特殊資産
サカイ・タワー中層階『特殊資産管理部』部長室。そこは、最新鋭のサーバーとホログラムディスプレイに囲まれた情報の要塞だった。
革張りの重厚なデスクの向こうで、犬噛明は優雅に脚を組み、空中に浮かぶ複数のウィンドウを指先で操作していた。画面に映し出されているのは、先日のヴィンセントと蛍の戦闘データ、そして回収されたヴィンセントの脳内メモリから抽出された解析結果だ。
「……ふむ。やはり、過剰駆動『阿修羅』の反応速度は脅威ですね。蛍の『月読』がなければ、危うい場面もあったかもしれない」
明が独り言のように呟くと、執務室のソファで早苗が口を開いた。
「ハードウェアの性能差で押し切ったに過ぎません。戦術的な洗練さはヴィンセントの方が上。蛍主任はただの力押しですよ」
整いすぎた顔立ちに表情筋はまるで存在しないかのようなポーカーフェイス。淡いブルーシルバーの髪は肩にかかるくらいの長さで、毛先は綺麗に切りそろえられている。髪と同じ淡い青紫色をした瞳も感情を映さない。ただその声色だけが不機嫌であることを表していた。
「力押し……ふふ、確かに。否定はしませんよ」
明は面白がるように椅子を回し、早苗の方を向いた。
「しかし早苗、裏を返せば技巧とは『持たざる者』が強者に対抗するために磨く、苦肉の策に過ぎない。すべてを蹂躙できる出力があるのなら、理屈など不要……」
「『力押し』こそが、あの子の魅力なのですよ。早苗」
明は黄金色の瞳を柔らかく細めた。
「圧倒的な暴力の前では、小細工など無意味。それを体現してこそ、我が娘です」
「……明部長がそう仰るなら」
早苗は不満げに唇を引き結んだ。喜びも、怒りも、悲しみも、一切の感情を映し出すことはない彼女にとって唯一の例外が犬噛明だ。大きな瞳、通った鼻筋、小さく結ばれた唇。その全てが完璧な比率で配置されており、故に人間的な温かみが欠落している彼女の唯一の表情筋。純白のハイレグ・ボディスーツに半透明の淡いシアンブルーのコートという格好も明の趣味であり、早苗は疑問に思うことなく愛用していた。
「水母。あなたはどう思う?」
突然話を振られ、蛇森水母の長身が身震いする。
彼女がコッソリ入ってきたことに明は気づいていた。明は立ち上がり水母に目を向ける。
身長185cmという長身にも関わらず儚げな印象を受けるのはその立ち振る舞いのせいだろうか。純白のロングコートドレスに顔の下半分以上を白と金を基調とした装飾的なガスマスクで覆うという出立ち。
そのマスクの上から覗く目元だけでも、彼女が類稀なる美女であることは明らかだ。目は大きくやや垂れ目がちで、どこか憂いを帯びている。まつ毛は長く、その瞳は深く澄んだ紫色。髪は瞳と同じ紫色で肩甲骨を越えるほどの長さをストレートに下ろしている。
「じっ……自分ですか……その……」
「かつてGF社で『キマイラ』と呼ばれていたあなたの見解を聞きたいですね」
「君はGF社在籍時は技術開発部だったと聞いている。ボクも意見が聞きたい」
早苗と明の視線を一手に受け、水母の言葉が続かない。彼女は人見知りでシャイな性格であり、注目が集まる途端に狼狽えてしまう。ガスマスクで素顔を隠しているのもそのためだ。しかしコートを着ていても隠しきれないほどの爆乳を持つ水母は否が応にも目立ってしまう。
その時、部長室の扉が勢いよく開かれた。
「ただいま戻りましたわ~! お母様! 皆様!」
入ってきたのは上機嫌な犬噛蛍だった。彼女はスキップで部屋の中央まで進むと、くるりと回って見せた。
「聞いてくださいまし! イサナ様ったら、わたくしのここ! この顎の下をこう……こりこりと! 優しく撫でてくださいましたのよ! あはぁん♡、まだ指先の感触が残っておりますわ……洗顔なんてできませんわ!」
蛍が自身の顎をうっとりと撫でる様子を見て、明たちが三者三様に反応する。
明は口元を歪め、満足げな笑みを浮かべた。
早苗は露骨に顔をしかめ、汚いものを見るような目で蛍を見た。
そして、水母は……ガスマスクの下で激しい呼吸を繰り返していた。その紫色の瞳は、蛍の顎に向けられ、嫉妬と羨望と、そして歪んだ興奮で濁っている。
「……蛍様の顎……イサナ様が触れた場所……自分も触れたい……いや、触れられたい……蛍様のその手で、自分を……ハァ……ハァ……」
幸いなことに水母の呟きは蛍の耳には届かなかったようだ。
「蛍主任。上機嫌なところ水を差すようで恐縮だが、主任の戦闘で破壊された備品の弁償について……」
「あら? つまらないことをおっしゃりますのね? 当然特殊資産管理部の予算で払ってもらいますわよ」
「また、ですか。ただでさえボクたちは『特殊資産』としてメンテナンス等で予算がかかっている。弁償などというつまらない理由で無駄遣いされると困まる」
「わたくしの聞き間違い? わたくしだけの責任とでも? ヴィンセントを取り逃がしたのは囮作戦に参加した早苗と水母ですわよね? わたくしはヴィンセントを見事討ち果たしたのですわ。部下の失態を拭い褒め讃えられるこそすれ責められるいわれはございませんわよ」
「囮作戦は蛍主任の主導だったはずだ」
「それなら尚更連帯責任ですわ。この弁償は特殊資産管理部の問題です。そうでしょう水母?」
「はい! 蛍様の手を煩わせてしまった責任は特殊資産管理部がとるべきです!」
「……コホン」
明がわざとらしく咳払いを一つすると、浮かれた空気がピリッと引き締まった。
「蛍。イサナ様への報告、ご苦労様でした。褒美をいただけたようで何よりです」
「はい! お母様! それで、あの野良犬……ヴィンセントのデータは?」
蛍の問いに、明は指を鳴らした。部屋の中央に、等身大のホログラムが展開される。それはヴィンセントの姿を模していたが、その身体はワイヤーフレームで構成され、急所の位置や反応速度の数値が赤く表示されている。
「回収班の仕事は迅速でしたよ。彼の脳は破壊を免れていました。戦闘ロジック、反射神経のパターン、そして死の瞬間の恐怖データ……全て抽出完了です」
明は冷酷な笑みを浮かべた。
「あなたが望んだ通り、これをベースにトレーニング・シミュレーションを構築します……ただし」
明の瞳が妖しく光る。
「ただのデータ上のシミュレーションでは味気ないでしょう? 開発部に命じて、回収した彼の生体パーツの一部と、最新のサカイ製コンバット・ドロイドを融合させた、特製の『サンドバッグ』を作らせています」
その言葉に、蛍は目を輝かせた。
「まあ! お母様、素敵ですわ!さすがわたくしのお母様! 生身の感触を残した玩具……壊し甲斐がありそうですわね!」
明は満足気に三人の『特殊資産』たちを見渡した。
「さて、ヴィンセントも所詮は尖兵。イルカ様を誘拐しようとした黒幕を見逃すほどサカイは甘くありません……気を引き締めなさい。我々特殊資産管理部の真価が問われるのは、これからですよ」
「はい、お母様!」
「了解、部長」
「……はい、自分も……尽くします」
三者三様の返事が部屋に響いた。




