外部の力……」
蛍は少し考え込むと、ポンと手を打った。
「そうですわ! それなら、傭兵にやらせれば良いのですわね!」
蛍はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ちょうど、うってつけの人材に心当たりがありますの。わたくしにとって水母の次にお気に入りの……リリカ・ヴォルコヴァ。あの子なら、派手な破壊工作も得意ですし、腕も確かですわ」
蛍は明に向き直り、慎ましい胸を張る。
「お母様、リリカに依頼を出しますわ。彼女はわたくしの『ビジネスパートナー』。サカイの名前を出さずに、ロマノフを壊滅させるには最高の駒ですわよ。これなら文句はありませんでしょう?」
蛍は「どうです、完璧な作戦でしょう?」と言わんばかりに、勝ち誇った顔で早苗を見下ろした。
しかし、早苗は表情一つ変えずに言葉を継いだ。
「……傭兵一人では、不確定要素が多すぎる」
「はぁ?」
「リリカ・ヴォルコヴァの戦闘能力は評価するが、相手はロマノフの研究施設だ。セキュリティ・ネットやトラップの解除、データ奪取において単独では限界がある」
早苗は一歩前に出た。
「ボクがバックアップに入る。サーファーとしてシステムを制圧し、リリカをサポートすることで作戦成功率は100%となる」
その提案に、蛍の眉がピクリと跳ねた。
「あら……? ずいぶんと役得ですわね、サーファー様は」
蛍の声に棘が混じる。
「わたくしは立場上動けないというのに、あなたはのうのうと現場に行けるなんて……もしかして、わたくしが暴れられない分あなたが楽しもうとしているのではなくて?」
「誤解だ」
早苗は平然と返した。
「適材適所というだけの話だ。それに……隠密性と繊細さが要求される潜入任務において、破壊音と爆発音しか立てられない蛍主任では、そもそも適任ではない」
「……なんですって?」
蛍の周囲で空気が歪んだ。早苗の指摘は、「お前は脳筋だから潜入には向かない」と言われたも同然だった。
「言ってくれますわね、この生意気な雛鳥……わたくしだって、やろうと思えば静かに……」 「『スサノオ』で壁を粉砕するのが静かだと言うなら、辞書を引き直すことを勧める」
二人の間に、バチバチと火花が散るような険悪なムードが漂い始めた。
その時。
「――ああ、そうでした」
明は、さも今思い出したかのように手を打った。
「蛍。あなたに伝え忘れていたことがありました」
「……何ですの? お母様。今、この生意気な部下を教育しようと……」
「イサナ様がお待ちですよ」
その単語が出た瞬間、蛍の動きが止まった。
「えっ……?」
「先日の『彼岸』での一件。反イサナ派の重役たちを迅速に処理した手際について、イサナ様が直接報告を伺いたいと仰っていました……もしかすると、また『ご褒美』があるかもしれませんね」
「イ、イサナ様からの……!? ご褒美……!?」
蛍の顔から怒気が霧散し、瞬時にして蕩けるような甘い表情へと変わった。
「い、いけませんわ! お待たせてしまっては! ああっでも心の準備が……! 髪は乱れていませんこと!? 服装は!?」
蛍は慌てて懐から手鏡を取り出し、前髪を直した。
「早苗! リリカへの依頼は任せましたわよ! わたくしは忙しいのですから! ……ああ、イサナ様~! 今すぐ参りますわ~♡」
蛍はルンルン気分でスキップしながら、嵐のように部屋を出て行った。
「……単純な構造だ」
早苗が呆れたように呟く。
扉が閉まり、静寂が戻った部屋で、明は改めて早苗に向き直った。先ほどまでの母親としての顔ではなく、冷徹な指揮官としての顔だ。
「早苗。リリカ・ヴォルコヴァと接触し、ロマノフの研究所へ向かいなさい」
「了解」
「任務は二つ。研究所の破壊工作による機能不全。そして……」明の瞳が鋭く光る。「彼らが開発している『バイオウェア』のデータとサンプルを奪取すること。敵の技術は、全てサカイの糧とするのです」
「了解。明部長」
早苗は踵を鳴らし、敬礼した。




